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3月31日
 
晴れ 早くも曇り 
    外   内   蓋掛
朝   3℃ 11℃  6℃ 一鉢だけ薄氷

おはよう
 冬はもう終わりにして欲しい。
平年の気温は最低が8℃、最高が15℃。
きょうは最高気温が平年並みの15℃になりそう。
早く最低気温も、せめて平年並みに
 これから、またお湯運び。

 3時間で終了。
中には気泡の痕がついているのがいた。
昨日の陽射しでなるぐらいギリギリの水だった事になる。
気持ち良さそうに餌をついばんでいる。
 

心の起源を読んでの比較 381

P 213 【もしかすると、そこに至るためには心の世界をもう一つ超えたせかいに入らねばならないのかも知れない。それは心の世界のなかにふたたび裂け目を見つけて、そこから超越者の世界へに入っていくことなのであろう。すでに私たち人類はそこへ入りかけているようにもみえる。遠い昔から人類は何らかのかたちの超越者をもっていた。これは他の動物にはみられなかったことである。もっとも未開の人類にも、もっと古い人類にもその痕跡が見られるという。人類に他の動物と違った点があるとすれば、それは火をつかうというようなことよりも、超越者をもったということではないだろうか。】 

 高度な中枢神経系を持ったから心を得て、他の生物を超越したかに思えたが。今度はただの心でなく、さらに高度な心生んで超越者になったのだろうか。
それとも一気に、心を以てその心の上の階層に上がってしまった人間のことを言っているのだろうか。
 ここでの超越者とは、教祖的人間のことだろうか。
そうとすると、キリストを前後数百年隔てて驚異の人が登場している。
その辺りの時代では、心が最も必要とされる環境にあった、と察する。
その驚異人の心でさえ、生命のさがにはあがないきれなかった。
その後は数百年が三回も通り過ぎたが、驚異の人は再びあらわれていない。
それは命の突き進む力が押し切ったのか。
心の働きがあきらめたのか。
知識に委ねたのか。
科学に委ねたのか。
 
2010.03.31(Wed)  土佐錦魚TOP
3月30日
 
晴れ
    外   内   蓋掛
朝   2℃  8℃  4℃ 氷厚12ミリ

おはよう
 とうとう8℃まで下がってしまった。
彼岸が過ぎて、花が咲いて、こんなに凍ったのは初めてだろう。
これで産卵が遅れてもしかたない。が、努力は尽くしてみよう。

 今日の晴れと明日からの春再開で、明朝の水替えと餌やりが決まった。
さあ、忙しくなるぞ。
世話が終わったら、花見も始まる。
産卵するまでの間、花見三昧だ。
 

心の起源を読んでの比較 380

愛を考えればより深みにはまって行く。
愛は考えるものでなく感じるものだから。
感じる愛をどうやって表現するのか、考えれば出来るのか。

(どうやって人間の愛や心の表現ができあがるのか。
大脳(複雑さ)が心の意識を生むのか、
意識としての心を表現するのか。
情報の扱いの上手さ。経験ー記憶ー情報、知識
脳は自己の経験情報のほかに知識情報を得ることができる。
意識、知識の高まりが心として現れる。)

 空しい、いくら脳を考えても、精神活動を考えても、空しい。
愛や心は感じ、受け止め、衝動するもの。
だが、それは、精神活動の以前なのか、以後なのか。
当然、以前に決まっている。
だから、人間だけでなくすべての生物に心はある。
すると、心とともに精神活動がある生物には、
心に精神活動が加わったものからは、
精神活動の後となるものは生まれていないのか。
 
2010.03.30(Tue)  土佐錦魚TOP
3月29日
 
曇り降ったり止んだり午後薄日のち雨 夜冷たい風
    外   内   蓋掛
朝   4℃ 10℃  6℃

おはよう
 やっと10℃。
明日は凍るようと言う。
水道管凍結防止を解いてしまったのでまたしなくては。
これでは、水替えも餌やりも31日からか。


心の起源を読んでの比較 379

 愛は心と同じように様々な言葉に付けられている。
自己愛、親子愛、兄弟愛、家族愛、、、、、人類愛、、、、博愛。
宗教観によっても違ってくる。
神の元に有る愛、、、、、恋愛、、、、、、情,,,、、、好意。
神が説く愛、人が説く愛、説く必要の無い「愛」。
【】は愛を言い出しかねていた。
それはどの愛を指すのだろう。
最後に説かなくてはならないのなら、人の説く愛だろうか。
すると、もしかすると、愛も危険なものかもしれない。
 心は高度な中枢神経系から生まれている。
確立の必要な愛も、高度な中枢神経系から生まれているとするほかないだろう。
心は確立しているが完成していない。と言っているように受け取れるが、はたしてそうなのか。愛は確立さえも。
【私たちは心の世界をほとんど理解していない】
心の世界だけでなく、当然、心も理解していない。
愛の確立どころか、愛も理解していない。
感じているが理解していないから確立できない。
 
2010.03.29(Mon)  土佐錦魚TOP
3月28日

曇り
    外   内   蓋掛
朝   6℃ 12℃  7℃

おはよう
 冷たい北風が吹いている。
内は12℃を保ってくれたので、軽く安心。
最高に濁った水が、働いているのだろう。
明後日からは、いつ水替えするかに気を使うようだ。


心の起源を読んでの比較 378

P 212~213 【しかし、心をもったことから生ずるかも知れない危険は、これもすべてとり去られたわけではない。以前にもふれたことであるが、必ずや滅び去るべき生物体のなかに、滅びることを肯んじない心が生まれ、しかも心自身がそれを知ってしまったことも、思わざる危険の一つであろう。私たちはまだ心の進化の過程の途上にあるとみなければならない。心が完成したすがたをもつに至までには、まだまだいくつもの試練をへなければならないはずである。おそらくその試練の一つとして、愛というものの確立があるのだと思う。】

 人間が完成したものとなったら、心も完成するのだろう。
それは人間から心が生まれているから。
 だが、心とは完成するものだろうか。
無形の有機体だから。
本当に有機体なのだろうか。
意識にのぼったのが心だろうか。
有機体でないなら無機体?。有機体とか無機体とかに定めることが出来るもの。能力は有機体?無機体?。精神活動は。
心って滅びることを嫌がるものなの。心って自分自身を知ることが出来るの。
自分自身が心を知ることが出来るの。
心って危険なものなの。愛って確立できるものなの。
 愛を確立するより命の我がままを抑えれば、自然に愛は浮き上がってくる。
命を抑えるには愛が必要なようだが。
 利己愛は命の愛と言える。
自己愛から始まり、自己愛は異性愛への始まり? 異性愛は母性愛への始まり?母性愛は博愛への始まり?
 恋愛はなんの始まり?
 
2010.03.28(Sun)  土佐錦魚TOP
3月27日
 
曇りのち晴れ
    外   内   蓋掛
朝   4℃ 10℃  6℃

おはよう
 肌寒い日が続く、花見気分がもう一つ盛り上がらない。
今日は少し与える事にして、明日は与えない事になるだろう。

 今日の陽射しは水温を上げてくれるまでになってくれた。
少しならば餌を与えても支障がでないだろう。
明日は、本来なら、魚を見える状態にしておきたいのだが、
この冷えが終わる31日まで持ち越すようか。
そこまで水が保つかが問題になって来るが、できればそうして、
替えたら一気に産卵へもって行くようだろう。


心の起源を読んでの比較 377

愛はどこから生まれるのか。
何から生まれるのか。
やはり人間だけなのか。
高度な中枢神経系がないと、愛は生まれないのか。
高度な中枢神経系がないと、愛がないただ生きているだけの生物になってしまうのか。
それとも愛は全生物にあまねく存在するのか。
愛は精神活動なのか。心理学があるなら愛理学があってもいいように思える。
愛はどこにあるのか。
愛も心と同じように、脳の神経細胞の間にあるのか。ときめく胸にあるのか。
愛はどんな形なのか。
愛は与えたりもらったりできる。心もそうできるのか。
愛には世界があるのか。
愛の世界は何が造っているのか。
愛の世界は何を創っているのか。
それは心と同じことが繰り返されてしまう。
心が愛を育んでいると言う人もいるだろう。
愛が心を造っていると言う人もいるだろう。
 
2010.03.27(Sat)  土佐錦魚TOP
3月26日
 
曇り、時折晴れ間、夕方雨
    外   内   蓋掛
朝   5℃ 10℃  6℃

おはよう
 なんとかギリギリ10℃を保ってくれた。
濁って魚が見えなくなっているのが、救いになってくれていれば。
それでもやっぱりタマゴへの影響が気がかり、今日からは本格的に産卵への調整に掛かる。

 今日も餌を与える事はしなかった。
もう少しの間、朝の冷えを考慮し水替えをしないので、餌の量も少なめになる。
今度暖かくなりるとき、25℃、30℃ともって行く事になりそう。


心の起源を読んでの比較 376

 高度な中枢神経系が判断と選択という機能をもったために、陥った心を、高度な中枢神経系が救ったのだろうか。
 高度な中枢神経系が判断と選択という機能をもったために、陥った高度な中枢神経系を、心が救ったのだろうか。
 心を高度な中枢神経系の単なる現象と捉えるか、
 心を命と同じく生物誕生の原動力と捉えるか、
どちらを踏まえるかで本末転倒がまた始まってしまう。
【心というものはもともと危険なものとして登場してきたものであった。】
この言葉は格好付け過ぎている。
少年が過渡期に悪ぶって見せる餓鬼っぽさに思えてくる。
心は人間が持ち得た最高のものとしたり、干からびたとか、危険だとか、散々こき下ろしておきながら、潤いをもたらすのは愛と言うのか。
愛を心とまったく別物として持ち出してしまうと、また大問題が生じてしまう。
愛の起源と言う本がまたできてしまう。
 
2010.03.26(Fri)  土佐錦魚TOP
3月25日
 

    外   内   蓋掛
朝   3℃ 10℃  6℃

おはよう
 冬に逆戻り、冷たい雨に温度を測っているだけで手がかじかむ。
今日は内も絶食。10度以下には下げたくないのだが。


心の起源を読んでの比較 375

P 212 つづき【たが、いままでとり上げた前提からは、そこまで思索を深めることはできなかった。ここであつかった要因には、まだ欠けていたものがあるのかも知れない。いまはつぎのようにだけいっておきたい。こころがはじめてあらわれたとき、それが判断と選択という機能をもったために、生物は大きな危機に陥ったことはいぜんに述べたことがある。心というものはもともと危険なものとして登場してきたものであった。このときの危機は反射行動を心のはたらきから切り離すことと、快感という感覚の導入によって本能行動を維持させることの二つによって、たまたま救われることになった。】

 ここに至っても神経の役目のおさらいをしている。
反射中枢系が司る無意識的、生命的で、精神活動を伴わない反射を切り捨てたことをもって高度な中枢神経系と言っている。
快感という感覚の導入によって本能行動を維持させるとは、なんか刺激的。
高度な中枢神経系が、判断と選択という機能をもったために、大きな危機に陥り、危険なものとして登場した。
それを、ミミズのような反射中枢を心の働きから切り離し、快感的本能行動を維持させたたから、人間は今に到ったのか。
今の精神活動に心は至ったのだろうか。
心は、精神活動や意識活動に到ることで、心になり得たのか。 
このおさらいを再び済ませた心から、その心が見えて来たら、不思議な精神活動に陥るのではないだろうか。
 到底〔〕の至ることのできない境地となる。
ここまでくると〔〕の感じるなんてものより遥かに感覚的で科学的ではなくなる。
【】は自己感じの世界に浸っている。
 
2010.03.25(Thu)  土佐錦魚TOP
3月24日
 
やみ間また雨
    外   内   蓋掛
朝   9℃ 14℃ 10℃

おはよう
 最低水温がやっと8度以上になったと思ったら、これから昼間の方が下がるとか。と言う事は、お日様が出ないということか。

 この冷えを、ちょっと歓迎している、ような感じをもっている。
内の魚が今にも産みそうな気配をしているからだ。
早くても月末から月初めに産むのなら、採卵するだろう。
でないと、花見をすることができなくなってしまう。


心の起源を読んでの比較 374

P 212 愛について
 【ここまで考えつづけてきて、私たちは裸のまま砂漠のなかに置き去りにされながら、本書では到頭その言葉をいい出すことができなかった。その言葉とは「愛」である。愛こそは干からびた心の世界に潤いをもたらす唯一の救いであるのかもしれない。自我と他者との問題をとり上げている哲学者の多くが、究極の掬いを愛に(それはさまざまなよび名でよばれるが)求めているのは、十分に理由のあることと思う。】

 可哀相に【】の心の世界は干からびてしまったようだ。
心は生物の根底にいつも流れていると〔〕は言っている。
それほど潤いがあるものなのに。
心の世界って、愛を育んでいる世界かも知れないのに。
精神活動的心だったら、干からびても仕方がないが。
 心を探し始めたら何時見つかるか解らない。
愛も同じように、論じ始めたら幾千年の歴史をもつだろう。
 でも、愛は心に後押しされていることだけは感じとれる。
愛は、利己愛と紛らわしい自己愛から始まり、母性愛から生物の中で進化を遂げるようになった。
念のために、愛は生物の中に在っても体とともに進化はしない。
進化した生物の状態で愛の表現が変わって行くだけだ。
むしろ、生物の進化とともに薄まって行ったのかもしれない。
自己に近いか他に近いかによって、自己愛から博愛へとならざるをえない。
 でも自己愛から離れた愛は、命に後押しされていないことだけは感じとれる。
【発展の道を突き進むほかない】と考えさせるのは命でしかないと感じられる。
 
2010.03.24(Wed)  土佐錦魚TOP
3月23日
 
曇りときどき薄日夕方雨
    外   内   蓋掛
朝   7℃ 13℃  9℃

おはよう
 外の最低水温がなかなか8度にならない。
花冷えは月末まで続くよう。その頃に内の魚のタマゴは最高に成熟していそう。


心の起源を読んでの比較 373

P 211つづき【それを困難にしているものは何か。それはこれまで幾度もなく繰り返して述べてきたとおり、心の世界の規範則を見いだすのもまた心以外にはないことであろう。ダーウィンが生物世界の規範則を見いだし得たのは、生物世界を超え出た立場で生物世界をみたからであったとすると、心の世界についてもそれを超えない限り、その規範則は見いだし得ないであろうが、心が心を超えることは果たして可能だろうか。】

 高見だったり、階層だったり、超えたり、突き進んだり、発展し過ぎではないだろうか。
少し落ち着いてみたり、戻ってみたりしてもいいのじゃないか。
ダーウィンは経験を通して感じた。
ダーウィンは経験をハシゴにして上り詰めて超えたのではない。
感じたことを元にしてむしろ、生物の中へ潜り込んだから生物がよく見えて来た。
それはダーウィン自身も本来の生物として目覚め、生物として見開いたからだ。
生物世界を超えた立場から生物を見下ろしての判断ではない。
 ダーウィンはある時ふと気づいた。
これには訳がるのでは、と。
気づきは閃きとなって現れて来た。
事象や論理はその閃きを確証するかように、後を逐って来た。
確証は新たな気づきへと展開した。
 現代の生物学者も心を感じて、そのなかに潜り込んでみれば案外、一つ上の階層の世界を見開くかも知れない。
心は人間の脳細胞の間で働いているのか。
心は高度な中枢神経系が造ったのか。
心は人間しか司れないものか。
心はあまねく全生物に存在しないものかどうか、
見えてくるだろう。
 
2010.03.23(Tue)  土佐錦魚TOP
3月22日
 
晴れ
    外   内   蓋掛
朝   3℃ 13℃  9℃

おはよう
 風がおさまり、晴れて冷たい空気になっている。
蓋掛けとの差が大きくなっているのは、明け方急に冷えたからか。


心の起源を読んでの比較 372

 【その規範則とはおそらく意志の自由に束縛を加えながら、】
意志の自由とは、〔〕の言う生命の意志を言っているとも受けとれる。
 【その規範則とはおそらく意志の自由に束縛を加えながら、】
規範則とは、〔〕の言う生心の意志を言っているとも受けとれる。
 【より大きな心の世界を開いてゆくものであろう。】
より大きな心の世界とは、〔〕の言う心の意志を言っているとも受けとれる。
 だが、【より大きな心の世界を開いてゆくものであろう。】とは、
人間が生んだ心の世界(精神活動の世界)より【より大きな心の世界】になるとは、超越者の世界とも受けとれる。
人間が超人間(超越者)になることとも受けとれる。
超人間(超越者)が生む心の世界とは、どんな【より大きな心の世界】になるのだろうか。
それとも【より大きな心の世界】という一つ上の階層に、超人間(超越者)が誕生するのだろうか。
 生物の規範則に人間も則っているはず。
その人間が造った心の規範則とはやはり、人間が造るか、もしくは心が創るのではないだろうか。
心が精神活動ならば精神活動が創ることになる。
精神活動、もしくは、心がお手盛りで創るのか、
それとも、もっと別の次元のより大きなものが創るのか。
【より大きな心の世界を開いてゆくものであろう。】とは、精神活動的心が創ったり、達したり、することではなく、【より大きな心の世界】を知る、感じる、学ぶ、そして添うことを、【】は暗示されているのではないだろうか。
精神活動的心では、いくら叡智を養っても【心の世界をみることができない】っと、うすうす感づいている。
だから【私たちの心のなかで、心の世界がまだ確率されていない】っと、精神活動的心の限界を感じている。
 
2010.03.22(Mon)  土佐錦魚TOP
3月21日
 
春の嵐 雨も降って来た のち晴れ
    外   内   蓋
朝  15℃ 19℃ 15℃

おはよう
 昨日丸鉢の水位を満タンにしておいたが、6センチほど吹き飛んでいた。
今まで経験した中でもこれ程強い風はあまりない。
 風が枕元の窓を叩くので一晩中眠れなかった。

 風がおさまって来て、陽が射して来たが、前線が過ぎた時の小康状態だろう。
普通なら冬型になり寒くなって来るのだが、あの強風が吹き込んだ暖かな空気は、冬型に吹き変わる風を、どうするのだろうか。
錦魚が心配なくなったので、変な楽しみ方をしている。

 また風が唸り出したら、北風に変わっていた。
やはり明日は冷えそうだ。
外の籠り明けは彼岸過ぎ、桜の花が咲く頃にこちらも、やはり、そうなりそう。


心の起源を読んでの比較 371

P 211 【しかし、私たちは心の世界の自己矛盾を見つめ、意志の自由にまで考えを進めてきて、その先にあるはずの規範則をまだ見いだせずにいる。その規範則は、ちょうど自然淘汰則が生物世界に対する規範則であり、生物世界をして生物世界とたらしめているというのと同じ意味で、心の世界をして心の世界たらしめるはずの規範則である。その規範則とはおそらく意志の自由に束縛を加えながら、より大きな心の世界を開いてゆくものであろう。しかし心の世界では、この重要なほどに意味をもった規範則をまだ見いだせずにいる。したがって、私たちは生物世界をみるようには、心の世界をみることができない。それは私たちの心のなかで、心の世界がまだ確率されていないということである。】

 【心のなかで】の心は精神活動の心と受け取れる。
だが【心の世界がまだ確率されていない】心の世界は、精神活動の心の世界とは違うそれよりもう一つ上の階層の世界と感じられる。
それは、心が突き進み発展した末にもう一つ上の階層の心の世界へ到達したとき、精神活動にも生心が現れるようになるのだろう。
 だが〔〕の心は、精神活動による一つ上の規範則を必要としていない。
生心は生命と同じように生物として存在している。
生物世界の規範則が自然淘汰であるなら、命と心の働くところは生物なのだから、生物の規範則が命にも心にも共通しているものとなる。
心の規範則と命の規範則を別々に定めようとするから、ややこしくなる。
生物としての規範則でいいじゃないか。生心が規範則なのだから。
 
2010.03.21(Sun)  土佐錦魚TOP
3月20日
 
晴れ
    外   内   蓋掛
朝   6℃ 12℃  8℃

おはよう
 お湯運びから早速始めます。
温室を保温していると置き水より2℃か3度ほど差がついてしまう。
無理をして始めているが、いつ頃までお湯運びが続くのだろう。


心の起源を読んでの比較 370

P 210 心の世界の規範則を求めて
 【ダーウィンが自然淘汰による進化を提唱したことの意義は、それが発表された当時に騒がれたようにヒトとサルとが共通の祖先をもつということよりも、(内略)生物世界には物質世界にはなかった規範則が存在することを見いだした方がはるかに重要であって、これによって物質世界のなかに生物世界がはじめて確立されたという点がもっと協調されてよいと思う。】

 宗教や哲学が古代から求め止まなかった問題の一部が、求めざる方向ながらダーウィンによって科学と結びつくことが出来た。
結びつけたという点が、素数の問題式の一部が物理の式と共通していたことに似ている。
だが、教会が地動説を認めたのは数十年前、神が万物を造ったのではいないと認めたとは、未だ聞いていない。
それを確立されたのは後の科学の世界であったにしても、ダーウィンの時代に、神の世界をもとにした神より遥か下の階層社会に、科学のメスが入ったことは確かだ。
だが、そこから流れた血は奴隷の血だった。
 【これによって物質世界のなかに生物世界がはじめて確立された】
物質世界のなかに生物世界があることをあらためて言っている。
〔〕が言っていることと似た言い方がまた出てきた。
ダーウィンは物質世界のなかに生物世界を確立しよう、と思ってしなかったにしても、後の生物学者にそう思わせる基を確立したことは確かな成果と言える。
 だが、ダーウィンは神の世界のなかにあって、生物世界を確立した。
 
2010.03.20(Sat)  土佐錦魚TOP
3月19日
 
曇りのち晴れ
    外   内   蓋掛
朝   6℃ 12℃  8℃

おはよう
 寝坊してしまいました。
なんで寝坊したのか。考えて、自分ながら笑ってしまいました。
昨日は焼酎を試してみたら、香りがほとんど無い。
お茶割と聞いていたので試すと、なんとか飲める。
飲み終わると眠くなる。
12時に目が覚めて、眠れない。
お茶とアルコールの覚醒作用が重なって5時。
起きようと思ったら、いつの間にか眠っていた。
目が覚めたのが6時半、良く目が覚めたものだ。

 スッカリ水が濃くなってしまった。
この分ではそのままにして置くと、明日には気泡病になってしまいそう。
明日水換えのために、今、置き水にヒーターを入れて来た。


心の起源を読んでの比較 369

P 209【それはつまり、私たち自身は生物としては完成していないが、それと同時に完成した心をもっていないこと、生物としても心としても今後なお進化しつづけねばならぬ運命を背負っていること、しかもその両者がつねに発展をつづけていない限り滅び去る存在であることを示している。そのとき、生物世界と心の世界とのあいだに性格の差異があることからくるものももちろんあるが、それよりも、私たちがいずれの世界をも十分に理解していないことからくるものの方が大きい。ことに心の世界については、そのことが一層顕著であるようにみえる。私たちは心の世界をほとんど理解していないし、迂闊にもそのことにほとんど気づいていない。】

 【自己矛盾はどこまでいっても矛盾であり、】としているが、どうしてだろうとかしげてしまう。実際には生物に矛盾は存在していない。
今後なお進化しつづける完成していない生物と心としては、矛盾があってはこの先が辛くなる。意識していなくとも到達点へ向かっているのだから、矛盾があっては困る。
 【しかもその両者がつねに発展をつづけていない限り滅び去る存在であることを示している。】
 その両者がつねに発展をつづけていない生物を生きた化石としたら、どうなるのだろう。最も人間以外にそのようなものがあっても、心が無いただ生きているだけの生物だから、問題外かも知れない。
 【私たちは心の世界をほとんど理解していない】 同感。
でも、それは永遠に理解出来ないだろう。それを知識で理解しようとしていることもあるが、〔〕は理解できなくていいものと思っている。
ただ、知ること意識することは必要だろう。
知ることによって、〔〕を含めた人間が不遜なものと知ることができるからだ。
 
2010.03.19(Fri)  土佐錦魚TOP
3月18日
 
晴れ 夜中雨
    外   内   蓋掛
朝   4℃ 12℃  8℃

おはよう
 冬の冷たさは明日までか。
温室内は餌を与えているので、10℃を保ちたいのだが。

 先日水替えしてから5日、餌を与え、水温が10℃以上だと濁りが早い。
冷えが一段落する頃、また替えるようだろう。


心の起源を読んでの比較 368

 【かくして有形の生物も、無形の心も、有機体である限り完成することのない発展の道を突き進むほかない。】

 その突き進む道のりが発展の道かは別問題でないだろうか。
生命力によって突き進む道は破滅へと繋がっているかも知れない。発展とはきめられない。
ただ突き進もうとする命を禁める心を無形に留めず、果てなき働きとして「心」したとき、人間の進む道が見えてくる。
心を神経系の産物として突き進む道に混ぜてしまうと、どうにも収まりがつかなくなってしまう。完成どころか、破滅への道と繋がって行く。
それは、【】が求め止まずして手の届かなかった心の規範則の一端ではないだろうか。
 突き進もうとする発展は、人間が開発として行って来たこととよく似ている。
人間の発展のための開発は、人間以外の発展とはならず、むしろ他の発展や他の生存すら脅かすものとなっている。
 例え、人間が自己的内部の発展の道を模索し求めているにしても、そこに関わるものの犠牲はなくならないだろう。
 突き進むほかない発展の道とはなにか、なにによるものなのか、
科学の分野に限らず、突き進む前にこころすべきことではないだろうか。

“生命は生者必滅”
“生心は勝者必滅”
 
2010.03.18(Thu)  土佐錦魚TOP
3月17日
 
曇りのち晴れ
    外   内   蓋
朝   6℃ 14℃ 10℃

おはよう
 風邪が冷たく吹いて、3月の気温に戻った。
温室は昨日早く閉めたので保っているが、蓋掛けが10℃を保ったのに3月を感じる。

 今日、日の出と日の入りの時間が同じになった。
明日から彼岸の入り、
春は、彼岸入りの前の日に昼と夜が同じになる。
秋は、彼岸明けの次の日に昼と夜が同じになる。


心の起源を読んでの比較 367

生命は生体として有形で、命としては無形、
生心は生体として有形で、心としては無形、
物質は生体として有機で、物質としては無機、
有機質は生(生とは命と心)が関与した物質、
無機質は生(生とは命と心)が関与していない物質、
“生(生とは命と心)が関与した物質”を単なる有機質とは分けて“生質”と言い変えたいのだが。
例えば、霊とは生体から離れている生命と生心の表現。
例えば、魂とは生体に存在している生命と生心の表現。
墓へ向かい霊に手を合わせ、会話をし、死後の関係としている。
いまは、朽ちてしまった体とは関係を絶っている。
 芸術家の作品との対峙は、生体以外の物質へ己の生命と生心を込める戦いとなっている。
精魂と表現されるものの放出は、度合いによって寿命を縮めるものとなる。
 
2010.03.17(Wed)  土佐錦魚TOP
3月16日
 
曇りのち晴れのち曇り
    外   内   蓋
朝  13℃ 17℃ 14℃

おはよう
 強い風も雨も止んでいた。
暖かいモワッとした空気、なにか普通ではない。

 空を覆っていたのは雲だったのか。明るくなるに連れて空も青くなって来た。
三寒四温、明日から三日ほど平年ほどに冷えるとか、平年が冷える事になるのは、妙に暖かいと言うこと?
そのあとに彼岸がくる。最低気温が落ち着くと外にも目覚めが訪れる。


心の起源を読んでの比較 366

P 209【生物は有形の、心は無形の有機体であって、ともに体系のなかに自己矛盾を生じたことを契機として、その矛盾を取り繕うべくつぎつぎと体系を継ぎ足していった。それが有機体というものの運命である。しかし、自己矛盾はどこまでいっても矛盾であり、矛盾を取り繕うという作業には果てしがない。有機体はつねに矛盾をかかえつづけながら、しかもつねに取り繕いつづけなければならないという運命を背負っている。いまのままにとどまることはできない。それは有機体の終焉である。取り繕いを止めるわけにはいかない。それもまた有機体の終焉である。かくして有形の生物も、無形の心も、有機体である限り完成することのない発展の道を突き進むほかない。】

 物質の進化的発想と重なってくる。
ただの石ころだと通り過ぎるようだが、原子や電子が見えたら、石ころも生命と感じるかも知れない。
細かくなったり複雑になって、物質が生き物のように誕生したかも知れない。
誕生した物質はせわしなく動き回り、より複雑に進化して行った。
もう、どうにも止まらない。
常に進んでいることやその動きは科学で解き明かすことができる。
が、なんでそうしなくてはならないかは、科学で触れたがらない。
有形無形の有機体がなぜ完成形を求めているのかは、科学で解き明かさない。
 人間が究極の生物ならすべての生物が人間を目指しても不思議はない。
それが何故、猿やハチやミミズや植物に留まったままでいるのかを、科学で証明した科学者はいない。
 いや、猿やハチやミミズや植物は留まっている訳ではない。
人間は人間だけが進んできた。そんな見方がいつの間にか身に付いていた。
意識しないとそれぞれがそれぞれの先端と言うことに、気が付かない。
 
2010.03.16(Tue)  土佐錦魚TOP
3月15日
 
曇り
    外   内   蓋
朝   7℃ 13℃ 10℃

おはよう
 春にしては続いた晴れも昨日で終わったが、引き続いて気温は高く、餌を与え出してからの好都合となっている。

 投函して来ました。
到着をお待ち下さい。
郵便局へ行くついでに、会場周りへ今年の挨拶をしてきました。
さ、今期の始まりです。


心の起源を読んでの比較 365

 物質世界と生物世界は目に見える。捉えやすい。同じ次元とも捉えやすい。
すると双方の一つ下の階層は、生物世界は命の世界であって、物質世界は、原子の世界になるのか。
物質を形作る以前のエネルギーの世界となるのか。
命がエネルギー体とするなら、当然、物質を形作る以前のエネルギーの世界となるだろう。
心の世界もエネルギーの世界と言えるのではないだろうか。
でないと、心の世界だけどっち付かずの宙ぶらりんになってしまう。
 心の世界は目に見えない。捉えにくい。でも考えられる。
生物が考えたから、生物が創り、生物と同次元と思ってしまう。
考える生物が誕生した時には、物質も生物もそこに在った。
考える生物は考える度にそこには何かあると知った。それを心と名付けた。
考える生物は自分の前に物質があり自分の後に心があると感じて、考える生物だけが、心を手にしたと思った。
そこに、物質世界、生物世界、心の世界という設定が浮かび上がる。
生物世界中心の設定がなされてしまう。
人間主体の設定がなされてしまう。
 
2010.03.15(Mon)  土佐錦魚TOP
3月14日
 
晴れ
    外   内   蓋
朝   6℃ 14℃ 10℃

おはよう
 空気はヒヤッとしているのに、保温のところは昨日の温もりが残っている。
風が治まっているせいだろうか。

 窓からの陽射しが柔らかく暖かく、
製本のホッチキスを叩く金槌の音まで、固く響かない。
がちゃんがちゃん、とんとんとん、音がひらがなになってゆく。

 製本終わりました。
明日送る予定です。相変わらず手作りのためどこか間が抜けているけど、どうぞ、ご期待下さい。


心の起源を読んでの比較 364

 ところが【】は、物質世界、生物世界、心の世界の三つを同じ階層にしてしまっている。
すると、矛盾が生じてしまう。
心の世界は、実際人間にしか生まれていないとしているからだ。
すると、生物世界と心の世界の間に人間世界が入らないと、心の世界は成立しない。心の世界を生むことができるのは、実質人間だけとなっている。
すると、物質世界、生命世界を含む生物世界、人間世界、心の世界を同じ階層、或いは同じ次元に含めていよいのだろうか。
生物世界へ生命世界を自明の理のように含めてしまっているように、
心の世界へ人間世界を含めてしまっているのだろうか。
それとも、人間世界へ心の世界を含めているのだろうか。
人間が心の世界を生んだとしているのだから。
この含め方は〔〕の見方からまた逆となってしまった。
生命世界なくしては生物世界は誕生しない。
人間が造ったとされる心の世界は、人間なくしては存在しない。
だが【】はここで、【ことに生命と心とは共に有機体としての独立性をもって】と、独立性を強調している。生命と心を同じ次元で扱っている。
人間から心を、生物から生命を抽出して同じ次元で扱っている。
これでは、〔〕の言っていることと変わりなくなってしまう。
 
2010.03.14(Sun)  土佐錦魚TOP
3月13日
 
晴れ風強し
    外   内   蓋掛
朝   8℃ 13℃  10℃

おはよう
 溜水はヒーター400ワット入れて11℃。
これからお湯運び、その差2℃だからこの間よりは簡単。

 2時間で終了。餌を与えて来た。
体を動かすことは実に気持ちがいい。
朝食が美味しいだろう。
 
 印刷が終了しました。
明日製本です。
この分なら明後日、月曜には郵便局へ行けるかも。


心の起源を読んでの比較 363

P 208 心の未来への期待 心の世界はまだ進化する
 前文略【私たちは単なる物質ではなく、また単なる生物でもなく、心を持った存在であることはこれまでの議論で確かめられた。しかしまた同時に、私たち自身のなかで物質世界、生物世界、心の世界の三つが互いに相克し、私たちを困難に陥れていることも明らかになった。ことに生命と心とは共に有機体としての独立性をもって発展しつづけるという事情は、その相克を一層はなはだしくしているようにみえる。】

 ここでも共通する言葉が出てきた。
【ことに生命と心とは共に有機体としての独立性をもって発展しつづける】
【】と〔〕の生命と心の定義は違っていても、働きのようなものや在り方は似た表現となってきた。
 ところが、【】は生命世界の位置付けをもっていない。
当然生命世界は、生物世界に含まれているか、同義としてしまっているのだろう。
だが、いろいろな世界を創設しているのに生命世界はなぜ設けないのだろう。
どうして、生命世界の位置付けを怠っているのだろう。
それなのに、【生命と心とは共に有機体として】その存在を同等に活用しながら、生命世界だけは生物世界へ含めてしまっている。
そして、生物世界が後から造った心の世界だけは生命世界から独立させている。生命世界が生物世界を出現させたもとの一つではないだろうか。
生命世界の位置付けを【】の階層という言葉を借りれば、、生命世界と生物世界は階層が違うことになる。
生命世界は生物世界の一つ下の階層となる。
心の世界は生物世界の一つ上の階層となる。
物質世界×(生命世界+生物世界)=心の世界
とにかく、心の世界と言うものを生物世界から如何に抽出するかの苦悩と言える。
 
2010.03.13(Sat)  土佐錦魚TOP
3月12日
  
晴れ
    外   内   蓋掛
朝   4℃ 11℃  7℃

 おはよう
(内)温室は閉めていると昼間温まれば、朝10度を保てるようになるようだ。
来週半ばにはまた冷えるだろうが、少し無理して始めることにしよう。

 前回水替えした時には曇りが付いていた鉢が数個あったが、今日顔を出した魚では消えていた。活動体制に入ったとしていいだろう。
 今、溜水にヒーターを入れて来た。明日水換えだ。

 コピーも直って、手数が掛かるページだけ残して、ほぼ出来た。
明日は午前中水替えだが、明日中には印刷は終わるはず。
製本は一日で。
来週には発送できそう。


心の起源を読んでの比較 362

その表現は、
“体外的身体活動や精神活動の進化が速まるほど、身体的進化は取り残される”
“身体は身体的維持と体内的能力の向上に努め、進化は緩やかなものとなった”
となるのでは。
身体的進化は、身体を構築している物質の不安定要素に起因しているとしたら、この頃では人間の身体の不安定要素の動きが沈静化して来た、と感じられる。
それは過去の形を留めているとされる現存の、頂点的生物の過程と似ている。
身体的進化は系統樹の頂点的生物の動きと似ているものの、人間は留まる気配を見せていない。能力的進化が加速の一途をたどっているからだ。
本来の進化の歴史からすれば、劇的身体の進化が繰り広げられるはず。
何故それが起きないのだろうか。
能力進化が早過ぎて、途方もない時間を必要とする身体進化が追いつけない。
能力進化の産物によって身体進化を求めなくても補えている。
それは、人間が身体の進化をそれほど求めず、劇的な身体の変化を自ら起こさせないことによって、撲滅を防いでいるのではないだろうか。
身体が劇的に進化した進化人類に入れ替われることを、防いでいるのではないだろうか。
  
2010.03.12(Fri)  土佐錦魚TOP
3月11日
  
晴れ
    外   内   蓋掛
朝   3℃  8℃  5℃

 おはよう
最低水温が低いと最高水温が高くても餌を与えられない。
最低はまだ低い。
もう少しだろう。

 コピー機から一枚目が出て来たら、汚れの筋がついていた。
上手くことは運ばないものだ。
調整を呼んで直るのには今日か明日になるだろう。
土日でなくて良かったとするところか。


心の起源を読んでの比較 361

【生物が進化すればするほど、個体との食い違いは大きくなるばかりである】
生物が進化すればするほど、食い違いが大きくなるばかりの個体とは、身体と知識としての精神活動の差を言っているのだろう。
知識としての精神活動を能力とした時、他の能力とともに進化の基となっている。
その能力と身体の差が著しくなった時に、生物は劇的な進化を遂げ新旧の入れ替わりが起こっていた。
 だが、人間ではどうなるだろう。
生体の進化の加速は精神活動の加速に追いついて行かない。特に人間では。
人間は身体の進化の加速には限界を感じたと見える。
脳の進化を得てから、身体の進化へは便利よりも維持を模索するようになって来たようだ。
身体よりも体外的身体活動の機械へ、脳の働きよりも体外的精神活動の加速へと切り替えたのではないだろうか。
体外的身体活動や精神活動がいくら進んでも所詮、身体が無くなれば個体的には全てを失う。それゆえ、スポーツや格闘技や美的身体を求める方へ切り替えたのではないだろうか。
 
2010.03.11(Thu)  土佐錦魚TOP
3月10日
  
残り雨のち曇りのち薄日
    外   内   蓋掛
朝   2℃  7℃  4℃

 おはよう
屋根には雪が、肌には霧が。
鉢には厚くシャーベットが。

 写真印刷を始めていると、最後の1頁も無事埋まり、写真も昨年ほどの悪戦苦闘をせず苦闘ぐらいで、これも無事終わった。
明日からは活字の印刷へ移る。


心の起源を読んでの比較 360

【人の心が一生をかけて獲得した叡智は、人から人への(心から心へ)伝えるか、もしくは書籍のように人の身体の外に蓄積しておくほかないし、】
 現在の知識は体外が圧倒的だが、知識の始まりは好奇心からになる。
好奇心→試行→結果→精査→記録→知識、知識の当初は記憶だった。
記憶が口述となり、口述では心もとないので記述となった。
知恵は知識の運用でもある。
知識の伝達が文化や社会となって行った。
 知恵は生体(生命)の能力から生まれている。
 叡智は生体(生心)の能力から生まれている。
【人の心が一生をかけて獲得した】とは、超感覚的な認識能力、真理を捉える知性、それとも経験を積んだ知性なのか。知性を人間の優れた能力とすれば、人間が一生をかけて獲得した優れた能力ということになる。
人間が一生を懸けたとて、新しい能力を創り獲得することは出来ないだろう。
すでにある能力、あるいは経験、あるいは知識を身に付けることは出来る。
だがこれは身体的や脳的能力で、人の心が一生をかけて獲得した叡智とはならない。脳以外といえば、脳から生まれ脳にあらず、脳のエネルギーを消費している精神活動ということになる。人の精神活動が叡智を獲得できることになる。
人にあらず、脳にあらず、精神活動は既に叡智を獲得して独立へ歩き出している。
 
2010.03.10(Wed)  土佐錦魚TOP
3月 9日
 
曇りのち雨のち雪
    外   内   蓋掛
朝   4℃ 10℃  6℃

 おはよう
今日は粒餌が届く日、小分けをして、冷蔵庫へ入れる作業。
この冷えをやり過ごしたらいよいよ始まり。
いつもなら、餌やりから急激と言えるほど一週間か二種間で産んでいたが、
今期は時間をゆっくりかけてみるつもり。

 印刷物での校正が終わりました。
もっとも1ページと見るのが飽きた頁を除いてですから、またどこか抜けてるところがあるでしょう、が。
明日から印刷開始です。

 新しい粒餌が届きました。
次の温まりから、ゆるりと餌やりの開始準備が整いました。


心の起源を読んでの比較 359

「心が獲得した叡智です」と聞くと、精神活動の中に獲得したものか、精神活動とは違うもっと根底にあるものが獲得しているのか、迷うところとなってしまう。
高度な中枢神経が生んだ心が獲得した叡智となれば、精神活動の中となる。
人の心が一生をかけて獲得した叡智は人から人への(心から心へ)直接伝えるか、
人の心が一生をかけて獲得した叡智は書籍のように人の身体の外に蓄積しておき、間接的に伝えると受けとれる。
心を体内の精神活動とした時、書籍を体外の精神活動とすることができる。
その時、書籍は体外の心となる。
書籍を精神活動の記録とした時、書籍は心の記録と言えてしまう。
心が獲得した叡智は、書籍のように人の身体の外に蓄積しておくことができるという。
精神活動が獲得したものは外に蓄積しておくことができる。
心が獲得したものを、精神活動が獲得したものと同じように、人の身体の外に蓄積しておくことが本当にできるのだろうか。
 
2010.03.09(Tue)  土佐錦魚TOP
3月 8日
 
曇りのち薄日
    外   内   蓋掛
朝   3℃  9℃  6℃

 おはよう
今の時期毎年、来たる錦魚シーズンのために体力を溜めていたが、年々肥り方が新記録を更新。そこで、錦魚の目覚めが早かったことにかこつけて、次の温まりから早めに体を動かすことにした。これほど早いのは初めて、冷え対策の苦慮が予想され、楽しみも半分。


心の起源を読んでの比較 358

【人の心が一生をかけて獲得した叡智は、人から人への(心から心へ)伝えるか、もしくは書籍のように人の身体の外に蓄積しておくほかないし、】
 人から人へ伝えるとは、どんな方法で伝えるのだろう。
口伝えか、おこないだろうか、人生か、学び舎か。
(心から心へ)伝えるとは、どんな方法でで伝えるのだろう。
無言で伝わるのだろうか、行動で伝わるか、知識か、テレパシーか。
人の心から人の心へ伝えると言うことだろう。
それは、精神活動か、。
これは叡智が知識としてではなく、心で伝えられて行くと言う事だろうか。
叡智を知識に紐解いて、知識記号として、体外に蓄積する。
それは精神活動ではないのか。それを叡智と言えるのか。
叡智は超感覚的ではないのか。精神活動で成し得るのか。
叡智とは優れた認識能力に留まるのか。心と同じで精神活動なのか。
心とは心どうして伝えることができるのだろうか。
 たまに「一番大事なものは心です」と聞くときがある。
この時の心とは精神活動と違う、もっと根底にあるもののように感じられる。
「一番大事なものは気持ちです」と聞くと、精神活動の中の深部にあるものに感じられる。
 
2010.03.08(Mon)  土佐錦魚TOP
3月 7日
 

    外   内
朝   8℃ 13℃ 蓋掛11℃

今日も続いている。
まださほど冷たくない、この程度ならいいのだが。
また朝が最高気温なのか。

 会報の編集は1ページを除いてできました。
明日から印刷にかかることができます。
去年のことを思い出しながら、また苦闘です。


心の起源を読んでの比較 357

 ギリシャ時代では人間は神の延長だった。神と人間は身近だった。
神は人間世界と行き来していた、神の世界と人間の世界は繋がっていた。
 ローマ時代はギリシャ時代に習おうとした。
この時代の文化や社会は、突き進む広がりの探求より、何故か深さの探求がなされていた。
 中世は神が絶対だった。
人間は神を頂点として階層を造った。
神は人間世界を見下ろし、人間は神の世界を見上げていた。
 日本の神は、権力の抑圧を許したが、直接人間を抑圧するものにはならなかった。文化や芸術の自由度は高かった。
仮にダーウィンの種の起原を日本人が出版したとしても、いっこうに神を冒涜するものにはならなかっただろう。
だがやがて、人間が神になると、抑圧が始まった。
そこには人間が神になる必要があった。
神を利用する必要があった。
 
2010.03.07(Sun)  土佐錦魚TOP
3月 6日
  
曇りすぐ雨
    外   内
朝  13℃ 17℃ 蓋掛13℃

 むわっと暖かい朝。
今が最高気温かもしれない。
朝がこんなに暖かいと明日からの冷えが恐い。
 気が付いたら七時前と言うのにもう降り出していた。
この菜種梅雨のような空気はいつまで続くのだろうか。


心の起源を読んでの比較 356

P205 つづき【ところが、ここでもまた心の世界での文化の継承は、いつも0地点からの出発になっている。それどころか、「関係としての心」の再構成は、「個としての心」の再構成よりもはるかに不安定要素に満ちている。人の心が一生をかけて獲得した叡智は、人から人への(心から心へ)伝えるか、もしくは書籍のように人の身体の外に蓄積しておくほかないし、次世代の心がそれを受容するかどうかは、それこそ心まかせであって保証されていない。生物が進化すればするほど、個体との食い違いは大きくなるばかりでである。】

 文化や社会は「関係としての心」が紡ぐほかに、文化や社会が変動の波のように、文化や社会自体を育成している。
 人間の体内だけの継承的なものに納まっていない。
むしろ体外知識の発展形態として、また社会、文化独自の発展形態として、その時代に産まれ落ちた人間を教育している。
 体外的知識は文字による形態だけでなく、芸術として視覚的に聴覚的に触覚的あらゆる感覚に訴えかけている。
 中世は神を主体とした文化や社会を構成していた。
メンデルは、神の視点⇨生物の視点を示した。
ガリレオは、神の立場⇨人間の立場を示した。
ダーウィンは神の創造⇨生物の仕組を示した。
ルネサンスは神を主体とした文化や社会から、人間を主体とした文化や社会を示した。
バロックは人間の個を主体とした文化や社会から、人間の関係を主体とした文化や社会を示した。
ルネサンスは自己の視点として、バロックは他からの視点として。
 
2010.03.06(Sat)  土佐錦魚TOP
3月 5日
  
晴れ
    外   内
朝   5℃ 10℃ 蓋掛7℃

だいぶ水が濁って来た。
あと一週間、替え時になるだろう。
 寝坊のいい訳、会報の編集がもう直き終わる。
目覚ましを止めてから一時間眠っていた。
 

心の起源を読んでの比較 355

 未だ学び不足な上にアンテナも広がっていないようだが、まとめてみた。

(内社会の属世界)     (外社会の属世界)
   ?             ? 
エネルギー生命体内社会、  エネルギー生命体間社会、
   ?             ?
分子生命体内、       分子生命体間社会、
生命体内社会、       生命体間社会、
単細胞生物内社会、     単細胞生物間社会、
多細胞生物内社会、     多細胞生物間社会、
超生物内社会、?      超生物間社会、?
   ?             ?

人間社会以外に社会は存在しないとは、人間を中心に考えているにほかならない。
すると人間以外に社会があるとれば、人間社会から導き出されるだろう。
人間から小宇宙への方向と、大宇宙への方向が、導き出される。
そしてそれは、どこかで結びつき、巡ることになるだろう。
 人間社会も社会性昆虫の社会も共に多細胞個体間社会の世界に属する。
大きく見れば生命社会として、生命世界に属する。
それは中宇宙に属する。
それは中宇宙を観点とした、宇宙の巡りとなっている。
 
2010.03.05(Fri)  土佐錦魚TOP
3月 4日
  
曇りのち雨
    外   内
朝   7℃ 12℃ 蓋掛9℃

 今週は最低水温が落ち着いている。
来週の冷えをやり過ごしたら、少し早いが我慢できずに手をつけるのだろう。
蓋をしていないとこんな効果もあるようだ。
外はやはり、彼岸過ぎだろう。

 15時過ぎ頃から雨がぽちぽち降って来ました。
今夜は強く降るという。この頃は丸鉢の水が減る暇なしに溢れるばかりだ。


心の起源を読んでの比較 354

 【】は、社会性昆虫の社会を社会ではないとしている。
それを認めると人間社会を困惑させてしまうようなこと言っている。
当然のこととして細胞内社会など認めるはずはないだろう。
するとこの世には、社会性昆虫の社会や細胞内社会など存在しないことになる。それが権威社会というものだ。
ダーウィンが用心したのはそこを認識していたからだろう。
ウォーレスがダーウィンに譲ったかたちになったのも、その辺りが影響していたのだろうか。
 仮に、権威社会が人間社会以外にも社会の存在を認めたとしよう。
そると、おそらく、そこにも階層を設けるだろう。
社会性昆虫の社会は人間社会の一つ下の階層とするかもしれない。
細胞内社会をさらにもう一つ下の社会と言うかもしれない。
細胞内社会の一つ下の社会を小宇宙社会と呼んで、ブラックボックスへ納めてしまうかもしれない。
 階層を設けるかは別として、人間社会以外の社会の存在は段階ごとの世界に属していると思える。
 
2010.03.04(Thu)  土佐錦魚TOP
3月 3日
 
曇りのち晴れ
    外   内
朝   4℃  9℃ 蓋掛6℃

 きょうの陽射しの後は暖かい雨模様が続くとか、
来週の冷えをもって緩和してくれるといいのだが、
まだ彼岸前だから。

 魚を見に行くと餌を欲しがって寄って来るのを見るのが辛い。
陽射しがあるのに、魚の側へ行っていない。


心の起源を読んでの比較 353

 単細胞生物の体内には小宇宙が存在している。
これは、単細胞生物を客観的にみることよって成り立つ。
人間を中心とした周りは中宇宙としている。
これと同じく、単細胞生物を中心とした見方をすれば、その周りが中宇宙となる。
そこには独自の時間が。
単細胞生物にはその時間が、人間にはその時間が。
単細胞生物にはその生命が、人間にはその生命が。
単細胞生物にはその生心が、人間にはその生心が。
人間が人間の心以外は心でないとしても、人間は特別な存在として偏重していれば、もっともと言える。
単細胞生物も社会性昆虫も人間も、自己の観点的、時間的世界を持っているが、その全ては生物の中宇宙に属している。
そのなかで独自の小宇宙を持っているが、いずれの小宇宙も同じところから始まっている。
 人間が自らの精神活動を以て、高度な神経活動を心と定め、あらゆる精神活動、意識活動を心とすることは自由だが、それ以外を心ではないとすることは、あまりに身勝手過ぎている。
 
2010.03.03(Wed)  土佐錦魚TOP
3月 2日
  
曇り 雨上がり
    外   内
朝   7℃ 12℃ 蓋掛9℃

しっとりとした朝が始まった。
魚が餌を欲しがっているがまだ与えないでいる。
卵を早く成熟させないため。
もう少し様子を見ている。


心の起源を読んでの比較 352

 「個としての心」「関係としての心」「社会としての心」は何れも体が生まれてから成立するものとされている。
それは、【】は心を、“高度に中枢神経系が発達した生物にしか存在しない”
としていることを根拠にしている。
よって、体がそこまで発達して、かつその体が経験を積まなくてはならない。
だから、ハンデキャップと言う。
 その根拠から離れて、180度見方を変えてみよう。
〔〕は、“生物として生まれたものは既に生心としての心が備わっている”
としている。
“高度に中枢神経系が発達した生物にしか心は存在しない”心のない生物とされている単細胞生物には、小宇宙と言える環境や仕組み、生命分子や生命体やその関係や社会が存在している。
それは、今の段階の人類にとって到底解き明かすことができないものとなっている。
 その存在を、小宇宙の一員としての個とした時に、
そして、そこに心が在るとした時に、
単細胞生物の細胞内には「個としての心」「関係としての心」「社会としての心」が存在しうることになる。
 
2010.03.02(Tue)  土佐錦魚TOP

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