FC2ブログ
天気予報
ブログ内検索
月別アーカイブ
 11月30日
 
選別思考 1935 
 
気付いても、「まあ、いいや、後で何とかできるさ」「大きさで補えるさ」と高をくくる人が、審査員にも結構いる。
そういうのを欺瞞(ぎまん)や怠慢(たいまん)と言う。
怠慢の痕跡は、必ず残って、必ず目にとまる。
それでもどこかで折り合いをつけてしまうのが、高い水準に届いている人になるのかもしれない。
常時気を詰めて世話をしていると、気も身も続かない。
だが、どこか一瞬でも手を抜いてしまうと、怠慢の痕跡となる。
人間だって疲れている時も、病気の時もある。
対処しきれない異常気象だってある。
「仕方ないさ」でも、その傷跡は残る。
その痕跡に目が止まるとき、自責が過る(よぎる)。
利点での補いは、自責を感じた証かも知れない。
 
2015.11.30(Mon)  土佐錦魚TOP
 11月29日
 
選別思考 1934 
 
早い気付きによって、取り返しがつくことがある。
遅くなればなるほど谷底へ落ちて行く。
気が付かなければ自分から谷底へ歩んでいるようなものになる。
取り返しのついた魚でも、作り直した努力の痕跡が残っている。
その方向に働いた魚と人間との意志がその魚からは汲み取れる。
そんな魚は、土佐錦魚属までに到っていない。救われている。
土佐錦魚は[作る魚]という意識改革から手をつけなくてはならない。
谷底に落ちた魚は、もう間に合わない。
気がつかないと、次の魚にも間に合わい。
気付いたことの改善に挑む、気付きが手遅れと感じた時や、さらにその手遅れの改善は無理と判断できた時は、出来ないことに無理をせず、その魚の他の良い部分を活かすことで補う。
駄目にしたことは取り返しがつかないのだから諦めるしかない。
良い部分を活かして全体で差し引きできるようにするしかない。
 
2015.11.29(Sun)  土佐錦魚TOP
 11月28日
 
選別思考 1933 
 
[差し引き的つくり]は、作りと言えるのだろうか。
それは兎に角として[差し引き的つくり]は、結果的に失敗の補いをしているために[差し引き的つくり]と言われてしまう。
それでも、失敗に気がつかないよりはいい。
気が付いてから、なんとかしなくてはと思うのがもっといい。
思ったことを行動に移すことが、さら良い。
要するに、しないよりはした方が良いと言うことになる。
これは作りを心がけている人達も、大なり小なりしていることになる。
作りはそんなに易しいものではない。
失敗がつきものとなっている。
それをなんとか補おうと四苦八苦していることになる。
失敗したと結論が出る前に、失敗しそうになったら、出来るだけ早くした方がいい。すると、案外補えるようになる。
 
2015.11.28(Sat)  土佐錦魚TOP
 11月27日
 
選別思考 1932 
 
意欲のうえでは棒にもかからないイジケた魚より、箸にかかる養殖魚並みの方が良いぐらいに思えることがある。
肉や瘤を付けている土佐錦魚属真っ只中の作業でも、腹の出を良くしておくことを[腹形を作る]と言えるのだろうか。
土佐錦魚属になっていることは、既に作る作業を放棄していることを意味している。その上で腹出しにかかると、肉や瘤をさらに増すはめになる。土佐錦魚属の内での悪循環が始まる。
一度土佐錦魚属へ落ち込むと、這い上がれない谷底をみる。
谷底に居ること気がつかない人は、上を見上げることをしない。
落ち込む元は、魚の持っている土佐錦魚になろうとしている遺伝子を、飼い主が邪魔をしていることに気付かないでいる。
だが、それで腹が出ていないともっと最悪になる。
作りにはなっていないが、せめて腹ぐらいは出しておかないと。
 
2015.11.27(Fri)  土佐錦魚TOP
 11月26日
 
選別思考 1931 
 
当歳なのに三歳並に生長すると、肥っていて肉付きがいい。
力強くて見栄えがいい。脂がのっていて身が柔らかい。
そんな魚にした飼い主は益々やる気が出てきて、どんどん水替えをして、どんどん餌をやり、どんどん生長させる。
当歳の秋には三歳並みで、明け二歳で十分産卵する。
二歳でもその調子で育てれば五歳並みで、親をも凌ぐ。
桜やシワがなければ、そんな会なら役に立って評判がいい。
そんな会で、そんな魚の四歳を見ることは少ない。
死ぬか、老けてしまっている。
逆に、餌を少なくしさえすればいいと勘違いする向きもある。
抑え過ぎると、過大にした土佐錦魚属のような悪さは出ないが、今度は、良さが出ない。と言うか肝心なものは何にも出ない。
捨てたくなる気分で意欲がわかない。世話のしがいがなくなる。
 
2015.11.26(Thu)  土佐錦魚TOP
 11月25日
 
選別思考 1930 
 
昔、大池で鯉と一緒に飼っていた和金を見たことがある。
二尺近くはあっただろうか。同じ長さの鯉が隣に並ぶと、鯉より腹が肥っているので太く大きく感じたことがある。
昔、東京の水産試験所で、オランダシシガシラの十七歳を見たことがある。
その巨大さに金魚の限界かと思えた。
その後、高知の金魚店で、匹敵するようなトサキンを見た。
その後、高知の水族館で、トサキンの超巨大魚を見た。
そこには、天然記念物トサキンと名札が貼られていた。
しかもそれほど年寄りには見えなかった。でも色は老けていた。
金魚は飼い方で、幾らでも巨大化するのだろうか。
金魚で一番大きくなるのは、もしかしてトサキンなのか。
でも土佐錦魚らしくなっている魚で、巨大魚を見たことが無い。
金魚店のトサキンは、初期のハネと思える。
水族館の巨大魚も、ハネられた魚と思える。
土佐錦魚にはなっていなかった。
 
2015.11.25(Wed)  土佐錦魚TOP
 11月24日
 
選別思考 1929 
 
餌やりや水替えでまず変化するのが、目幅となっている。
老年期になると落ち着くが、裏返すと老いても活力さえあれば目幅は動こうとしている。
若くて活力に満ちていれば、敏感な程に動く。
魚が欲するままに餌を与えると、魚は餌が得られる環境であることを察知する。
餌の種類の差でも敏感に動く。
餌が豊富だと、すぐ受け入れて生長する体勢を構える。
その態勢としての構えが、まず目幅に現れる。
目幅が広がっても餌をそのまま与え続けると、生長環境が整ったとして、すぐに生長速度を上げて行く。
すると、ますます食欲が増す。素早い生長循環が始まる。
速い生長循環が始まってからも、そのまま餌を与え続けて水替えをすると、
当歳なのに、二歳、三歳程に生長する。
その魚の通常生長速度がそこに定まり、将来の生長限界も拡大される。
 
2015.11.24(Tue)  土佐錦魚TOP
 11月23日
 
選別思考 1928 
 
作るうえで目先作り、顔作りが究極とされている。
まずその意図の方向性だけでも感じられないと、土佐錦魚を飼う意味が無い。
土佐錦魚へ向ける感性を芽生えさせて欲しい。
顔作りを放棄すると、好き勝手に大きくできる。
顔作りを始めると、他の部分にも作りの意図が及ぶことになる。
すると、自動的に他の部分にも作りの網を掛けることになる。
すると、自動的に他の部分も暴走しなくなる。
顔が作れる飼い方をすれば、尾は従うように出来てくる。
規制を強く掛けると、普通は本能的な欲求不満になってくる。
それまでが奔放だった人は、我慢ができなくなってくる。
成果が出る前に、ばかばかしくなってくる。
すると自制心をほどいてしまう。
魚への規制も、自動的に解けてしまう。
 
2015.11.23(Mon)  土佐錦魚TOP
 11月22日
 
選別思考 1927 
 
「顔はそれほどでもないが、腹形が良いので顔を補っている」
審査の時に聞ける評価となっている。この逆の例もある。
「腹形を作るのに気を取られ、目先の作りを疎かにしている」
良いところと悪いところを差し引きすると、悪さを補えるが、冴えや良さを帳消しにしてしまう。
長手で腹の出が望めない形質の時には、せめて目先だけでも細く留めておかないと、見るに堪えないことになる。
目先作りをしない人は、大きくして目幅を広げ、口を大きくして、余計な肉や瘤を付けて平気でいる。
作りを心がける人からすると、堪え難い光景となる。
肉や瘤を付けて平気でいるから、目先が崩れる。
そうなると、せめて腹形だけでも出しておかないと、と、必至になる。
さらに無残なことになる。
もう土佐錦魚とは言えなくなる。
土佐錦魚への意図を感じられなくなる。
 
2015.11.22(Sun)  土佐錦魚TOP
 11月21日
 
選別思考 1926 
 
作りはまず、根本の体作りから始まる。
後に、手入れが必要なところへと進んで行く。
各部が[部分的な作り]となるので、部分的作りが複合されて全体的な作りになって行く。
例えば、その魚のもっている筒型の遺伝子を、本来通り精一杯働かせると、筒の折れを良くして立ちを軽くすることが出来る。
何気なく山付けにしてしまう危険を作ることで回避できる。
そして、本来の平付けへ近づけることが出来る。
逆に言えば、平付けに近い遺伝子の働きを邪魔してしまうと、山付けぎみや立ちぎみにしてしまうことが、往々にしてある。
損ねてしまうと付きが高くなったり、余計に立ったり、筒に余裕がなくなったり、ろくなことにならない。
多くの人はそれを、魚の遺伝子が悪いからで終わらしている。
 
2015.11.21(Sat)  土佐錦魚TOP
 11月20日
 
選別思考 1925 
 
飼育での作りのほとんどは、体作りに費やされている。
顔形、腹形、背形、腰形、付形、このほとんどは作り方次第で、まるで違った魚になることが体験済みだろう。
その体作りが多大に、尾へも響いて行く。
体作りが尾型をまるで変えることはないが、立ちを緩和したり更に立たしたり、平付けを良くしたり悪くしたり、金座を見栄え良くしたり、抑えや曲がりまでに影響している。
体作りは尾作りにも通じていることを物語っている。
体作りをしていると、その作業が尾作りへの効果と重なっていることに気が付く。逆に体作りを勘違いして間違った飼育をすると、尾の良さを無くしてしまうことがある。
体作りが叶うと、飼い方によって均整を失うことは少なく、
その魚のもっている最高の均整を発揮することができる。
 
2015.11.20(Fri)  土佐錦魚TOP
 11月19日
 
選別思考 1924 
 
片腹による曲がりは、前以て防ぐことが可能の範囲になっているが、遺伝的で前以て防げない片腹も勿論がある。
その場合は、その影響で尾が曲がり始めて来たら、抑える手入れをする。
「それも所詮対症的ではないか」と言われればそうなのだが、片腹で尾を曲がらせてしまう方が怠慢と言える。
遺伝的な曲がりは見捨てるが、片腹を放っておいて尾が曲がってから荒療治をするより、前以て対応する手入れを奨める。
前以ての対応として手を加える手入れは作為的で、崩れてしまうものを出来るだけ崩さないようにする[作り]に加わる。
尾では造りの度合が多く、ほとんどが手を加える手入れとなる。
先の張り癖や曲がり癖は、この[作り]によって緩和できる。
だが、少しの違いであれば効果がでても、ハッキリとした遺伝子的な癖は、直ったにしても何れ何処かにボロが出てしまう。
それは手入れの限界を越えているとして、やはりハネになる。
 
2015.11.19(Thu)  土佐錦魚TOP
 11月18日
 
選別思考 1923 
 
飼い方で直すシワか手術で治すシワかを判別する必要がある。
そして種に出来る癖と、出来ない癖とを判別する必要がある。
種に関するシワの判別には、遺伝子を感じとる必要がある。
飼い方と手術との間に位置する、手を加える手入れ方がある。
張り癖や曲がり癖は、尾型の違い、付け違い(上下、左右、ネジレ)、
少しの曲がり(背、腰、尾芯)、親骨の強さ、反転の違い、片腹等を事前に処置することも手入れになる。
例えば、片腹にならないようにすることができる。
それは、遺伝子に片腹がなくても、飼い方で片腹にしてしまうことを言う。
その片腹を無くせば、片腹による尾の曲がりを防ぐことになる。
だが多くの場合は、なにかの原因で尾の癖をつくってしまってから、脱臼をさせるなどをして直すことをしている。
これは対症的手入れで、作りの手入れとしては薦められない。
 
2015.11.18(Wed)  土佐錦魚TOP
 11月17日
 
選別思考 1922 
 
シワにも抜ける(直る)シワと抜けないシワがある。
無理してシワ抜きの手術をしない方が良いときもある。
飼い方でシワをつくってしまうときがある。
そんなシワは、早く処置すれば飼い方で直るときがある。
そうと解れば先ずはその飼い方を試して見ればいい。
確実なシワの遺伝子がなくても、土佐錦魚の尾にはシワが出来易い。
特に後にはシワが出来易い。
環境でも、調子を崩しただけでもシワが出来るときがある。
そんなときには、飼い方でシワを無くすことが出来る。
尾が収縮方向の時期には出来易く、拡張の時期には直り易い。
収縮期にはいじらず、拡張期に行うかを判別する必要がある。
こんな時に二歳ならして良い、なんてことが出てくるのだろう。
どんなシワなら直る可能性が高いかを、判別する必要がある。
 
2015.11.17(Tue)  土佐錦魚TOP
 11月16日
 
選別思考 1921 
 
手術を施す他種では、ほとんどが色に留まっている。
形に手を加えることは、大概御法度になっている。
その印象が即座に拒否反応を起こさせるのだろう。
体は作る手入れが主になって、手術的手入れ法となっていない。
手術の手入れが施されるのは、主に尾となっている。
尾は複雑な掛け合わせと複雑な形からか、土佐錦魚は他の種とは比べ物にならない程の癖が出てくる。
単に癖が出たから取ると言うことなら、批判を甘んじて受けることになるだろう。
それは、品評会で上位を穫るために行うことが多い。
利己的で心ない行為を直ぐに連想させるところとなっている。
その印象は、拭いきれないだろう。
大多数の人が、優勝を目指す世界にどっぷり浸かっている。
そんな実情に理想を唱えても詮無いことに終わる。
 
2015.11.16(Mon)  土佐錦魚TOP
 11月15日
 
選別思考 1920 
 
昔の高知でのシワ抜きの方法は、シワを取り除いたのち根元から生えて行くまえか、或いは根元が少し生えた程で、尾先が先に着き、空間のようになった隙間が、そのまま生えて埋まって行くことが成功へのコツと習っていた。
この手法では金座を傷めることがなく、成功したときには綺麗に直ることが多く、当歳で上手くいくと手術の痕跡も分からなくなる。
手法が簡単で且つ理にかなっている。
根元から生えるよりも、尾先が先に付き易い条件が整わないと成功しない。
成功しないと元通りに近くなり易い。
これは遺伝子の如何を問題としていない。
再生力利用を通り越した治癒的な力の強さを上手く使っている。
これは根元にある遺伝子の伝わりをど返ししている。
シワを抜いたのちに、遺伝子の働く暇(いとま)を与えないで塞いでしまう方法となっている。
シワ抜きの基本で、環境と時間があれば先ずは試してみるべき手法と言える。
 
2015.11.15(Sun)  土佐錦魚TOP
 11月14日
 
選別思考 1919 
 
やがて探究心が、遺伝子に触れていることを感じとれる。
探究心は、触れている遺伝子がどんなものかを試すことをする。
やがて探り当てた遺伝子の確率が、成功率となって行く。
探究心が示す目標のない確率は、運と言うことになる。
成功率の高さは、遺伝子をどのように誘導しているかになる。
手術は[遺伝子の働きを知る機会]と捉えるとこともできる。
手術を繰り返すうちに、取れない癖と取れる癖が解ってくる。
手術で取れない癖と取れる癖には、遺伝子が拘っている。
手術する癖の奥に別の遺伝子が控えていなければ癖は取れない。
手術しても、ただ元通りに近くなるだけとなる。
手術して癖の遺伝子を取り除けば次の遺伝子が働くことになる。
その遺伝子の有ることが感じられると、その遺伝子を働かせる。
だが、次の遺伝子が有効なものとは限らない。
 
2015.11.14(Sat)  土佐錦魚TOP
 11月13日
 
選別思考 1918 
 
手術に対する罪悪感や嫌悪感や邪心を抱かなくなると、手術に対する新しい境地が芽生えてくる。
その一歩が[治癒への不思議]を感じるところにある。
同じ手術をしても、治る魚と治らない魚がいる。
生え方や付き方にも千差万別がある。
すると色々試してみたくなる。
工夫を重ねることになる。
失敗すると悔しさと同時に、何故と思う。
成功すると嬉しい、の裏にはやはり何故を感じる。
必ず成功する方法はない。
成功の確率を高めるのは、探究心になる。
同じやり方をしてもどうして一律にならないのだろうか。
手術方法の問題ではなく、魚の方にも問題が隠れているのでは。
同一条件下で一度に五十尾程を何度も重ね続けると、そんな思いが沸々と止まらなくなる。
 
2015.11.13(Fri)  土佐錦魚TOP
 11月12日
 
選別思考 1917 
 
どっちにしても、しないで済めばそれに越したことはない。
最初に手術をした人は、少しばかりの邪心を抱いていたかも知れない。
気持ちの奥には誰しもが抱いていることだろう。
[良い魚を作るため]これが名目になっている。
「この欠点が無ければ良魚なんだがな〜」と、思うこと幾多。
「捨てるにはもったいないな〜」と、思うことしきり。
他の人の成功例を見ると「やってみるか」と、傾く。
大関を獲るために魚を飼う人は、大関を獲るために手術をする。
その癖を自分の飼い方で作ってしまったとは、意識していない。
手術は、そんな人の失敗の埋め合わせ的となっている。
誰しもが一時的や短期的には邪心を抱いても、手術を通して魚に触れる経験が度重なると、手入れの心髄に気付くことがある。
手入れを施す価値のある魚の欠点を取り去れれば、魚の真価を発揮させられる。
そのための挑戦として行なうようになる。
やがてそこに、心境が落ち着くようになってくる。
 
2015.11.12(Thu)  土佐錦魚TOP
 11月11日
 
選別思考 1916 
 
全く癖が出そうにない魚が、今まで居た鉢と別の鉢へ入ったときなどに、いつの間にかシワが出来たりする。
日当り、日除け、鉢の形状等環境による。
両親にシワが無くても、曲がりが無くても、環境や飼い方や隠れた素質によって癖が出易い時期がある。
それは基本形からリュウキン系へ、あるいは稚魚形から幼魚形へ、幼魚形から成魚形へ、成魚形から完成形へと変わるときに孕(はら)んでいた危険性が現れ易い。
宮地さんのように、究極を逐うために、その負担を承知していながら、一足飛びの変化をさせる操作による時もある。
そのことは、種親に、血統に、そして変化の形に現れている。
もう一つは積極的に、桜の手術のような別の遺伝子の働きを促す時や、飼い方の失敗や魚の素質の尻拭い的となる。
 
2015.11.11(Wed)  土佐錦魚TOP
 11月10日   
 
選別思考 1915 
 
高知で培って来た考え方や技術を継承していれば、否定したり、根拠がふらついたりすることはないだろう。
手術的手入れを施す時の原則の一つは、癖を出さなくても済むはずの魚に癖を出してしまった時で、消極的と言うか、飼い主の失敗の尻拭いと言うことになる。
種親にシワの遺伝子があるようでは、シワ抜きは無意味になる。
癖はできてしまったら手入れで取ればいいと言うものでもない。
「癖に至るな」と感じること。そのアンテナが大切になる。
稚魚の時や幼魚の時に「将来癖で悩まされそうだな」と、感じることが肝心になってくる。
感じたらその親を二度と種に使わない。
シワができ掛けてきたら消す努力や、シワが大きくならないように心掛けることが、作りにもなってくる。
 
2015.11.10(Tue)  土佐錦魚TOP
 11月09日
 
選別思考 1914 
 
高知でも、夏の終り頃からシワが目立ってくる。
そこで当歳の頃から手術をするようになったのではと思われる。
多少邪(よこしま)な気持ちも感じられる。
昔の高知では手術をしていないと手入れを怠っているとされた。
つまり、良く手入れされていれば、優勝もできた。
手入れの技術力もあった。
手術をしなくても良いとか、しては不可ないとか規定することはなかった。
技術力が足りないと、当歳では直りが安定しないときがある。
また、親ですると直りが悪かったり、時間が掛かったりする。
昔の高知では、当歳が手術の真っ盛りだった。
高知では十月でも盛んに生長する。よってシワ抜きもできる。
東京で付きの良いのは、九月半ばまでだろうか。
東京では期間が短くてやり難いことは確かだが、準じてできる。
 
2015.11.09(Mon)  土佐錦魚TOP
 11月08日
 
選別思考 1913 
 
この経緯には、先ずシワのない魚の形質が第一になっていると思える。
次にシワをこしらえないことが第二に考えられる。
この二つが実行できていれば、手術は必要なくなる。
この経緯の裏には昔から「癖がなければ良いんだけど」と感じる魚が、あまりにも多く出ているためと考えられる。
環境を加味しないと、同一環境下で一斉に癖が出たりする。
夏までは良かったのに秋になってシワが出来てしまったりする。
そんな時には、シワで品評会に出す魚がいなくなてしまう。
つまり土佐錦魚にはシワがあっては不可ないことが、認識されていたと思える。
そこでその会では新たに規定をつくって、当歳ではシワがあってもいいとしたのでないだろうか。
シワ抜きの始まりは、シワがあっては不可ない土佐錦魚に応じる手立てだったと想像できる。
 
2015.11.08(Sun)  土佐錦魚TOP
 11月07日
 
選別思考 1912 
 
それを認識していない人は、全てを遺伝子の所為にしてしまう。
そして言う「癖のでない血統の魚を育てればいい」とは、昔どこかで聞いていたことがある。
確かにその通りだが、その前に「癖が出ないように作ればいい」とも言える。
この言葉を言う人には、まだお目にかかっていない。
そのご「当歳では、手術をしてはいけない」と聞こえ出した。
当歳で上手に手入れをすると、癖が判らなくなってしまう紛らわしさもある。
当歳でなくては、直らない癖もある。
「当歳以外はしていいのかな」と感じていると、
数年後に「親はしても良い」が聞こえ出した。
かと思っていたら、いつのまにか「二歳になれば良い」になって聞こえて来た。
このふらつく根拠はどこにあるのだろう。
 
2015.11.07(Sat)  土佐錦魚TOP
 11月06日
 
選別思考 1911 
 
[造り]が理想型に達した時には、[創り]に置き換えている。
[理想の土佐錦魚を創る]
[大阪ランチュウ型を造る]
[土佐錦魚の顔を作る]
「ランチュウ型として良く造られている」
「理想の土佐錦魚が創られるのは間近だろう」
「この魚の腹形は良く作られている」
[つくり]を[作り][造り][創り]と言分けることは面倒なので、
簡易的な言い方として全ての[つくり]に[作り]を当てはめてしまうことは、
慣例になっている。
尾の癖は、まず遺伝形質によると思われるが、作りの作業を怠たった飼い方の
失敗で、癖の無かったところや出易いところに、シワや狂いをつくってしまうことも多い。
 
2015.11.06(Fri)  土佐錦魚TOP
 11月05日
 
選別思考 1910 
 
その装いを繰り返しているうちに、自ら装うようになって行く。
その装いが、土佐錦魚らしさと言える。
作ることが、土佐錦魚の装いを整いまた華やかにして行く。
これが飼育界での人間の成せる業(わざ)となっている。
業によって作られ、選別によって次第に形質が造られて行く。
作りは、施す意に用いられる。
造りは、選別や業が結集した遺伝子的な成果になっている。
業を施す意に用いる時には、手術でも[作り]が用いられる。
また概念的な[つくり]としては、全てに[作り]が共通する。
[全面的つくり]、[部分的つくり]、[差し引き的つくり]、
[イメージ的つくり]、[手入れ的つくり]の、どの[つくり]にしても、
そこに施す意がある時には[作り]となっている。
系統や型として決まった時には[造り]と置き換えている。
 
2015.11.05(Thu)  土佐錦魚TOP
 11月04日
 
選別思考 1909 
 
舵鰭一枚か二枚の[つくり]は、[部分的造り]と言える。
遺伝子的形質が多くを占めているので、世話を懸命しても変えられるものでもない。この場合は[造り]を用いる。
腹型の良い形質の系統を[つくる]場合は、[造る]を用いる。
製造する意に用いられる。造りは遺伝子に届いている。
腹の出の[形作り]は[部分的作り]と言える。
遺伝子的形質が決定しているが、世話によってその範囲内の腹形を出入りさせることが出来る。
この場合は[作り]を用いる。
腹の出は形質となっているので、作りはその範囲内となる。
作りによって口の細い魚を作り、次第に顔の尖った系統を造る。
作りで尾の抑えを良くして、次第に尾の抑えの良い系統を造る。
世話をして良い魚の形を作る。形を整える意にも用いられる。
作りは装い、その場では遺伝子に届いていない。
 
2015.11.04(Wed)  土佐錦魚TOP
 11月03日
 
選別思考 1908 
 
ナンキン、琉金、ランチュウは四つ尾への流れになっている。
大阪ランチュウと土佐錦魚の尾は、三つ尾へと逆流している。
飼育界での舵鰭の流れも二枚への方向となっている。
三つ尾への流れになっている大阪ランチュウと土佐錦魚は、舵鰭一枚への逆流が
一旦行われたとしても不思議はない。
三つ尾を良しとする限り、舵鰭一枚が生じたとしても仕方ない。
かつて大阪ランチュウも、舵鰭二枚が奨励されていた。
その時のように、土佐錦魚の舵鰭二枚の流れが、再び生じる事態も当然となる。
それは開き尾である限り再び起こりうる。
土佐錦魚の舵鰭二枚の方向は、再び飼育界の流れに乗っている。
土佐錦魚の舵鰭二枚は、進行形で造られていることになる。
人間が強力に後押ししているから、いずれは二枚になるだろう。
土佐錦魚らしさの中に二枚が加わる時が、いずれは来るだろう。
 
2015.11.03(Tue)  土佐錦魚TOP
 11月02日
 
選別思考 1907 
 
だが飼育界であっても自然的な飼育をすれば、野性的な生長となり、飼育界の意味を失わせる。
野生に戻ろうとする働きは、突然変異とは言えないのではないだろうか。
言えるとすれば、それまでの野生から進展する働きだけが、突然変異とされるのは解せない。
進化も退化も突然変異としなくてはならない。
飼育界であっても飼い主が誤れば、中途半端な歩みになる。
飼育界での有り様は、人間の意識次第となっている。
それは飼育界への人間界からの意図の方向性と言える。
意図が自然界へ向かっているか芸術界へ向かっているかになる。
飼育界から更に土佐錦魚を発展させる芸術界を目指すも、生命力的な自然界を目指すも、飼育界での飼育者の指向次第となる。
開き尾になった三つ尾の出現は、飼育界による順当な流れと言える。
その流れはやがて、桜尾、四つ尾の出現となって行った。
 
2015.11.02(Mon)  土佐錦魚TOP
 11月01日
 
選別思考 1906 
 
その速さは、数限りなく起こるとされている突然変異が偶然に重なって、
飼育界の方向性までも引き起こしているのだろうか。
その偶然には、飼育界の方向に必要な突然変異が数限りなく含まれていて、
偶然に選ばれているのだろうか。
仮にその金魚が自然に放たれたときには、数限りない内からその自然に合う突然変異が選ばれて、元の形に近くなるのか。
生物の形とは。そこまで偶然の産物なのだろうか。
飼育界に入った時点で金魚となり、金魚としての変異が始まり、偶然では説明しきれない飼育界での方向性となっている。
その方向には、飼育界としての必然性が少なからず現れてくる。
その必然性を、人間との関わりが生んでいる。。
赤い鮒が人間と関わって飼育界に入った時点で、自然界での生命力が弱まり始め、飼育界で金魚としての歩みが始まった。
 
2015.11.01(Sun)  土佐錦魚TOP

  2015.11   10≪ 123456789101112131415161718192021222324252627282930 ≫12

TopAdmin