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 1月31日
 
 選別思考 239

 長い間褪色しない魚を良く観察すると、どこかに茶色っぽい滲みのようものが、ポツンと現れている事が多い。
黒の下に浮き出ているため目立たなくなっているだけで、黒を通して赤と確認できる。
この現象は褪色作用の現れと感じている。
この現象が現れていない魚は、褪色作用がいまだ起こっていない未作用の魚と感じている。
土佐錦魚には褪色が遅い魚と、褪色しようとしたができなかった、双方の魚が存在している。
褪色が作動しない魚は、褪色しない黒のままの魚とする事ができる。
褪色が作動してもできなかった魚は、何らかの理由が褪色を阻害しているため、様々に黒が残っているとすることができる。
 
2011.01.31(Mon)  土佐錦魚TOP
 1月30日
 
 選別思考 238

 またその中で、歳を重ねても褪色をせず黒のままになっている魚は、極少数となる。
今までは五歳が最長だった。だが、現在六歳でも変わらず更新中の魚がいて、いっこうに褪色する兆しも無い。
その黒達が黒のまま二歳以上になると、我池では真っ黒っぽくなってしまう。
それは元が何系であれ黒としては変わらないことになる。
すると、どの魚かの黒遺伝子が突如働き出し、それが広まって行ったとするには、黒の種類が多過ぎることにもなる。
どの黒がそうなったかより、その黒がどうして黒のままなのか。
黒の話しはここに尽きる事になる。
 
2011.01.30(Sun)  土佐錦魚TOP
 1月29日
 
 選別思考 237

 我池での土佐錦魚の真っ黒系は、二歳から上の歳になってからが多くなる。
茶系は、茶色い苔や豊富な苔、陽当たりが影響している。
灰系は、主に陽当たりが良くなかったり、苔が少なかったり、容器の色が影響している。
だが、陽当たりが良くて苔が茂っていて、ほとんどの魚が茶系でも、灰系の魚が孤立するようにいることがある。
これは、いろいろな黒系にも環境的条件に左右されない素質的系統が、兄弟の中に混じって出ている事になる。
それが歳を重ねるうちに我池では、皆同じように真っ黒系になって行く。
 
2011.01.29(Sat)  土佐錦魚TOP
 1月28日
 
 選別思考 236

 一般的に白系の褪色は早い傾向をもっている。
白系のナンキンから始まっている大阪ランチュウ、ランチュウの褪色は、比較的安定しているのではないだろうか。
すると、大阪ランチュウまでの土佐錦魚は、褪色が安定していたと推測できる。
すると、遺伝子が突然変異を起こしたか。或いは、突然眠っていた遺伝子が働き出した可能性も出てくる。
あるいは掛け合わせによって、異種的な流金が持ち込んだ可能性も出てくる。
以前、土佐錦魚の流金の突然変異説を提唱していた人は、流金は全ての金魚の基になっているから、何が出てきても不思議はない、と言っていた。こんな時にだけ都合よく当てはめれば、黒出目金の遺伝子が出てきてもかまわないことになる。
ま、とにかく、一つの可能性とすることが出来る。
 
2011.01.28(Fri)  土佐錦魚TOP
 1月27日
 
 選別思考 235

 だが、色が系統として存在するようになっていれば、可能性は高くなる。黒いナンキンは絶えてしまったが系統として存在していた。
ナンキンの鱗からすると銀系が残っていても不思議はない。
黒いナンキンの話しは教わっただけなので、これ以上の推測は止めておく。
黒のナンキンが直接関与していなくても、その隠れ隠れていた遺伝子が、何らかの作用で突如働き出してしまった事も、考えられる。
黒系には、色が隠れている。
色系には、黒が隠れている。
それが、黒から色を得た金魚というものではないだろうか。
 
2011.01.27(Thu)  土佐錦魚TOP
 1月26日
 
 選別思考 234

 今でもそんな魚に憧れを持って、いにしえを逐っている人をたまに見かける。
そのような魚から採卵して、気を付けて選別して、奇跡的にでも見つけることができれば、増やすことが可能だろうか。
おそらく、余程の執念で立ち向かわない限り叶わないだろう。
その頃でもそんな色を求めていた人はけっこういた。
現に存在した親からでも叶わなかった。
かつての遺伝子に強さがあった時でも徐々に消えてしまった。
おそらく、他の色と同じように遺伝子的に弱まる傾向もっていたため、一時的なものとなってしまったのだろう。
 
2011.01.26(Wed)  土佐錦魚TOP
 1月25日
 
 選別思考 233

 笑い話のようだが、未だに珍珠鱗が出てくる。
今は昔のように親になるまで、鱗に痕跡が残っている魚は見なくなったが、私が始めた頃にはシッカリ残っていた。
今でも小さい頃には鱗が膨れて腹に丸みがあるが、大きくなると普通になってしまう。
珍珠鱗系同士を掛ければ残ったかも知れないが、数多くは出てこなかった。また系統として残す気もなかった。
いまでもそのけのある魚は、腹の膨らみ方が珍珠鱗の面影を留めている。腹の出がいいのでそうとは気が付かずにか、なんとなく気付いていてもか、採卵しているためいまだに出てくるものと踏んでいる。
 
2011.01.25(Tue)  土佐錦魚TOP
 1月24日
 
 選別思考 232

 笑い話のようだが、未だに珍珠鱗が出てくる。
今は昔のように親になるまで、鱗に痕跡が残っている魚は見なくなったが、私が始めた頃にはシッカリ残っていた。
今でも小さい頃には鱗が膨れて腹に丸みがあるが、大きくなると普通になってしまう。
珍珠鱗系同士を掛ければ残ったかも知れないが、数多くは出てこなかった。また系統として残す気もなかった。
いまでもそのけのある魚は、腹の膨らみ方が珍珠鱗の面影を留めている。腹の出がいいのでそうとは気が付かずにか、なんとなく気付いていてもか、採卵しているためいまだに出てくるものと踏んでいる。
 
2011.01.24(Mon)  土佐錦魚TOP
 1月23日
 
 選別思考 231

 土佐錦魚黒に当てはめてみると、灰系(普通色)、茶系(標準色)、銀系、青系、紫系、黒系(真っ黒)となる。
これが現在までの長い間を経ても、土佐錦魚に繋がっている可能性はあるのだろうか。
ところが、土佐錦魚で今まで見た事のある色は、例に挙げた全て登場している。そのなかで、近頃ほとんど見かけなくなったのは、紫系と青系だろう。銀系は希にみかける。
よく見られるのは、灰系(普通色)と、茶系(標準色)と、真っ黒系になっている。
銀系、青系、紫系は、目にした時期と出生を照らすと、のちに中国金魚を掛けてしまった可能性が高い。
 
2011.01.23(Sun)  土佐錦魚TOP
 1月22日
 
 選別思考 230

 はたしてどの辺りから、土佐錦魚の黒は始まったのだろう。
一番昔の可能性は、ナンキンの黒が影響を与えたのではないかと、思い浮かんでくる。
黒いナンキンが昔にはいたと言う。
そのナンキンの黒とはどんな黒だったのか。
見てみたかった。
その黒のもともとが、マルコを通して中国から伝わったとすることが考えられる。
中国金魚には真っ黒、灰系、銀系、青系、紫系、茶系と色々な黒がある。
果たして何れだったのだろう。
 
2011.01.22(Sat)  土佐錦魚TOP
 1月21日
 
 選別思考 229

 他の金魚なら褪色していた頃なのに、袋を開けたら黒ばっかり、なんだこれは売り物にならない、と思っただろう。
また、土佐錦魚は当歳から親のように尾が広がっているものと、普通土佐錦魚を知らない人は思っている。
大概は思い込みがこのような出来事を起こしている。
高知以外での土佐錦魚への認識はこんなもんだった。
一般的に、黒の扱いはそんなものだろう。
だが、土佐錦魚では優勝も出来る。
戦前も活躍していたと聞いている。
戦前としてもどの辺りからか、それは聞き漏らしてしまった。
 
2011.01.21(Fri)  土佐錦魚TOP
 1月20日
 
 選別思考 228

 但し、白に関しては、戦前もそうしていたかは定かでない。
おそらく、ナンキン系から大阪ランチュウ系へ移る過程でそうなったか。
或いは戦後、金魚屋さんで白が売れづらいから、そうなってしまったか。
何時しか、ナンキン系の輝く白が見られなくなった辺から、否定されだしてしまったのだろう。
白に比べると黒は優遇されていると言える。
土佐錦魚がまだ幻と言われていた頃、高知の金魚屋さんになんとかトサキンを分けてくれないかと、地方の同業者から頼みこまれて当歳魚を送ったところ、こんな黒いちんちくりんなのを送って来たと、悪口を言われた話しを聴いた事がある。
 
2011.01.20(Thu)  土佐錦魚TOP
 1月19日
 
 選別思考 227

 戦後の田村伝説の一節に、傾いて縁の欠けた丸鉢に、二歳の良い魚が居たと言う、続く田村さんの言葉は、いま黒が多いのは、その魚が良かったから多く卵を採った、とのことでした。
これは戦前から黒がかなり居たと言うことにもなる。
審査規定に黒も同等に審査するとあり、黒でもいっこうに差し支えない事を示している。
但しとして、形に於いて優劣附け難い時には、色付きを上位にする。
また、白は一段落とすとなっている。
純白でなくどこかに赤が点でもあれば、更紗として扱う。
 
2011.01.19(Wed)  土佐錦魚TOP
 1月18日
 
 選別思考 226

 絶滅の危機による土佐錦魚の減少
経済的危機による飼育、採卵の減少
血統の減少
錦の血統の減少
少数血統からの再出発
少数愛好家からの再出発
残存黒色良魚からの採卵
白色魚を嫌う習慣の強まり
錦への拘りの薄れ
錦の伝統の薄れ
錦と呼ぶ習慣の薄れ
通称の元となった錦の認識不足
通称からの金の導き
 
2011.01.18(Tue)  土佐錦魚TOP
 1月17日
 
 選別思考 225

*どうして戦争が錦を金に変てしまったのだろうか。
 戦争が左右してしまった事柄を、ここに列記してみる。
戦後、伝統とは何かと言う、修学の衰え、
戦後、伝統を引き継ぐと言う、無意識的責任感の薄まり、
戦後、伝統を支えていた芸術的感性の変化、
先達に従い習う意識、師への敬畏、自己謙遜の時代的変化、
個人主義的顕示の強まり、
社会的習慣の変化、
経済構造の変化、
愛好家の減少、
破壊による環境の悪化、
 
2011.01.17(Mon)  土佐錦魚TOP
 1月16日
 
 選別思考 224

 大阪ランチュウの錦模様がそのまま伝わった遠い昔から、小豆更紗に象徴される近い昔までの間に、大阪ランチュウの錦から土佐錦魚の錦へと、言わば錦が土佐錦魚化されて行った。
土佐錦魚化された錦がこんどは、近い現代までに土佐金魚化されてしまった。
土佐錦魚は錦化を意味しているが、土佐金魚は金魚化を意味しているのだろうか。
錦を捨てたのだろうか。
ただ忘れただけだろうか。
そこには、戦争と言う物事を大きく変えてしまう力が、魚と人間の双方へ働いていたことが伺える。
錦の文字が金に変わってしまった頃と、妙に符合している。
 
2011.01.16(Sun)  土佐錦魚TOP
 1月15日
 
 選別思考 223

 小豆更紗(鹿の子更紗)は、大阪ランチュウの立浪鹿の子、皇国錦、紅葉錦、竜田川、瀧紅葉の何れにも共通する鹿の子模様と、大阪ランチュウに詳しい人から教わっている。
初めは、大阪ランチュウの錦模様の伝わったままに、取り入れ呼んでいたと思えるが、あまりにも規制が厳し過ぎて、そのままでは使い切れなくなったと想像している。
大阪ランチュウの複雑な色模様を単純化し、小豆更紗を象徴として錦と呼ぶような事は、いかにも土佐人のしそうなことと受けとっている。
近い昔、錦と呼ばれていたのは小豆更紗(鹿の子更紗)だった。
その昔とは、戦後間もない頃まで続いていたと、年寄りの昔話から受けとれた。
 
2011.01.15(Sat)  土佐錦魚TOP
 1月14日
 
 選別思考 222

 この辺りにも、戦前と戦後の隔たりが浮き彫りにされている。
戦後再び盛り返そうとした頃でも、土佐錦魚の更紗は錦(ニシキ)と呼ばれる習慣がまだ残っていた。
更紗の中でも「これは錦だ」と言うように、誉め言葉としていたことが、年寄りの言葉から聴き取れた。
昔は更紗の中でも小豆更紗(鹿の子更紗)を特定して、錦と呼んでいたとも教わっている。
特定の更紗を錦(ニシキ)と呼んでいたことは、おそらく、大阪ランチュウから伝わったと思われる。
 
2011.01.14(Fri)  土佐錦魚TOP
 1月13日
 
 選別思考 221

 貴方だったら何れを、使いたいと思いますか。
使おうと思いますか。
使っていますか。
現在はどれでなくては不可ないと言うことはありません。
いずれを使うにしても、錦の成り立ちや金への成り行きを知った上で選択したほうが、信念をもっていずれかれ用いることができると思われます。
個人が使う分にはそれほど深刻な問題でもありませんが、会の名称や方針や公式文には、意識した方が良いと思うのですが。
 
2011.01.13(Thu)  土佐錦魚TOP
 1月12日
  
 選別思考 220

 貴方だったら何れを、使いたいと思いますか。
使おうと思いますか。
使っていますか。
現在はどれでなくては不可ないと言うことはありません。
いずれを使うにしても、錦の成り立ちや金への成り行きを知った上で選択したほうが、信念をもっていずれかを用いることができると思うのですが。
個人が使う分にはそれほど深刻な問題でもありません。
会の名称や会の方針や公式文には、意識した方が良いと思われます。
 
2011.01.12(Wed)  土佐錦魚TOP
 1月11日
 
 選別思考 219

 それは、土佐錦魚への誇りに通じている。
新しい会や文書に誇りを込めている。
片隅に置かれていた錦に気が付くと、すぐに復活へ歩み出すような動きはどうしておこるのだろう。
土佐金魚と言う金の字になってしまったのは、どうしてだろう。
*錦への拘りは、いつ失われたのだろうか。
全国普及した頃に用いられていた漢字は、
〔土佐金魚〕だった。
〔トサキン〕は通称だった。
〔トサキン〕を漢字で書くとき〔土佐金〕 で通用している。
〔トサキン〕を漢字で書くとき〔土佐金魚〕で通用している。
〔トサキン〕を漢字で書くとき〔土佐錦〕 で通用している。
〔トサキン〕を漢字で書くとき〔土佐錦魚〕で通用している。
〔トサキン〕で四つの漢字の読み方はどれも通用している。
 
2011.01.11(Tue)  土佐錦魚TOP
 1月10日
  
 おはよう
早めに階段登りを済ませて、足し水をして、蓋をシッカリ結わえて、水道管を凍らないようにしてから、荷造りをしなくては。
 
 魚へのする事は済んだ。
スキー場も昨日30センチ積ってベストの状況に。
昨日夜中に一月中の予約投稿も済んでしまった。
後は午後から荷造り。


 では、行ってきます。


 選別思考 218

 仮に、和金の少し尾の捲れた更紗を、土佐独自のものとして土佐錦魚の前身とした時、それをことさら取り立てて、錦の文字を採用するだろうか。
ワキンの尾の捲れた更紗に土佐の誇りを託すだろうか。
それとも尾の違いだけで、名古屋ヂキンに対抗する気だったのだろうか。
現在の土佐錦魚に、色模様への拘りと言うほどのものは感じられない。
だが、あちこちで出来た会や、文書には、錦の文字が使われ始めている。
それは、錦の誇りに何気なくでも気が付いたからではないだろうか。
なんとなく、錦の方が格好良く感じたのではないだろうか。
 
2011.01.10(Mon)  土佐錦魚TOP
 1月 9日
    
 おはよう
もう雪の心配はなくなった。
今日は、選別思考の出して行く分を再考することにした。

 池の修理を本格的にしなくてはと思いつつ、もう三年。
設備が限界に来て追いつめられたように、やっとやる気がでてきた。
スキーから帰って来たら始めるよう、材料を暮れに取り寄せておいた。
それでないと、また先延ばししてしまうから。
全力で楽しむスキーで鍛えたそのままで、作業へ突入するつもり。
順調に出来上がれば、設計が功を奏すれば、魚が一段良くなるはず。
今年は工事の年、そしてその改良の年になりそう。

 もう19時。
午前中は遅々として進まなかった選別思考の再考が、昼食後からはのめり込んでいた。
こんなふうに書けたのはいつ以来だろうか。
とうとう、出して行く分ができてしまった。
明日は予約しておくだけになった。

 後五分で24時。
考えが良く巡るような状態は、眠れないらしい。
目が冴えていっこうに眠りにつく気配さえない。
ならば、続きができるかどうか、またぞろ寝床から這い出して来た。


 選別思考 217

*ジキンの色模様
 これはナンキンや大阪ランチュウの錦が伝わる以前に、錦が土佐に伝わっていた事になり、既に錦が意味をもっていた事になる。その意味には誇りが感じられる。
土佐錦魚の前身は、ヂキンを思わせる尾をしていた。
現在、ヂキンの六鱗と名付けられている更紗模様(種)は、かつて錦と呼ばれていた可能性を否定できない。
そこに孔雀尾を思わせる尾と、錦を思わせる六鱗模様を以て、土佐錦魚の前身から、ヂキンの要素を取り払い和金の尾捲れ説のみを、土佐錦魚の前身とすることができない理由ともなっている。
 

2011.01.09(Sun)  土佐錦魚TOP
 1月 8日


 おはよう
昨日の七草粥がよかったのか、スッキリ目覚めた。
今日は体操から1日を始めることができそう。

 おそるおそる、体重計に乗ってみる。
増えている。
昨日はもっと恐くて乗れなかった。
脂肪率も。
標準体重へ戻すのは、スキーへ行ってからにしよう。
合宿のような規則正しい運動生活に任せよう。
東京に居る間は、楽しんでしまおう。
 

 選別思考 216

 さて、ナンキンから大阪ランチュウへの時の流れに符合したような、
その素晴らしい色模様に触れてみよう。
*土佐錦魚の前身の段階で、ジキンの色模様が取り入れられた
 とすれば、色模様は既に重要な要素となっていたことになる。
*ナンキンの輝く銀白色と紅に魅せられてのことなら、色模様
 はここでも重要な要素となっていた。
*大阪ランチュウの特化した色模様は、取り入れたいと思わず
 にいられない重要な要素となっている。
土佐錦魚の前身と分類した土佐錦魚には既に、錦の文字が採用されていた。
そこには錦への拘りが感じられる。
   
2011.01.08(Sat)  土佐錦魚TOP
 1月 7日
    
 おはよう

 昨日食べ過ぎて、起きた時には頭も体も重くて直ぐ寝床に逆戻り。
やっとキーボードを叩く気になって、またのこのこ起き出して来た。
この分では午前中おとなしくしているのだろう。

 午後から体操と階段登りをするつもりでいたが、最早できなかった。
このまま日を暮らしたら、だぼだぼになるのだろう。
でも1日の休養は、、、、と自分に言い訳をしている。
そんなことを考える日は、選別思考が今までになく進んでいる。


 選別思考 215

 むしろ挿しという意識そのものが生まれていなかった。
ランチュウを飼っている者から見て初めて、意識や疑問が浮かんできた。
それもランチュウが挿しているとハネだから、疑問となった。
それは、ランチュウ中心の狭い見方が生んだ疑問かも知れない。
かりに、流金が掛けられるまで挿していなかったとしても、流金が掛けられてからは、挿していれば歓迎された成り行きとなり、どの道問題は起こらない。
土佐錦魚は挿しているものとして、なんの疑問を抱かなかった土佐の感覚は、至極当然の次第となる。
 
2011.01.07(Fri)  土佐錦魚TOP
 1月 6日
    
 おはよう
今日から目覚ましをかけだした。
規則的生活へ、食生活も、飲生活も?

 4日に残りのおせちも食べ尽くし、ワインも飲み尽くして、やっと5日に野菜サラダを買って来て、今朝にはもう0.75キロ減っている。
去年はとうとう標準体重に落ちなかったけど、10日までには達成して出掛けたいのだが。

 野沢温泉スキー場は上から下まで十分滑走できるようになった。
標高差約1000メートル、滑走距離3500メートルのスカイラインコースも、まずまず。
4、5分ですっ飛ぶことを思うと、もうドキドキしている。

 冷え込みが心配でこの夜分に屋上へ上がると、既に丸鉢は凍り始めていた。
慌てて凍結防止の水抜きをして来た。


 選別思考 214

 次ぎに流金が掛けられてからの挿しは、どのように変化していたのだろうか。
流金には背鰭があるから、当然、挿しの可能性は大きくなる。
その頃までの土佐錦魚が挿していたとすれば、挿しの可能性は引き続くうえに増大する。
増して大きくなった尾を支えるには、挿している方が好都合となって、挿しを否定したり邪魔したりする理由はなくなってしまった。
すると、土佐錦魚の尾芯は、終始筒に挿していた事になる。
土佐錦魚は挿していなければハネとなり、挿しは常識化していたと言える。
  
2011.01.06(Thu)  土佐錦魚TOP
 1月 5日
     
 おはよう
スキー場ではこのところぼちぼち降っていたので、いつも滑っているゲレンデがやっと積って、滑走できるようになった。
もう一降りというところだが、行くまでには積ってくれるだろう。

 どうやら快調の様子、
階段登りが1000段では物足りなく感じて1100段やってもまだいけそう。
用心してそこで止めたが、息も切れていない。
終始鼻呼吸で済んでいる。
筋肉も心臓も整ったようだ。

 どうやら快調の様子。
選別思考も大分先きに進んでいる。
頭もスッキリしてきたのだろうか。
このまま進めば、2月に帰って来たとき直ぐ編集にかかれるだろう。


 選別思考 213

 その遺伝子が強く残る率は、ランチュウ型の背びれの無い綺麗な背の確率が、単純に上がった事を示している訳ではないと感じている。
ランチュウ型の表に現れない部分の遺伝子が、強くなっている可能性は高くなっているだろうが、むしろ、帆柱等背の奇形的な中間段階が増えたと推測している。
かつ、背鰭があって挿していない魚には、筒の奇形を伴っていた可能性が高くなっていたことも、推測できる。
それでも、その頃の土佐錦魚としての流れは、挿していたとすることができるだろう。
ここでも、大阪ランチュウが掛けられた頃の土佐錦魚を、挿していたとしておく。
 
2011.01.05(Wed)  土佐錦魚TOP
 1月 4日
   
 おはよう
もう4日、
あっという間に大晦日。

 スキーへ行く着替えを用意しているうちに、なんと、衣料の整理?大掃除?を始めてしまった。
何年ぶりだろう。
今日中に終わらせなくては、足の踏み場もない。

 アッサリ、16時過ぎには終わってしまった。
マスクはしていたが、ハウスダストのアレルギーはいずれ出てくるだろう。
後は空気清浄機の働きを待つのみ。
 今年から、おまじないを新しくしたので、それが効いて意欲が出て来たのだろうか。
仕事をしていた時には大晦日まで働いていた事が多く、年内に大掃除をする習慣がなかった。
新年が落ち着くとぼちぼちやっていた習慣が、意欲とともに出てきたのだろう。


 選別思考 212

 次ぎに大阪ランチュウが掛けられて、挿しはどのように変化していたのだろうか。
大阪ランチュウには背鰭がないから、当前、挿しの率は少なくなっただろう。
大阪ランチュウが掛けられても、土佐錦魚としては背鰭を有していたのだから、当然、挿していた土佐錦魚の率が少なくなっても、そのまま堅持されていたと考えられる。
だが重ねて背鰭の無い系統が掛けられたのだから、すでに隠されていた綺麗な背の遺伝子は、さらに強くなりながら隠され続けることになっただろう。
 
2011.01.04(Tue)  土佐錦魚TOP
 1月 3日
    
 おはよう
夜4時間、昼寝うとうと、
朝スッキリ、
体操、階段登り、
汗を流して、雑煮鱈腹、
1.5キロ肥る。

 箱根駅伝は毎回興奮させてくれる。
思わず声を出したり、応援したり、残念がったり、涙がにじんだり。

 初詣ついでにスキーへ行くための買い物。
ひさしぶりの人ごみに入り圧倒される。
帰ってウガイをすると喉がヒリつく。
菌も貰って来た模様。
明日朝もウガイをしっかりしなくては。


 選別思考 211

 やはり唐突だが、ここで推測が揺れているものの一つに、挿しの問題がある。
ワキン型は当然挿している。
次ぎにナンキンが掛けられて、挿しはどのように変化していたのだろうか。
ナンキンには背鰭がないから、当前、挿しの率は少ない。
土佐錦魚の前身にナンキンが掛けられて、背鰭を受け入れたのだから当然、挿しの可能性は大きくなる。
ここではその頃の土佐錦魚は、確立と必然性から挿していたとしておく。
  
2011.01.03(Mon)  土佐錦魚TOP
 1月 2日
  

 おはよう
昨日は日付が変わるまで書いていた。
今朝は夜明け前にスッキリ目が覚めた。
つい外に出て星を見上げてしまう。
そこで気が付く、屋上へは上がらないでいいのだ。
さ、体操と階段登り。

 とうとうスキーへ行けるまで書いてしまった。
もう日付が変わろうとしている。
駅伝を見ながらうとうとしているから、夜更かしできるのだろう。
明日は久しぶりに外へ出て、初詣でもしてくるか。


 選別思考 210

 ここでとり上げているナンキン型は、現在見ることができ、目に浮かべ易く、判断し易いナンキン型の象徴として、戦後型をあてはめている。
戦前までの高知では、ナンキンの旧型としたものと、大阪ランチュウの初期のものと、れっきとした大阪ランチュウの区別が曖昧だったと、おおいに想像できる。
戦後の高知でも、〝口の細い大阪ランチュウ〟という言葉が出て来ることで解るように、ナンキンと大阪ランチュウが、ハッキリと区別されていたかは判らず、また掛けられた頃に、確実な間隔をどの程度経ていたかはやはり曖昧となる。
その間隔は、土佐に伝来した時の差と言えるだろう。
おそらく、伝来した翌産卵期には掛けられていただろう。
 
2011.01.02(Sun)  土佐錦魚TOP

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