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  2月 1日 
 
 こんにちわ

選別思考 605
 
 様々な型を幾重にも掛け合わされてきた土佐錦魚の尾は、その度に目的へ向かって選別されてきた。
大阪ランチュウ迄の尾の大きさの変化は、大した差ではなかった。なんとか淘汰できる程度の、異常や変化だった。
選ばれて淘汰を免れた魚にも、いつ現れるか心配するほどの不安定要素とはならなかった。
そこに流金が掛けられて尾が大きくなると、変化も格段に大きくなり、一つの遺伝子が単純に働いていたり、強かったり、全体を単純に保つことができなくなり、複雑になり、今迄になかった異常も、噴き出るように多くなってしまった。
 
2011.11.30(Wed)  土佐錦魚TOP
 11月30日
  
半分曇りのち晴れ
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 12℃ 15℃ 気温 12℃ 19℃ 

 おはよう

選別思考 542

 ところが、その生物がその環境に最も適応した段階で、その環境内で変化をとどめている生物がいる。
また生域環境に最も対応した適応力を失わないために、生息域内での変化にとどめている生物もいる。
そのような生物は、その環境で繁栄、あるいは生存している。
そのような生物も、偶然の産物だろうか。
そのような生物の、意思の産物だろうか。
そこに残った中で発展するも、そこから旅立ち更なる生物として発展するのも、生物の意思だろうか。
なら、その意思はどこから生まれてくるのだろうか。
生命として生まれて来たときには、備わっていたのだろうか。
生物として生まれて来たときから、突き動かされていたのだろうか。
    
2011.11.30(Wed)  土佐錦魚TOP
 11月29日
  
曇りのち薄晴れ
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 12℃ 14℃ 気温 12℃ 18℃ 

 おはよう

選別思考 541
    
 突然変異は、形態の変異だけだろうか。
それが遺伝する以上は、遺伝子が変異していなくてはいけない。
定義的にはそうなるはず。
逆には遺伝子が突然変わって、形態が変わった、それが環境に選ばれたから、生き残ったとなる。
それが、自然選択の対象になるような形態的変化となっている。
すると、有利な変異に取り残された方は、取捨の対象となり絶滅してしまうのだろうか。
取り残された方は、それなりにそれまでの環境に適応していれば、絶滅することはない。
変化した環境に留まると、適応できないで絶滅してしまう時、生き残るための瀬戸際的変異を、突然変異の意として、自然選択がなりたっている。
       
2011.11.29(Tue)  土佐錦魚TOP
 11月28日
  
曇り
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 10℃ 13℃ 気温  9℃ 15℃ 

 おはよう

選別思考 540
  
 使わなくなった部分、あるいはそのエネルギーを、他の機能作成に費やすことをしているのではないだろうか。
腹部の脚をなくし腹部の運動能力をなくす代わりに、腹部としての内容的機能を高め、腹部の役割に専念させ、胸部に運動能力を集中させ、脚以外にも翅という別の運動機能を高めた。
高まったことは進化となり、失ったことは退化となった。
鰓を使わなくなった代わりに、翅にしたり、
鰓を使わなくなった代わりに、肺にしたり。
現在では、退化、進化は変化の結果を表す言葉となっている。
高等、下等を表す言葉にはなっていない。
野性味を下等と捉え、非野性味を高等と捉える人間的風潮が、舵鰭一枚を二枚より、野性的としているように感じられる。
  
2011.11.28(Mon)  土佐錦魚TOP
 11月27日
  
晴れているのか曇っているのか星は見えない 朝夕曇りあいだ晴れ
      蓋   内      朝   昼
朝の水温  9℃ 12℃ 気温  7℃ 15℃ 

 おはよう

選別思考 539

 退化や進化は、遺伝子の切り替えの方向を、人間がどう見るかで決まってくるのだろう。
面白いことに全部使った時よりも、部分的に使った時の方が、またちょこっと使った方が、進化している例として多く見うけられる。
ちょっと変えるのは、交配の時などにできやすい。
基本を変えるのは、おいそれとはできない。
基本を変えずに、増えた部分を利用した方ができやすい。
また基本を変えることは、その基本で出来ていたそれまでの生物を否定することになってしまう。
その辺りが多様化に繋がっているのだろう。
金魚の多様化にしても、ちょこちょこっとした違いだろう。 
     
2011.11.27(Sun)  土佐錦魚TOP
 11月26日
  
星の見える晴れ
      蓋   内      朝   昼
朝の水温  8℃ 11℃ 気温  7℃ 13℃ 

 おはよう

選別思考 538
 
 脚が生えるか、生えないかは、どの遺伝子を働かせるか、働かせないかの、
スイッチ的な遺伝子の作用になっている。
スイッチの入り切りをする遺伝子のことを、制御遺伝子と言う。
舵鰭問題も、制御遺伝子の極一部が対象になっているのだろう。
脚が生えるか、生えないかより、遥かに簡単な制御なのだろう。
舵鰭一枚のスイッチを切りにして、退化させ、
舵鰭二枚のスイッチを入りにして、進化させることになる。
そこにあった遺伝子を、ちょっと違う使い方をするだけになる。
このスイッチによる形態の変化を、進化とか退化と言っている。
スイッチの切りが退化なのか、それとも進化なのだろうか。
    
2011.11.26(Sat)  土佐錦魚TOP
 11月25日
  
昨日より星が見えた晴れ
      蓋   内      朝   昼
朝の水温  9℃ 12℃ 気温  8℃ 15℃ 

 おはよう

選別思考 537
 
 すると、緋鮒が人間に掬われてからの金魚としての展開は、人間が関わる飼育界にての、金魚としての様々な発展形態と捉えることができてくる。
自然界では起こりえない急激な多様化は、飼育界にての緋鮒の戦略として捉えることができる。
開き尾が求められる品種として、同時に舵鰭二枚が求められていれば、流れは舵鰭二枚に向かっている。
しかし、土佐錦魚の平付けや反転や大きな尾には、大きくてシッカリした一枚の舵鰭の方が役に立つ、美観にも影響していない、と、舵鰭が二枚でなくても人間が納得したとき、飼育界と自然界との思惑が重なり、舵鰭一枚が飼育界で台頭する流れもできてくるだろう。
     
2011.11.25(Fri)  土佐錦魚TOP
 11月24日
  
晴れのち曇り
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 12℃ 15℃ 気温 11℃ 18℃ 

 おはよう

選別思考 536
  
 もし言及していたとしたら、また偶然で済ませていたかも知れない。
この程度で科学がまかり通っているのだろうか。
これが科学者なのだろうか。
科学のいろいろは素晴らしいが、どうしてそうなるかへの考察は、小学生にも劣るのではないだろうか。 
重複を、ミスの結果とせずに生物の戦略として、重複の結果を、発展するために用意された遺伝子、と捉えることはできないだろうか。
重複が起こることを偶然とせずに、生物の意思とすることはできないのだろうか。
そうした時の舵鰭問題は、重複ほどに大きな問題ではないにしても、ちょっとした生物の意思、あるいはちょっとした意思からの成り行き、と捉えることができてくる。
  
2011.11.24(Thu)  土佐錦魚TOP
 11月23日
  
曇り半分、青空には星のち晴れのち雨
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 10℃ 13℃ 気温  9℃ 15℃ 

 おはよう

選別思考 535

 その下等となるだろう金魚と人間との基本的な遺伝子は、ほとんど変わっていない。
酸素を使っている脊椎動物と言う共通点だけで、基本はほとんど同じになっている。違うのは、その基本を幾つもっていて、余裕の部分を少し変えたり、活用しているかになっている。
 その下等となるだろう金魚と、基本的にほとんど変わっていない人間の遺伝子は、その基本を三回重複ミスしたと言う。だから基本を四つもっている。と。
どうして3回もの重複を、ミスとしてしまうのだろうか。
 皆さんがコピーする時に、うっかりして枚数を多くしてしまう時があるでしょう。そんなウッカリが重複ミスと言う。
それが現在の生物を進化させた、と言っていた。
なぜ重複ミスが、淘汰の対象にならなかったのか。
なぜ進化の根本になったのかへは、言及しなかった。
   
2011.11.23(Wed)  土佐錦魚TOP
 11月22日
  
晴れたり曇ったり
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 10℃ 13℃ 気温  7℃ 14℃ 

 おはよう

選別思考 534
  
 それが変態という出来事になって、別形態となって現れてきている。
その変化には、退化とされる部分のエネルギーが、振り向けられているのではないだろうか。
進化とされて発展してゆくと、次第に充実してゆく。
すると、新たなエネルギーの蓄積ができてくる。
すると、新たな変化への準備が整ってくる。
人間が高等と分類している生物ほど、その余地は狭く多様になってくる。
人間が下等と分類している生物ほど、その余地は広く様変わりになってくる。
その変異の幅が広いほど、劇的なものとなって現れている。
金魚は人間の分類で言うと、どちらかとえば下等になるだろう。
掛け合わせによっても、変異によっても割と変化する方になっている。
  
2011.11.22(Tue)  土佐錦魚TOP
 11月21日
   
雲が半分の晴れのち晴れ
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 12℃ 15℃ 気温 11℃ 16℃ 

 おはよう

選別思考 533

 アルテミアの後ろの方の脚のあるところは、主に運動機関となっている。
昆虫は、後ろの方の脚のあったところを腹としてしまい、他の機能を腹に移して充実を図り、運動器官としての役目を止めてしまい、それによってアルテミアから別形態への発展を可能にし、成し遂げた。
脚に限ってしまうと昆虫は、アルテミアに比べて、腹に脚が生えなくなっただけと言える。
腹部に生えなくなって、あるいは腹部の脚が退化して、昆虫に進化したことになる。
退化した部分の脚の働きは、そのまま無くなってしまっただけだろうか。
この退化と進化は、表裏のかたちにあるのではないだろうか。
生物が一度得たものを、必要がなくなったからといって、ただ捨ててしまうのだろうか。
何かを、何かの形へ変化させる。
何かのエネルギーを、何かを変化させるために利用する。
   
2011.11.21(Mon)  土佐錦魚TOP
 11月20日
   
曇りのち雲の多い晴れ
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 16℃ 16℃ 気温 15℃ 21℃ 

 おはよう

選別思考 532
 
 毛虫が幼虫で、蛾が成虫と、誰が決めたのだろうか。
これは便宜上そう分類したにすぎない。
とうの生物にしたら毛虫が本来の姿で、蛾は生殖を司る一時の姿でしかない、と言うかもしれない。
キノコは菌糸の時が本来の姿であって、キノコは生殖のための子実体として分類された、一時の姿でしかない、と言うだろう。
菌糸から子実体へは、見た目に突然変異的な体の変異と言える。
毛虫から蛾へにも、見た目には突然変異的な体の変異と言える。
人間から見ると信じられないような変化や、どうしてそうなるか解らない変化を、突然変異と分類した方が、生物の戦略に人間が振り回されている光景を、表現できている。
   
2011.11.20(Sun)  土佐錦魚TOP
 11月19日
  

      蓋   内      朝   昼  19時
朝の水温 11℃ 13℃ 気温 13℃ 20℃ 22℃

 おはよう

選別思考 531

 これは、脚が生える場所の遺伝子の数は同じであっても、その数ある遺伝子の中で働かない遺伝子が出来たことになる。
働くの場所の遺伝子の違いとなっている。
蛾の幼虫の毛虫の時にはいっぱい脚がある。
成虫になると六本脚になる。
幼虫時代をアルテミアみたいな前時代的としたら、成虫はそこからの変態と言うことになる。
変態したときに、遺伝子の働きの操作をしたことになる。
これは偶然では出来ない。
だけど、毛虫には殻が無い、その殼は蛹や成虫の時に現れる。
蛹の殼の中で死と生が溶けるカタチで、流動の極みとなって入れ替わり、成虫の昆虫が形作られる。
脚が六本に減るのも、鰓が翅になるのも、頭、胸、腹(胴)がハッキリ分かれるのも、水中から空中に出るのも、変態と言う遺伝子操作によって行われている。
あるいは、遺伝子の操作によって行われている。
   
2011.11.19(Sat)  土佐錦魚TOP
 11月18日
  
曇り
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 12℃ 14℃ 気温 11℃ 14℃ 

 おはよう

選別思考 530

 さて、一枚と二枚、どちらがその環境に、そして、その魚の 発現形として選ばれるのだろうか。
ゲジゲジのような脚が沢山ある動物と、昆虫のような三対六本のような脚とでは、どのような遺伝子的変化があって、そうなったのだろうか。
稚魚の初期の餌として馴染みのある、アルテミアの成虫は海老に似ていて、胸から腹の方まで沢山脚がある。
昆虫は、胸のところだけに六本の脚がある。
アルテミアは、胸と腹に脚ができる遺伝子があり、その全部が生えるように働いている。
アルテミアの類から進化したと言われている近縁の昆虫は、胸にある六本の脚が生えるように遺伝子が働いて、腹のところに生える沢山の脚の遺伝子は働いていない。
腹のところの足の遺伝子は、アルテミアも昆虫も同じようにあるのに。
  
2011.11.18(Fri)  土佐錦魚TOP
 11月17日
  
晴れ
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 11℃ 12℃ 気温 10℃ 19℃ 

 おはよう

選別思考 529

飼育界にあっても、
人間も自然の一部であって、
人間も環境の一部であって、
飼育界も自然の一部であって、
環境も自然の一部であることに、気がついた。
飼育界は自然界の極一部を、人間が都合のいいように隔離した存在にすぎない。
自然から掛け離れては、魚も人間も何もできない。
自然に沿いながら、
自然の様子を見ながら、
自然を補いながら、
自然を利用しながら、
自然環境の一部とされながら、
自然に振り回されながら、土佐錦魚に寄り添っている。
   
2011.11.17(Thu)  土佐錦魚TOP
 11月16日
   
晴れ 北風強し
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 10℃ 13℃ 気温 10℃ 16℃ 

 おはよう
 
選別思考 528

 今でこそ土佐錦魚は丸鉢で、と初心者にも指導するのが当たり前。
そうなったのは、むやみに、好き勝手に飼っても、土佐錦魚にならないことに気がついたからか。
誰が気づいたからか。
当時の指導者たちは、そのままでいいと言っていた。土佐金の遺伝子を引いていれば、形を追求する必要を感じていなかった。
生きていればそれで良かった。
誰が気づいたからか。
本当の土佐錦魚を見て知ったもの、学んだものは気づいた。
本当の土佐錦魚は、そんなに簡単なものではないと。
本当の土佐錦魚を得るためには、土佐錦魚にしなくては行けないことに気づいた。
土佐錦魚を知らずして、土佐錦魚を作ることが出来ないことに気がついた。
    
2011.11.16(Wed)  土佐錦魚TOP
 11月15日
  
曇り時々晴れ間
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 13℃ 14℃ 気温 13℃ 16℃ 

 おはよう

選別思考 527
   
 当時、土佐錦魚は室内で飼うものと、東京の権威者に、それも複数の指導者に教わっていた。
そのために、外のタライへは相変わらずランチュウが入っていた。
ところが高知へ行ってみると、丸鉢は炎天下、親の角鉢も隣に並んでいて、いいとこ板一枚。
所によって、親はビニール温室か、取り外しの屋根ぐらい。
室内なんて言うところは一軒もなかった。
東京に帰ってからさりげなく「どうして室内で飼うのですか」と聞いてみると、「外に置くといつも死んでしまうから」との答えでした。
初歩的指導は、丸鉢を教えてもらえず、ガラス水槽でいいとのことでしたが、高知を見てからは、外のタライへ入れることにしました。
   
2011.11.15(Tue)  土佐錦魚TOP
 11月14日
  
曇り時々晴れ 夜一時雨
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 17℃ 18℃ 気温 16℃ 20℃ 

 おはよう

選別思考 526
    
 人間が好き放題にしていても、魚はそれにいつでも付き従っているのだろうか。
もしそうしてくれていたら、これ程に苦労はしていないだろう。 
 一個人の土佐錦魚の飼育環境の初期を紹介しよう。
まだ学生の頃、アパートの部屋の中でランチュウを飼っていたが、どうしても外で飼いたくて大家さんに交渉。
庭の片隅に2尺×3尺×5寸の各鉢を置かせていただいた。
でも、そこに入っていたのはランチュウだった。
その後、土佐錦魚(土佐金)が手に入り、土佐錦魚を置くために小さな庭のあるアパートへ引っ越し、庭に簡易的な温室を造り2段構えの角鉢数個と、外には拾って来た木製のタライ2個を修理して、半分地面に埋めて置いた。
   
2011.11.14(Mon)  土佐錦魚TOP
 11月13日
  
晴れ
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 16℃ 17℃ 気温 15℃ 21℃ 

 おはよう

選別思考 525
   
 そんな環境が飼育環境となる。
より野生味を無くす方向。
より野性的生命力を活用しなくても済む方向。
生存競争に安心できる方向。
生存競争に弱く変形しても、大丈夫と思わせる方向。
その変形がむしろ生存に有利と思わせる方向。
魚が、多様化へ進みやすくなる方向。
人間が、多様化へ進みやすくする遺伝子の方向。
人間が、選別で進める遺伝子の方向。
それは、自然界とは隔離された土佐錦魚の飼育界の方向となる。
   
2011.11.13(Sun)  土佐錦魚TOP
 11月12日
  
星が見える雨上がりの晴れのち曇り
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 12℃ 13℃ 気温 13℃ 20℃ 

 おはよう

選別思考 524

 魚が自ら進んで、二枚を選んでいるとは思えない。
魚は、どっちでもいいらしい。
魚はどちらかと言えば、一枚の方が便利かもしれない。
すると魚は、自然界では一枚へ進んでゆくとみえる。
人間は、二枚がいいらしい。
すると魚は、飼育界では二枚へ進んでゆくとみえる。
先ずは人間による関与、魚をその気にさせる行き届いた関与、それに選別の作用と言うことになる。
二枚へ導く環境への関与と言うことになる。
二枚へ導く遺伝子への関与と言うことになる。
そこは、開き尾や舵鰭二枚が求められる環境。
開き尾や舵鰭二枚が許される環境。
開き尾や舵鰭二枚が生き残る環境となる。
     
2011.11.12(Sat)  土佐錦魚TOP
 11月11日
    
曇り夜が明けてから雨
      蓋   内   (夜中)朝   昼
朝の水温 13℃ 14℃ 気温 14℃ 11℃ 

 おはよう
 
選別思考 523

 仮に、飼育界のような狭い池のようなところで、繁殖できたとしたら、開き尾や舵鰭二枚が誕生しただろうか。
それは、人間の飼育関与なしに誕生するだろうか。
狭い場所では、生息尾数に限りがある。
摂食や生存競争は、広い場所より悪くなるだろう。
生育どころか繁殖には、劣悪となるだろう。
人間も環境のうちの関与となるなら、その時やその地方の環境としての人間に、求められていた方が多くなり、生き残った。
求められていなかった方が少なくなり、または、遺伝子が働かなくなった。
と、言うことになる。
舵鰭問題も求められていた方が多くなった。または、生き残った。
    
2011.11.11(Fri)  土佐錦魚TOP
 11月10日
  
曇り
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 12℃ 14℃ 気温 12℃ 16℃ 

 おはよう。

選別思考 522
  
 仮に、雌雄どちらかが二枚で、どちらかが一枚だったとする。
雌雄の舵鰭という相同した遺伝子の、相対する優と劣とされたどちらかが選ばれる時、何に応じてどちらが選ばれるのだろうか。
それこそメンデルの法則か、発現形の法則か、系統的遺伝子の強さか、個体の強さか、環境か、偶然か、生物の適応力か。
偶然ではないとだけは、言えるだろう。
また言い出すが、偶然だったら自然の川や池でも、開き尾や、舵鰭二枚が出て来ているはず。
自然界では、生存できないだけなのか。
飼育界では、生存できるだけなのか。
飼育界からは、なぜ、開き尾や舵鰭二枚が誕生するのだろうか。
   
2011.11.10(Thu)  土佐錦魚TOP
 11月 9日
 
星が見える雲りときおり晴れ 
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 14℃ 15℃ 気温 12℃ 16℃ 

 おはよう

選別思考 521
   
 だが、これは、偶然的出来事ではないと思える。
相同する遺伝子の、優と劣とされた相対するどちらかが選ばれるが、環境に求められたか、また時に応じてか、劣が選ばれる可能性が大きくなることがある。
その場合には、劣が優の立場にとって変わることになる。
そのとき優と劣を選ぶのは、あるいは発現形として選ぶのは、環境だろうか。
遺伝子だろうか、それとも生物自体だろうか。
限りなく数多くの偶然の突然変異から、淘汰され選ばれるとなれば、選ぶのは環境だろう。
環境に対してかず限りない数の突然変異と時を掛けて、環境に選ばせているなら、遺伝子と言えるだろう。
生物が持っていた適応する作用、機能を、生物が遺伝子として選ぶとなれば、生物の意思、あるいは自律的意思となり、生物自体となるだろう。
   
2011.11.09(Wed)  土佐錦魚TOP
 11月 8日
  
曇り時々晴れ間
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 16℃ 17℃ 気温 14℃ 17℃ 

 おはよう

選別思考 520
  
 その時やその地方の環境に適応していたから、多くなり、または生き残った。
その時やその地方の環境に適応していなかった方は、少なくなり、または働かなくなった。と言うことになる。
そして、選ばれなかった方は消滅する事なく、控えている、隠れているかたちで共に存在していた。
そして、たまに、選ばれなかった方が出て来ることがある。
でもそれは、劣性でもなければ、突然変異でもないと、現在では言われている。
それは、発現形として選ばれただけとなっている。
なぜそうなるのか、それは残念ながら教わっていない。
書かれてもいなかった、が、おそらく偶然で落ち着くのだろう。
     
2011.11.08(Tue)  土佐錦魚TOP
 11月 7日
   
雲の散らばっている晴れのち夜雨
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 16℃ 17℃ 気温 16℃ 22℃ 

 おはよう

選別思考 519

 優性か劣性か、これはメンデルが提唱した。
優れているから現れる。
劣っているから現れない。と半世紀前の学校では習った。
今では、優劣には関係なく、環境への適応で現れる、と言うようになっている。
半世紀前の遺伝の法則は、そこには記されてなかった。
同じ種でも、環境に差異のある地方によって、細かいところが違って来ている。その地方では適合でも、他の地方では不適合となっている。
これは、亜種や変種ということになるのだろうか。
それとも、舵鰭問題のように、もともと有った素質が、その地方に多く現れただけだろうか。
   
2011.11.07(Mon)  土佐錦魚TOP
 11月 6日
   
霧雨の中のち曇り時折雨
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 17℃ 18℃ 気温 18℃ 19℃ 

 おはよう

選別思考 518
 
 腹が膨れたから二枚になったのだろうか。
腹が膨れたから舵鰭も伴ったと言うような、必然的理由なしの突然変異なのだろうか。
鮒尾の和金と開き尾の和金とでは、腹の出が舵鰭を左右するほど違っているとは思えない。
金魚であるなら二枚あるとしたなら、金魚らしくなった三つ尾からと言えるだろう。そうとするなら当初から二枚だったはず。
果たしてそうだろうか。
舵鰭二枚には、必然的理由があるのだろうか。
これは、対をなす目や鰓、対鰭の胸鰭と腹鰭、また開き尾も中央ないし中央から下部についている。
ならば、開き尾の下部にある舵鰭は、胸鰭や腹鰭のように対鰭になる必然性があると言える。
鮒尾なら、背鰭と鮒尾の尾鰭から、舵鰭も単鰭が必然性となる。
鮒尾からの必然性がなくなっている開き尾ならば、舵鰭二枚も必然的と言える。
それとも必然性なしの、単純で偶然な突然変異の問題か。
  
2011.11.06(Sun)  土佐錦魚TOP
 11月 5日
   
晴れのち薄曇り一時晴れのち夜雨
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 14℃ 17℃ 気温 16℃ 22℃ 

 おはよう

選別思考 517

 鮒尾は当然一枚。鮒尾から三つ尾になっった時に、舵鰭は二枚になったのだろうか。
それとも、もっと金魚らしい四つ尾になっって、尾に左右がハッキリ別れた時に二枚になったのだろうか。
ヂキンを見る限りでは四つ尾の時と、受けとることができる。
土佐錦魚の前身が仮にヂキンを引いているとすれば、土佐錦魚の長手に、二枚が多くなっている可能性が高くなる。
当初の三つ尾の和金は、舵鰭一枚だったのだろうか、二枚だったのだろうか。
四つ尾になった時に全部が二枚になったのだろうか。
流金は和金の変型として、舵鰭をどのように受け継いだのだろうか。
当初から二枚だったのだろうか。
    
2011.11.05(Sat)  土佐錦魚TOP
 11月 4日
  
うす曇りのちおだやかな晴れ
      蓋   内       朝   昼
朝の水温 14℃ 15℃  気温 15℃ 22℃ 

 おはよう

選別思考 516

 舵鰭の数が静止や舞いや泳ぎに大きく影響していれば、直ちに問題とされているはず。
ここに、深部で燻っていても表立って問題とされない故があるのだろう。
一枚と二枚を差別して、良く言われる意見をあげてみよう。
極端には、「一枚は金魚にあらず、鮒に等しい」
あるいは、「一枚は退化の現れ」
あるいは、「金魚であれば二枚が望ましい」
この感じは「白や黒は金魚にあらず」と似ている。
『二枚がいいに決まっている』は、この辺りも考慮していると思える。
『二枚がいいに決まっている』は「二枚にこしたことはない」を含んでいる。
それは「金魚であれば二枚が望ましい」を否定できないでいる。
それは「土佐錦魚であれば二枚が望ましい」を否定できないでいる。
それは「土佐錦魚であれば二枚が望ましい」へ進めている。
   
2011.11.04(Fri)  土佐錦魚TOP
 11月 3日
  
曇り
      蓋   内       朝   昼
朝の水温 13℃ 16℃  気温 16℃ 21℃ 

 おはよう

選別思考 515
 
 舵鰭が上を向いているか、下を向いているかは、一枚か二枚かの問題より、遥かに実効性を帯びた項目となる。
尾は左右に振って泳ぐが、上下にはならない。舞いも然り。
上下は、均整がすべてとなっている。
『下向きに付いていればもっと良い』は、より静をもたらす舵鰭の向きを示している。
これは、一枚に限ったことでなく、二枚でも同じことが言える。
舵鰭一枚二枚の問題とは真意を異にしている。
浮き袋の作用は、安定あってはじめて発揮できるものとなり、
同様に舵鰭の下向きも、均整あってはじめて有効となる。
舵鰭は意外と上下運動をしている。
微妙な補いをしているが、大きく補う効果はないだろう。
だが、上向きに付いていたり、縮れていたり曲がっていると、補うどころか安定性を害することになる。
だが、全体に均整が整っているとき、舵鰭が有ろうが無かろうが決める魚はいる。
だが、舵鰭の下向きは、確かに安定への一つの目安となっていることに、違いはない。
    
2011.11.03(Thu)  土佐錦魚TOP
 11月 2日
  
晴れ
      蓋   内      朝   昼
朝の水温 14℃ 16℃ 気温 13℃ 21℃ 

 おはよう

選別思考 514

 頭を少し下げてジっとしていたり、また上げてジッとしていたり、曲がっていたりしても、均整が問題とされて安定しているとは言わない。
安定は、均整の産物と言える。
そんななかでも、ほんの僅かに頭を下げがちな魚は、胸鰭を少し煽りぎみにして水平を保とうとする。
その際まれに、胸びれと尾鰭を微動することで補っていることがある。
大きく振ったり、頭を上下したりしては到底舞いにならないが、本意と言えなくても、境いめ的な微妙な舞いもある。
これは、動から静への対応と言える。
微かな水の動きへの対応は、これも静への動的対応と言える。
緊張状態は張りのある静止、あるいは静から動へ、動から静への対応と言える。
      
2011.11.02(Wed)  土佐錦魚TOP

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