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 05月31日
 
選別思考 2085 
 
*ナンキン系(現在のナンキン系)
ナンキン系は体にしか存在していない。
昔は、三角形とかおにぎり型とかに象徴されて言われていた。
その昔は、口の尖った大阪蘭鋳と言われていた気配もある。
昔から三角型は擂り鉢型で出来易いとも言われている。
これはお椀型丸鉢では少し出来づらいと言っていることになる。
これは、タタキ池では更に出来づらいと言っていることになる。
総体的には丸鉢になってから比較的現れ易くなったとも言える。
お椀型でも出来るが微妙な環境の差がその差をつくっている。
現在ではナンキン体の作り方が明らかになっているので、その環境の差をある程度は埋めることが出来るが、やはり丸鉢でないと出来づらいことは確かとなっている。
 
2016.05.31(Tue)  土佐錦魚TOP
 05月30日
 
選別思考 2084 
 
リュウキン系は尾が大きくて飼い易いので一般受けが良く、うっかりしていると
琉金の台頭を招き易い面があっても、羽衣返りの優雅な尾には、それに余るほどの魅力がある。
大阪ランチュウまでの土佐錦魚がリュウキン化されてから、やっと現在への形が
始まって、丸鉢の登場で形が充実してきた。
そこから現在迄の経緯を書いている途中だが、現在の各系統はいったいどうなっているのだろうか。
現在を、比較しながら纏めてみよう。
*ナンキン系      (現在のナンキン系)
*大阪ランチュウ系   (現在の大阪ランチュウ系)
*大阪ランチュウ系の進展(現在のランチュウ系(ランチュウ腰))
*リュウキン系の進展  (現在のリュウキン系)
*ナンキン系の進展と、大阪ランチュウ系の進展と、リュウキン系の進展
            (現在の理想型への進展)
 
2016.05.30(Mon)  土佐錦魚TOP
 05月29日
 
選別思考 2083 
 
この型は、基本的には野中系になる。
野中系は、いずれは尾が大きくなるはず。
やがて五歳程で一変するようにリュウキン系が現れるはず。
典型的な野中系の特徴は、始めは堅実な大阪ランチュウ系を見せていて尾は小さめだが、のちのリュウキン系の現れと共に、尾が大きくなって本領を発揮して行く。後のリュウキン系の現れ次第では、大阪ランチュウと隣り合わせと言うことになる。
典型的な近森系の特徴は、始めから尾の大きなリュウキン系が現れている。
よってそのリュウキン系の下地に大阪ランチュウ系が無いと、たちまち琉金が表立ってしまう。
つまり、琉金の土佐錦魚化とは隣り合わせと言うことになる。
リュウキン系の土佐錦魚であるには、大阪ランチュウ系が下支えしていなくては、成り立たないことを示している。
 
2016.05.29(Sun)  土佐錦魚TOP
 05月28日
 
選別思考 2082 
 
これから反転が発達すると、親骨をどこまで引き上げるかが問題になってくる。
それに伴って、付きそのものが皿付けへと上がらないことを祈るようになる。
前には将来的な問題をはらんでいるが後ではどうなのだろうか。
*その後(あと)は、付きの良さの如くほぼ完璧な水平が多く、尾下がりぎみと
尾立ちぎみは少数いても、尾立ちは全くいない。
山付けや後山も、付き高、付き立ち、ランチュウ立ちもいない。
これは筒の折れ下りが良く、ほぼ水平の付きを示している。
尾芯は長く尾先まで届いて、直条で、尾厚がある。
夏現在では、完璧な丸刈り型の三つ尾になっている。
夏現在では、唐傘を見ることができないが、将来的には尾先の伸張とともに唐傘ができて、小桜になるかも知れない。
堅実感はあっても、二歳ごろまで華やかさは全くない。
 
2016.05.28(Sat)  土佐錦魚TOP
 05月27日
 
選別思考 2081 
 
そこに余裕をもたらすのが、リュウキン型ということになる。
この魚達の将来に、少しの余裕が現れてくれるのだろうか。
この魚達の将来は、さらに余裕が現れづらくなるのだろうか。
*当歳の夏頃に張りが強くて、尾厚で反転が小さいと、親骨をさらにあげて行く
傾向が一般的になっている。
だが巾着型には、それなりのリュウキン系が現れている。
だいたい初めての選別の時からパンと張っていた。
それが夏になっても、張り過ぎを少し心配する程度に、維持していることの方が
驚きとなっている。
だがやはり、親骨先の下ろしは少ない。
巾着型は、いつも心配を掛けされる。
今迄に、渡り先を下ろした[ランチュウ泳ぎ]を殆んどしていない。
もしかしたらこれが、[大阪ランチュウ泳ぎ]ではないだろうか。
 
2016.05.27(Fri)  土佐錦魚TOP
 05月26日
 
選別思考 2080 
 
だが、そこ迄ハッキリ大阪ランチュウ系の体を基盤にすると、尾も大阪ランチュウ系へ傾くことが当然となる。
現に体の理想形の魚は、典型的な大阪ランチュウ系の尾になっている。
やっとその段階に達しているにすぎない。
一見、完璧な平付けが完璧な金座を見せている。
だが尾にとっては、付きが良過ぎる気配がある。
その気配は、完璧な腰から来ている。
腰に甘さがまったくない。
言い換えると、腰に甘さがあれば付きの甘さにもなってくる。
付きの甘さが、親骨の渡り先を下ろすことに繋がっている。
渡り先を少し下ろすことが、必要な余裕となっている。
余裕のなさは、典型的な大阪ランチュウ型の現れになる。
行き着くところは、万歳か挙前になる。
 
2016.05.26(Thu)  土佐錦魚TOP
 05月25日
 
選別思考 2079 
 
だが横見からは、尾芯の付きに流れを見ることができる。
この流れ方は多かれ少なかれ、大部分の土佐錦魚に見られる。
ナンキン系とリュウキン系は、この流れが多かれ少なかれある。
ナンキン系が表立つと、腰や筒伸びや付きがおぼつかない。
リュウキン系の欠点が表立つと、体の縮みや腰や付きが目立つ。
両者の欠点が結びつくと一見良さそうに見えても要注意となる。
*この欠点の結びつきを現在の土佐錦魚へと向けたのが大阪ランチュウ系となっている。
大阪ランチュウ系はより腰を備えることができている。
やがてランチュウ腰を備えることへ向いている。
大阪ランチュウ系の体の基盤としての役目は、ここにもある。
やはり大阪ランチュウ系の体を基盤として、まず理想の体を造り上げることが
賢明となってくる。
 
2016.05.25(Wed)  土佐錦魚TOP
 05月24日
 
選別思考 2078 
 
*さらに次の段階へ進んだ再現と思われる魚も経験している。
ナンキン体は顕著に現れていると感じられる。
ナンキン体そのものに文句はない。
筒にもナンキンの丸手風の湾曲が大分出てきている。
筒の長さが湾曲に活かされてもいる。
だが、筒の細さが目についてしまい、尾を支えきれていない。
*その次の段階へ進んだと思われる魚にも経験がある。
ナンキンの体はそのまま、筒の細さもそのまま。
だが、筒に土佐錦魚らしい締まりが見えている。
筒の長さが折れ下りに活かされている。
上見からでも、筒が見事に下りていることが判る。
尾の支えに不満を残すが、ナンキン体がそれを相殺してしまう。
ここまでがナンキン系の腰や筒の限界となっている。
 
2016.05.24(Tue)  土佐錦魚TOP
 05月23日
 
選別思考 2077 
 
*その段階を一段進んだと思われる魚も経験している。
筒だけでなく、腰がまるっきり流れている型は同じだが、背高が認められる。
山型とか富士山型と言っている。
山のように頂上があったり富士山のように裾野があったりする。
背高はあっても背や腰に丸みがない。
直線的な前背方向と同じように、後背も直線的に下っている。
少しの下りはあっても、折れがない。
これには少しの背高と少しの筒の下りが加わっている。
*さらに一段進んだ段階と思われる魚も経験している。
背骨が縮まりを見せて、背高は低くなってしまい、体が短く感じられ、
腹の出は良いが、筒は細いままで、折れ下りがなく、安定感に欠けている。
 
2016.05.23(Mon)  土佐錦魚TOP
 05月22日
 
選別思考 2076 
 
*体が和金型を感じさせるのは、どうしてだろうか。
一つに、体長が長い
一つに、腹幅が狭い
一つに、背高が低い
一つに、筒幅が狭い
一つに、腰感がない
全体に土佐錦魚らしいとされている締まりがない。
仮に腹が十分に出ていたとしても、体長の長さは隠せない。
腰に流れ感があったり、細かったり、間延びしていたりする。
これは和金感として、土佐錦魚の前身の和金型が現れている。
加えてこの段階から次に進んだと思われる魚も経験している。
腰に締まりはないままだが、筒が短くなっていた。
 
2016.05.22(Sun)  土佐錦魚TOP
 05月21日
 
選別思考 2075 
 
雌遺伝は、次の掛け合わせで緩和される可能性を残すが、そこまで温存する時間と置き場所の余裕が無い。
この一連の現れは、大阪ランチュウが掛けられる以前での和金型とナンキン型間の良型を示していると受け止められる。
何れにしても、現在の土佐錦魚の種にしては不可ない可能性の方が高いと判断、
結局諦めてしまった。
この出来事は、研究的に過去を推し量る意味を持っていたが、選別の段階としては、過去の次元で迷っていたことになる。
この経験は、過去の次元を感じとれる切っ掛けとなった。
この経験は、長手に踏ん切りをつける決心をさせてくれた。
以後、腹が出ようが出まいが、体に和金の要素を見つければ、躊躇なくハネることをいとわなくなっていた。
2016.05.21(Sat)  土佐錦魚TOP
 05月20日
 
選別思考 2074 
 
雄はどれも腹の出が悪く、目先云々より長さを感じてしまう。
雌は、腹の出に少し物足りなさを感じても、目先を長く見せているので捨てがたく、明くる産卵期になると見事に膨れる。
だが産卵期が終わると、雌なのに物足りなさが戻ってしまう。
基本的な体長は、雌雄のどちらも和金の長さを思わせた。
雄は種に使う気を起こさせず、雌は種に使うかを惑わせた。
まず基本的な長さが雌雄どちらも和金型から短くなっていない、と感じられることが[種に使うべきではない]と後押しをする。
長さ的に和金型を受け継いでいることで、種に向かないと判断。
腹の出の良さが雌遺伝となって雄へ出ないことは、この腹から雄の良い腹形が望めない、と強いて判断。
そして、尾が思ったより大きくなっていない。
尾はいずれ大きくなる可能性もあるが、体の長さを埋められない。
 
2016.05.20(Fri)  土佐錦魚TOP
 05月19日
 
選別思考 2073 
 
一方の腹の出は、ナンキン系の後腹が一番張っている。
その腹は顔への尖り感を与えるまでになっている。
そこに琉金のような詰まり感はない。
だがナンキンそのものでは、土佐錦魚としては長すぎる。
それにしても、土佐錦魚の前身へナンキンが掛けられた頃の土佐錦魚は、
ナンキンそのものの腹型を獲得していたのだろうか。
以前に、その頃の再現かもしれないと思わせる一腹を育てたことがある。
餌を食べるとまるでナンキンのように後腹が張り、明くる朝になるとまるで和金のような腹になってしまう。
尾は小さめだがもしかすると、秋が深まれば尾は大きさを増し、腹形もナンキン腹か和金腹のどちらかに収まるのでは、と、育ててみたが、その差は雌雄の腹の差として現れてきた。
 
2016.05.19(Thu)  土佐錦魚TOP
 05月18日
 
選別思考 2072 
 
折れ過ぎは縮まりや詰まりとなり、締まり感とは異なっている。
琉金のように前背が詰まり窮屈だと、鳩胸になり易い。
琉金のように腰が縮まっていると、腹が垂れやすい。
折れ過ぎて尾筒に余裕がなくなると、筒の下りが出来にくい。
それは、体の丸みに取られて尾筒の詰まりを感じさせる。
琉金の背の高さを必要としていながら、
前背から顔に直線的な滑らかさを求め、
前背の背骨に詰まりがありながら顔へと長さを求め、
琉金ほどに筒の詰まりを見せないでいながら、
腰の背骨に余裕をもって腰に締まりを見せ、
大阪ランチュウより筒の折れ下りがあり、
その上に、ランチュウ程の締まりをもつ腰を望んでいるのが、土佐錦魚と言うことになる。
 
2016.05.18(Wed)  土佐錦魚TOP
 05月17日
 
選別思考 2071 
 
その後に掛けられた琉金は、背頂に引き上げられるような湾曲になっている。
その湾曲のどこにも伸び感や余裕感はない。
むしろ前背や腰に詰まり感を現すほどの引き上げになっている。
琉金の背頂への弧の引き上げは、ナンキンや大阪ランチュウには欠損した背鰭が影響している。
担鰭骨の存在が影響している。
ナンキンや大阪ランチュウには背鰭がない。
和金のように背鰭があっても必ず引き上がる訳ではないが、琉金の成魚では引き上げが成されて、背の弧が強く湾曲している。
その湾曲は、前背の背骨の極端な詰まりと、後背の背骨の湾曲した詰まりをもたらしている。
琉金には、前背に土佐錦魚らしさとされるなだらかさがない。
顔と前背の境目には段差が出来易い。
腰には折れ下りをもたらすどころか、折れ過ぎさえ感じさせる。
その詰まり感が、土佐錦魚へさらなる丸みをもたらしている。
 
2016.05.17(Tue)  土佐錦魚TOP
 05月16日
 
選別思考 2070 
 
大阪ランチュウの腹部までの湾曲は、その方向に沿っている。
大阪ランチュウの丸手では、腰部の湾曲がナンキンよりさらに出てきたと想像できる。それが卵型への進展となっている。
またそれが、蘭鋳の丸手への過程になっていると推し量れる。
現在の土佐錦魚では、腰部にもその要素を求められている。
和金からナンキン、ナンキンから大阪ランチュウへとなる土佐錦魚内の丸手化の発展経路からすると、蘭鋳の丸手的な進展が自然的な経路として望めると感じられる。
だが丸手化の発展経路は、自然発生的でなく人為的な選別が関与した進展となっている。人間が望むと言うことは、関与が強まることになる。
やがて遺伝的な要素へと進展している。
 
2016.05.16(Mon)  土佐錦魚TOP
 05月15日
 
選別思考 2069 
 
*次は短さを抑えている。
短さの要素とは、背骨が直線的か湾曲的かの違いになっている。
和金でも胸部には、少しの湾曲を持っている。
胸部の湾曲は、長短の要素になっていないことになる。
ならナンキンは、和金とたいして変わらないことになる。
その大して変わらない要素は、和金と同様の腹部と腰部の伸びにある。
ナンキンは見た目の太りが、あたかも体が短くなったかのような錯覚を与えている。
それでもナンキンには、丸手とされる型がある。
ナンキンでも丸手であれば、背部や腰部にも湾曲が認められる。
胸部より先に湾曲があれば、上見からの長さは短くなってくる。
鮒尾和金には丸手が存在していないと言える。
開き尾化が契機となって丸手化の進展も始まったと言える。
その丸手化が、金魚の基本的な発展経路の一つとなっている。
 
2016.05.15(Sun)  土佐錦魚TOP
 05月14日
 
選別思考 2068 
 
体の長さは和金型よりナンキン型の方が、長さを感じさせない。
ナンキン型より大阪ランチュウ型の方が、長さを感じさせない。
大阪ランチュウ型よりリュウキン型の方が長さを感じさせない。
体の長さでは、丸さを求めて掛けられた順序通りになっている。
入手できた順序が、偶然短さの順序になっていたとも言える。
短さの順序とは、見た目の長短だけだろうか。
長さだけなら、一番短く円に納まり易い琉金型で良いと感じる。
だが、土佐錦魚は琉金の短さで良いとはされていない。
ナンキンは、短さの要素を背骨の胸部に持っていた。
大阪ランチュウは、短さの要素を背骨の腹部に持っていた。
琉金は、短さの要素を背高と筒の詰まりに持っていた。
*その要素とは何だろう。
背骨の数が少なくなったのだろうか。
土佐錦魚の背骨の数を数えた人は、大概は居ないだろう。
大概は、背骨の数なんてそう大して変わらないと想像している。
背鰭なら数えた人も居るかも知れない。
背鰭の条数は一二条から一五条と差がある。
当然か面白いことに少ない方の体が短い。
 
2016.05.14(Sat)  土佐錦魚TOP
 05月13日
 
選別思考 2067 
 
*まずは長さを抑えている。
尾芯が正中線(縦中心線)に、親骨が渡り線(横中心線)に沿って土佐錦魚の円に収まる、或いは、円周に達する後と前を持つ魚が現れると、その素晴らしさを
土佐錦魚の美観に相応しいとして受け入れた。
その美観を得るには同時に、円周からはみ出るような長い体をふさわしくないと
改めて認識した。
長い体は土佐錦魚の前身の和金型の体として、尾が小さく円のない時でも否定されている。
ならナンキン迄の体ではどこまでが長いのか、
腹が出ていれば長くても埋め合わせができてしまうのか、が、定かでなかった。
それは尾が小さくても普通とされていた時代のことで、尾と体の一対一の比較対称がなされていなかった。
大阪ランチュウ迄と琉金が掛けられ尾が大きくなったことと、前が土佐錦魚の円の渡り線に沿って収まったことで、体の長さの基準が示された。
 
2016.05.13(Fri)  土佐錦魚TOP
 05月12日
 
選別思考 2066 
 
丸鉢が普及し、現在のような前の抑え方が土佐錦魚らしさと規定されると、
万歳方向は土佐錦魚の美観を損なうものとされた。
同様に無闇な力感も抑えられるようになり、抑えられずに過ぎた力感や過大や武骨さも、土佐錦魚らしくないとされた。
力感を十二分に備えてから品良く収めることはできない。
繰り返すが、力感と品は反比例状態にある。
品を失う以上の力感は、制御することになる。
この順序は、尾の後には平付けとしての抑えを、そして尾の前には親骨の抑えを求められるようになってから、抑えられたその尾に見合う体の抑えを、求められるようになって行った。
体の抑えとは、一体のどこを制御しているのだろうか。
 
2016.05.12(Thu)  土佐錦魚TOP
 05月11日
 
選別思考 2065 
 
力感を突き進んで良かったのは、大阪ランチュウ迄の土佐錦魚と言える。
タタキ池で最大に育てられていた。
例え海老前でも良かった。
そこには、規定に至る美観が生じていなかったことで、力感や大きさを第一にする好みを制約するまでになっていなかった。
現在において力感を第一にすることは、大阪ランチュウ迄の土佐錦魚の時代へ逆戻りしてしまうことになる。
大阪ランチュウまでの土佐錦魚では大きさとともに、万歳をしていてもそんなものと受け止められていた。
琉金が掛けられてからしばらくは、タタキ池で飼われていたこともあってその流れのままだったが、前を抑えている魚が次第に現れてくると、反転も大きくなり目立ち出し、後に対抗しうる前が成り立ち、抑えている魚が次第に選ばれて行った。
 
2016.05.11(Wed)  土佐錦魚TOP
 05月10日
 
選別思考 2064 
 
一端備わった力感を削っても味わいを取り戻すことはできない。
例え力感を削いでも、味わい感を増す方向へは二度と進まない。
無理にそうすると、今度は力感が淋しくなるだけとなってしまう。
味薄い素質であれば、一端通常的な限界までの力感を得てしまうと、
後戻りができなくなる。
素質ごとの力感の制御としての限界を把握して、心しなくてはならない。
味の濃い素質は、その素質の積み重ねからできる。
その素質を失わない努力の積み重ねによって、次第に濃くなる。
*なぜ、力感は抑えられなくてはならないのか。
力感の抑えは、大阪ランチュウ迄の土佐錦魚に琉金が掛けられてから、
先達の感性や美観によって次第に育まれ磨かれてきた。
その過程は、力感が次第に抑えらる方向となって行った。
力感とは反比例的に品を重んじる土佐錦魚が成り立って行った。
次第次第に規定へ盛り込まれ、土佐錦魚らしさが成り立った。
 
2016.05.10(Tue)  土佐錦魚TOP
 05月09日
 
選別思考 2063 
 
それは、大きさへの抑えが行き届いていたからと言える。
基本的な良さを打ち消す寸前が、大きさの良さの限界となる。
だがその大きさは基本を打ち消していないだけで、その上へ味わいを醸し出す限界とは異なっている。
限界迄大きくしてしまうと、味わいは備わらないことになる。
限界迄大きくしてしまうと、力感方向へと定まることになる。
限界以前から、味わい感と力感の方向は反比例となって行く。
それは、限界に一端到達しながらその力感を維持し続ける抑えをしていれば、
味を同時に醸し出すことができると言うことか。
ここで味は「遺伝子によるところが多い」ということを思い返してもらいたい。
味を強く備えている素質であれば、限界まで大きくしても同時に維持することができるだろう。
 
2016.05.09(Mon)  土佐錦魚TOP
 05月08日
 
選別思考 2062 
 
*なら差し支えない程度に崩れを抑えれば良いことになるのか。
そんな魚を見たことも、経験したこともない。
大概は過度の大きさが、基本的な良さをも打ち消すことが多い。
一度崩れたところは、それから抑えても傷跡が残る。
それなら、崩さずに大きくすれば良いことになる。
それなら、崩れる迄に過度の大きさへしなければ良いことになる。
その通りになってくる。
そうするには相応の年月が必要になる。
例えば、頭頂骨の凸凹が生育すれば肉瘤も当然に生育する。
歳早く大きくすれば、頭頂骨の凸凹もそれなりに生育する。
歳遅く大きくすれば、頭頂骨の凸凹もそれなりに生育する。
経験では、四歳迄は頭頂骨の凸凹もそれなりに抑えられる。
四歳まで抑えられていると八歳迄はそれなりに抑えられる。
金魚は活力があって生きていれば、何歳まででも生長する。
八歳以上になると頭頂骨の凸凹も、それなりに納得できる。
 
2016.05.08(Sun)  土佐錦魚TOP
 05月07日
 
選別思考 2061 
 
品は主に体で表現されて、味は主に尾で表現されると言える。
双方が双方を引き立てながら、雰囲気を醸し立てて行く。
双方の表現が伴ってはじめて、えも言われぬの雰囲気となる。
その雰囲気は、基本の形を覆い尽くして多くを語り掛けてくる。
土佐錦魚の形には規定がある。だが味わいには規定がない。
土佐錦魚の形には本来主観がなく、客観的となっている。
土佐錦魚の味わいは本来客観的でなく、主観的となっている。
味わいに感性を揺すられるか、どうしても大きさに喜びを感じるかで、その人の
好みや感性の趣(おもむ)きが計られてくる。
大きさを求めるのであれば先ず基本的な良さを整えてから、その上で大きければ、最高と言うことになる。
師云く「大きくても崩れていなければ差し支えない」
崩れていなければ大きくても良いとも受けとれる。
 
2016.05.07(Sat)  土佐錦魚TOP
 05月06日
 
選別思考 2060 
 
形の作りは、日常的であって常識的にできることが必要になる。
イメージの作りはその上に常に心掛けていることが肝要となる。
品や味は見た感じの印象や雰囲気のようなものとなっている。
それは、土佐錦魚のどこが漂わすことをしているのだろうか。
全体的と言う他はない。
例えば、均整が整っていなければ仕方がない。
体は良いのだけれど「尾がね」では仕方がない。
尾は良いのだけれども「体がね、顔がね」では仕方がない。
ならば、全体の形を作りさえすれば漂ってくるのだろうか。
基本的には、と言う他ない。
ならそれは、どこの形を更に作れば、その上に活きてくるのか。
品や味を表現する部位があるのだろうか。
漠然とだがある。
 
2016.05.06(Fri)  土佐錦魚TOP
 05月05日
 
選別思考 2059 
 
味は、その魚の持っている遺伝子の作用が大きいところから、その作用の邪魔をしない形の育て方をすれば、浮上してくる。
味への意識を念頭に置いた飼育をしなくても、形の作りを間違いなくしていれば、持ち味は表現されてくる。
更に味を濃くしたい時には、味を活かす飼育をすることになる。
品や味を形よりも念頭に持ってくることは、ある意味本末転倒と言えるかも知れない。それはまず形が土佐錦魚らしくなければ、基本的に意味をなさないところとなっている。
まず形作りを基本にして、イメージの作りを常に心掛けることが肝要になる。
この常に心掛けることを忘れないでいることが、意図の抑え(制御)となっている。
イメージの作りの意図が形の作りより過ぎることなく抑える。
イメージの作りの意図の心掛けを常に忘れないように抑える。
土佐錦魚の形を作る心掛けが、作りの作業の制御(抑え)となり、
土佐錦魚のイメージを作る心掛けが、作りの意図の制御となる。
 
2016.05.05(Thu)  土佐錦魚TOP
 05月04日
 
選別思考 2058 
 
*なら逆はどうだろう。
イメージの作りをしていれば、同時に形の作りを伴うことにもなるのだろうか。
品良く作ろうとすれば、土佐錦魚の形ができてくるのだろうか。
品や味をまず作ろうとすることは、形の作りを通り越してしまったり、形の作りを意図的に後回しにしたりすることになる。
この段階の思いが強いと、品や味ができてこなければ、ある程度形ができても
意味がないと勘違いすることが多い。
あまりに思いが強いと、イメージへの思いが形への作りよりも過ぎたことになりかねない。
するとイジケにむかってしまう。
逆に、品の作りを無視して育ちを追うと、形の土佐錦魚らしさを通り越して
土佐錦魚属のオバケに向かってしまう。
品や味は、土佐錦魚らしさが始まると並行して始まる。
土佐錦魚らしい形ができ始まると、イメージも浮かび始める。
 
2016.05.04(Wed)  土佐錦魚TOP
 05月03日
 
選別思考 2057 
 
品を損なう飼い方は、結局素質の味をも損なうことになる。
加えて土佐錦魚らしさを損なってしまうと、土佐錦魚属になる。
土佐錦魚属に至るには、土佐錦魚らしさや品や味を損なう迄に、過ぎた飼い方を
した事になる。
大概はその飼い主が土佐錦魚属に至らしめているという、意識の希薄さに問題が
ある。
土佐錦魚を知らないままで、満足しているところに問題がある。
土佐錦魚らしさを意識できる迄に、学んでいないところにある。
土佐錦魚らしさをたとえ学んでも、受け入れない水準にある。
土佐錦魚らしさは、大阪ランチュウ迄の土佐錦魚に琉金が掛けられてから創出されている。
それは制御された抑えにより産まれた余裕が基本になっている。
土佐錦魚らしさを受け入れない水準は、抑えの利かない土佐錦魚属と同様な性質を感じとれる。
形の作りと同様に、イメージの作りも抑えが基本となっている。
損なう形や過ぎたる形にしないようにする抑えが作りと言える。
その形の作りは、同時にイメージの作りも進行させている。
 
2016.05.03(Tue)  土佐錦魚TOP
 05月02日
 
選別思考 2056 
 
*味は遺伝的な形質が主になっていると、受け取ることが多い。
素質になかった味を、飼い方だけで醸し出すことはできない。
素質にない品も同様に、飼い方だけで醸し出すことはできない。
品や味を素質より悪くしないことは、飼い方でできる。
素質より悪くしない程度が、最低線の飼い方と言える。
最低線以下とは、素質にあった品や味を飼い方で台無しにしてしまうことになる。これが土佐錦魚属への飼い方となる。
素質にある品や味を余すところなく、或いはそれ以上に表現することを
[作りあるいは作る]飼い方と言っている。
遺伝的な形質が主になっていると思われる味の表現は、飼い方で損なわなければ
比較的容易にできてくる。
遺伝的な形質も然ることながら、作り方が主になっている品の表現は、飼い方で
損なうことが比較的多い。
 
2016.05.02(Mon)  土佐錦魚TOP

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