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 05月31日
  
選別思考 1752 
   
タタキ池が一般的だった頃でも、琉金が掛けられたのちでは、抑えの良い魚が
タタキ池で次第に現れていた。
どうしたらそうなるのか、の追求がすでに始まっていた。
稚魚の頃の[親骨の流し]と、夏場頃からの[親骨の抑え]と、大阪ランチュウ
時代迄の[親骨のバンザイ]との関係が掴めてくると、親骨の抑えの度合や範囲が見えてきた。
大阪ランチュウ時代迄の土佐錦魚は、変わり種の金魚でしかなかった。
琉金が掛けられてからは、土佐錦魚の反転に美観が生じ、反転に伴い後(あと)の平付けにも美観が生じ、体の丸さが更なる美観となって、土佐錦魚の美観が様々に生まれてきた。
美観からの土佐錦魚の観点を、探ることができるようになった。
(詳しい項目は三六回会報選別思考一を参照)
 
2015.05.31(Sun)  土佐錦魚TOP
 05月30日
 
選別思考 1751 
   
稚魚時代のように、尾数が多い時には、広いタタキ池の方が良い場合が多い。
(この頃は丸鉢との差が一番少ない時となる)
次いで、泳ぎが必要な時期にも、広いタタキ池の方が良い場合多い。
(この頃は、目先に気を使っていれば、支障は少ない)
後に用いられた丸鉢飼育は、飼いようによって広いタタキ池を代用できることが
解ったが、上手な代用は飼い方次第となる。
[丸鉢は、広いタタキ池を狭い丸鉢で兼ねることが出来る。]
これは、丸鉢以前の時代は、広いタタキ池の方が基本的に使用されていたことになる。その後徐々に丸鉢の真価が知られだすと、丸鉢でなくては作れないことが解りだした。
仕上げはタタキより丸鉢が向いている。
その後徐々に作りの必要性が知られだすと、丸鉢の必要性が解りだした。
(詳しくは古い会報の丸鉢思考を参照)
 
2015.05.30(Sat)  土佐錦魚TOP
 05月29日
 
選別思考 1750 
   
一方、蘭鋳の愛好家で、土佐金を片手間に飼っていた人がいた。
その人は一坪のタタキ池で、土佐金の当歳を飼育していた。
幾度か訪ねたことがあったので、自分の丸鉢飼育と、その人の一坪タタキ飼育を、比較する機会を得ることができた。
タタキでも、丸手も抑えの良い魚も結構でていた。
と言うより、夏頃には丸々と肥り、遥かに大きく育ち、もう二歳ほどにはなっていた。高知の成長より「速いな」と思った。
ただし、品のある魚はいなかった、口はでかかった。
だが、こと抑えに関しては、丸鉢を使用した時の下手な飼育より、
むしろ良いような印象さえ受けていた。
その時、思い出した。
田村翁の思い出話の中で、小さい時の当歳分譲は、タタキから茶碗一掬い幾らで売っていた、と、直接聞いたことを、思い出した。
 
2015.05.29(Fri)  土佐錦魚TOP
 05月28日
 
選別思考 1749 
   
*土佐錦魚としての美観の目覚め
この頃はまだ、タタキ(三和土)池での飼育が主流だった。
丸鉢飼育へは、未だ到達していない時代となっている。
それでも、抑えの良し悪しや体の丸みは、容易に現れていた。
むかし、東京に(土佐金)が普及し始めてしばらくの頃では、「丸鉢は必要ない」と東京の土佐金指導者は説明していた。
おそらく、丸鉢を見たこともない初心者がすぐに入手できないので、方便的な間に合わせで言っていた、と受け止めたい。
そのような事態の中でも土佐錦魚を志す人が経験を積んで行くと、その指導に疑問を感じ、改めて高知に学び、丸鉢の必要性を痛感し、丸鉢の自己制作をし、丸鉢飼育をするようになった。
その成果は東京でも的確に現れて行った。
なら、丸鉢無しでは、土佐錦魚は成り立たないのだろうか。
そうであったら、タタキ池では土佐錦魚が出来ないことになる。
 
2015.05.28(Thu)  土佐錦魚TOP
 05月27日
 
選別思考 1748 
   
さて、一対一の気付きから、新たな目覚めが生まれている。
新たな成り行きと、新たな方向に進んでいる。
*土佐錦魚としての美観の目覚め
*抑えの美の目覚め
*親骨の抑えと反転の発達との関係
*土佐錦魚の大型化(大阪ランチュウ系)
*土佐錦魚の大型化(リュウキン系)
*土佐錦魚のリュウキン化と琉金の土佐錦魚化
*琉金の土佐錦魚化との戦い
*土佐錦魚として歓迎できるリュウキン化
*ナンキン系の仲立ち
*土佐錦魚としての美意識の創出
*雅(みやび)の美
 
2015.05.27(Wed)  土佐錦魚TOP
 05月26日
 
選別思考 1747 
   
だが、中手の痩せ形と長手とは、感覚的に見分けがつく。
だが、その感覚を持ち合わせていない時には、お手上げになる。
長手が捨てられない理由は、この感覚の違いにあるのだろう。
長手の場合は、尾芯も渡りも長い大きな尾が当り前となる。
体がどうであろうと大きな尾を求て止まない感覚がここにある。
もし長手で尾が大きくなかったら土佐錦魚の前身的になる。
この場合は何時の日にか、開眼してもらうしかない。
もしそれが無理なら、長手の魚を自ら確立しその分野を擁立させるべきだろう。
だが今までにそこまでの信念をもって公言している人を見たことがない。
そんな人でも丸手を飼っている。
丸手を品評会に出している。
丸手を貶すことはない。
丸手を捨てることもない。
長手を捨てられないだけかも知れない。
 
2015.05.26(Tue)  土佐錦魚TOP
 05月25日
 
選別思考 1746 
   
その体が長手でも質量的に補っているとしたらどうなるか。
その場合は、前後一対一より口先がはみ出ることになる。
或いは尾が体と同じ長さをならば、渡りが短いことになる。
それでも渡りが全長と同じならば、体が痩せていることになる。
全長と全幅が一対一になっていて、反転が体の横の空間を埋める程になってい
れば、体が痩せているだけになる。
だが土佐錦魚は、土佐錦魚の前身へナンキンを掛けたときから求め続けていた
福与かな体を、確立させなくてはならない。
和金の体に大きなトサキンの尾を付けても土佐錦魚にならない。
その体が一対一に納まっていながら痩せている場合は、錯覚的に更に尾を大き
く感じさせる。
その錯覚は、体の質量不足になっていることを無視させている。
 
2015.05.25(Mon)  土佐錦魚TOP
 05月24日
 
選別思考 1745 
   
土佐錦魚は、長い体から始まってから常に福与かな体を求め続けてきたが、
長い体より丸い体が何故良いかと問われても、その根拠を的確に説明することを、それまで出来ないでいた。
その根拠の一つを、土佐錦魚の全長と全幅の一対一の対比を以て、やっと説明することが出来るようになった。
*長さの納まりと、量の納まり
大きな尾は、何をさておいても惹き付けるものを持っている。
体とのバランスを欠くほどの大きな尾は、格別に惹き付ける。
体が小さく感じるほどの大きな尾は、更に惹き付けて止まない。
その体が丸手の時には、更に真価が発揮される。
丸手に足りない時には、体の体積的な不足となる。
たとえその余地を埋める反転があっても、体積的な不足を補うことにはならない。
大きな尾は、空間を埋める面積的な不足の補いにしかならない。
 
2015.05.24(Sun)  土佐錦魚TOP
 05月23日
 
選別思考 1744 
   
*丸い体と一対一で均整する土佐錦魚の尾、と、
*長い体と一対一で均整しない土佐錦魚の尾
全長線を基準にすると、全幅線が短くなり易いことに気がつき、
全幅線を基準にすると全長線が長くなり易いことに気がついた。
すると尾と体が、互いに対する在り方が気になり出してきた。
土佐錦魚の前身の和金様の長い体が出る一方で、丸過ぎて詰まりを感じる琉金様の体が出始め、その中間の、ナンキン様や大阪ランチュウ様がでるようになっってくると、様々な丸さや長さをを体験するようになった。
その中でも、長手だけが特別斗出していることに気が付いた。
土佐錦魚の前身へナンキンを掛けたときから求め続けていた、
福与かな体を確立させる理由が、再びここに生じてきた。
 
2015.05.23(Sat)  土佐錦魚TOP
 05月22日
 
選別思考 1743 
   
*土佐錦魚の上見からの方向性には、前後のほかに左右もあること、
そして左右が前後と同様に必要であることに気がついた。
すると、前後左右の一対一を合わせると、いままでの不満を一掃する、
円に収まる形となることに気がついた。
大阪ランチュウまでの時代の土佐錦魚には全く見られなかった、
当歳の小さい時の[親骨の流し]と、
張りを迎えた時の[親骨の抑え]の、関係にも気がついた。
大阪ランチュウ時代には見られなかった、停まった時の泳ぎにも気がついた。
移動する時の泳ぎとの違いにも気がついた。
体と尾が釣り合ってくると、その前後左右の質量的なエネルギーの比率が
一対一になっていることにあらためて気がついた。
その釣り合いが新たな目標となっていった。
 
2015.05.22(Fri)  土佐錦魚TOP
 05月21日
 
選別思考 1742 
   
バンザイが、反転の発達を妨げていることへの気づきから、
反転の発達の模索。
親骨の抑えの模索。
抑えの選別が始まった。
バンザイを否定することから、抑えの形が目覚めたと言える。
抑えの利いた形への気付きが、均整への一層の気付きとなった。
琉金が掛けられてからそのバンザイの先が目元まで届くと、
それまで通りのバンザイがより目立つようになっても良いのか、
尾が大きくなってかえってうっとうしいのではないのか。
珍しくはあっても美観的には相変わらず響くところがなかった。
反転が大きくならずに、前葉が前に行くだけと気がついた。
欠点として目につくようになってきた。
 
2015.05.21(Thu)  土佐錦魚TOP
 05月20日
 
選別思考 1741 
  
琉金が掛けられてから尾が大きくなり、柔らかくなったりすると、
大阪ランチュウ系の皿付けの強い付きが緩和されだした。
尾が張りっぱなしの魚が減って、その反面、付きが甘くなったり、尾を流したり、親骨が前へ行かない魚が出てきた。
そうなるとその頃の大きなタタキ池でも、バンザイしない魚が多く現れるようになっていた。
その親骨が前へ行かない魚達の反転は、より発達していた。
その中で親骨をシッカリ抑えている魚の反転が、大きく発達していることに気がついた。
親骨を抑えている魚の反転が、発達を見せることに気がついた。
親骨を抑えている魚の親骨が、発達を促すことに気がついた。
反転に伴って、尾長に伴って前葉として親骨も発達して行った。
親骨と反転が発達してくると、全幅が全長と釣り合いを見せた。
 
2015.05.20(Wed)  土佐錦魚TOP
 05月19日
 
選別思考 1740 
  
中心点が定まると、それに魚を当てはめてみる。
まず、横幅(渡り)が足りない魚が多いことに気がついた。
尾鰭前葉による、中心点からの横幅を求め出した。
大阪ランチュウ時代迄の土佐錦魚の前は、バンザイが多かった。
尾が小さい時は、バンザイしていてもそれ程気にならなかった。
リュウキンが掛けられてからは、そのバンザイの先が目元まで届くと、
特徴として目立つから良いのか、うっとうしくて悪いのか。
どっちにしても美観的には間が抜けていた。
反転が大きくならずに前葉が前に行くだけと気がついた。
次第に欠点として目につくようになってきた。
リュウキンが掛けられてからは、親骨が前へ行かずに留まっている魚もたびたび出ていた。
そんな魚はバンザイしている魚とまるで違うことに気がついた。
 
2015.05.19(Tue)  土佐錦魚TOP
 05月18日
 
選別思考 1739 
  
さて、その腰や筒の折れ下りを活かすには、まず背高が確保されていなくては叶わない。
背上がりが少ないと、土佐錦魚として十分な背高を得られない。
それには背頂が、中央付近に確保されていなくてはならない。
背頂と前後の均衡は、丸手でないと体の基準を達成できない。
背頂と前後の均衡は、中手になると標準を満たすことになる。
ともかく土佐錦魚の円の中心点は[体終い]と[尾始め]の間にあることになる。その間の隙間を考えなければ、[体終い]と[尾始め]は同一上と言うことになる。
これを簡単に[体終い]または[尾始め]と言ってしまう。
中心点が[体終い]または[尾始め]と定まり、全長の一対一の見極めがつくと、中心点からの展開には、さらに全幅の一対一が必要欠かせないものと感じだした。
 
2015.05.18(Mon)  土佐錦魚TOP
 05月17日
 
選別思考 1738 
  
仮に理想を追って、付きの強過ぎを感じさせる種親から子引きをしたとしても、
全ての子が強過ぎへ傾くことは稀になる。
それは、両親が理想的な場合も稀となっていることから生じる。
雌雄どちらかの何処かに、甘さがあることが多い。
比率的には、雌の何処かに甘さがあることが今までは多かった。
そんな魚が、品評会では活躍することもよく見られた。
品評会では、欠点が先ず突かれ易い。
次に良いところを見てくれるが、理想への過程や理想の部位をとり上げて評価する場面に出会うことも、稀になる。
これは、理想を追求している審査員が稀と言うことにもなる。
たとえ、全部が強過ぎだったとしても良いではないか。
理想を追求する姿勢が大切だと知っていれば。
大関を獲得することを二の次にしていても、案外大関は獲れる。
 
2015.05.17(Sun)  土佐錦魚TOP
 05月16日
 
選別思考 1737 
  
その背鰭から下の短い筒の甘さは、腰からと言うより付きの方から
上がって来ている。
その筒は既に付きに付随している。
その筒の甘さは、下方の付き方から来ている。
その筒の甘さは、挿しが金座を流しているように見せる。
その筒の甘さは、筒の神経棘状の甘さになっている。
せっかくの腰を、最後の筒が詰めを甘くしている。
それは、金座が基準までシッカリしていないことを見せている。
基準の魚の後背は、四半円の弧を鮮やかにイメージさせる。
標準の魚の後背は、四半円の弧を何気なくイメージさせる。
基準の付きは、将来的な強過ぎを予感させることがある。
標準の付きは、将来的な余裕を予感させることが多い。
未来的に理想の土佐錦魚を追えば、基準を求めることとなり、
現在的に大関の土佐錦魚を追えば、標準を求めることになる。
 
2015.05.16(Sat)  土佐錦魚TOP
 05月15日
 
選別思考 1736 
  
背や腰や筒に甘さがあると言うことは、後背としての骨格に甘さがあることになり、四半円弧の印象を作ることができない。
この中心点辺りから、土佐錦魚の良し悪しの印象が波及する。
中心点を明確にするのは、腰や筒の折れ下りになる。
背の弧が良いと、上見からの筒が短く見える。
それは半径が短く見えるだけで、実際の円周は長い。
基準の実際は、標準より余裕とされる程の長さが必要になる。
少し長めかなと思わせるほどの筒の長さを必要な余裕として、
円周に活かすのが腰や筒の折れ下りになる。
腰がシッカリしている時でも、筒に甘さを見せることがある。
僅かな甘さであれば、標準範囲内とされることが多い。
その僅かな筒の甘さは、腰の甘さから来ていない可能性が高い。
 
2015.05.15(Fri)  土佐錦魚TOP
 05月14日
 
選別思考 1735 
  
筒に長さが感じられれば、欠点として扱われる。
理想的には、筒と感じさせなく腰の終部と感じさせる程になる。
理想に近ければ筒と感じるのは、背鰭終いに隠れた僅かになる。
良魚であれば、親骨の迫り出しは腹に食い込んで見える。
良魚は[腹終い]と[体終い]と[尾始め]の間に隙間を感じない。
[腹終い]と[体終い]との間に隙間が見えるようでは、腰の甘さがあるとされて、その度合いが問題視される。
腰の甘さは、筒の甘さと関連していることが多い。
筒が長ければ中心点付近の甘さを感じさせていまう。
酷いと一目で和金風、あるいはナンキン風を漂わせてしまう。
筒が和金風あるいはナンキン風に長ければ、大概は腰も甘い。
腰や筒の甘い魚の大概は、背も甘い土佐錦魚属になる。
 
2015.05.14(Thu)  土佐錦魚TOP
 05月13日
 
選別思考 1734 
  
昔、外国人の会員が「長手は土佐錦魚じゃないね」と言っていた。
感覚的に捉えたのだろうが、まさにその通りと思える。
腹終いは、筒が邪魔をしているので直接見ることはできない。
だが、腹の線を追へば見当をつけることはできる。
尾始めの親骨の接合点も上見からでは直接見ることができない。
だが、やはり親骨の線を追うことで見当をつけることができる。
尾始めは、尾座の裏見の尾皿の始まりでもある尾椎(びつい)から、
既に付きとして始まっている。
尾椎から伸びる棘や棘状から尾鰭が始まっている。
丸い腹や折れ下りのある腰や尾筒や尾座(土佐錦魚の金座)は、
金魚として発展した鮒尾離れになっている。
腹形が良く、筒の折れ下りの良い完成された土佐錦魚であれば、
上見からの腹じまいと尾始めは近接しているように感じられる。
尾筒の見た目は、腰として体に組み込まれたかのようになる。
 
2015.05.13(Wed)  土佐錦魚TOP
 05月12日
 
選別思考 1733 
  
長手は、背部や腰部に間延びがあり筒にも間延びが多い。
背部に間延びがあると、土佐錦魚の円に納まらないことが多い。
背部に間延びがあると、腰部に間延びがあることが多い。
腰部に間延びがあると、舵鰭の付き方が寝ていたりする。
筒部に間延びがあると、親骨と舵鰭の間が長いことが多い。
[腹終い]と[体終い]と[尾始め]との間のどれかにでも隙間ができれば、
中心点は定めづらくなる。
背延び、腰延び、筒延びがあっては、中心点が定まり難い。
基準的な丸い体と締まった腰がないと、中心点が定まり難い。
そこから既に、土佐錦魚の円を描けないことになってしまう。
体が長いのか尾が長いのかすら測れないことになってしまう。
長手の大概は、体も筒も間延びしていることが多い。
尾鰭が大きいからと言って他の部位を土佐錦魚と言えなくなる。
 
2015.05.12(Tue)  土佐錦魚TOP
 05月11日
 
選別思考 1732 
  
土佐錦魚からすると、緋鮒は腰に間延びがあることになり、
土佐錦魚からすると、琉金は腰に詰まりがあることになる。
この差が[腰]の伸びや詰まり方へ作用している。
その[体終い]に接している尾の部位は[尾皿の前部の両親骨の接合点]になる。そこを[尾皿の前部の両親骨の接合点]といちいち言うは面倒なので、
ここでは[尾始め]と呼んでいる。
基準に近い魚ほど[体終い]と[尾始め]は同一上に感じられ、
筒伸びがあるほど[体終い]と[尾始め]は離れることになる。
筒伸びとは、上見から[体終い]と[尾始め]間の長さになる。
上見から[尾始め]と[体終い]と[腹終い]が極めて近接していれば、
土佐錦魚の基準とすることができる。
上見から[尾始め]と[体終い]と[腹終い]が近接していれば、
土佐錦魚の標準とすることができる。
 
2015.05.11(Mon)  土佐錦魚TOP
 05月10日
 
選別思考 1731 
 
体の終結点は、腹終いではないことになった。
舵鰭の上の舵鰭の付け根の終わりと言うことになった。
そこを「舵鰭の付け根の始め」や「舵鰭の付け根の終わり」といちいち言うは面倒なので「舵鰭始め」や[舵鰭終い]と言い、
ここでは「舵鰭終い」と[体終い]を同一点としている。
基準に近い魚ほど[舵鰭始め]と[腹終い]は接していて、
腰伸びがあるほど[舵鰭始め]と[腹終い]は離れている。
この差は、何がつくっているのだろうか。
舵鰭の付き方になる。
舵鰭の付き方とは、角度と間隔になる。
緋鮒は水平方向の角度になり、且つ鰭条の間隔が伸びている。
琉金は垂直方向の角度になり、且つ鰭条の間隔が詰まっている。
緋鮒は[舵鰭始め]と[舵鰭終い]の間が一番長いことになり、
琉金は[舵鰭始め]と[舵鰭終い]の間が一番短いことになる。
 
2015.05.10(Sun)  土佐錦魚TOP
 05月09日
 
選別思考 1730 
 
鮒尾和金には筒と言うほどのものはなく、尾柄となっている。
開き尾になってから、尾柄は尾筒へと進展した。
尾鰭の根元は、尾付きとして尾座へと進展した。
尾付きの尾座は、尾の要の尾骨なので尾とすることができる。
尾柄からの尾筒は、腰椎の延長だが、尾とすることができる。
土佐錦魚では体の間延びや細さを嫌っている。
土佐錦魚の前身の特徴を嫌ったことになる。
筒部や腰部に甘さがあれば、そこには間延びがあることになる。
その腰や筒の間延びの度合は、少ない方からリュウキン系、大阪ランチュウ系、
ナンキン系、土佐錦魚の前身系になっている。
逆に筒や腰や体の詰まり具合の一番は、リュウキン系となる。
伸びや詰まりがあっては、中心点が定まり難いことにもなる。
中心点が定まるところから、土佐錦魚の基準の第一歩が始まる。
 
2015.05.09(Sat)  土佐錦魚TOP
 05月08日
 
選別思考 1729 
 
それは、舵鰭までが体ということを示している。
舵鰭終いまで腰部であって、体ということになる。
舵鰭終いが体側からの、尾との接点になる。
中心点を[腹終い]にすると腰と筒が尾に含まれてしまう。
腰は体となるが、続く筒は体なのだろうか。尾なのだろうか。
筒は尾筒とも言う。筒の椎弓は尾に向かっている。
筒は鰭ではないが、尾のための筒と捉えることができる。
筒は尾の駆動部として尾の一部であっても、鰭ではない。
筒は体の腰と繋がっていても、体ではないのだろうか。
この矛盾的な位置や扱いは、どうして起こるのだろうか。
機能は尾に属して、形は体に属していることから起きている。
大雑把に腹椎の後ろを尾椎としていることが多い。
細かく分けることに無理があると承知の上で、進めて行くことにする。
 
2015.05.08(Fri)  土佐錦魚TOP
 05月07日
 
選別思考 1728 
 
*中心点の模索
中心点を模索する必要が出来て来た。
土佐錦魚の円に魚をそのまま当てはめたのでは、或いは魚の外周に円を当てはめたのでは、魚ごとに配置が違ってしまう。
魚ごとに食い違いが出来ないように、基準の中心点を定める必要が生じてきた。
上見からでは、尾芯の挿しているところが中心点なのだろうか。
尾芯の挿し点にすると、前の親骨が体側になってしまう。
付きの一部が体側に入ってしまい、矛盾が生じる。
すると[腹じまい(腹終い)]と言うことになるのだろうか。
腹終いの定義は、総排出口までとなっている。
舵鰭は腹部に入っていない。当然となる。
すると舵鰭は、体部ではなく尾部に含まれるのだろうか。
舵鰭の椎体は、腰部となっている。
腰部は体部に含まれている。
 
2015.05.07(Thu)  土佐錦魚TOP
 05月06日
  
選別思考 1727 
 
体に求めるものと、尾に求めるものは、方向性が異なっている。
体の表現と尾の表現は全く異なっているのに、補い合っている。
それなのに一対一の比率になっている魚を見るにつけて、大概の魚は依然
一対一に及ばない現状をどう踏まえれば良いのか。
一対一を現実的、具体的にするにはどうすればいいのか。
一対一になっている土佐錦魚をどのように扱えば良いのか。
一対一になっている土佐錦魚をどのように表現すればいいのか。
一対一に気がつかない人へどのように示すことが最良なのか。
一対一を無視する人をどのように啓蒙して行けば良いのか。
一対一の土佐錦魚へ魚も人も導くには、指針がいる。
一対一の土佐錦魚へ魚も人も導く指針には、基準がいる。
一対一の基準への模索が始まった。
 
2015.05.06(Wed)  土佐錦魚TOP
 05月05日
  
選別思考 1726 
 
*重要度の一対一 (体と尾の関連)
体は放っておいても出来ない事に気がついた。
体と尾は、関連的に出来てくることに気がついた。
体を早作りすると、尾も早作りしてしまうことに気がついた。
体が徐々に整うと、尾もそれなりについてくる事に気がついた。
体が力強くなると、尾もそれなりについてくる事に気がついた。
体が痩せると、尾が良くても、均整がとれない事に気がついた。
体が勝り過ぎると、尾が貧弱に見えることにも気が付いた。
体が武骨になると、尾も価値を損なうことに気がついた。
体が素晴らしいと、尾を補うことにも気がついた。
体が気品や風格を現すと、尾を補うことにも気がついた。
体と尾が釣り合ってくると、その質量的エネルギーの比率が、一対一になっていることに気がついた。
その釣り合いが新たな目標となっていった。
 
2015.05.05(Tue)  土佐錦魚TOP
 05月04日
  
選別思考 1725 
 
*重要度の一対一(体と尾の役割)
体と尾の様々な一対一に気が付くと、丸い体の役割と大きな尾の役割が次第に見えてきた。
体が丸くなることによって、体の形に見通しがついてきた。
尾が大きくなり抑えができると、尾の形に見通しがついてきた。
丸い体に重きを置くか、大きな尾に重きを置くかと、たわいのない問題が起こった。尾の大きい事があまりに目を引いていた。
平で大きな後が、今までにない注目となっていた。
たなびく前があまりにも魅了して止まなかった。
それに比べて丸い体は、大きな尾ほどに目を引かなかった。
おまけに長手を擁護する意見が、まだ残っていた。
だが、土佐錦魚をいかにするべきかを案じていた先達は、その重要度に気がついていた。
体の拵え(こしらえ)が尾を形作る。
体の拵えが出来てこその尾になると。
 
2015.05.04(Mon)  土佐錦魚TOP
 05月03日
  
選別思考 1724 
 
静止時に力なく浮遊したり、底に着いて動かなくなったりすることは、見る人の
求めるところとなっていない。
不安定に傾くこと、曲がることはやはり求められていない。
土佐錦魚に求める静止は、緊張感を伴っている。
緊張感のある静止状態を【決め】と言う。
健康的で、均整がとれて、緊張感のある静止状態を、
【極まっている、あるいは決まっている】と言う。
【極まり、決まり】は、緊張の静と言える。
【極まり、決まり】時の舞いは、緊張の動と言える。
均衡の上に成り立つ体の静と鰭の動は、安定の上に成り立つ、体の緊張を受けた
鰭の緊張は、一定の揺らぎをもっている。
揺らぎのない決めは、エネルギーの発散を現していない。
均衡の上に体と尾が釣り合ってくると、その静と動のエネルギーの比率が、
一対一になっていることに気がついた。
その釣り合いが新たな目標となっていった。
  
2015.05.03(Sun)  土佐錦魚TOP
 05月02日
  
選別思考 1723 
 
*静と動の一対一
移動の泳ぎ時は、動であっても静はない。
泳ぎの停止時は、静であっても動はない。
この泳ぎと静止をもたらすものは、鰭の動きと言える。
体は、くねらす運動能力を持っている。
鰭は、その体の運動機関となっている。
この時の尾筒は、体からの運動器官の一部となる。
鰭は、体からの発信を受け、その働きが動きとなっている。
土佐錦魚の体は、くねりが抑えられて静へと向かっている。
鰭は元々動となっている。鰭が停まるとこの上なく静となる。
移動する泳ぎは、魚自体の目的とすることが出来る。
静止する泳ぎも、魚自体の目的とすることが出来る。
静止する泳ぎは、人の求める理由とすることも出来るだろう。
  
2015.05.02(Sat)  土佐錦魚TOP

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