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 08月31日
 
選別思考 1844 
 
*感性の円
土佐錦魚の円に線で現されていない基準は、取捨選択の歴史で培われたあるべき姿を、感性によって生み出している。
感性によらずに、土佐錦魚からの信号を感受できない。
土佐錦魚を少しでも軽く見ていると、奥には入らせてくれない。
上辺的で、虚ろ的で、受動的で、動的な円にしかならない。
それは、型に定めることができない。
好みを入れてしまう危うさがある。
危うい感性に於いては、円は第一義になっていない。
必ず理性の円を通過して、水準化が測られる。
感性の円は、二次的に発生する円であることを歪めない。
理性の円も感性の円も共に均整の円から発していながら、別次元の円となっている。
 
2015.08.31(Mon)  土佐錦魚TOP
 08月30日
 
選別思考 1843
  
*理性の円
土佐錦魚の円に線で現された基準は、取捨選択の歴史で培われた土佐錦魚のあるべき姿を、理念として生み出されている。
土佐錦魚を深く認識していなくては、基準を描けない。
土佐錦魚の認識を理論化しなくては、基準を描けない。
土佐錦魚の理論を具体化しなくては、基準を描けない。
土佐錦魚への願望が、理論によって構築された型となっている。
論理的で、形式的で、能動的で、静かで揺るぎのない円になる。
ここに個人の好みが入る余地はない。
理論で固められている。
好みを以て読み解くことはできない。
読み解けない人に説明する時でも土佐錦魚への深い造詣がいる。
独自な土佐錦魚へ、他の金魚の知識を応用することはできない。
 
2015.08.30(Sun)  土佐錦魚TOP
 08月29日
  
選別思考 1842 
 
*視認の円
現実に理想と思える土佐錦魚がいたとする。
その土佐錦魚は、見た人が個人的に理想と感じたに過ぎない。
もしかすると、その人の理想の程度が低いのかも知れない。
もしかすると、初心者の願望の程度かも知れない。
ここにも土佐錦魚の認識の程度が拘ってくる。
仮に理想の土佐錦魚がいたとする。
その理想は、卓越した土佐錦魚の認識が生み出している。
その理想は、現実の土佐錦魚への追求から生まれてくる。
その理想は、現実の土佐錦魚への要望から生まれてくる。
その理想は、現実の土佐錦魚の絶対値から生まれてくる。
その理想の土佐錦魚の絶対値は、理想の円として生まれてくる。
その理想の円は、その人の脳裏に浮かんでくる。
その脳裏には、その人の感性が投影されている。
現実の土佐錦魚の認識が、理性の土佐錦魚の絶対値と比較されている。
その答えが感性の脳裏を通ると理想の土佐錦魚に感性の趣(おもむき)が加わった視認となる。
  
2015.08.29(Sat)  土佐錦魚TOP
 08月28日   
 
選別思考 1841 
 
*土佐錦魚の円
*均整の印象
土佐錦魚の持ち味は、均整がとれていることが前提になる。
その均整は円の内に納まる。その円を土佐錦魚の円と言う。
その円は何から生まれたのか。一対一の均整から生まれている。
一対一の均整の認識から自然的に発生した。
一対一の均整を描くことによって、土佐錦魚の基準とした。
だがその線書きで土佐錦魚の全てが描き切れているのだろうか。
確かに基準が書き込まれ、理想も描かれていて目標に成りえる。
だが現実の土佐錦魚は標準的であって、理想的ではない。
理想的でないことは、基準に当てはまっていないことが多い。
基準そのものが理想的で、想像的で、目標的となっている。
よって写真でなく、絵なのかも知れない。
未だ絵のような魚は誕生していない。
現実に見られないからそこに、基準や理想を描く必要があった。
 
2015.08.28(Fri)  土佐錦魚TOP
 08月27日  
 
選別思考 1840 
 
土佐錦魚は、おごそかなゆったりとした風格になった。
土佐錦魚は、赤いべべ着て戯れる幼子の余韻を尚も感じられる。
土佐錦魚は、成魚になっても可愛さを保つようになった。
土佐錦魚は、花弁や羽衣を纏(まと)うようになった。
土佐錦魚は、舞えるようになった。
土佐錦魚は、他に類を見ない華やかさを備えるようになった。
土佐錦魚は、洗練された優美を獲得した。
土佐錦魚は、風雅を求められるようになった。
土佐錦魚は、品がなくてはならないとされた。
品はおちょぼ口に象徴され、余分な瘤は嫌われる。
品は素直な体に象徴され、無駄な太りや力は嫌われる。
舞は優雅な舞いに象徴され、勇壮な舞いは嫌われる。
泳ぎはおごそかな泳ぎに象徴され、急かしい泳ぎは嫌われる。
 
2015.08.27(Thu)  土佐錦魚TOP
 08月26日   
 
選別思考 1839 
 
*雅び(みやび)の美
土佐錦魚の前身へ、入手できた種を順次掛け合わせる度に、土佐錦魚として都合の良い特徴をその度毎に選んで行った。
土佐錦魚として都合の悪い特徴は、そのたびごとに捨てられた。
琉金が掛けられた後の削ぎ落しによって、選ばれた形が土佐錦魚を造って行った。選ばれた土佐錦魚の形は、次の掛け合わせを必要としなかった。
土佐錦魚の形は整えられて行った。
武骨が削ぎ落された土佐錦魚は、風格を得て行った。
粗野が削ぎ落された土佐錦魚は、可愛を得て行った。
地味が削ぎ落された土佐錦魚は、華を得て行った。
余分が削ぎ落された土佐錦魚は、品を得て行った。
嫌味が削ぎ落された土佐錦魚は、味を得て行った。
無駄が削ぎ落された土佐錦魚は、素直になって行った。
雑多が削ぎ落された土佐錦魚は、洗練されて行った。
 
2015.08.26(Wed)  土佐錦魚TOP
 08月25日   
 
選別思考 1838 
 
良い面を活かすことを意識しないで、逆に悪い面を導いてしまうと、土佐錦魚属と言われるようになる。
土佐錦魚らしくないとか、土佐錦魚属的な悪くなる素質とはどのようなものだろうか。
何度も繰り返されるが、土佐錦魚に掛けられた種の特徴である持ち味が、
土佐錦魚化されていないところとなっている。
先達が何度も削ぎ落してきている。
その削ぎ落しの繰り返しが、土佐錦魚の歴史とも言えるだろう。
その削ぎ落されたところを、土佐錦魚らしさとして再び復活させることは、歴史を覆すと言う認識を踏まえなくてはならない。
土佐錦魚は、一個人の好みやその時々で作られるものではない。
歴史として積み上げられてきた形となっている。
この時代に土佐錦魚らしさへ踏み込んだその時から、土佐錦魚としての伝統が生まれ、築かれ始めたと言えるだろう。
 
2015.08.25(Tue)  土佐錦魚TOP
 08月24日   
 
選別思考 1837 
 
では逆に、素質を悪くするとは、どのようなことだろう。
土佐錦魚らしさの素質以外の、土佐錦魚の前身の全てと各魚種の土佐錦魚属として分類された現れ易い悪い面を言う。
土佐錦魚にいままで掛けられてきた、それぞれの種が土佐錦魚化されずに、その種のままに出て来ていることになる。
その悪い面も素質の内の土佐錦魚属として遺伝子に存在しているのだから、意識なくただ水替えをして餌を与えるだけでは、素質が余程土佐錦魚に向いていないと土佐錦魚らしくならない。
どの魚も良い面も悪い面も両方持っているのだから、まずは悪い面を出さないことへ、意識を向けて始めることになる。
その上で良い面だけを活かして、積極的に現れるようにする。
これが作りをして、品を表に現すことへの基本になる。
[作りとは、品をつくることが最終的な目的となっている]
 
2015.08.24(Mon)  土佐錦魚TOP
 08月23日   
 
選別思考 1836 
 
どのみち品は、元々あるものを保持するにしても、
邪魔するものを隠すにしても、表に現すにしても、
抽出するにしても、
【目標を意識した魚作りが必要とされている】。
それは土佐錦魚として完成された系統が、未だ成されていないことからきている。目標を意識した魚作りには、まず素質を悪くしないことから始まるが、
素質とは土佐錦魚らしさを持っていることになる。
これまでに掛けられて来た土佐錦魚の前身を除く、各魚種としての持ち味の半分程は、土佐錦魚属として分類されている。
各魚種から土佐錦魚として都合の良い残り半分程が土佐錦魚らしさの素質となる。それを活かすこと、その遺伝子の更なる抽出、その遺伝子の間接的な操作までを、段階的作りとしている。
 
2015.08.23(Sun)  土佐錦魚TOP
 08月22日   
 
選別思考 1835 
 
遺伝子の働きを邪魔しない作り、と言えるだろう。
一方、遺伝子を持ち合わせていても、その遺伝子が働かないようになっているときは、何とかして働かせるまでにもっていってしまうことがある。
遺伝子操作的と言える。
遺伝子を移植するような操作ではなく、現に働いている遺伝子を抑えて、他の
遺伝子を働くようにしてしまおうと言う、操作になる。
これは、素直にでもなく、魚なりにでもない。
元々あるものには違いないが、組み立て直すように造り変えてしまう操作、と言えるだろう。
どちらかと言うと、抽出的な方法と言えるだろう。
そして、一旦抽出された遺伝子が、働き易い状態に納まることを狙っている。
 
2015.08.22(Sat)  土佐錦魚TOP
 08月21日   
 
選別思考 1834 
 
すると、そんな魚を好んで育てる人がいつの時代にも出てくる。
土佐錦魚らしくない魚を解り易く分類するために、
そんな系統を土佐錦魚と勘違いしないために、
そんな系統を造らないために、土佐錦魚属として分別した。
土佐錦魚らしさが欠けている系統は、土佐錦魚属と分類される。
すると、土佐錦魚らしさが備わっている系統は、たとえ現れていなくても、
持ち合わせていることになる。
すると、粗さを出さなければ、品を隠さなければ、さらに磨きをかければ、
持ち合わせている品を引き出せるのか。
持ち合わせている分だけは、洗練できる可能性がある。
それを、最大限活かすことが作りとなる。
これは、元々あるものを表現していることになる。
これは、素直に魚なりに表現していることになる。
 
2015.08.21(Fri)  土佐錦魚TOP
 08月20日   
 
選別思考 1833 
 
*土佐錦魚としての美意識の創出
土佐錦魚の前身から始まった土佐錦魚へ、これまでに掛けられて来た全ての品種が、土佐錦魚化することによって、
そこから、土佐錦魚らしさが整い始めたことによって、
そこから、土佐錦魚の美意識が目覚めたことによって、
そこから、掛け合わせによらずに形を整えることによって、
新たな土佐錦魚作りの目標が、生まれることになった。
品とは、魚ごとに、どのぐらい備わっているものだろうか。
魚ごとに、系統ごとに備わったものがあることは確かと言える。
土佐錦魚作りの目標となるところを、土佐錦魚らしさと呼んだ。
粗さが有り有りとしている系統は、小さい時から気を配って育てても品を浮かべることができない。
そんな魚や血統や系統は、土佐錦魚らしさが欠けている系統と分類される。
そんな魚に限って、丈夫で育ちが良く大きくなったりする。
 
2015.08.20(Thu)  土佐錦魚TOP
 08月19日   
 
選別思考 1832 
 
だが大阪ランチュウ系とリュウキン系は、土佐錦魚化が認識されていても、
ナンキン系の認識は薄かったように感じられる。
ナンキンと大阪ランチュウの区別もあやふやな感がある。
ナンキンの顔や腹形をただ前面に押し出しても、土佐錦魚化されていなければ、
ナンキンの成魚形が現れてしまう。
ナンキンの成魚形が現れると例の如く肩が盛り上がって、筒が細く、筒の折れ下りや尾に生彩を欠き土佐錦魚らしくなくなる。
とどのつまり、これまでに掛けられた全ての種が土佐錦魚化されていなければ、
求める土佐錦魚にはならないと気がついた。
全ての段階に土佐錦魚化が必要との気づきと、品への目覚めが、
土佐錦魚としての美意識の創出を後押ししたと言える。
 
2015.08.19(Wed)  土佐錦魚TOP
 08月18日   
 
選別思考 1831 
 
だがともかく、口の尖った良い魚と言う評価は生まれていた。
ともかく、後腹の張った良い魚と言う評価が、生まれていた。
大阪ランチュウ系を洗練させても、その形にはならなかった。
リュウキン系を洗練させても、その形となって残らなかった。
大阪ランチュウ系とリュウキン系を幾ら作っても叶わなかった。
それは、ナンキン系の顔と腹形を、大阪ランチュウ系にもリュウキン系にも取り入れるしかなかった。
ナンキン系が前面にでてくると尾筒や尾に支障が出てくる。
ナンキン系がその良さを活かすには、大阪ランチュウ系とリュウキン系の陰となるしかなかった。
また、大阪ランチュウ系とリュウキン系も、ナンキン系を仲立ちにしないと、両者の良さを近づけることができなかった。
 
2015.08.18(Tue)  土佐錦魚TOP
 08月17日   
 
選別思考 1830 
 
おむすび型は昔の型と教えられている。
リュウキン系を洗練させても、その形となって残らなかった。
大阪ランチュウ系とリュウキン系を幾ら作っても叶わなかった。
それは、ナンキン系の顔と腹形を前面に押し出したリュウキン系でしか、
その良さに近づくことができなかった。
だが大阪ランチュウ系とリュウキン系は、土佐錦魚化が認識されていても、
ナンキン系の認識は薄かったように感じられる。
ナンキンと大阪ランチュウの区別もあやふやな感がある。
ナンキンの顔や腹形をただ前面に押し出しても、土佐錦魚化されていなければ、
ナンキンの成魚形が現れてしまう。
ナンキンの成魚形が現れると例の如く背付けに段差があり、筒が細く、尾に生彩を欠き、土佐錦魚らしくなくなる。
 
2015.08.17(Mon)  土佐錦魚TOP
 08月16日   
 
選別思考 1829 
 
だがその頃の先達は意外と、そのことに気がつなかったのか、後腹が張った腹形を、ナンキン系と気がつかなかった節もある。
大阪ランチュウ形で、口が小さいと思っていた節もある。
ナンキン系の後腹が張った腹形が、理想形を成していたのだが、しかも口が細く、目幅が広くならず、生彩を放っていたのだが。
その頃には、ナンキン系の顔と判断されていなかった節がある。
だがともかく、口の尖った良い魚と言う評価は生まれていた。
ともかく、後腹の張った良い魚と言う評価が生まれていた。
大阪ランチュウ系を洗練させても、その形にはならなかった。
それなのに、卵型が良いと言われていた。
卵型が標準とされ、おむすび型が理想的とされている。
卵型は以前から在って既に評価が固まっていた。
そこへおむすび型が新たに加わったと推測すれば、二重評価が納得できる。
 
2015.08.16(Sun)  土佐錦魚TOP
 08月15日
 
選別思考 1828 
 
ここでその魚が、大阪ランチュウかナンキンかの詮索はともかくとして、口が尖っていることが良いと言う見方が土佐錦魚の下地として既にあったことが伺える。
本来の大阪蘭鋳の口が、ナンキンのように細い方が良かったとは聞いていない。
大阪蘭鋳の口が細くては愛嬌がない。
幅を得た目幅や頭や肉瘤が、細い口を邪魔していただろう。
今まで土佐錦魚へと掛けられて来た種の中に、口の細さで土佐錦魚の品格を表現できた品種は、強いてナンキンと考えている。
それでも実際のナンキンは、小さい口ではない。
大阪ランチュウ系の顔がリュウキン系と結びついても、小さい口へは依然として
物足りない思いを残していたと考えられる。
それを、ナンキン系の顔とリュウキン系の幼体の顔とが結び付くことで、小さな口を叶える方向になって行ったと推測できる。
 
2015.08.15(Sat)  土佐錦魚TOP
 08月14日
 
選別思考 1827 
 
*ナンキン系の仲立ち
現在、土佐錦魚に品がなくては不可ないと言われている起こりは、当時の先達が既に、土佐錦魚らしさとしての品に気がついていたものと推測できる。
それは、過大で粗い魚になっていた土佐錦魚に、違和感と後悔を感じていたことが想像できる。
野中進さんが、昔はあそこに口の尖った大阪ランチュウがいると聞いて、わざわざ見に行った話をして下さったことがある。
その時代或いは高知では、大阪ランチュウに口の細い魚が良いと言う見方があったことになる。
この話を切っ掛けにすると、土佐錦魚以前のナンキンや大阪蘭鋳では、かなりの
期間に渡って口の小さなことが珍重されていたことになる。
もしかするとその頃の高知に、口の小さな大阪蘭鋳が居たのかも知れない。
いつも言っているが、この話は考えなくても妙に思える。
 
2015.08.14(Fri)  土佐錦魚TOP
 08月13日
 
選別思考 1826 
 
一度粗さとしての完成形が現れてしまうと、もう愛玩的形や、幼魚形に戻ることはできない。
すると、粗さを落とすと言うことはできないことになる。
すると、粗く育ててしまった魚を見て後悔し、次の魚を育てる時に、粗さを付けないように同じ失敗をしない、と言うことになってくる。
粗さには、遺伝子由来と育て方があることになる。
そのことは「粗さを付けては不可ない」ことに他ならない。
その頃、粗く育ててしまったことに気がつかなければ、その陰に追いやられてしまった、品を見つけることは出来なかった。
その頃、粗く育ててしまったことに満足していれば、そこでの足踏みがはじまって、品を見いだすことも出来なければ、土佐錦魚らしさを逐う必要もなくなる。
のちにこのことを、矢野城桜さんが「土佐錦魚属への気づき」と言い表してくれている。
 
2015.08.13(Thu)  土佐錦魚TOP
 08月12日
 
選別思考 1825 
 
華麗さと秘めた力のバランスが、カトレアの花弁の大阪ランチュウ系を連想させ、華麗の極みと風格が相まってくる。
余分なものと粗さが削ぎ落された後には、今までにはなかった洗練された土佐錦魚らしさが残り、それは品位を漂わせる。
優美と力のバランスが成魚を成しているが、品格はまた別な域としてさらなるものを感じさせた。
ここに見られた品と言うものは、粗さを落とせば自然と浮き出てくるものなのか。それは洗練されれば現れるものか。
それとも土佐錦魚として持ち合わせているものなのか。
持ち合わせてはいるが品を感じ引き出し現せるのは人間となる、
洗練とは、人がさせるのであって自然のままではありえない。
洗練とは、粗さを落とすことか、粗さを付けないことか。
ここで言う粗さとは、それまでに土佐錦魚へ掛けられた種が現れていることになる。
 
2015.08.12(Wed)  土佐錦魚TOP
 08月11日
 
選別思考 1824 
 
琉金が掛けられて、土佐錦魚のリュウキン化が始まって、美しさや優しさや華麗さを土佐錦魚に見つけたが、それだけでは弱さが表立ってしまうことにも気がついた。
かといって大阪ランチュウまでの力任せでは詰まらない。
根底に力強さがあると、良さが活きてきて、品が浮かんでくる。
力が活かされる必要性にも気がついた。
現在では一番大切とされている品にも気がついた。
可愛さを持つものは、可愛さに嫌味なく、
美しさを持つものは、美しさが洗練され、
優しさを持つものは、優しさが何気なく、
力強さを持つものは、力強さが表に出ず、
形の均衡がとれてくると、感性による土佐錦魚が浮かんできた。
 
2015.08.11(Tue)  土佐錦魚TOP
 08月10日
 
選別思考 1823 
 
稀に、雄なのにコロッとした魚が現れるときがある。
それのことごとくは、大阪ランチュウ系の雄だった。
腰も付きも叶うものだったが、尾が小さ目か並で、やがてリュウキン系が現れ、
尾が大きくなるのに数年を要している。
大阪ランチュウ系の腹形と顔と尾の大きさの発展を望むとは、リュウキン系の
福与かな腹形と幼形の顔と大きな尾を、大阪ランチュウ系へ取り入れる土佐錦魚のリュウキン化を言っている。
その幼形を取り入れると、尾も幼形になってしまうと見られる。
大阪ランチュウ系の尾に、リュウキン系が現れるのに経年を要する因果は、このあたりからと考えられる。
それまでの土佐錦魚がリュウキン化されても、なかなか満足できなかったことは、過渡期的な理由があるのだろうか。
その頃の良い形を見ると、将来の型を想像していたのか。
 
2015.08.10(Mon)  土佐錦魚TOP
 08月09日
 
選別思考 1822 
 
その羽衣が垂れ下がらないことは、秘められた力が支えている。
だが、その優美さと揺らめきに均衡する力感は感じられない。
だが、この型に均衡するまでの力感を求める必要があるのか。
だが、最低限の支えを有する力感は、求めざるを得ない。
リュウキン系の羽衣返り以外は、無難な土佐錦魚に落ち着く気合がある。
無難と言うことは力感もそこそこあることになる。
それ以上に力感を求めると、琉金の成魚の体になり易い。
その最低限をナンキン系に求めてもこれ迄に叶ったことがない。
ナンキン系は雄が長くなる傾向にあり、長手は土佐錦魚の前身に近付く傾向にあり、本領は雌で発揮される。
その辺りからも、体の力感ができても、腰と付きと尾で叶わないと推測できる。
なら、腰と付きと尾がナンキン系でなければ良いことになる。
これが土佐錦魚内の[受け持ち分担]と言うことになる。
 
2015.08.09(Sun)  土佐錦魚TOP
 08月08日
 
選別思考 1821 
 
大阪ランチュウ系の卵型の体がリュウキン系の幼形の顔と結び付くことで、
大阪ランチュウ系の顔は可愛く洗練されて行った。
ナンキン系とは異なる土佐錦魚のもう一つの顔が誕生していた。
それは、大阪ランチュウ系とリュウキン系の顔が融通していた。
そこにはリュウキンが新たに活躍する場を得ている。
ナンキン系は顔と腹が良くても、背と腰と尾に弱さを出し易い。
リュウキン系が強く出ると詰まり易く、ナンキン系が強く出ると長くなり易く、
どのみちそこには力感が現れ難くなる。
それは、大阪ランチュウ系の力感が現れ難いことと同じになる。
ところが、大阪ランチュウ系の力感が現れていなくても、リュウキン系の一部には良さが現れるときがある。
優美な羽衣の棚引くリュウキン系になる。
だが、その薄絹の羽衣が垂れ下がっていては優雅もなくなる。
 
2015.08.08(Sat)  土佐錦魚TOP
 08月07日
 
選別思考 1820 
 
それは新たに生じたことでなく、たびたび注目されている。
ナンキンと大阪蘭鋳の間では、大阪蘭鋳の口の尖ったのが出ることがあっても、
背鰭のある土佐錦魚では、口の尖った大阪ランチュウ系はおいそれとは出ない。
大阪蘭鋳の顔よりは琉金の顔の方が、肉瘤や口や目先と言う点では、まだましに
なっている。
そこに琉金が介在したことで、大阪ランチュウ系の顔が少し良くなった。
背幅を増した卵型の体と、上手く繋がって可愛いくなった。
土佐錦魚の良い顔がナンキン系で、可愛い顔が大阪ランチュウ系で、普通の顔が
リュウキン系と言えるだろう。
琉金が掛けられて、ナンキン系の体と顔がリュウキン系の幼体の顔と結び付いて、洗練されたのがナンキン系の顔になる。
だがナンキン系は、目先が長く口が尖るが、どうも可愛さが薄い。
 
2015.08.07(Fri)  土佐錦魚TOP
 08月06日
 
選別思考 1819 
 
尾の大型化や早期成熟化ならば、土佐錦魚の尾へ大型化をもたらしたリュウキン系が断然有利になる。
リュウキン系は、当歳の時から尾が大きく流しが良く飼い易い。
大型化だけを追うと、琉金の土佐錦魚化方向を招き易い。
土佐錦魚の基礎の、大阪ランチュウ系の良さを失いかねない。
リュウキン系を受け入れながら大阪ランチュウ系の発展を望み、
腰では大阪ランチュウ系から更なるランチュウ系へ発展を望み、
その上での尾形の基礎の金座の発展は大阪ランチュウ系を望み、
その外側に、リュウキン系の現れを望む流れとなっている。
顔の相場はナンキン系と粗方定まっていても、大阪ランチュウ系の顔はころっとしたその可愛さ故に、関心を失わない。
目先が長く品を浮かべ易いナンキン系の顔の他に、大阪ランチュウ系の顔が目にとまるのはどういうことだろう。
 
2015.08.06(Thu)  土佐錦魚TOP
 08月05日
 
選別思考 1818 
 
これを、餌や小さく育てたりすることで抑えることはできない。
骨格そのものが、それなりの肉瘤を作るように変化をして行く。
これは土佐錦魚にはそれなりの肉瘤しか付かないことにもなる。
他の種からすると然程多くない肉瘤を、更に付けないことを、土佐錦魚として
望まれている。
それは、土佐錦魚の肉瘤を早く着けるか遅く着けるかの違いになる。
その違いは、飼育者の育て方の違いにもなってくる。
土佐錦魚の幼形成熟は、体を幼形でとどめる努力をしている。
幼形であれば肉瘤はつかない、老形であれば肉瘤はつく。
肉瘤を付けないことが、土佐錦魚の[作り]ともなっている。
尾では早期成熟を早める羽目になっている。
近年では大型化を求めて、体の成熟まで早めようとする動きまでも強まっている。
体の大型化や早期成熟化なら、どの系統でも簡単に出来る。
養殖化すれば良いのだから、誰にでも出来る。
 
2015.08.05(Wed)  土佐錦魚TOP
 08月04日
 
選別思考 1817 
 
そんな魚を解剖してみると、頭蓋は案外ツルっとしている。
頭蓋がツルっとしていると、肉瘤は育たない。
その後徐々に、頭蓋が凸凹になり始めると肉瘤が育ち始める。
頭蓋は、六歳程になるとツルッとしたままには納まらなくなる。
幼形の象徴である顔が崩れて行くことになる。
土佐錦魚の遺伝子は骨格の成熟によって、それなりに肉瘤が育つようになっている。幼形を保つように、そして肉瘤が育ちにくいように作らなくては、当歳でも肉瘤がついてしまう。
それは、歳を経るとともに凸凹がついてくる頭蓋に、幼形の当歳のときから凸凹をつけてしまっていることになる。
幼形の当歳には、肉瘤が育ち難いように作らなくてはならない。
肉瘤が育ち難いように作っていても、六歳では目についてくる。
八歳ほどからは、どの魚でも土佐錦魚として目に余ってくる。
 
2015.08.04(Tue)  土佐錦魚TOP
 08月03日
  
選別思考 1816 
 
土佐錦魚の体の幼形成熟とは、琉金の幼形に象徴されている。
その幼形であろうとする形を妨げる象徴は肉瘤になっている。
金魚のどの種でも歳をとれば大なり小なり肉瘤ができる。
幼形成熟の目安は肉瘤の形成を遅らせることに象徴されている。
肉瘤は、肉瘤を育てる栄養素を与えたり、過度に体を大きく生長させたりすればできる、と一般的には考えられている。
それならば、小さく育てれば良いのだろうか。
小さく育てても、イジケていても、歳をとればそれなりにできてくる。
それは、頭の上部の皮膚状が勝手に盛り上がるように育てば、肉瘤が生長するという印象からの思い込みとなっている。
肉瘤を育てているのは、頭の上部の骨の頭蓋がしている。
我池では当歳の時に、頭蓋を遅く生長するように抑える。
すると四歳ぐらいまでは、肉瘤の育ちが目立たなくなる。
 
2015.08.03(Mon)  土佐錦魚TOP
 08月02日
  
選別思考 1815 
 
尾は当歳の時に目まぐるしい程に通過点が変化して、系統の形で落ち着き、徐々に他の系統を受け入れながら成熟へ進む。
当歳の尾は幼形でも当然となるが、各種の幼形が長引く場合は、リュウキン系の
現れが遅いことになる。
大器晩成形は、大阪ランチュウ系の固い尾に現れるが、敢えて大器晩成を謳わないと、早期にハネられることがままある。
ナンキン系が長引くと、尾幅の広がりが遅れる。
早期からの尾の大きさではリュウキン系が優位なため、大きさとともに早期成熟がもてはやされている。
袋や渡りや後(あと)は大きい方が好まれている。
体には幼形を、尾には早期成熟を望む矛盾が、土佐錦魚の固定と、理想の土佐錦魚誕生を遅らせている大きな要因と言える。
 
2015.08.02(Sun)  土佐錦魚TOP

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