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2月28日
 
雨のち午後から薄日
    外   内
朝   7℃ 13℃ 蓋掛10℃

これで平年並の温度の雨なのだろう。
これからは、ひとあめごとのあたたかさとなってくれればいいのだが。


心の起源を読んでの比較 350

P 205【つぎにくるのが「関係としての心」の再構成である。ここで階層が一つ上がっているので、一つ下の階層から再構成されねばならず、まず個人の一人ひとりのなかで人格の再構成がおこなわれた後、新世代の個人どうしのあいだで、他俄をも包み込んだ一つ次元の高い「関係としての心」が再構成されるという順序になる。これが社会の継承であり、それはまた広くいえば文化という伝統の再生産であろう。】

 新しい世代が社会習慣を身につけたり、伝統を身につけて、継承して行くことを言っているのだろう。
それ程重々しく言わなくても、そこに社会や伝統が存在している中に、産まれたり育ったり望んだり学んだりしているから継承できるので、まったくの無関係や他社会や他伝統であっては継承し得ない。世代交代とはそのようなものではないだろうか。
その世界の中で行われるから世代交代となり、その世界の外では創設という形になるのだろう。世代は受け継ぎ進むもので、その世代世代で無から創設するものではないから、これほどハンデキャップを背負う必要はない。
【まず個人の一人ひとりのなかで人格の再構成がおこなわれた後、】となると、人格の形成にはかなりの時間を必要としてしまう。
【】は自ら【なんというハンデキャップであろう】と言っているのに、そのハンデキャップを無視した形となっている。
その後に【新世代の個人どうしのあいだで、他俄をも包み込んだ一つ次元の高い「関係としての心」が再構成される】と言っている。関係としての心は、新世代の個人どうしのあいだだけで形成されるものではない。「関係としての心」は親子関係からすでに始まっている。
 
2010.02.28(Sun)  土佐錦魚TOP
2月27日
 
雨のち曇り
    外   内
朝  13℃ 16℃ 蓋掛14℃

暖かく強い雨。
久しぶりに丸鉢が溢れている。
平均気温的には今期暖冬で終わったが、寒暖の差は大きかった。
もう目覚めてしまった魚達。来週からどれだけ冷えるのだろうか。


心の起源を読んでの比較 349

 はたして、【なんというハンデキャップであろう】と言うほどなのだろうか。
能力差はあっても能力は備わっているのだから、良くすれば開発が開発を呼んで発揮されて行く。
その能力が備わっていなければいくら開発しようとしてもできない。
【生まれたばかりの心の世界は、ほとんど無に近いものであろう。】ただの電気信号の世界ならばその通りだろう。また一々積みかさなければならないから。
だが、遺伝された能力は生まれ出たその時代を吸収して発揮される。
人格とは備わっているかのように、産まれ落ちた人間がどの時代であっても、どのような環境であっても、自己生産するものではない。
 備えたその能力は、産まれ落ちる時代を待ち構えている。
その中でも、産まれ落ちた時代になじめない、そぐわない性格や性質をもっていると、能力は発揮できないままとなる。
 ハンデキャップと感じるなら身体的でも、生殖できるまでの生長を必要とすることも、ハンデキャップと言える事になる。
体が赤ん坊で生まれるのだから、人格も赤ん坊で同じではないだろうか。
体は人間の赤ん坊だが、人格は人間に至る以前の生物という訳ではないのだから。
 
2010.02.27(Sat)  土佐錦魚TOP
2月26日
 
曇りのち午後雨
    外   内
朝  13℃ 14℃ 蓋掛16℃

昨日、春一番が吹いて、そのまま風の強さが続いている。
この水温では、水をいじって正解だったと言える。
 陽当たりの良い鉢では、苔がなくなっていたが、魚が食べた他に春を告げる虫が発生していた。
この虫が出ると水換えや餌やりを始めるので、いじって良い訳だが、他の鉢では発生していない。
迷うところとなったが、蓋をしていればこのような差は出なかっただろう。

 オリンピックのフィギアースケートも新旧時代交代を感じながら終わりました。
経験や駆け引きや充実した筋肉を必要としない競技の年齢は、次第に若くなって行くはずです。
仮に、そのような競技でも心の成熟が欠かせないものであって、心の再構成や再生産がゼロから始まらなければならないなら、必ず熟練者が上位を独占するでしょう。
才能と言う生得的な能力ものをもった上に、努力を重ねて集まったライバル達は、心の強さも求められている。
その強い心とは意志だろうか、自信だろうか、プレッシャーに負けない自制心だろうか。平常心だろうか。
全部を心と表現できる感じがする。
 以前、心理学者が心の辞書と表現していた。
全部がその心の辞書へ留め置くべき事柄だろう。
その事柄はおそらく、経験をもとに導き得た教訓的結果なのだろう。
その経験をもとに導き得た教訓的結果を留め置く辞書は、心なのだろうか。脳なのだろうか。
心だとすれば脳の神経細胞の間ということになる。
脳と言っても大して変わらない。
心理学者は心の働く場を神経細胞の間と認識して言っているのだろうか。
脳と言う臓物として言っているのだろうか。
少なくとも、経験的、知識的記憶をもとにした精神活動、意識活動としてだろう。
それは身体的場所ではないだろう。
すると、“心の辞書”を精神活動、意識活動としての一環と捉えても差し支えがないのだろうか。
経験をもとに導き得た教訓的結果を出し入れする辞書なら、精神活動、意識活動とした方がむしろ自然に感じられてくる。


心の起源を読んでの比較 348

P 204つづき~205【はじめにくるのが「個としての心」の再構成である。これはふつうには親の代から子の代へ向けての「教育」というかたちでおこなわれるが、まったくの他人からの影響がそれにも増して大きいこともしばしばある。これが人格の再生産である。ここでの特徴は、人格のが再生産はいつもゼロからの出発になっていることである。生まれたばかりの心の世界は、ほとんど無に近いものであろう。これは生物としての個体のスタートが、先祖の遺産を早送りで獲得してしまい、ゼロ地点よりはるか先へ出たところからの出発であったのに比べると、なんというハンデキャップであろう。ところが、ハンデキャップはそれだけではない。】

 性格的能力が成す人格の再生産は細胞から始まってはいない。
人格はその時代の価値観に基ずく、その時代に産まれ落ちてはじめて形成される。
その意味ではいつもゼロからと言える。
細胞と同じように胎内で能力としての備えを済ませた状態で、赤ん坊ではあるが能力も身体も人間として産まれ、その時代の価値観により備えられた能力の開発が行われる。
 生体の再生と出発点に於いては何ら変わりない。
むしろ胎内で行われる再生には僅かながらでも、新しい適応能力が加わっているはずで、生まれ出てから行われる人格の形成は能力と時代とによって行われる。
 これは身体の再構成、再生産よりむしろ先んじている。
その意味では、身体の再構成、再生産の方がハンデキャップを負っている。
 心が脳によって造られたとする以上、脳ができてから能力が造られたことになる。【】はそうしているので、もっともな説と言える。
 〔〕の能力が身体の進化を促しているとすることは、突然変異説を根底としている現在の科学を覆すことになるのだろう。
これは身体の再構成、再生産よりも能力の方が先んじているとすることになる。
すると、身体的再構成、再生産の方がむしろハンデキャップを負う形になってしまう。
 最悪にせよ最善にせよ、基本的な人間としての性格的人格は備わって誕生する。だから人間として産まれる。だから能力差のある人間として生まれる。
  
2010.02.26(Fri)  土佐錦魚TOP
2月25日

晴れ
    外   内
朝   8℃ 14℃ 蓋掛11℃

 昨日、水をいじったせいで、すっかり活性化している。
餌を欲しがって寄って来るようになってしまった。
与えると卵の成熟が加速してしまう。
すると、次の冷え込みで影響を受けやすい。
与えないと体力を消耗する。
陽当たりの良い鉢では、既に苔を食べ尽くしている。
さあ、どうするか。


心の起源を読んでの比較 347

P 204つづき 【しかも、さきに述べたように、この再生産は二段構えになっていて、まず「個としての心」がそのつど再構成された後に、あらためて「関係としての心」がまたそのつど再構成されるというふうになっている。】

 いつの間にか世界も社会も同じになっているではないか。
世界も社会も共に「関係としての心」の一つ上の階層として存在している。
分類上の「関係としての心」の一つ上の階層は、世界や社会の階層となる。
世界や社会の階層は、誕生した「個としての心」を遠く眺めている存在で、もじもじやっている「関係としての心」を観察しているようなものだ。
「個としての心」がそのつど再構成されるまで、あらためて「関係としての心」がまたそのつど再構成されないのだろうか。
産まれ落ちて母子となったそのときから、個としての心と関係としての心は同時進行するのではないだろうか。
「個としての心」や「関係としての心」がそのつど再構成を始めるときはどんなときだろう。
「個としての心」や「関係としての心」がそのつど再構成されたときとはどんなときだろう。どんな状態なのだろう。
 それにしても心として誕生してからの心の階層は狭いものとなっている。
歴史が浅いにしても、心とはもっとスケールの大きなものではないのだろうか。
心を個の脳が行う精神活動と限定してしまうと、
もしかすると、個の脳が行う電気信号と限定してしまうと、うらさびしい。
いまこうして、アーだコーだと考えている、それが心だなんて、つまらない。
心ってこうして考えている精神活動よりもっと向こうに在るのではないだろうか。
 
2010.02.25(Thu)  土佐錦魚TOP
2月24日
 
晴れ
    外   内
朝   7℃ 12℃ 蓋掛9℃

この水温では最高は20℃まで行ってしまいそう。
再度の冷えは来週?
それまでには水が保ちそうにないので、急遽いじることした。
内は去年一昨年と陽を入れない蓋かけをしていたので、こう言う心配はなかった。
蓋をしていると、最低水温も8℃を保っていた。
冷えで腹をやられる魚も少ない。
今期は内の蓋掛けをしていないので、冷えによる犠牲者が出ている。
今日魚を見ることができる。どのような結果を見ることになるのだろう。
 
 なんとか十時には終わった。
まず溜め水の温度を上げるため、熱湯をバケツで20回ほど。
いい運動になった。
3時間の労働、久しぶり。
 親はあけ5歳、6歳、やはり腹をやられたのがいたが、もう覚悟していた。
3歳は健在。想定通りというところか。


心の起源を読んでの比較 346

 心理学には階層があるのだろうか。
「社会としての心」の一つ上の階層はいったいなんだろう。
発展は複雑になることだから、「複雑社会としての心」だろうか。
「人類としての心」では生物的過ぎる。
「人間としての心」これでは「人間社会としての心」から社会を除いただけではないか。
結局、精神活動としての心には限界がある。
精神活動としての心は人間に限られるから、脳⇨「記憶」⇨「個としての精神活動」⇨「関係としての精神活動」⇨「社会としての精神活動」で良い事になり、「社会としての精神活動」の上にも勝手に造るのだから、それらしければ何がなっても差し支えは無い。たとえ超越者の世界でも。
 社会を世界と置き換えると世界も社会も同じになってしまう。
だいたい、心の世界だの、心の社会だのを勝手に造り出して、勝手に階層を決め、勝手に壊して、あえいでいる。
再生産も再構成も勝手にしている事で大した変わりはない。
脳が死ねば心も死ぬ、脳が出来れば心も出来る。こんなものでいいのでは。
心がこんなものでは、つまらないものに感じられてくるが。
 
2010.02.24(Wed)  土佐錦魚TOP
2月23日
 
晴れ
    外   内
朝   3℃  9℃  蓋掛6℃

渋谷方向が気味悪いほどの朝焼け。

 内の温まり樣は苔が浮き出て来るほどだった。
ここで明日からの温まりに対処して、水をいじるか。
また来る冷えを踏まえて、汚れたままにして置くか。
サボリ癖からそのままにして置くことにした。
そのかわり、次の温まりの前には汚れを緩和しておかなくては。


心の起源を読んでの比較 345

 「社会としての心」⇨「関係としての心」⇨「個としての心」⇨「記憶」⇨(脳)としたとき、(脳)⇨「記憶」⇨「個としての心」までは媒体をもった生物自己となっている。
「関係としての心」⇨「社会としての心」からは生物自己と他との関系になっている。
 脳は心を造ったとされている臓物。
その臓物が記憶したことによって、高度な精神活動を生み、それを心とした。
臓物を精神活動の一つ下の階層とできるのか。

 生物の歴史を見ると、能力が体を得ることによって具現化され発揮されている。
発揮されたことによって更なる体を得るために進化した。
進化は、能力の意志によるものと言える。
進化は、突然変異という偶然によって体が変化し、そこに偶然能力が芽生えたとする、ブラックボックスに触れまいとする科学が提唱する進化の歴史は信じ難い。

生物自己の範囲は、現象の元を探る性理学と言えるのだろうか。
生物自己の範囲にしても、他との関系のために備わったものがある。
生物自己と他との関系の範囲は、性理学の現代版の様々な現象を解き明かす、
心理学と言えるのだろうか。
 
2010.02.23(Tue)  土佐錦魚TOP
2月22日
 
曇りのち昼過ぎ晴れすぐ曇り
    外   内
朝   4℃  9℃  蓋掛6℃

 凍る頻度は低くなって来たようだ。
春近し、準備を思い出さなくては。


心の起源を読んでの比較 344

P 204つづき 【こういうなかで、心の社会の再生産はどのようにおこなわれるのだろうか。心の社会の再生産とはあまりなじまないいい方だが、次世代の個体で心が再構成されるには、いったん心を取り壊して、そのもっとも小さい階層からつくり上げるのであるから、これはやはり再生産といってよいだろう。】

 再生産や再構成と聞くとまるで無垢な産声を上げた心のように聞こえる。
それは無垢な赤ん坊の身体と同じように受けとれる。
赤ん坊の身体はそのもっとも小さい階層の細胞から。
赤ん坊の心は、そのもっとも小さい階層のなにから再生産されるのだろう。

心の社会の一つ下の階層は、「関係としての心」。
「関係としての心」の一つ下の階層は、「個としての心」。
すると「個としての心」の一つ下の階層は、記憶と言えるのではないだろうか。
その下は脳と。
 「関係としての心」の一つ下の階層の「個としての心」までは心と言える。
だが、その一つ下の階層は心ではなくなる。心を携えるもの、心を造ったものへとなって行く。それを果たして心の階層へ含めていいのだろうか。
 
2010.02.22(Mon)  土佐錦魚TOP
2月21日
 
晴れたり曇ったり
    外   内
朝   2℃  9℃
 薄氷   蓋掛6℃

 北風が唸っていた。
朝方急激に冷えたのだろうか。
 昨日の植樹祭は華やかだった。
こういう行事はいいもんだな~。
懐かしい校舎が今は都の重要文化財に指定されて、手入れされていた。
懇親会で「この校舎でくらしていた人」の理事長の声に、桜を寄付したクラス全員が手を挙げた。
今日の同級の出席は十人だったが、当時一学年一クラス十七人だった。
初等科卒業50年に桜の寄付を思いつき、創立70年の機会に素晴らしい思いをさせてもらった。
重要文化財を歩きながら、ここが職員室だった、ここが食堂だった、体育館、この階段はもっと広く感じていたなど、もう100年は建っているのだろうか、指定にあたり修理を済ませてあると言うが、堅牢さには驚かされる。


心の起源を読んでの比較 343

「関係としての心」⇨「個としての心」⇨ 記憶 ⇨ 感覚信号 ⇨ 電気信号 ⇨生命分子 ⇨ 神経細胞 ⇨ 脳。としたとき、この流れの中には遺伝子が登場していない。
するとこれらは、現象の流れと言ってしまえる。
意志がどこにあるか掴めないからだ。
脳に意志があるのか。
脳は何によって動かされているのか。
遺伝子に辿り着くのではないだろうか。
脳は遺伝子にプログラムされている。
心を造るとされる神経系も遺伝子にプログラムされている。
心に代表される精神活動も、命に代表される生命活動も、遺伝子に辿り着く。
生命活動の発達過程も、精神活動の発達過程も、プログラムされている。
人間として生まれた時には、人間としての個の精神活動も、関係としての精神活動も、プログラムされている。
そのプログラムに産まれ落ちたときの時代が獲得される。
  
2010.02.21(Sun)  土佐錦魚TOP
2月20日
 
曇りのち晴れ
    外   内
朝   3℃  5℃
 氷厚ミリ 蓋掛7℃

今日は暖かくなるとか。
桜の植樹祭は明るくなりそう。

植樹祭に出掛けて来ます。


心の起源を読んでの比較 342

「個としての心」の一つ下の階層は、心としての階層とならなくては不可ない。
だが、脳が心を造っているとする以上、脳(神経細胞)へ行き着くしかない。
記憶にしても脳が介在している。
表象、命題、概念、思想にしても記憶の進化、それにしても脳の能力となる。
脳が心を造っているとする以上、脳で行き詰まる。
脳が心を造っているとする以上、脳から逃れられない。
精神活動としても同じ事になる。
意識活動にしても。
ところが、精神活動や意識活動は脳が行っていることは明確になる。
すると、
「関係としての精神活動」⇨「個としての精神活動」⇨ 記憶 ⇨ 媒体( 脳) 
としたとき、神経活動として違和感のない整然としたものとなる。
すると、
「関係としての心」⇨「個としての心」⇨ 生心  ⇨   心
としたとき、心として違和感のない整然としたものとなる。
 
2010.02.20(Sat)  土佐錦魚TOP
2月19日
 
曇りときどき陽射し
    外   内
朝   2℃  6℃
氷厚1ミリ 蓋掛4℃

 雲が高く薄くなって来た。
昨日までのどんよりとした雲ではなくなった。


心の起源を読んでの比較 341

P 204~205 心の世界の再構成
 【心の世界にもさまざまな階層がある。大きく見れば「個としての心」の上に「関係としての心」があるといえるのであろうが、「個としての心」のなかには、表象、命題、概念、思想というようにもう少し小さい階層がみえているし、「関係としての心」のなかには、社会をつくり上げるための幾つかの小階層があるに違いないが、それはまだはっきりみえていない。】

 心を生物の精神活動とすれば、当然心にも階層が造られるのだろう。
「個としての心」と一つ下の階層の間に表象、命題、概念、思想という少し小さいものがあるとすると、それは記憶へと行く着く。
すると、記憶の一つ下の階層は記憶を司る脳になるのか、脳を造っている神経細胞になるのか、神経細胞に記憶させる電気信号になるのか。
個体と細胞との階層の差と比べると、

「関係としての心」⇨「個としての心」⇨ 記憶  ⇨ 感覚信号 
    脳     ⇨  神経細胞  ⇨ 生命分子 ⇨ 電気信号
   個体    ⇨    細胞   ⇨ 生命分子 ⇨ 生命信号
 
2010.02.19(Fri)  土佐錦魚TOP
2月18日
 
雪のち晴れ
    外   内
朝   3℃  5℃
シャーベット 蓋掛4℃

 もう1センチほど積っている。
とっても静かな朝。

 もう止んでしまった。
一時は3センチ積ったが、降りながら溶け始め2センチになっている。


心の起源を読んでの比較 340

 生物個体(生体)と個体としての心(生心)のあいだを遺伝子が取り持っている。遺伝子は心の記憶をも伝えているからだ。
そんなに遺伝子を見くびらないで欲しい。
それでないと重荷を背負っている遺伝子が可哀相。
脳みたいな臓物じゃあないんだぞ、心と命の次元と物質の次元との橋渡しなんだぞ、と。
遺伝子は心と生心の交流
遺伝子は心と生心をつなぐ双方向の翻訳
遺伝子は命と生命の交流
遺伝子は生心、生命と生体との交流
遺伝子は生心、生命と生体とをつなぐ双方向の翻訳
遺伝子は生体と環境、事象の交流
遺伝子は生体と環境、事象とをつなぐ双方向の翻訳
 
2010.02.18(Thu)  土佐錦魚TOP
2月17日
 
曇り
    外   内
朝   2℃  6℃
氷厚1ミリ 蓋掛4℃

ダウンヒルのビデオを見ていたら時間を過ぎてしまった。


心の起源を読んでの比較 339

 遺伝子を知らなかった時代の人はなんと表現していたのだろう。
こんにちのように知識が至っていなければその表現は神秘的なままになっているはず。
知識が至ると脳が具体的に表現し始める。
もっと至ると機能を表現し始める。
脳がそこへ至るまで遺伝子は存在しなかったのだろうか。
生じていなかったのだろうか。
心と同じように。

意識の記憶の媒体  ー脳
無意識の記檍の媒体 ー遺伝子
記憶の媒体(遺伝子)ー記憶の記録化の媒体(生命と生心)ー選別ー睡眠
記録の媒体(遺伝子)ー記録の暗号化の媒体(生命と生心)ー体液系ー中枢系
暗号の媒体(遺伝子)ー発動、抑制の体系化ー意識(脳)と無意識(遺伝子)
無意識の発受、抑制の媒体(遺伝子)ー体液系ー生命的
意識の発受、 抑制の媒体(脳)  ー中枢系ー生体的
 
2010.02.17(Wed)  土佐錦魚TOP
2月16日
 
曇り 雨上がり
    外   内
朝   4℃  8℃
 氷厚ミリ 蓋掛6℃

 今日は桜の苗木掘り、このまま止んでくれればいいのだが。

 では、奥多摩へ出掛けて参ります。

 奥多摩の山は霞の雪をかぶり墨絵のようでした。
小雪の舞う中、無事70本の苗木を掘り出しました。
幼稚園で明日、初等部で明後日、中等部、高等部、親の会有志と、明日から毎日のように数本づつ、3万坪の広い校内へ植えてくれるそうです。
20日に母校70周年記念植樹祭を行い締めくくりの予定。


心の起源を読んでの比較 338

 昔の会報に仕事中の親子の会話を載せたことがある。様子はこんなだったか。
親ー人間の脳細胞は一万年ぐらい大きさが変わっていないんだってさ。
子ーそんなことないよ。今のが大きいよ。
親ーなら、大きな脳になったお前はギリシャの哲人より頭いいかい。
子ー良くない。(笑い)
親ーだったら大きさ、そんなに変わらないんじゃない。
子ー.......しぶしぶ納得。
子は知識の量を大きさと勘違いしていたのだろう。

 知識の少ない頃の方が純粋的に心の目的を受け取っていたと思われる。
現在に至っては、複雑に絡み合い発言の声量によって進行方向が偏る定になっている。だがそれは、遺伝情報に記録され、世代交代でなにがしかをなしている。絶対無駄にはなっていない。
 再構築されるのは人格であって、性質から出てくる性格は一生変わるものではない。その人格でさえ正義と同じようにその時代によって、格とされるところが変わってくる。
その人格も正義も、行きつ戻りつごく僅かながら心の方向へ向かっている。
2010.02.16(Tue)  土佐錦魚TOP
2月15日
 
曇り
    外   内
朝   4℃  9℃
 氷厚ミリ 蓋掛6℃

昨日、束の間の陽が出たが、今日はまたどんより。

10時過ぎには降り出してしまった。また冷たい雨。


心の起源を読んでの比較 337

 進化とは変化だと助言をもらったことがある。
学校でも進化とは遺伝子の複製過程の失敗と習った。
変化にしても失敗にしても、そこには意志がないことを言っている。
単なる変化だから、失敗だから、自然淘汰が選択として働いていることになる。
変化が偶然適応状態だったから、失敗が偶然好条件だったから現在に至っているとしている。
科学には意志と言うものは存在しない。
例えば、ダークエネルギーが物質のエネルギーとした時、
    ライトエネルギーが意志のエネルギーとするようなことはできない。
例えば、ダークエネルギーが命のエネルギーとした時、
    ライトエネルギーが心のエネルギーとするようなことはできない。
例えば、命がダークエネルギーに支えられているととした時、
    心がライトエネルギーに支えられているとするようなことはできない。
精神活動が未来、ライトエネルギーに支えられて発展するというなことはできない。
 偶然から意志は産まれない。
だが、偶然から生命は生まれ、生命体は偶然によって進化している。
と科学はしている。
 
2010.02.15(Mon)  土佐錦魚TOP
2月14日
 
曇りのち晴れ午後から曇り
    外   内
朝   2℃  6℃
氷厚2ミリ 蓋掛4℃

屋根が白く凍っている。

やっと陽が出てくれた。


心の起源を読んでの比較 336

 もし、先祖が体得した過去の知識、過去の体験が、能力として甦っているとすれば、生殖以前の体験としていなければならない。
幾代前の祖先の体験かが、伝わっていなくてはならない。
その祖先の体験が能力化していなくてはならない。
その能力が遺伝子化していなくてはならない。
その能力へ意志が働いていなくてはならない。
それは遺伝子化が偶然行われることでは不可能だからだ。
能力の遺伝子は解明されているのだろうか。
身体的遺伝子、機能的遺伝子はよく聞く。
性格的遺伝子、能力的遺伝子はあまり聞かない。
性格や能力は身体的な脳に任されているのか。
心を能力とした時、心は脳に任されているのか。
心は身体の一部か。
意志は身体の一部か。
精神活動は身体の一部か。
 
2010.02.14(Sun)  土佐錦魚TOP
2月13日

肌に感じる雨 のち小雪
    外   内
朝   3℃  6℃
 氷厚ミリ  蓋掛4℃

なかなか陽が出ない。

少し白くなった屋根の雪は、もう溶けてしまった。

一日中、屋根が乾くことはなかった。


心の起源を読んでの比較 335

P 203つづき 【こうして生物個体のスタートは、ゼロ地点に近いところでは先祖の遺産をそっくり背負ったまま駆け足で過ぎてしまい、かなり先へ出ての出発となる。もし、世代ごとの個体のはじまりが、つねに原初の細胞から繰り返しての再出発であったとしたら、生物の進化がこれほどに目覚ましいものにはならなかっただろう】

 進化と言うものがそんな無駄をさせなかったことを言っているのだろう。

 遺伝子は発生の際、生物としての過去を再現しているが、それは身体(物質面)であって、能力は備わるものとなっている。例え身体能力でさえ。
それは自己判別能力のように、性格のように、精神活動のように、心のように。
能力は遺伝する。
 遺伝子はそのあたりも心得ている。神経系のことも記憶も知能も全部記録にとってある。脳はその場で必要以上を使おうとしていないだけだ。
覚醒させるには切っ掛けがいる。それには経験と時間が必要とされてしまう。
 私は小さい頃から何度も言われた、もっと勉強すれば成績(頭)良くなるのに。勉強をしなかったほとんどの人は言われていただろう。
ちょっと意味が違うが遠回りに言い当てている。
その覚醒を錦魚がしてくれたようだ。
勉強と言う知識の覚醒ではなさそうだ。
〔〕は学んだことのない事柄、聴いたことも読んだこともない言葉が文章に出てくるとき、先祖が体得した過去の知識、過去の体験が、能力として甦っているのかも知れない。
 
2010.02.13(Sat)  土佐錦魚TOP
2月12日
 
雨上がり 曇りときどき雨
    外   内
朝   3℃  7℃
 氷厚ミリ 蓋掛5℃

 心配していた雪にはならなかったようだ。
桜掘りは雪の予報で16日に変更されたが、
これを済まさなければ、やはり落ち着かない。


心の起源を読んでの比較 334

P 203 【生物世界が次世代に継承される際には、階層の再構成に対して極めて特徴的なことがある。それは過去の歴史が圧縮されて、次の世代へと受け継がれるということである。それがもっともよくあらわれているのは個体のレベルの継承である。生物個体がまだ胚の段階にある時代に、その生物が過去に経てきた長い歴史を、フィルムの早送りのように短時間のあいだに再現させてしまい、幼個体がこの世にあらわれるときにはすでに完成した体制をととのえてしまう。たとえば、人の幼児期に一時期だけ鰓があらわれたり、尾をもっていたりするが、新生児にはそれが消えている。それを発生学では個体発生が系統発生を反復する(略)といっている。】

 個体が発生を終えて生体となる時は何時だろう。
多くの場合種子や卵や母体の中で幼植物、幼体、胎児の胚発生を終え生まれ出る。発生は胚発生後にも、産まれ落ちた後もつづく。それは目に見えた形となる。
 久しぶりに錦魚の登場を願おう。
土佐錦は掛け合わせによって誕生した金魚の種類となっている。
それはそれは和金様のもの、ナンキン様のもの、ナンキンが変じたランチュウ様のもの、流金樣のものが掛け合わせになっている。
形が目に見えるようになる選別を行う頃から、それを走馬灯のように目にすることが出来る。少し未熟であっても明け二歳の生殖できる頃に落ち着く。
その未熟と感じるものは、のちに成熟となって本来のすがたへ到達する。
発生は生殖出来るようになるまでつづく。
 
2010.02.12(Fri)  土佐錦魚TOP
2月11日
 
曇りのち雨
    外   内
朝   6℃ 10℃
 氷厚ミリ 上面水温6℃ 蓋掛8℃

 冬型から春近しのかたちへ移りつつある。
東京ではこの方が雨や雪が降り易い。
昨日は雨のままだった。
今夜は雪になるのだろうか。


心の起源を読んでの比較 333

 ハチのように遺伝子が造った社会言わば自己社会は、心が関って創った社会とは次元が違うとしているのだろう。
心が関らないと社会ではなく、社会性で留まるのだろう。
高度な精神活動が加わってはじめて社会となるとしているのだろう。
 精神活動は遺伝子によってもたらされるのではないだろうか。
それこそ中枢神経系によるところが大きい。
中枢神経系は遺伝子によって造られる。
精神活動とは高度に発達した中枢神経系でないと行われない。
高度に発達しているのは人間が紛れもない。
しかも人間は精神活動が高度に発達している。
人間以外は紛れてしまう。
その差は歴然としている。
だから、人間は精神活動の世界を創り上げているのだろうか。
 それは、人間が勝ってに思い込んで創った世界ではないだろうか。
複雑に発達して、精神活動も複雑に発達させ、心の世界を創った生物が人間。
複雑と言う言葉でブラックボックスを造って、その訳をその中に押し込めて、訳が分からないと他の生物も押し込めて、人間を別の次元へと持ち上げている。
「生物世界」から「人間世界」を分けているのだろう。
人間世界は遠の昔に、生物世界と次元を異にしているのだろう。
「人間世界」の上には「精神世界」という三種の神器が重なっているからだろう。
 
2010.02.11(Thu)  土佐錦魚TOP
2月10日
 
曇りのち雨
    外   内
朝  10℃ 15℃
 氷厚ミリ 上面水温10℃ 蓋掛11℃

 朝15℃では産卵期の水温。
餌を与えれば卵が成熟へ向かっていただろう。

 一昨日の夜にくしゃみが出たが、意識しなかった。
昨日は目がかゆくなり、鼻がむずむず、くしゃみが多発、何となくだるく、気が重く、花粉症が出てしまった。
春の池修理の作業をやる気にならないのは、どうやら花粉症のせいかも知れない。
気が重くなって外にも出なくなる。
 鼻が痺れて来たので、これから医者へ行ってきます。
心の起源を読んでの比較 332は、帰ってから出させていただきます。


心の起源を読んでの比較 332

人間はその能力がとても発達している。
ハチは神経組織があるから少しは発達しているのだろう。
この差が格差をつくっているのだろうか。
その能力がとても発達している人間が考えるからそう思えるのだろうか。
 逆を考えてみよう。
人間に精神活動が無かったら、心が無いただ生きているだけの生物になったなら、社会はできなかったのだろうか。
それは複雑ではなかっただろうが、それなりの社会は造っていたと推測できる。それは生物のほとんどがそれなりにやっていることになる。
それは人間の精神活動にはとても及びがつかないことなのだろう。
それなりの心では心と認められないのだろうか。
それなりの社会ではとても人間には及びがつかないことなのだろう。
それなりの社会では社会と認められないのだろうか。
 
2010.02.10(Wed)  土佐錦魚TOP
2月 9日
 
晴れ
    外   内
朝   4℃ 10℃
 氷厚0ミリ 上面水温4℃ 蓋掛6℃

 澄んだ空気と冴えた月
予報では暖かくなり、風が強まるとか。
せっかく満タンになって凍っていない丸鉢の水が吹っ飛ぶのか。


心の起源を読んでの比較 331

 【しかも、こういう再構成にあたって、遺伝子以外の支配則がかかわっていないことは、これらの階層はすべて生物世界に属している事の証左であると以前に指摘したことがあった。】
 遺伝子以外の支配則とは自然の摂理か。
いや、遺伝子以外の支配則とは、心のことを言っているのだろう。
心の世界を言っているのだろう。
ハチの社会は遺伝子が造ったもので、心が一つ一つ紡ぎあげたものではないと言っているのだろう。
当然、精神活動が創り上げたとは感じられない。
生物としてのハチと人間とを分け隔てする遺伝子以外の支配則、ここでは精神活動としているのだろうが、それは一体何だろう。
一つの能力と捉えている。
神経組織が主に司る、一つの能力と捉えている。
その能力を心としても、心が一つ一つ紡ぎあげないと社会とは言えないのだろうか。
 
2010.02.09(Tue)  土佐錦魚TOP
2月 8日
 
晴れ
    外   内
朝   2℃  7℃
 氷厚3ミリ 上面水温2℃、底水温3℃ 蓋掛4℃

 三日月とまわりの星が印象的。
スキー場では明け方の大きな月が、
千曲川を挟んだ向かいの山のゲレンデの上にぽっかり浮いていた。

 鉢を覗くしかすることがない。
今日は昨日に続き会場関係へお土産配り。
会報編集。
池修理の予定もたてなくては。


心の起源を読んでの比較 330

 環境の好条件により群れが大きくなり過ぎると、養育係のハチが普段働きハチとして育てていた中から、女王ハチが誕生するよう世話を始める。そして、女王ハチは誕生する。
 卵を産むときの女王ハチの意志とか、あるいは、産まれてきた女王ハチの意志でそうなるのではない。
群れの意志と言える。
群れとしての自己の意志と言える。
意味的には細胞分裂と変わらないと言える。
 環境がさほどでないとき、あるいはハチの種によっては、少数や女王ハチが単独で冬を越したり、単独で別れることがある。女王ハチは巣作りに専念し、卵を産むと自らが懸命に世話を始める。なんら働きハチと変わらない。やがて働きハチが誕生し数が増すと、卵を産むことに専念できる。女王ハチは役目として群れにつくしている。其の役目は主要となってハチの象徴とすることも出来る。
だが、階層とすることには違和感がある。
それは自己として働きバチと一体だからだ。
 
2010.02.08(Mon)  土佐錦魚TOP
2月  7日
 
晴れ
    外   内
朝   ℃  7℃
 氷厚20ミリ程 上面水温℃、底水温℃ 蓋掛3℃

 猛吹雪の中、帰って来ました。
スキー場より暖かな東京ですが、それでも丸鉢に張った氷を割れずに厚さが測れませんでした。同じく水温計も見ることができません。
昨日のスキー場は、ゴンドラやほとんどのリフトが強風で動かすことができないほどでした。
 もう少し落ち着いたら鉢の水足しをするようです。


心の起源を読んでの比較 329

【例をあげてみよう。個体のレベルでいえば、生物個体が再生産されるには、いったん生殖細胞という細胞の階層(それは個体の階層より一つ下にあたる)から再出発して再構成がおこわれる。また、社会のレベルでいえば、社会性昆虫などの生物社会が再生産されるには、女王のような個体の階層(それは社会の階層より一つ下にある)から再出発して再構成がおこなわれる。しかも、こういう再構成にあたって、遺伝子以外の支配則がかかわっていないことは、これらの階層はすべて生物世界に属している事の証左であると以前に指摘したことがあった。】

 人間の支配的階層から見ると、ハチの社会も階層社会に見えてくる。
ただの積み重なり社会と見る分には差し障りは無いが、女王を象徴的最高階層に扱うと人間からの見方となりやすい。
 ハチの群れ分かれ、あるいは女王ハチの独立による群れの再構築は、女王ハチの意志によるところとなっていない。
 環境的要因が強く働き、群れ別れが必要になってくると、群れ別れの用意を始めるのは女王ハチではなく、また判断するのも女王ハチではない。
群れ全体の意志となっている。
群れとしての遺伝子的プログラムとなっている。
 
2010.02.07(Sun)  土佐錦魚TOP
2月 6日
 

心の起源を読んでの比較 328

【なぜこういう面倒な手続きを、いちいち踏まなければならないのか。それはある階層における「関係」とは、つねに前の階層の「関係」に依存しながらはたらいているという事情が、いつも根底にあるからである。その関係を無から生みだすわけにいかない。したがって、これをもとのように復元するには、一つ前の階層からやり直さざるを得ないということになる。】

 やはり階層という言葉に拘るようになる。
個体は一つ前の細胞という階層の、生物と呼ばれる頃からやり直すことになる。
すると細胞はその一つ前の分子という階層の、生物と呼ばれない物質の頃からやり直すことになる。
すると分子はその一つ前の原子なのかなんなのか、〔〕にはどんどん想像もつかない階層の、物質と呼ばれない頃からもやり直すことになる。
おそらくそれはエネルギーだろうか。それは能力だろうか。
もしかするとその最後の階層は、無かも知れない。
どの道ブラックボックスとなる。
 一つ前の階層とされる細胞は、一つ後の階層の遺伝子に組み込まれている。
それは統一されて一体となっている。
それは遺伝子の情報として記録され再生される。
情報は体がなければ働けない。情報は体と対になるように働く。
情報は能力と言っても差し支えないだろう、か。
 
2010.02.06(Sat)  土佐錦魚TOP
2月 5日
 

心の起源を読んでの比較 327

 ここで、生物世界の基本原理と生物の基本原理とを分けて考える必要性がでてきた。
例えば、生物が死んでも生物世界は残る。心の世界が壊れると生物世界も壊れるというような奇々怪々な解釈は、納得しないままでおいておくことにして。
社会が生物として遺伝子をもって自己再生していない限り、細胞と個体と同じ次元とされない。
 分裂で増殖する細胞は、一つ下の階層に戻る必要が無い。
 進化した個体は一つ下の階層から再構成される。
 社会は一つ下の階層から再構成されるという枠に入れないことになる。と、
この三つは同じ特徴があるとは言えなくなる。
 【これを発生学では個体発生は系統発生を反復するといっている】
これは生物に当てはまる事で、いきなり社会に当てはめてしまう事は乱暴になる。
何も無理にその世界の階層として一つ下へ戻さなくても、
系統発生に社会を混ぜなくても、
細胞に系統発生を求めなくても。
【細胞、個体、社会といった階層である。】階層としてしまうから階層に戻る発想が生じる。段階と承知しておけば通過することは容易となる。
 
2010.02.05(Fri)  土佐錦魚TOP
2月 4日
 

心の起源を読んでの比較 326

 人間では一つ下の階層が細胞になるという。だから生殖細胞から始まるという。
すると、同じ生物世界で現在も単細胞で存在している生物は、一つ下の階層の何に戻るのだろう。生命体へだろうか、生命蛋白質へだろうか。
仮にそうだとしても実際に戻っている物はあるのだろうか。また生命体や生命蛋白質は生命分子へ戻るのだろうか。
転写や分裂で増えるものは一つ下の階層に戻る必要がないように見える。
 一つ下の細胞から再構成されるという特徴があるものは、単細胞から進化したもの、進化を重ねて来たもので、分裂的増殖から生殖的増殖となって、再構成が必要になって来た。
生殖的に進化したものは、再発生する時に再構成する必要が生じるからだ。
再発生とは、生殖的発生から再びやり直すことになる。
転写や分裂で増殖するものは、発生からやり直す必要がないから、一つ下の階層に戻る必要が無い。
 分裂で増えるものは生物の分野に入らないかもしれない。
そうなれば、【生物世界の基本原理にしたがって再生される】があてはまる。
 
2010.02.04(Thu)  土佐錦魚TOP
2月 3日
 

心の起源を読んでの比較 325

P 202 全部  生物世界の再構成
 【生物世界にはさまざまな階層が創られていた。細胞、個体、社会といった階層である。これらの階層が世代を超えて受け継がれる際には、生物世界の基本原理にしたがって再生されるのだが、その際にはいったん必ず階層を下がって、一つ下の階層から再構成されるという特徴がある。これについては以前に一度ふれたことがある。】

 生物だけの階層であったら細胞、個体、の次は何だろう。
生物社会の階層であったら、細胞内共生による細胞内社会、細胞同士の細胞外共生による細胞外社会(個体内社会)、個体同士による個体外社会となるだろう。
世界とは便利なもので、生物の階層に生物社会の階層をいきなりくっつけても問題はないようだ。

自己としての社会は生命体(生物)としての存在となるが、
自己と他との社会はそもそも生命体(生物)としての存在にならない。
自己と他との社会は生命体(生物)が造る有機体としての存在となり、
社会は生命体(生物)そのものではない。
社会は生物の基本原理にしたがって再生されるものだろうか。
社会は一つ下の階層から再構成されるという枠に入れるものだろうか。
社会は生命体(生物)として扱うものだろうか。
仮に生命社会、生物社会と冠を付けたにしても、生物として扱えるものだろうか。
 
2010.02.03(Wed)  土佐錦魚TOP
2月 2日
 

心の起源を読んでの比較 324

 〔〕は30代の頃に小学生の子供たちへ「お前たちの世になる頃には徴兵制ができているかも知れない」と何回か言って来た。まだ徴兵制はできていないが、その方向へ進んでいることと、争いへかなり近づいていることは確かだ。それ懸念を払拭できるほど、心が及んでいるかは疑わしいところとなっている。
疑わしくてもその働きは静かに行われている。それも思ったより働きが良かったようだ。だから徴兵制が行われていない。
 その原理をつくるまでにはあまたの犠牲を払うことだろう。そのことを繰り返しの歴史が示唆している。その犠牲をはらった上でのむなしい絶滅がなければよいのだが。

 人間の歴史を覗いてみればいつからか他を殺してでも財を集めていた。その手段はいつの頃か支配となり、いつの世も戦争となった。それからみれば今の階層や役人なんかかわいいものだ、それでも精一杯あえいでいる、それにへばりついて甘い汁を吸っているさもしいことでさえ、いつの頃か歴史となっているだろう。
 それまでにはせめぎ合いが繰り返される。その過程で人類が滅亡しなければだが、かりに滅亡したにしても、その試行は他に受け継がれ、命と心は進んで行くだろう。
 その交代が行われる時には、もう人類はさじを投げられている訳だから、その変化は後戻りから始まるにしても、劇的なものとなるだろう。
 命のエネルギーは生命となっても解き放たれているが、
 心のエネルギーは生心となっても目標として働いている。
試行対象の生物が替わっても、命のエネルギー上にあっても、心のエネルギーは変わらずジワジワと働いている。
 
2010.02.02(Tue)  土佐錦魚TOP
2月 1日
 

心の起源を読んでの比較 323

 昔、子供とサル園やイノシシ園、クマ園を見に行ったことがある。
サル園は動物園でも馴染みで、ボス猿を頂点とした社会があることは周知のところ。それらしい関係も目撃できる。
イノシシ園は一度だったが、良く掴めなかった。
ところがクマ園では、観察間もなく密集したクマの間で縄張りだけとは違う、順位付けを感じることができた。
 野生の一人前のクマは一般的に単独行動をとる。
出くわすことは、餌場や縄張り争いやたまに雌をめぐる映像を見るぐらい。
それがクマ園では狭いところに密集させられているので、小さな範囲の縄張り争いで傷つけあったあげくかもしれないが、とにかく納まりのつくようにしないとやっていけないように感じられる。そこには一定の社会的秩序をもっているように感じられた。
 この様子を【】に判断してもらうとしたら、
クマには心があるのだろうか。
クマには社会があるのだろうか。
クマ園のクマに社会があるとしたら、心の世界にまたがっているのかも知れない。
その社会は役目の社会ではなく、階層の社会となっているようだった。
階層の頂点のクマ(個)が他のクマ(個)を、その意志に従わせる社会となっているようだった。
支配的社会がまたがっている心の世界とはどんな世界なのだろう。
 
2010.02.01(Mon)  土佐錦魚TOP

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