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 10月31日
 
選別思考 1905 
 
自然界での遺伝子の時間は、自然界と同期している。
飼育界での遺伝子の時間は、自然界より速くなっている。
人間界での遺伝子の時間は、自然界より速いと思われる。
人間界での遺伝子の加速が、飼育界に及んでいると思われる。
飼育界での遺伝子の時間は、人間界に近い速さを見せている。
飼育界での遺伝子の法則は、人間に都合よって選ばれている。
飼育界での遺伝子の法則は、強調され加速されている。
自然界での遺伝子の法則は、自然の法則に沿っている。
自然界での遺伝子の方向は、自然界に向いている。
飼育界での遺伝子の方向は、自然界と同じ方向とは限らない。
飼育界での遺伝子の方向は、選ばれた変化を見せている。
家畜や愛玩生物の変化は、自然界とは比べ物にならない程速い。
 
2015.10.31(Sat)  土佐錦魚TOP
 10月30日
 
選別思考 1904 
 
人間が自然界の内に創った飼育界が、金魚という種を創って、金魚の発展方向を示唆したことになる。
それが種としての金魚の、金魚域内の種になっている。
家畜や愛玩生物には、多く見られる現象となっている。
飼育界が多様化の方向を金魚という分野へ向けたことになる。
人間の関与と、金魚の進展力を以て、金魚界の成立としている。
そして、緋鮒の固定や開き尾や舵鰭二枚も、飼育界の金魚界ならではの成り行きとなっている。
飼育界は自然界の一部であっても、隔離された別の歩みとなる。
自然界のように、生命力一辺倒の歩みとはなっていない。
遺伝子の方向が、自然界とは少し異なる歩みになっている。
遺伝子の法則が、自然界とは少し異なる歩みになっている。
遺伝子の時間が、自然界とは少し異なる歩みになっている。
 
2015.10.30(Fri)  土佐錦魚TOP
 10月29日
 
選別思考 1903 
 
作りの作業を概念的には[手入れ]とも言う。
土佐錦魚の手入れには、二つの柱がある。
世話をする間接的な作りと、手術のような直接的な作りになる。
土佐錦魚では、手術も手入れの一つとなっている。
手術的手入れを理解していない人は、毛嫌いする傾向にある。
ヂキンの鱗剥ぎやナンキンの色抜きは、当然のように認められ、広く知られている。それでも嫌悪感を感じる人はいるだろう。
土佐錦魚の手術は、尾に施すことが多い。
ナンキンやヂキンのように色への施行ではなく、尾に手を入れるので、さらに悪い印象を与えるものと思われる。
だが、ナンキンもヂキンも土佐錦魚も、五十歩百歩と言える。
どんな印象を感じることも、手術をしないことも自由となる。
だがそれは、手術の伝統を否定する根拠にはならない。
 
2015.10.29(Thu)  土佐錦魚TOP
 10月28日
 
選別思考 1902 
 
その後あるときに、緋鮒から開き尾が出てきた。
これは自然界から引き継いだ、飼育界での発現と言える。
そこからまた、開き尾の新種創出へのつくりの作業が始まった。
なら、舵鰭一枚の種から二枚が出来た時には創出といえるのか。
例えば、緋鮒には舵鰭が一枚しか存在しなかった。
人間の手で種となった開き尾に舵鰭二枚が現れた時には、飼育界での自然的で
自動的で自発的な発現と言えるだろう。
それは、人間が二枚を欲して創り上げた訳ではない。
今度は飼育界での出来事になるが、発現を発見したことになる。
舵鰭二枚は、尾鰭が開き尾になったことからの連動と見られる。
舵鰭が開く切っ掛けとなった元の開き尾は、人間の意図で創られた訳ではない。
緋鮒を隔離した時点での、金魚としての飼育界が産出している。
緋鮒が金魚になった時点を以て、飼育界が金魚として発展させていることになる。
 
2015.10.28(Wed)  土佐錦魚TOP
 10月27日
 
選別思考 1901 
 
発見された赤い鮒は、色の突然変異的な自然界の発現と言える。
とは言えても、鮒の過去に赤色の時代があったのかも知れない。
その遺伝子がその時突然に働き出しただけかも知れない。
人間が飼育界に隔離して緋鮒へ至るべく作業をしたことで、自然淘汰を免れて
創出された、自然界としては特殊な種と言える。
自然界の域内にある人間界での飼育界による創出となり、
人間の目的意識による創出となり、
金魚としての種の遺伝子の確立となり、
その段階やその境目の一線がここにあった。
形だけに限定せずに、色だけでもそう言っていいだろう。
鮒の赤い色が出易い環境を整える作業に作りがあり、
選別と交配の作業による遺伝子の色や系統に造りがあり、
[創り]は、意図的に目指す作る作業と造る作業の結実にある。
 
2015.10.27(Tue)  土佐錦魚TOP
 10月26日
 
選別思考 1900 
 
その赤い鮒は自然界での発現と言える。
番い(つがい)で見つかれば話は早かったのだろう。
後から探しては見たが、希少な一尾だった。
同じ池で、その年生まれの鮒を捕まえてきて育てることにした。
その池の水をもってきたり、同じような水質を保ったり、陽当りも似せたり、
餌をそこから採取したり、環境を似せることに努めた。
                     色という部位の(作りの作業)
良く育ったので翌春に交配をした。            (造りの作業)
交配した黒い鮒にも運良く赤くなる遺伝子が潜んでいたのか、赤が出るような
努力の甲斐か、赤い鮒が数尾出た。            (選別の作業)
選別をして育て、次は赤い鮒同士で交配をし、選別と多くの赤い鮒同士の交配
を重ねた。                  造りの構築(造りへの重ね)
作りに汗をかき、造りに努力して、重ねて行くと、固定が見られたので緋鮒と
名付けた。(終わり)                  (創りの作業)
 
2015.10.26(Mon)  土佐錦魚TOP
 10月25日
 
選別思考 1899 
 
本来は金魚全体が鮒から派生した一つの種とされる位置にある。
その種から短期間に多種を実現させたのも、自然現象なのか。
金魚は人間がいなければ、たちまち衰退してしまう。
これは、金魚自体が自然淘汰をかい潜って成し遂げたことにならない。
人間がいなければ種を保てず、或いは絶滅してしまう。
人間を自然現象の一部とすれば、自然淘汰に等しくはなるが。
普通は種から多種が派生したとは言わないのではないだろうか。
これも家畜的、愛玩的、金魚ならではの特殊性かもしれえない。
種と呼ぶには、安定的にその一線を越さなくてはならない。
種(しゅ)と呼ぶに一線があるなら、つくりと呼ぶにも段階と、そのどこかに
一線があるのではないだろうか。
かつて、自然の池で初めて赤い鮒を一尾見つけて、珍しさから捕獲した人間が
いたとする物語をしてみよう。
 
2015.10.25(Sun)  土佐錦魚TOP
 10月24日
 
選別思考 1898 
 
金魚の種の固定の目安は、一般的に4分の3程とされている。
なら、4分の1弱が舵鰭一枚や奇形でも、舵鰭二枚の種と言って良いことになる。4分の1程の舵鰭一枚や奇形を捨てて、残りの舵鰭二枚を採り上げて種として扱い、あとは無視してしまうからできることだろう。
どちらかと言うと下等とされる金魚ならではの、完全を求めない目安と言うところになるのだろう。
残り4分の3の全てが良魚になると言う訳でもない。
多分、曲がっているような欠点があっても、その種の形をしていれば、4分の3の範囲なのかもしれない。
土佐錦魚の場合、良魚から採卵をしても4分の3が固定値として残るかは不安定となっている。
基本的にトサキンであれば、4分の3に入るのかもしれないが、その上に土佐錦魚属を持ち出したのでは、とんでもない確率の低さになってしまう。
突然変異からの種と、複雑に掛け合わされた種とでは、単純に一括りにはできないだろう。
土佐錦魚は、金魚の種の中でも特異性がある。
 
2015.10.24(Sat)  土佐錦魚TOP
 10月23日
 
選別思考 1897 
 
*掛け合わせの時には、どの[つくり]と言えるのだろうか。
人間が関与している土佐錦魚のつくりには[全面的つくり]
[部分的つくり][差し引き的つくり][イメージ的つくり]
[手入れ的つくり]が考えられる。
舵鰭二枚と舵鰭一枚との掛け合わせは、どちらにしても創出とは言えないだろう。その結果の多くは亜種的扱いとされている。
舵鰭一枚しか存在せず、舵鰭二枚の種を新しくつくった場合には、部分的でも創出と言える。だが多くの場合、その二枚になった種から採卵すると、舵鰭一枚が出てくる。
これは一枚の遺伝子が消滅していないことになる。
二枚にした事は、元々隠れていた二枚の遺伝子を選んだだけか、
二枚の遺伝子を目覚めさせただけなのか。
二枚にする作用がある遺伝子に、たまたま触っただけなのか。
 
2015.10.23(Fri)  土佐錦魚TOP
 10月22日
 
選別思考 1896 
 
人間が施す以上、人間の力量が前提となってくる。
受ける力量、学ぶ力量、考える力量、見抜く力量、作る力量。
受量、力量は学びから始まる。アンテナの向きと感度と広さによって、受ける
領域や水準や度合が違ってくる。
選別や土佐錦魚からの信号を、飼育者が精一杯の水準で自然や学びによって受けとり、自己を高めた意図を以て土佐錦魚を世話することが、次の発信となり次の受信へと繋がる。
受け取りそして返す、その繰り返しが土佐錦魚と自己を高める。
偶然の突然変異は人間と魚との間の意図の疎通から外れている。
土佐錦魚は自然発現しない。土佐錦魚の創りとは言えない。

 
2015.10.22(Thu)  土佐錦魚TOP
 10月21日
 
選別思考 1895 
 
血統が良く造られていた魚からの子でも、ハネがかなり出る。
また、育てる時に部位の一つでも作りが御座なり(おざなり)になると、その部位が土佐錦魚属へ戻ってしまう。
直ぐに作りの失敗として見えてしまう。
意図があっても、作業が足りなかったことになる。
また、作業を尽くしても、意図が的外れでは同様になる。
部位の一つ一つに土佐錦魚化の意図をもって、一つ一つに作りの業(わざ)を尽くす心技や体力や根気を必要とする。
一見血統が悪いかに思え、土佐錦魚属になっていた魚からの子でも、粗(そつ)のない作りを施すと、土佐錦魚が育つことがままある。
作りの作業をして、良い血統を導いたことになる。
 
2015.10.21(Wed)  土佐錦魚TOP
 10月20日
 
選別思考 1894 
 
人間の創意が曖昧であったり、未熟であったりすると、土佐錦魚の生物的創意だけが斗出して、土佐錦魚属に留まってしまう。
また血統が良くても、直ぐに土佐錦魚属に戻ろうとする。
環境次第で、生物の意図はどの方向へも引き起こされる。
その環境に人間の意図が加わると目標と作業の行方が定まる。
人間の意図が曖昧だと生物の意図へ引き戻される。
生物の意図は、まずは生存にある。
そして生存を目的とした体の繁栄にある。
飼育界での目的が、自然界へ向くか、芸術界へ向くかで、
土佐錦魚属へ向くか、土佐錦魚へ向くか、が決まってしまう。
人間は更なる意図を環境の一部として、土佐錦魚属としないように作業することで、土佐錦魚化をしている。
 
2015.10.20(Tue)  土佐錦魚TOP
 10月19日
 
選別思考 1893 
 
また選別は、環境より直接的な作業として行われている。
選別が、人間の意図であることは確かとなっている。
その選別は、生命力的発展のみを目指してない。
生物へ直接的に働きかける選別は、働きかける側の方向性によって、
生命力が自然に沿った発展方向と、働きかける生物の意図に沿った発展方向となり、それが方向性と段階になっている。
働きかける生物の意図は、自己の生存と発展へ向いている。
人間の働きかける意図は、自己のみならず他にも関与している。
その多くは自然に沿った本能的な、家畜や養殖となっている。
家畜や養殖から進んだ次の段階その選別が、生命力的発展のみでないのなら、
人間の本能と対局する感性の働きと考えられる。
人間の感性が行う選別は、人間ならではの独自性をもっている。
その独自性の方向は、芸術性を目指している。
その金魚の世界は、自然界→飼育界→芸術界へと発展している。
自然界は、生物の意図を引き起こす。
飼育界は、人間の意図を引き起こし、土佐錦魚へ及ぼす。
及ぼされた土佐錦魚には、土佐錦魚としての創意がまずそこに在り、人間の創意がそれに複合して初めて成り立つ。
 
2015.10.19(Mon)  土佐錦魚TOP
 10月18日
 
選別思考 1892 
 
生物の創意とは、何に沿って進むのか。
自然現象から見ると環境への適応に沿っている。
生物ならではの生存と繁栄、それは多様化となっている。
始めは、生物自己と自然現象が行う直接的な一次的創意だった。
やがて他からの創意が、間接的にその生物へ作業を起こさせる二次的創意として、加わるようにった。
二次的に加わった創意は、自己と他が複合する作用となって、強まる傾向にあり、より複雑にもなった。
まだ他が環境的で個への影響が見られない[自己と他]
他が個へ間接的に影響しだした[直接と間接][一次と二次]
個が他の影響と絡み合いだした[単独と複合]が歩みとなっている。
この歩みは生物社会の成り立ちと似ている。
人間が環境の一部として錦魚をつくることは、間接的な複合と言える。
自然界の中に飼育界を造り、自然界の中での特異な作業環境ともなっている。
 
2015.10.18(Sun)  土佐錦魚TOP
 10月17日
 
選別思考 1891 
 
生物が自然現象の産出であるなら、生物の作業の結果であっても自然現象の出現となり、創出にはならない。
自然現象には意図がない。意図がないから自然現象と言う。
自然現象には創意がないから、創出にはならない。
その創意はどこにあるのだろうか。
創意は生命を源とする生命体にある。
生物の元の生命体には、生命の創意がある。
生命体の創出は、生命の創意に沿った作業から生まれる。
作業は、物質を自然の法則に沿って操作する。
生命の体(物質)がより複雑になると、生物の段階へと進む。
そして生物には、それぞれの創意があることになる。
自己の創意、個の創意、他の創意、集団の創意、社会的な創意。
 
2015.10.17(Sat)  土佐錦魚TOP
 10月16日
 
選別思考 1890 
 
真核生物は生物に間違いないと思えるのだが、原核生物は原始生命体と呼ばれることもある。
原核は生物なのか生命体なのか、未だ科学では、明確になていない領域なのか。
そもそも、生命体とは、生命とは、も解っていないのだろう。
明かされていなくても、生命体と生物との間に段階があることは摘み取れる。
そうとすなら、大自然による物質と生命との出現をもって、
原始には、物質による創出段階と、
もう一方に、生命による創出段階があり、
双方の段階の高まりの複合によって、生物による創出段階に至るとしても、
否定する程ではない。
自然現象を生物の元とするなら、全ては出現となる。
生命が物質の(特殊な)複雑度で発生(出現)するなら、生物の変異の全てを、
出現の内の突然変異としても差し支えない。
生命を、物質の複雑度から生じたものとしないならば、また、
生命を、生命力による発生とするならば、変異は生命力の意図するところとなり、偶然の突然変異とはならない。
生命段階や生物段階の変異とすることができる。
 
2015.10.16(Fri)  土佐錦魚TOP
 10月15日
 
選別思考 1889 
 
現在の科学では、遺伝子の変異による形態や機能の変化を、偶然による突然変異としている。
幾多の突然変異の環境に適合したものだけが存続する、自然淘汰によって選択されている。
その遺伝子の突然変異をもたらすものは、自然現象としている。
自然現象によって物質ができてから後に、その物質が複雑になると生命が生じて生物になるとしている。
生命は物質から生まれる。
これで科学なのか、自然とあざなう物質への宗教なのか。
生命を含む自然現象や自然淘汰の全ての元が自然となっている。
複雑になったどの時点の物質に生命が生じたかで、生命体とか、微生物とか、生物とか呼び替えをしている。
生物と呼ぶには、代謝をしていることと複製をしていることが必要になる。
ウィルスは、代謝をしていないから生物には当てはまらないと言う。
なら生命体なのか。
バクテリアなどは、微生物とも原始生命体とも聞いている。
複雑へ進むどの段階で、生命体から生物と呼び変えられるのか。
 
2015.10.15(Thu)  土佐錦魚TOP
 10月14日
 
選別思考 1888 
 
すると創出には、人間の意図と作業が関与していることになる。
すると創出には、生物の意図と作業が関与していることになる。
すると創出には、生物に足らしめる生命力が根源になっている。
すると創出には、自然界の生命力が関与していることになる。
すると、生命が関与しないものは、創出でなく出現となるのか。
すると、生物の意図しない突然変異は、ありえないことになる。
すると、生物の意図しない害的な突然変異であっても、生命が関与していることになる。
これは出現なのか、創出なのか。
これは出現ではなく、先に生命による創出段階と、次に生物による創出段階となる[創出の段階]を、考えることができる。
生命力により創出さる変異や突然変異へ、
その段階の生物自身による創出段階へ、
金魚ではその上に、生物である人間の意図が加わって、更なる段階へ進むことになる。
すると、生物(人間)の意図した創出と言われることになる。
 
2015.10.14(Wed)  土佐錦魚TOP
 10月13日
 
選別思考 1887 
 
始めは奇形としての出現でも、人間の好みに合い、人間の意図と作業が加えられると、その結果は創出と言われるまでになる。
それが、突然変異から発展させた金魚の種に当たる。
その意図の範囲に、自然現象を加えることができるのだろうか。
良く聞く自然の芸術と言われるものは、自然の現象であって自然の意図は無い。
(自然に意図があるかないかには深く触れません)
良く聴く環境が土佐錦魚を作ると言われるものは、環境の作用であって環境の意図では無い。
だが、人間の意図の元の管理された環境と言えるのかもしれない。
ここで良く言う、人間は環境の一部としている場合には、人間の意図と作業を含めてしまっていることになる。
するとその結果は、創出と言われるようになる。
絵画等の創作と違って、生物を対象としている場合は、人間の意図も作業も生物の生命力が相手となっている。
管理している環境にしても、自然が相手となっている。
人間の意図と作業が、生命力や自然に方向づけをしている。
 
2015.10.13(Tue)  土佐錦魚TOP
 10月12日
 
選別思考 1886 
 
現在未だ尾を引いている[偶然的突然変異]の概念を当てはめるなら、突然変異は創出とは言えない。出現となる。
出現には意図が無い。
生命体や生物に変異を起こさせることそのものに、創出への意味や方向性があるのかもしれない。
創出には創るに至る方向性があり、その意図と作業がある。
現在言われ始めている[創出的突然変異]の概念を当てはめるなら、突然変異は
創出と言える。
その概念から外れる突然変異は、遺伝子の想定外となり、生物にとって害的な面が多く現れている。
その想定とは、人間の限られた思考範囲となっている。
外見的には、途中的で試作的で失敗作的な面が多い。
生物として違和感を感じさせ、奇形的に見えることが多い。
それが自然淘汰に耐えられるか、人間の好みに合うかは、試してみないと判らない。
 
2015.10.12(Mon)  土佐錦魚TOP
 10月11日
 
選別思考 1885 
 
これは、変異が先で、適応が後に付いてきたことにはならない。
数限りない突然変異から、たまたまその時の環境に適応していた偶然の一つを、
自然が選んだことにはならない。
原始的生物ならまだしも、高度な発達を遂げた哺乳類の遺伝子は、無闇に突然変異を繰り返さない。
これは生物が意図し、環境への適応の道を選び、自らを変異変形して行ったと考えている。その元の力が生命力と考えている。
さて、生物は生命力の順路的であり、遺伝子の順路的であり、意図的であり、遺伝子や生物としての想定範囲となっている。
生物を意図的としないと、全ては突然としか見えなくなる。
生物が、人間が、自己が、意図して行ったことでも、生物に意図が無いとする限り、その結果全てを突然と言うしかなくなる。
 
2015.10.11(Sun)  土佐錦魚TOP
 10月10日
 
選別思考 1884 
 
遺伝子の選び替え、繋ぎ替え、或いは間違いかも知れない。
ハネにしても奇形にしても、遺伝子の内の出来事としている。
だが、遺伝子が間違えたのであれば、偶然の突然変異になるのかも知れない。
遺伝子はけっこう間違えると聞いている。
だがそれだけで、全ての変異が説明できるとは思えない。
例えばクジラ類の手足が、ある日突然一足飛びに変異して鰭のようになったのだろうか。変形するのも消えるのも、徐々に段階を経て変化して行ったと思われる。
ある部位は、魚類だった頃の形態的遺伝子の一部を再利用して、鰭型を徐々に得ていったのかも知れない。
魚型になった哺乳類の尾鰭の振り方は、上下になっている。
魚類に戻るように近づいたり、左右に振ったりはしていない。
基本的には、哺乳類の有利性を堅持している。
 
2015.10.10(Sat)  土佐錦魚TOP
 10月09日
 
選別思考 1883 
 
すると遺伝子を動かすには動かすまでの要素がいることになる。
舵鰭二枚の変化は、開き尾になった時からの流れとなっている。
魚自らの変化の一環であって、人間による創出にはならない。
だが、緋鮒になってからの環境が、人間によって創られた飼育界であれば、
開き尾も人間によって創られた流れとなる。
緋鮒の固定から先は、金魚としての流れの節々で人間が固定化していることになる。これは変異を利用した創出と言える。
この創出は突然変異と同じように、人間からの見方になる。
だが掛け合わせによる創出は、遺伝子の自然な流れにならない。
自然な流れを利用しているが、人間の意図が加わっている。
尾鰭の変化も遺伝子の流れの変化から始まって、人間の意図が加わって新たな型になったものは、創出と言えるだろう。
だが、人間の意図が加わっいても突然変異になるのだろうか。
 
2015.10.09(Fri)  土佐錦魚TOP
 10月08日
 
選別思考 1882 
 
なら、ちょっとした変化はどうだろう。
舵鰭が二枚になったような変化は。
舵鰭の変化は、遺伝子の変化と断定できるのだろうか。
これも固定までに達すれば、亜種や変種とされるだろう。
固定されなければ、そのようなものが出てきた程度だろう。
そのようなものが出てきた程度とは、ハネと同等とされる。
ただそれが、受け入れられる形となっているだけとなる。
するとそこから、固定化の作業が始まる。
だが、二枚が固定されたからと言って、一枚が排他される訳ではない。
二枚でなければその種に非ずとはならないからだ。
二枚の魚が一枚の魚より良ければ、固定化が望まれる。
逆に良い魚では、二枚になっていることが望まれる。
土佐錦魚では、一枚になる要因がそう簡単には許してくれない。
 
2015.10.08(Thu)  土佐錦魚TOP
 10月07日
 
選別思考 1881 
 
金魚の卵の遺伝子選択が温度等によって変化するのは、自然があらかじめプログラムしたものだろうか。
奇形とされる変化は、突然変異なのだろうか。
遺伝子が行う変化や変異の枠の内ではないだろうか。
生命体の遺伝子の選び方や使い回しを、突然変異と言うのは当てはまらない。
突然変異が遺伝子の使い回しをする訳がない。
すると、突然変異が生物を形作っていることにはならない。
すると、生物が自ら変化を進めていることになる。
その力を生命力と言っているのではないだろうか。
生物の多様性は、生物が求める力によって進められている。
既に用意してある遺伝子を、臨機に応じて、どれを、どっちを、どのように使うか、それでも間に合わなければ増やしている。。
この器用さは、突然変異では説明つかない。
 
2015.10.07(Wed)  土佐錦魚TOP
 10月06日
 
選別思考 1880 
 
これらを、突然変異という枠に収めきれるのだろうか。
あらかじめ用意されていたものを、操作していることになる。
どこまでを突然変異と言うのだろうか。
形態や機能が変われば、突然変異なのだろうか。
突然変異とは、変異した生命体からの問題ではなく、変異した生命体を見た人間の印象ではないだろうか。
変異をしている生命体からの見方ではなく、人間からの印象的な見方からなら、
変異は突然に見えても当然となり、その中の数限りないとされている変異の中から、自然の環境にあったものが自然によって選ばれている、と言う見方も当然となる。
そこに生命体の意志は尊重されていない。
生命体は自然による突然な変異を受け、自然による偶然な淘汰を受けるのみとなる。
そこに生命体の意志や生命力の歩みは、加えられていない。
 
2015.10.06(Tue)  土佐錦魚TOP
 10月05日
 
選別思考 1879 
 
*突然変異は[つくり]と言えるのだろうか。
今までに無かった遺伝子が新たに増えたり、いきなり配列が変わったりすることを、土佐錦魚には考え難い。
ところが、発現順序が変わる時がある。それは創出なのか。
遺伝子の変わり方は多彩で、その中のアミノ酸が一つ変わっただけでも、形態や
機能は全く様変わりしてしまう。
全く新しくしなくても、古い遺伝子をちょっと並び替えただけでも、形態や機能は驚くほど変化してしまう。
土佐錦魚内で並び替えるまで行かなくても、選ぶ順序を変えただけでも、かなり
変化してしまう。
選ぶ順序を変えるまで行かなくても、使わなくしただけでも、逆に使うようにしただけでもかなり変化してしまう。
使わなくなった遺伝子を別の使い道へ回すと、もっと変化する。
 
2015.10.05(Mon)  土佐錦魚TOP
 10月04日
 
選別思考 1878 
 
作業は、肉体或いは精神を通して具体的な結果を生み出すこと。
作りは、作業によって装いや体つきを整え作ること。
作りは、土佐錦魚化された遺伝子の現れを損なわないようにしたり、
先鋭に活かしたりする[作業]となっている。
作りの作業を行わないことは、
土佐錦魚を目指す意識が無いことになる。
土佐錦魚にする作業をしないことになる。
土佐錦魚属のままにして置くことになる。
土佐錦魚属のままを進めることになる。
土佐錦魚化の意図をもたないことになる。
 
2015.10.04(Sun)  土佐錦魚TOP
 10月03日
 
選別思考 1877 
 
現在の土佐錦魚では、理想型の創出が求められている。
その魚自体の最も優れた形では、作りになってしまう。
ある系統の最高峰でも、作りになってしまう。
優れた型では、造りになってしまう。
綿密に作られた部位は、調和を以て構築され型となる。
それは[作る][業(わざ)]から型が造られたと言える。
その型が系統立てられていれば、系統や血統となる。
その型が新たな理想型であったなら、創られた型となるだろう。
[創りの元は造りにあり]
[造りの元は作りにある]
[作りの元は業にある]
作りの作業なくして、
作りの積み重ねなくして、
そしてその元となる[作りの意識]なくして、
構造も創造も成し得ない。
 
2015.10.03(Sat)  土佐錦魚TOP
 10月02日
 
選別思考 1876 
 
作りは、装い、身なり、化粧、体つき。
造りは、体裁、組み立て。
創りは、初めて、想像で。
実際の創りには、作りや、造りが伴って成立する場合が多い。
創りは、作りや、造りを経て実現を見るからだろう。
土佐錦魚として求められる部位を象ることは【作り】を用いる。
これは、そこにあるものをより繊細に作り出す【形】と言える。
作り出された部位を纏めて象ることは【造り】を用いる。
これは、組み立てられた形式のように【型】と言えるだろう。
系統ごとの型から新しい型を象ることは【創り】を用いる。
新しく求められた型の実現は【創造型】の創出と言えるだろう。
 
2015.10.02(Fri)  土佐錦魚TOP

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