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1月 31日
 

心の起源を読んでの比較 322

 強いて、継承された「個としての心」が一つずつ結び合わせて、「関係としての心」をつくり出して、心の社会を成し、心の社会を継承したにしても、それは精神活動の一環に留まってしまう。
心を持つ人間社会では心の社会だけでなく様々な社会が存在し、心にも生活にも影響を及ぼしている。権力社会、政治社会、階層社会、教育社会、経済社会、とまだまだ切りがないほどにある。そのなかで心の社会として相応しいのは、大きく括った人間社会と言ったところだろうか。
だが、人間社会にしても大きく生物社会と心の社会とに二分する事は、他の事柄に差し障る事になってくる。
 それは心を持てるものをおおよそ人間に限ってしまうからだ。
精神活動としている心を、もっと崇高なものへ祭り上げている気配さえ感じる。
 個としての精神活動が個として創る心の世界ならば、理解できる。
だが、総括的な生物世界に対応するような心の世界は、いったい何が創るのだろう。「個としての心」が社会のように紡ぎ上げるのだろうか。
精神世界と生物世界とが重なり合って、個や心や社会は構成されたり再構成されたりするのだろうか。
精神世界はもともとと生物世界に存在しているのではないだろうか。
 
2010.01.31(Sun)  土佐錦魚TOP
1月 30日
 

心の起源を読んでの比較 321

 遺伝子を情報能力と単純に捉えた時、知識はいろいろな方法の情報として体外遺伝子的働きをしている。
これは遺伝子を通さない開放された、人間が意のままに行える精神活動と言える。
それでも父性が母性へ影響しているように、遺伝子に影響されているが、そうされていながらも自由に行える。
これは、DNAがもたらした生物進化の加速と同じような、精神活動の進化が飛躍的加速の時代を迎えたと言える。
だがこれを、逆説的に心の進化とは言えない。
 精神活動で考え、知識で解釈して、自己に有利に、自己のレベルで、自己の目指すところで解釈して言葉にするものは、心と言えない。
思考の過程や結果が精神活動となり、思考を経ない思いが心に通じる。
思考を経ない思いは心に通じるが、それを思考で確かめると精神活動になってしまう。すると思考に通じる思いの精神活動を心と勘違いする。
 そのことを心で受け取ればすべては解けてくる。
 
2010.01.30(Sat)  土佐錦魚TOP
1月 29日
 

心の起源を読んでの比較 320

 強いて、身体と共に心も再構成されたとして、個体が滅びたとき、共に滅び去った心と同じ心が再構築されることはない。
 親が子を生す時は若い時が多く、死ぬ間際に遺伝子や精神活動を再構成のために伝える確率はゼロに近いほどになる。
 強いて、その時の心が再構築されたとしても、その遺伝子の半分は雌雄のものとなり、経験や精神活動すべてを直接渡せることにならない。
 強いて、雌雄どちらかのものが直接伝わったにしても、あるいは雌雄双方のものがすべて伝わったとしても、再構成された新たな個の精神活動が、既に滅びた個体の精神活動に制約されることにはならない。
 強いて、新たな個の精神活動が滅びた個体に制約されるとしても、それは文化、社会、習慣、や教育となるだろう。
 むしろ、若い時に子を生した親が子育てとして親の経験と共に、子へ教育する方が実際的と言える。
この時、親からのみでなく他人から、知識から等受ける教育が社会へと繋がって行く。また、社会そのものが再構成を行っている度合いが多くなる。
 その教育が、また子自体の経験が、生得的ではないにしても獲得的であったにしても、何らかで遺伝子へ伝わっている、遺伝子に影響を及ぼしていると見た方が、現実的と言える。
 
2010.01.29(Fri)  土佐錦魚TOP
1月 28日
 

心の起源を読んでの比較 319

P 201つづき 【ところが心の社会の継承はもう少し複雑になる。心の社会は「関係としての心」がかかわってくるからである。心の社会が継承されるには、個体のなかにつくられる「個としての心」を一つずつ結び合わせて、「関係としての心」をつくり出していかなければならない。つまり、再構成は二段構えになっている。そのとき、生物世界と心の世界とは重なり合って再構成されることになる。】
 
 【新しい個体のなかにあらためて心が再構成される。、、、、
  これが「個としての心」の継承である。】
以前【】は、遺伝子では個の経験や考えは継承されないとしていた。
当然、精神活動の結果や成果も遺伝子によって継承されないと受け取れる。
継承されるとしたら、遺伝子以外の体外的な知識の記録としてになる。
それが、ここでは、どのように遺伝子によって心が継承されて行くのだろうか。遺伝子では継承されないとしている訳だから、遺伝子以外にしても何をもって継承されるかを述べていない。
なのに、個の再生とともに個の心も再生されるとして、前提を再生してしまっている。
生物としての個は、遺伝子によって再構成されているが、遺伝子によって再構成されない心は、どのように個へ甦るのだろう。
再生されるのは心の機構で、心の内容は遺伝しないのだから白紙の状態と言える。
季節によって、一斉に個が再生される草花のようであれば、一斉に同じ水準で、一斉に「関係としての心」を再構成することが出来る。
 
2010.01.28(Thu)  土佐錦魚TOP
1月 27日
 

心の起源を読んでの比較 318

P172【心の本質が神経細胞の間に潜んでいる関係にほかならないのは、生命の本質が物質の間にひそんでいる「関係」であることとおなじである。】
 心の本質、生命の本質は関係である。の関係を世界と同義としてみよう。
関係が破れたら神経細胞の間から心が関係を絶つ事になる。
【それは心の死であり、私たち人間も生物として生きるだけになる。】
関係が破れたら物質の間から生命が関係を絶つ事になる。
それは生物の死であり、私たち人間も物質世界にもどるだけになる。
生命は物質の間にひそんでいる関係と妙に言える。
心は神経細胞の間に潜んでいる関係にほかならないとは妙に言えない。
この両者は【おなじである。】と言えるのだろうか。
この微妙な隔たりは、生命は物質の間であって、心は神経細胞の間としているところにある。
例えば、心は生体の間とすれば、生命は物質の間と対比できる。
すると、私たち人間も生物として生きるだけになる。が、
    私たち人間も物質世界にもどるだけになる。と、馴染めてくる。
神経の間では限定し過ぎている
高度に発達した神経系を人間として象徴し過ぎている。
高度に発達した神経系にしか心が生まれない事を象徴し過ぎている。
 
2010.01.27(Wed)  土佐錦魚TOP
1月 26日
 

心の起源を読んでの比較 317

P176 第六章の序【生物世界が破れたらすべての生物は物質世界にもどる。それは生物の死である。それと同じく、心の世界が破れたなら、すべての心は生物世界へもどる。それは心の死であり、私たち人間も生物として生きるだけになる。何れも「入れ子」をなしている世界が担わねばならない運命であろう。】
 物質が生んだ生物だから、生物世界が破れたら総ての生物は物質世界に戻る。
 生物が生んだ心だから、心の世界が破れたら総ての心は生物世界へもどる。
世界とは存在そのものではないだろうか。
生物の死とは世界の中の一つの現象に過ぎない。
 生物世界が破れたら生物の存在そのものが無くなる。これは死と言う一つに現象に留まらず、その現象をもたらす生と言うものが無くなり、同時に死というものも無くなる。【それは生物の死である。】生物の存在が無くなるのだから、死も無くなる。 【それは生物の死である。】は生物個別の死の存在から生物個別の心の世界が破れる事を言っている。
すると、心の世界とは個の心がつくる。
心の世界とは個が心を持った時に生まれて来る。
が、当てはまってくる。
 
2010.01.26(Tue)  土佐錦魚TOP
1月 25日
 

心の起源を読んでの比較 316

 〔〕は心の世界と言う表現をしていないが、ここでは判り易くするために【】の言葉を借りて、「個としての心」つまり「生心」は個体とともに滅び去っても、「心の世界」つまり「心」はそのまま在り続ける、と表現する。
生心は個として存在し個が滅びれば生心も共にする。
個が再生されれば生心も再生される。
個が進化すれば生心も個に付随する。
また「心の世界」を借りると、生心は個のために、心の世界から派遣されて来たようなものとなる。
【心の世界が世代を超えて継承されるとすれば、】
心の世界とは個が心を持った時に生まれて来るのか。
心の世界があるから個に心が生まれて来るのか。
心の世界とは個の心がつくるのか。
心の世界が個の心をつくるのか。
 
2010.01.25(Mon)  土佐錦魚TOP
1月 24日
 

心の起源を読んでの比較 315

P 201 【生物世界に属している個体のなかに、心は生まれてくる。その心は個体のなかでしか存在できないとすれば、個体が滅びたときには心もまた滅び去るものであろう。したがって、心の世界が世代を超えて継承されるとすれば、それは個体が再生産を果たしたときに、新しい個体のなかにあらためて心が再構成されるという道をとらざるを得ない。これが「個としての心」の継承である。】

 この頃は頁を次々に区切って、ほとんど丸ごと紹介している。
この以前から実に説得力があって、途中で止める訳にはいかなくなってきた。
〔〕が若い頃【】の教え子となっていたなら、素直に受け入れていただろう。
その教えを基にして考えを進めたことだろう。
(このたとえには無理があった。東大は逆立ちしても無理だから仮定すらなり立たなかった。)

 個体とともに滅び去る心とは、心の定義と同じに人間の精神活動と端的に捉えておく。人間では、個体が滅びたときには心もまた滅び去る、と言える。
高度に神経系の発達していない生物では最初から心が無いから、この場合は、人間の個体がに限定される。
個としての精神活動が世代交代で継承されるとすれば、新しい個体のなかにあらためて心が再構成される道をとると、言っているのだろう。
 だが、個体が滅しても世界は滅しなかったのではないだろうか。
だとすれば、個体は世代交代しても世界はそのまま在り続ける。
個としての心は個体とともに滅び去っても、心の世界はそのまま在り続ける。
こうなると、【】の言っていることと〔〕の言っていることはまたしても同じようなことを言っていることになる。
 
2010.01.24(Sun)  土佐錦魚TOP
1月 23日


心の起源を読んでの比較 314

 すこし見方を変えさせて頂く。「世代」を抜かして、
【「社会」という言葉が示すとおり、ここには世界が重なり合っている。】
ここだけ採り上げさせてもらうと、不思議に社会はいろいろな世界が重なり合って出来ていると、納得できてしまう。
そうして出来上がっている社会の真っただ中に、世代は生まれてくる。
 〔〕は文字を読むのは苦手だったが、映像的な漫画は好きだった。
その頃の漫画がいまだに連載されているものがある。
今の子供は今日載っている漫画を見て、楽しんでいる。
漫画も時代で変わる。時代を反映する。今の水準で子供は楽しんでいる。
後に、創刊から読みたくなると初めて、過去を読み始める。と、
昔はこんなだったのかと知って、今と重ねて楽しむことが出来る。
その子が新しい漫画を創ると、その世代を反映させ、その世代、その次の世代に受け入れられる。
その前の世代の人は違和感を感じても、時代に合っている、進んでいる、あるいは凄いと、認めるところがある。
世代は時代に生まれる。
 世代は時代の社会に投じられ、社会を進化させるエネルギーとなる。
 
2010.01.23(Sat)  土佐錦魚TOP
1月 22日
 

心の起源を読んでの比較 313

P 200~201 二つの世界の重なり合い
 【それは社会というものが世代を超えて継承されねばならないことである。「世代」と「社会」という言葉が示すとおり、ここには世界が重なり合っている。「世代」は生物世界に属しているが、「社会」は生物世界と心の世界の両方に属しているからである。そこでは個体と心とが複雑に絡み合っている。】

 ここでも意見の隔たりが生じてしまうのは、心の元をどこにおいているかの違いから始まっているので、どうにも御し難い。やはり視点と分類のしかたが違いを見せている。だが、ここでは【】と〔〕が別の方向から同じようなことを言っているように思える。
 社会とは命の方向と心の方向の折り合いのようなものだから、生物世界を命の世界と置き換えれば、【個体と心とが複雑に絡み合っている。】を
           〔命と心とが複雑に絡み合っている。〕と置き換えることもできてくる。
そこに命と心があって、後は社会と言う時空が構築する器があれば、社会性生物となっていたかも知れない。残念ながら社会は構造であって物質ではなかった。
その社会という構造は、社会性という本能的性質によって構築される。
 生物の社会性という本能的性質は、主に命の父性的な性質が働いていると感じられる。
 心の社会性という本能的性質を、主に心の母性的な性質が働いているとすれば、
同じようなことを言っているように思えてくる。
生物の社会性は父性
 心の社会性は母性
 
2010.01.22(Fri)  土佐錦魚TOP
1月 21日
 

心の起源を読んでの比較 312

 神経組織やその他組織を備えることによって、動物は植物との枝分かれレースに勝利したのだろうか。
人間は節足動物との枝分かれレースに勝利したのだろうか。
動物の勝利とか支配とかの言葉は使いたくない。
人間に世界を支配することを与えたとは信じられない。
 仮に動物が動物としての特性を生かしながら、葉緑体を所有していたらどうなっていただろう。
動物がエネルギーの元の自己生産、自己サイクルを身につけていたらどうなっていただろうか。無機質をエネルギーに代える働きを身につけていたら。
代謝で他を犠牲にする確立は、問題にならないぐらいに納まっていたいだろう。
攻撃性はこれ程強くならなかっただろう。
独立性は他の独立性をこれほど侵す事態にならなかったはずだ。
社会性も穏やかなものへと進んだに違いない。
心の働きは静かなものとなっていたのか。
試行は、足踏みかもしくは結論を出していたかも知れない。
 
2010.01.21(Thu)  土佐錦魚TOP
1月 20日
 

心の起源を読んでの比較 311

 神経系も細胞によって系統立てられている。
神経細胞によって造られている。
神経細胞も他であった細胞を自己へと有利に受け入れている。
神経細胞はどこかアメーバに似ている気がしてならない。
変形性をもち、特段に電気的特性を備えていた他細胞だった、と思える。
運動能力と環境の多彩性と自己の複雑化を神経を網羅することによって、対処して行った。脳を設けることによって、まとめていった。
分子が複雑になると物質が生まれたように、
複雑になると羅列が生まれたように、
神経系が複雑になると心が生まれるのだろうか。
変形性をもち、電気的特性を備えていた他細胞が融合して進化して複雑になると、こころを生むのだろうか。
もしかしたら、心を生んだ神経細胞の元はアメーバのような心のない細胞だったかも知れない。
 
2010.01.20(Wed)  土佐錦魚TOP
1月 19日
 

心の起源を読んでの比較 310

 細胞壁は運動性への関わりの他に、体液の連絡性を制限しているのではないかと感じている。
神経系の発達がほとんど行われなかったことには、細胞壁による各細胞の独立性が関っているのではないだろうか。
各細胞ごとに自分でエネルギーを生産できたから、細胞壁による隔離性が強く保たれたのではないだろうか。
細胞質と体液との性質の差が拡大していった。
細胞質と体液との信号や物質のさまざまな交換性を、制限することになった。
体液を細胞質の延長とする働きを進めることが、疎かとなった。
体液の隔離性を細胞壁が強めた結果、細胞壁外は体外との繋がりが強まって行った。
 反面の細胞壁を備えていなかった動物は、体液を細胞質の延長とする働きを進めた、と感じている。
ミトコンドリアへのエネルギーの元の運搬、ミトコンドリアを働かせる酸素運搬、
酸素は呼吸器系の発達へ、エネルギーの元造りは消化器系の発達へ、運搬は循環器系の発達へ、それぞれにさまざまな他者と有利となる融合合体を繰り返して来た。
 それでも神経系だけは自前だったのだろうか。
だとしたら、ホヤあたりから始まったのだろうか。
 
2010.01.19(Tue)  土佐錦魚TOP
1月 18日
 

心の起源を読んでの比較 309

 その将来の端的な形は、細胞壁を設け、細胞内共生でミトコンドリアと葉緑体を採り込んだものが、植物への歩みとなり、細胞壁を設けず細胞膜に留め、ミトコンドリアを採り込んだものが、動物への歩みとなっている。
 自分でエネルギーを生産できる植物の方が他に頼らなくてすみ、この時点では有利に思える。だが、どんなに発達していても、生物学的にはミミズ以下とされている。
 この場合は、発達基準を神経系としているので致し方ないのだが、動物が植物より運動性で勝って行ったのは、神経系を発達させた差と言えるので、やはり致し方のないところとなる。
 植物は葉緑体を備えたために運動性を必要としなくなってしまったのか。
太陽光線を利用し自ら生存エネルギーを生産出来ることで、運動性を必要としなかったのか。
細菌類には細胞壁があっても運動性を備えたものがいる。
細菌類では共に運動性を備えている。
単細胞であれば可能であったのか。
複数が重なると運動性を失って行ったのか。
水中から陸上へ上がったことで、選択されたのか。
 
2010.01.18(Mon)  土佐錦魚TOP
1月 17日
 
心の起源を読んでの比較 308

逆に言うと現在がそれを定めたのでなく、過去の時代に将来を定めたことになる。
それを言うと過去が現在までを再現していることになる。
現在幾年存続成す生物は、過去の生物が連綿と生きてきた証しとなっている。
現在生きている生物は、過去の生き物の再現にほかならない。

 真核単細胞生物に戻る必要が出来たのは多細胞生物になったからだ。
確実に必要とされたのは有性生殖になってからだが、そこへの過程では無性生殖や分裂と段階的な必要性が現れている。
増殖から生殖への進化と言える。
分裂で増えることが出来れば過去に戻る必要はない。
単細胞生物も細胞内共生として細胞内に小器官のような過去を保有している。
だが、分裂の際には体細胞分裂として、原形質共々二分される。
もともと、環境が良ければどんどん分裂すればこと足りた。
だが、一端環境が悪化すると全滅の危機が訪れる。
遺伝子に集約して一見物質のようになったり、悪化に対応できる状態になったりして、環境の好転を待ち再び増え出す術とした。
手狭な環境を捨て他環境へ移動したり、拡散したり、
また多細胞になって、分裂では処理しきれなくなった。
 
2010.01.17(Sun)  土佐錦魚TOP
1月 16日
 

心の起源を読んでの比較 307

 一つの細胞が生物と呼ばれる頃には、細胞内には宇宙に繋がる、宇宙に匹敵する、複雑な機構、機能が出来上がっていた。そこにはすでに化学的も電気的も整っていた。
どれを取り入れ、どれを抑えるかの段階に入っていた。
 卵や精子のような真核単細胞生物になった時から再現されていると感じている。
それ以前のウィルスは遺伝子内のみの再現に留まり、能力が再現される。
ミトコンドリアはエネルギー生産の原動力として実体が再現される。
原核細胞時代、細胞内小器官は、再生の原動力として早期にあるいは独自に再現される。
再生の基盤は真核単細胞生物の時代となる。
真核単細胞生物時代の動物への道のりか、植物への道のりかの枝分かれのところまで遡る。
 機能の働きとしての遺伝子と物質的身体構築の遺伝子とは、それぞれ別々の役目の再現をしていると感じている。ミトコンドリアは身体構築の原動力として。
 身体の再現は生物と呼ばれるようになった頃と感じている。
だが、ウィルス達の能力の働きは、身体が生物として呼ばれる以前となる。
だが、その能力が生物と呼ばれる遺伝子として組み込まれたのは、身体が生物と呼ばれるようになってからとなり、同調している。
 
2010.01.16(Sat)  土佐錦魚TOP
1月 15日
 

心の起源を読んでの比較 306

 生物として疑われていたウィルスやバクテリア、細菌や水の汚れ扱いされる藻類には、意志がないのだろうか。
その行動からは意志を感じることができないのだろうか。

 統一された個体の遺伝子には、有利として受け入れられた過去の遺伝子が情報として記録されている。
世代交代の発生時には、過去の記録が順序立てて再現される。
そのとき再現される過去は、過去すべてなのだろうか。
過去のどこまで再現は達しているのだろうか。
融合した細菌類までだろうか。
それとも取り憑いたウィルスまでだろうか。
もっと過去までなのか。
もっと過去やその辺りの過去の再現は能力となっている。
生体の再現は一つの細胞からになっている。
卵細胞からになっている。
受精卵の二分割の時には何が働いているのだろうか。

 生物と呼ばれる頃には、統一された自己としての遺伝子が働いていた。
だから生物と呼ばれている。
受精卵の二分割の時には生物として始まるが、生物以前の意志が能力として働き始めている。
 
2010.01.15(Fri)  土佐錦魚TOP
1月 14日
 

心の起源を読んでの比較 305

 実は生物の系統樹の根を造っているのは生物と呼ばれる以前の、生命体と呼ばれるもの、分子と呼ばれるものが、系統を成しながら複雑に入り交じり生物となる幹へと至っていた。
その根は植木鉢の中を充満して、グルグルに巻きなって絡み合って繋がり合うように、複雑に繋がっていた。
その生命体達が進化して生物になっても、その繋がりは無くなる訳ではなく、繋がりや、役目や、害は人間の想像以上に密接となっている。
〔〕が高校の生物の授業で教わった頃の生物界は、動物界、植物界、原生生物界の三界で、ウィルスは生物ではないから生物界には入らない程度だっただろうか。今教わると五界で、動物界、菌類界、植物界、原生生物界、生命体界。
錦魚の鉢の中の藻は藻類菌類界に属している。
〔〕は勝手にその後へ生命物質界と生命エネルギー界を付け加えている。

水の濁りの中の藻類菌類は生存し続け進化して、現在はそれぞれの系統の先端にいる。
〔〕は錦魚を襲うウィルスはその藻類と密接な関係を持っていると感じている。
藻類菌類との関係が宿借りか寄生か共生かを想像するまでに至っていないが、いずれ感じる機会が訪れることを願っている。
 
2010.01.14(Thu)  土佐錦魚TOP
1月 13日
 

心の起源を読んでの比較 304

 DNAとなった遺伝子は長い鎖として一挙に伝えることが容易になった。
そこから生物進化が加速したと教わった。
遺伝子以前を生物進化と呼ばずに物質進化という。
物質進化は分子の進化と言うのだろう。それ以前を化学進化というらしい。
生物進化は蛋白質の進化と言えそうだ。分子を進化させたもの、それ以前を進化させたものが、すべてを進化させたことになる。
すべてを進化させたものは化学的なものへと、現在支持が傾いている。
詳しく教われば、おそらく納得させられてしまいそうだ。
〔〕の感じは先祖からのものだ。
人類の子孫は物質進化から学び始めるのかも知れない。
その複雑科学や複雑社会から学ぶのかも知れない。
複雑科学は脳が学ぶのだろうか。
そこに文学的表現は許されない。
立証されなければならない。
複雑社会は心が学ぶのだろうか。
心が学ぶものは立証が難しく、
文学的表現が許されるだろう。
 
2010.01.13(Wed)  土佐錦魚TOP
1月 12日
 

心の起源を読んでの比較 303

自己に反乱を起こされた、
自己の使用期限が来た、
つまり、老病死は統一された自己という体をもった故の問題だった。
生物になった故の問題だった。進化して来た故の問題だった。
 狂牛病は蛋白質のブリオンというのが原因とか、細菌やウィルスなど生き物か疑わしいもの以前の蛋白質が原因になるとは。生命体以前が原因になるとは。
もしかすると分子やイオン、それ以前の物質の最以前のものが、起因となっているのかも知れない、と少し不気味なきさえする。
 生物の生体は蛋白質で出来ている。生体の蛋白質はRNAやDNAが合成する。
蛋白質の酵素を利用することが出来たことで、進化はまた飛躍した。
 光の世界ー物質の世界ー地球物質の世界ー物質進化の世界ーRNAの世界。
RNA蛋白質ーDNAの世界ーDNA蛋白質によって、進化は多細胞世界へと躍進した。
世界と呼ぶと一挙に、不思議なことでも許せるような感じがしてくる。
蛋白質が病因であっても不思議ではなくなってくる。
 
2010.01.12(Tue)  土佐錦魚TOP
1月 11日
曇り
    外   内
朝   3℃  9℃
 氷厚0ミリ 上面水温2℃、底水温3℃ 蓋掛5℃
雲っているから凍らなかったか、放射冷却とか風とかなにかがあれば凍ったのだろう。

 今朝になって、頭痛がとれ、体が軽くなって、イライラしなくなった。
今日節制すれば、体調はむしろ良くなって出掛けられそう。
 午後には、鉢の減った分の水をを足して、いよいよだ。

 すっかり軽い体になって、昼ご飯のサラダが楽しみになって来た。
思惑通りの経過になっている。午後に寝床から起きて、水を足して、でかける用意だ。

 水を足している時に口笛を吹いていた。
荷物をまとめている時の体の動きがいい。
もう、不調だったことが嘘みたい。
 この先も快調で帰って来れるように、行ってきます。


心の起源を読んでの比較 302

 生物は得体の知れないウィルスやそれ以前の分子やイオンでさえ何かへ利用をしている。
高熱で生きているもの、強酸で生きているもの、強塩で生きているもの、無酸素で生きているもの、自分でエネルギーを造れるもの、急激な繁殖力のもの、このような様々な機能や能力もどこかで利用されているはず、代謝や生存や再生や発生や生体維持やごく基本的な根幹的に。
 免疫病やガンや神経病や認知症や老衰も、様々な他を利用した果ての出来事となっている。
 癌細胞は増殖し続ける。RNAは蛋白質を合成し続ける機能をもっている。
スイッチを入れるとスイッチを切るまでいくらでも続ける。
スイッチを間違えて入れてしまったり、入る時期が来てしまったり、切ることがでえきなくなってしまったりすると、癌細胞のように増え続けることになる。
しかもそれは自己として増えつづけてしまう。
 とどのつまり、取り入れてきた自己を何らか抑えられななくなったことになる。
それは、有利を得るかわりに差し引かれる条件を付けていた。
 
2010.01.11(Mon)  土佐錦魚TOP
1月10日
 
晴れ
    外   内
朝   4℃  9℃
 氷厚0ミリ 上面水温3℃、底水温4℃ 蓋掛6℃
 どうやら疲れは編集作業のせいではなかったようだ。
去年の不規則、寝不足、三十日から飲みつづけ、食べ続けがたたったよう。
このままだと、風邪をひいたり、通風になったり、ろくなことにはならない。
今日は絶食、明日は粗食で、体調が戻るかやってみる。

 いままで寝ていて水だけでひどかった咳が止まった。
このまま続行すれば明日には何とかなりどうな気がする。
錦魚的な予防的措置と言えるのだろうか。
とうとう自分自身を錦魚と同じ扱いにしてしまった。


心の起源を読んでの比較 301

 ウィルスが生命体や初期生物の体内のどこかに潜んでいる状態は、ウィルスが寄生の状態と言える。
ウィルスは自己に有利に働こうとすると、宿主を害するようになる。
ウィルスが宿主の遺伝子に上手く組み込まれたとしたら、最早、宿主と寄生の関係ではなく、共生の関係となる。
ウィルスと宿主が相互に自己として統一され、それぞれが役目をもつようになる。
ウィルスは自己判別能力を役立てた。
そんな機能をもつものの関わりは、その時だけではなかった。
他の馴染めるウィルス達も、変異したものや、新たなもの達となってやってきた。
いろいろな能力をもたらしたに違いない。
 宿主がウィルスの能力を利用しているもう一つは。
融合する時障害となる細胞膜や核膜を通る能力は、ウィルス達から得たものではと感じている。
ウィルスは侵入する時に細胞膜や核膜を侵す能力を持っている。
この能力を生命体のときや単細胞生物が得たことによって、飛躍的に融合能力を増加したのではないかと感じている。
 侵入した後の遺伝子の切断や結合を得意としている。
 遺伝子の転写を生業としている
そのさまざまな能力は自己の内と外を対象にしながら、やがて身についた。
 
2010.01.10(Sun)  土佐錦魚TOP
1月 9日
 
晴れ
    外   内
朝   3℃  8℃
 氷厚1ミリ 上面水温2℃、底水温3℃ 蓋掛5℃
疲れるほどのことはしていないのに、寝坊していた。
スキーへ行っている間のこころの起源を読んでの比較が終わってから、会報の編集にかかっていたせいだろうか。

 やはり、会報の編集だった。
また始めていたら、もう疲れてしまった。
でもスキーへ行くまでは、こつこつせっせとやらなくては。


心の起源を読んでの比較 300

役目となった免疫は、この頃から始まった、と感じている。
 免疫は何時から備わったのだろう。
ウィルスの働きが関与しているのでは、と感じている。
ウィルスや細菌の役目や存在意義は有意義な面を教わったことがなく、インフルエンザのように有害な面が目についている。
襲ったり、体内に存在したり、働きだしたり、隠れたりしている。
ウィルスが働くと多くの場合、宿主を病としたり、死亡へ至らしたりする。
それは、インフルエンザのような有害な面であって、有利となる面は、宿主を自己と捉えて他を判別していたのではないだろうか。
他の始めは他のウィルスだったのではないだろうか。
ウィルスは特定の相手や特定の経路を経る性質がある。
その性質を取り入れたものは、自己の判別にその能力を利用したのではないだろうか。

 人間の遺伝子にはウィルスの遺伝子がスゴイ量含まれていると聞いている。
ウィルスは生物と呼ばれていないが、ウィルスやバクテリヤは生物の能力のもととなっている、と言える。
そのウィルスやバクテリヤは生命分子からスゴイ能力を受け継いでいる。
その遺伝子は能力の遺伝子として組み込まれている、と感じている。
 
2010.01.09(Sat)  土佐錦魚TOP
1月 8日
 
晴れ
    外   内
朝   4℃  8℃
 氷厚0ミリ 上面水温4℃、底水温4℃ 蓋掛6℃
このぐらいの変化では、温室の最低水温はほとんど変わらないのが面白い。

 少し水位が減って来た。
この分だと二週間が水足しの目安になりそう。
四週間るすでは、途中一度は足さなければ。
家の留守番はいるが、水足しは元栓を開けたり締めたり複雑で頼めない。
どうするところか。


心の起源を読んでの比較 299

 なぜ能動的だったのだろうか。
大きな分岐点に存在していたからと感じている。
独立栄養と教わった植物のように無機物から自分でエネルギーを造れる能力と、従属栄養と教わった動物のように有機物を他から得る能力とが、将来、植物と動物を分けることになる大きな分岐点に存在していたから。
その能力が備わっている生命体が様々に生存していたから。
 生命体は始め濃いものの中で発生したのではないかと教わった。
だが、生存は難しいと。
その生存を可能にしたのが細胞膜という。劣悪な環境を膜で遮断する能力、それでもダメな時には少しづつ対応できるように機能を高めて行ったという。
劣悪なところで生存している生命体は、高めた機能、高い能力をもっていることになる。それを取り入れない訳がない。見逃すはずがない。
能力は機能によって発揮される。機能は体によって実現される。
能力を高めて、高い機能を発揮する体を得る時だったから、能動的だったのだろう。
 
2010.01.08(Fri)  土佐錦魚TOP
1月 7日
 
晴れ
    外   内
朝   3℃  8℃
 氷厚3ミリ 上面水温2℃、底水温3℃ 蓋掛4℃
だいたいこの程度ので水温で推移しそう。
ほとんどの日は凍るということになりそう。

 スキーへ行っている時の心の起源を読んでの比較は、毎日予約投稿にしました。
上手く毎日出るといいのですが。


心の起源を読んでの比較 298

 生命体的に融合ではなく摂食、あるいは逆に侵入的な共生利用の場合には、摂食あるいは侵入し共生する性格は遺伝するものの、結合した細胞の遺伝子に組み込まれることはない。
 摂食や侵入での場合には、遺伝子へ統合するための自己と他の区別を必要としないが、融合の対象とする場合には、有利か不利かを受け入れてから判別する以前に、細胞内へ受け入れて安全か、自己として受け入れられるか、非自己の他として排するか、摂食の対象かの判別をしなくてはならない。
 免疫と言うその役目は何時から始まったのだろう。
始めに触れたように、細菌類の頃ではないかと感じている。
核や細胞内小器官を備える以前としている。
遺伝子は存在していても、核としてまとまってはいない。
小器官としての他者を内有していない。
自己が他者と融合したり寄生したりが、容易となっている。
自己と他者との融合や寄生を、能動的にしている。
最も自己と非自己の選別を必要としていた頃。
最も有利と不利との選別を必要としていた頃。
 
2010.01.07(Thu)  土佐錦魚TOP
1月 6日
 
晴れ 氷厚1ミリ
    外   内
朝   3℃  8℃
上面水温3℃、底水温4℃ 蓋掛5℃
 薄く張っているのに、昨日と同じ水温。
錦魚用の水温計では微妙な差は計れないのだろう。

 スキーへ行っている間の心の起源を読んでの比較を書いていたら、時間の経つのを忘れていた。
このまま続けたいので、今日の分を出して、また続けることにする。

 まだスキーへ出掛けてもいないのに、スキーから帰って来る分まで出されてしまって、とんだ間抜けな話しでした。


心の起源を読んでの比較 297

 生命体の異種との融合では、進化として、また同様な有利を得ることがある。
原形質が混ざり合う感じや原形質に馴染んでしまうことを示している。
原形質流動によって混ざり合うことを示している。
 以前、さなぎの中で溶けるように混ざり合い再構築すると、芋虫が蝶へ変態する最中を表現したことがある。その間さなぎの内部では、芋虫の今までの組織が原型質流動的融合を経て、蝶への再構築がなされる。
それは、菌類の融合合体や菌類と単細胞生物の融合合体を連想させる。
 融合との表現には遺伝子の融合的構築が含まれている。
単細胞生物が取り込みによる遺伝子交換や、融合した本体の遺伝子は統一された遺伝子として構築されている。
融合された遺伝子がその中に含まれている。
分裂、あるいは再生される時には、統一された生物に含まれた存在となる。

細胞内共生へ至ることは最早教材に用いられている。
細胞内環境の変化によって遺伝子が造られる例になっている。
 
2010.01.06(Wed)  土佐錦魚TOP
1月 5日
 
晴れ
    外   内
朝   4℃  8℃
上面水温3℃、底水温4℃ 蓋掛5℃
 氷は張っていませんでした。丁度境目だったようです。

 通常にもどって目覚ましを6時にしたがかけわすれ、寝坊をしてしまったため目が覚めるのを待ってこれから階段登り、ちょっと冴えない今日の始まり、やはり三賀日ボケが残っているようです。


心の起源を読んでの比較 296

生命体の突然変異には遺伝子の意図が働いている。
生命体の突然変異は進化の源になっている。
生命体の進化は意図した偶然的生産となっている。
生命体と生物とが紛らわしい時には、突然変異も紛らわしい。
生物の突然変異には遺伝子の意図が働かなくなって行った。
生物の突然変異は進化の源にならなくなって行った。
生物の進化は意図された生産となった。
もし、その生産が未熟な場合、その意図の完成度に問題が存在する。
突然変異と言う言葉は、変異するものと進化するものとを混ぜこぜにしている。
 そのような言葉は多数ある。
突然変異と言う言葉は、知識によって判断したとき命名された。
知識の進歩によって置き去りにされた。
そのまま便利に使われ続けてしまった。
のちに生まれた解釈も含めてしまった。
突然変異と言う言葉は、理解して使用いないと誤解の元になる。
 
2010.01.05(Tue)  土佐錦魚TOP
1月 4日
 
薄晴れ 氷厚1ミリ
    外   内
朝   3℃  8℃
上面水温2℃、底水温3℃ 蓋掛5℃

 例年は冬籠りをしたら水温を測らなかったが、今年はスキ-へ行くまでは記録している。すると、氷が張るか張らないかぐらいが冬なんだと改めて認識できた。
寒い年には日中でも氷が溶けない時があったから、今日ほどが平均かもしれない。

 階段登りを済ませ汗を流すとする事がなくなり、ゆっくりとスキーへ行っている間の“心の起源を読んでの比較”を書ける。いつもは忙しい合間や睡眠時間を削っているがのんびり考えるのもいいもんだ。
 明日あたりお店も開くだろうからスキーのヘルメットなんかを探しに、人の中へ出掛けてみるか。 


心の起源を読んでの比較 295

 頻繁となっていた他種との融合は有利をもたらすが、突然変異をもたらす度合いが多かった。
増殖的範囲の融合や、同種での融合は融合体相互の範囲に留まり、突然変異をもたらすものが少なくなっていった。
統一された自己が確立されるに連れて融合は少なくなった。
雌雄となる生殖ではもっと少なくなった。
雌雄がハッキリした遺伝ではもっともっと少なくなった。
人間では最も少なくなった。すると変化も最も少なくなった。すると、体外に求めるようになった。
 融合時に突然変異を起こす場合、それは遺伝子の意図したところと異なり、事故的なもので、奇形的な要素となる。
 奇形的な要素は、母性によって抑えようとされる。が、通り抜けると免疫機能によって抑えようとされる。が、くぐり抜けると、誕生してしまう。が、母性は自己の分裂の対象とは見なさない。すると、母性淘汰か自然と行われる。
 自然界に生存し生殖を成しているものは、それなりの意味をもっているはずで、その意味に人間が気付いていないだけと思える。
 
2010.01.04(Mon)  土佐錦魚TOP
1月 3日
 
晴れ 氷厚1ミリ
    外   内
朝   3℃  8℃

  上面水温2℃、底水温3℃ 蓋掛6℃
氷厚1ミリでも、6ミリでもだいたいこの程度の水温のようだ。
これで今回の寒波が終わってくれるといいのだが。

 週間予報では木曜辺りからまた波が来るようになっている。
箱根駅伝を見ながら三賀日がゆっくり過ぎて行く。
夜になったら初詣に行ってこよう。

 今年も箱根駅伝は目が離せませんでした。
去年は悔しい涙を、同じ城西大学が今年は嬉しい涙を誘ってくれました。
その画面を見逃すと感動をもらえないので、つい見続けてしまう。
普段は若者の一途な気持ちを受け取る機会が無くなっている昨今。
もうしばらく、釘付けです。


心の起源を読んでの比較 294

 父性は母体で発生している時にも、かつて侵略や寄生していた頃の癖が抜けていない。
母体に利己的な無理を強いる。
母体は身を賭しても賄おうとする。
 父性は母性を利用するが、他の父性を排除して自己を残そうとする。
ある動物は、妊娠中の雌が他の雄の臭いを嗅ぐと流産をする。
すると他の雄を受け入れられるようになる。
ある動物は、他の雄の子を排除しようとする。排除された雌は他の雄を受け入れられるようになる。
ある動物は、強い父性の影響を母性に残し、現在の雄の子以外を雌が排除してしまうようにしむけている。。
ある動物の雌は、守りきれなかった子の奇形、身体病弱、精神病弱、成育不能を、雌の判断で排除してしまう。
狭く、父性が強く残っている社会に於いて、見られている。
ある猿は、他の群れを襲ったり、食らったりする。
人間という動物は、ある猿と大して変わらないことをする。
人間ならではの文化や風習で残虐な行為を平気でしたりする。
自然淘汰の範囲となるのだろうか。
 
2010.01.03(Sun)  土佐錦魚TOP
1月 2日
 
晴れ 氷厚5ミリ
    外   内
朝   3℃  8℃

 上面水温2℃、底水温3℃ 蓋掛5℃
今日も静かに明けて空気は澄んでいる。

 階段登りは順調に、大晦日は600段、元旦は900段、今日は1100段、
箱根駅伝がスタートしたため、やめることにした。
今年も爽快な始まりと言える。

 駅伝を傍らに見ながら、住所録やパソコン内の整理をすることにした。


心の起源を読んでの比較 293

 父性は常に、同じものを造ろうとせず、有利なものへ作り替えようとする。
有利になった自己を造ろうとする。
母性が守ろうとする遺伝子さえ、変えようとする。
母性の体でさえ利用しようとする。
 (ここでの利用とは、良いものを選ぶことではなく、不必要なものを抑えると良いものが働くようになることをいう。)
母性の守ってきたものまで変えようとする。
減数分裂時、受精時にまで働きかける。
すると母性は、融合時分裂時にも侵略不可能な遺伝子を確保する。
 分裂時に突然変異を起こすことが多いと教わったが、それは事故的なものと感じている。分裂時に突然変異を起こすことは母性の意図するところではない。
有利な変異は父性の働いたところとなるが、有利とならず淘汰されるものは父性の意図したところとならない。
それは遺伝子としての意図したところとも異なり、奇形的な要素となる。
それはもしかすると、生物以前の癖が出てきているのかも知れない。
 
2010.01.02(Sat)  土佐錦魚TOP

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