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11月30日
 
雨のち曇り
    外   内
朝   7℃ 11℃

 夏だったら起きる頃まで気を入れ粗彫りを終わらし、ホッとしたせいか寝坊。
早く起きる必要はないのだが。
起きた時が明るいと失敗したような気になるから、自分でおかしい。
 魚は静かだった。

 予報では凄く暖かくなると言っていた。
むらむらっと餌を与えたくなっていたが、今の予報では低くなっている。
与えなくて良かったが、ちょっと複雑。
 試し刷りをしてみた。
これ程落ち込んだ事も初めて。途方に暮れるとはこう言う事か。
去年も挑戦だった。ろくに出来なかった。60枚も出せなかった年賀状が今もここに残っている。それなのにもっと困難な事への挑戦。出来る訳がなかった。
出来るからやろうと思った訳ではないが、やってみたかったから。
だから、止める気にはなっていないが、腱鞘炎で熱を持っている指が刀を握ろうとしない。
 階段登りでもして、気を紛らせるか、
それともこう言う時の方が、心の起源を読んでの比較を書けるかも知れない。


心の起源を読んでの比較 261(番外編ナマコ2)

 植物と動物との分岐しようとしていた頃には、植物でも動物的生殖をするもの、動物でも植物的代謝をするものと混在して紛らわしかった。
その頃選択した植物的防御機能が、動物になっていても備わっているのでは、と感じられた。
 その機能をどのあたりに備えているのだろうか。
大雑把に内蔵と皮だけと言っていた。第一の犠牲者となる内蔵にはあるのだろうか。言及していないところを見るとなさそうで、食べ残された内蔵から再生されることはないのだろう。皮にはあると言っていた。
それは皮の一つ一つの細胞内にはあるのだろう。
 襲われた時、最終手段として起こる原形質流動的グニャグニャは、ほとぼりがさめると想定された出来事として再生を始める。
ハッキリしなかったが、その間一ヶ月とも三ヶ月とも言っていた。
もしかするとその間、溶けたようなナマコは眠りについているのかも知れない。
人間の胎児の胚発生時の眠りと似ているのではないだろうか。
 原形質流動的グニャグニャは、組織の解体を自らしている。かつての個へと分解している。自らの統一性を解体している。
個としての細胞に備わっている能力によって、眠りのうちに多細胞へ統一された自己へと、再生されているのではないだろうか。
おそらく、“海中だから成せる技で、空気中では起こらない出来事だろう”
 一見死なないようなナマコには脳死がないと言う。
何故なら脳がないから。
脳があったら戦いをしていただろう。
脳があったらこんな再生は到底無理。
脳があったら更に動いていただろう。
脳があったら更に食べていただろう。
脳があったら消費をしていただろう。
脳がないから、「考えないから生物ではないといったら、ナマコに失礼だよ」
やけに共感した。それは何故か、
 「高等脳がないから心が無いと言うことは、その生物達に失礼だよ」と、
代弁してくれたように感じていた。
 “ナマコは気持ちが悪くて嫌いだ。でも知らないでは理解できない”
逐一もっともだ。〔〕は風変わりな方が気があうようだ。
 “全世界を理解するための生物学”
 “ナマコから世界感を教わる”
始めからその感はなかったと思える。
ナマコと接しているうちにナマコから教わって、世界感を成して行ったと察する。
それは〔〕が錦魚と接しているうちにそうなったから、そう感じる。
 ナマコと人間と共通うする感覚があるのではと言う提示。
それは、脳が従えていると勘違いされている体どうしの感覚ではとの示唆。
まったく、ごもっとも。
こんな生物学者が居た事で、この世がまんざらでもない気がして来た。
 
2009.11.30(Mon)  土佐錦魚TOP
11月29日
 
曇りのち晴れ
    外   内
朝   8℃ 12℃

 なんとか8℃を保っていた。
久しぶりに北が吹いている。予報通りこれからあまり上がらないのだろう。
これで台風がやって来なくなればいいのだが。

 冷たく晴れている。昨日までが冷たくなかったからそう感じるのだろう。
日が出たから予報より暖かくなるのか、そうなっても餌を与える事は止めておくことにしている。


心の起源を読んでの比較 260(番外編ナマコ)

 じっと座っているのも疲れたので、別の椅子へ座り直していつものようにビデオを見始めると、爆問が大学を訪ねて、時の教授、名物教授とのやりとり番組。
今回は歌うことで知られているユニークな教授。生物学とのことで関心が向いた。
 棘皮動物の研究、ゾウとネズミの本で有名。〔〕がゾウとネズミを何気なく比較するのは、知らず識らずのうちに周りから話題として入っていたからかと思い当たる。撮影に際して新しいぴかぴかマイクを用意していることが微笑ましく、歌い出すと期せずして学生が手拍子する教育ぶりに、楽しめそうな予感も受けていた。
 黒いナマコを揉み出すと潮が飛び出た、二人がそれを避ける。ナマコが固くなったり柔らかくなったり、溶けるようにグニャグニャになったりする。
「ウヒャー」奇っ怪を感じさせる。このとき、太田が抱いていた教授への対抗心は、一緒にぐにゃぐにゃにされたように見えた。生理的にせよ気遅れを与えた初めての教授だろう。ナマコ研究から得た言葉がはしはしに現れ、共感するところが多く、次第に引き込まれて行った。
 ナマコは何をしているのか判らないほどの省エネルギーと言う。
それは動物でありながら一見止まっているような緩慢な動き、地から養分を得るような植物的動作とも受け取れる。
 詳しい説明を省いてだろうが、神経もないし感覚器官はないと言う。
簡単に言ってしまえば、腸の一切れがそこに落ちているような物。
腸だって以前は生物だった。取り入れられて腸としての役目を担っている。
それがもともとなのか、再度独立した生物となっているだけなのか。
 増殖的分裂をしたり生殖的産卵をしたりすると言う。環境による生殖方法の選択は、その辺りの生物と同時代的な選択を思わせる。
 代謝としての摂食は、砂を食むとゆう。
付着したり混在している生物や有機物を代謝しているという。その代謝は有機物を代謝しているにも関らず、植物のような無機代謝を思わせる。他生物への犠牲を最小限に留めていると感じられた。
 犠牲を強いることを最小限としているのに、理不尽にも襲われることはしばしばのようだ。それでも戦おうとしていない。戦う術をもっていない。
事態に際しても、身を犠牲にしながら逃れる術を身につけている。
目を覆うばかりになりながら、そこから再生する術を身につけている。
 どのような超越者でも成し得ない究極の術ではないだろうか。
超越者にはこれ程の再生力がないからだ。
超越者には自己犠牲的防備機能、防備的再生力が備わっていないからだ。
宗教的には奇跡と復活、現世と来世、といったものが代わりをしているのか。
超越者とは人間に於いての超越者であって、全てにとっての超越者ではない。
全てにおいての超越者となれば、むしろナマコの方が通じているかも知れない。
 超越者にない再生力をナマコはどこに秘めているのだろうか。
細胞内の小宇宙にではないだろうか。
そこには星座のように複雑な自己分化の記録がある。

2009.11.29(Sun)  土佐錦魚TOP
11月28日
 
晴れ
    外   内
朝   9℃ 13℃

 このところの餌やりで、魚が太ってくれた。
栄養が行き渡ったこともあるだろうが、曇りが取れたとこが一番だろう。
冬籠りへ向けて心配が一つ減ったことになる。
 餌やりは今日までかも知れないが、また、暖かい日があることを願うようだ。

 まるで九月頃の食欲ですぐ食べ尽くして欲しがる。でも我慢。
明日は曇りで暖かくならないようす、今日食べた餌の消化残りを明日にでもこなして、あとは苔を食べてくれると心配ないのだが。

 今、1000段が終わったところ、汗があらためて吹き出して来た。
昨日は800段、一昨日は700段と上がってきていたが、12月を待たずして到頭目的の1000段へ達した。
 あとは1000段を目標に体調に合わせてこつこつやって行くだけ。
さ、汗を流して、お茶飲んで、また彫り始めよう。

 今年の彫りは線彫り一辺倒から点描を入れたので、かなり手間取ってしまった。
が、目安がついて緊張がとれたか、丸刀を使って余白を削り始めた。
終わって再び細部の線彫りにはいると、手がふるえている。
そうか、力仕事の後は手が震えることをスッカリ忘れていた。
この分では食後の彫りはできそうにない、と、ワインを飲み始めた。
アルコールを飲むと気が大きくなって0.3ミリの線は彫れない。
結局やることが無くなってしまった。まだ19時半。
この頃は水商売並みに日付が変わってから寝ていたが、これからどうしよう。

心の起源を読んでの比較 259

P 199つづき 【生物世界の歴史の途方もない長さに比べれば、心の世界の歴史はまだ浅い。このことを考えると、自然淘汰に生き残った強靭な社会に、自由意志にもとづく社会が対抗して生き残るのは、それほど容易なこととは思われない。あるいはこういってもよい。人間が生物として生きることもかなりむつかしいことであるが、それでも波にのっていけば、なんとかなるであろう。】

 人間としての歴史はまだ浅いが、心そのものの歴史はハチの歴史より深い。とすると、あまりに人間偏重に過ぎはしないか。心と言えば人間と言うことになってしまう。そう言っているのだからそう受け取ればいいのだが。
 節足動物には高等脳がないから心が無い、と、どうしていい切ってしまうのだろう。高度な意識活動はないだろう、だが、意識活動は認められる。
高度な意識活動への誇りがそうさせているのか。
ハチの意識活動ではどうして心と言えないのだろう。
どうしても繰り返してしまう
【】の論ではどうしても納得し難い。
 極端に言えば極上の心は人間にしか無い。
ちょっとおまけして類人猿まで心と言えるものがある。
まあなんとか哺乳類までは心らしきものがあると言えるのだろうか。
その前提でハチの心を淘汰してしまう。
生物学者淘汰とでも言えるのだろうか。
生物学者はみんなこの見解なのだろうか。
これが生物学者の世界なのだろうか。
 
2009.11.28(Sat)  土佐錦魚TOP
11月27日
 
晴れ
    外   内
朝   9℃ 13℃

 さしも冷たくなく風もなく、餌を与えられるのはいいのだが。
もう少しで明るくなる。魚の様子を見るまで、また机。

 なぜか曇りが薄くなっていた。許容範囲まで薄くなっていた。
とにかく喜んでいい。少し気分が良くなって来た。
階段登りをする気になって来た。


心の起源を読んでの比較 258

心の起源の系統樹は成り立たないだろう。
成り立つとすれば神経系の系統樹となる。
心の関係の系統樹は成り立たないだろう。
成り立つとすれば神経系の系統樹と重複。
心の社会の系統樹は成り立たないだろう。
成り立つとすれば神経系の系統樹の外側。

 神経系と体液系の精神活動が意識され言葉によって心と表現される。
いつ意識された、が知識上の心の起源となる。
いつ言葉により表現された、が知識上の心の歴史となる。
いつ生物と呼ばれた、が心の起源となる。
そこから生物を以ての試行が実質的に始まっているから。
 その呼ぶと言う行為も精神活動であり、言葉の表現となる。意識の及ぶところとなる。心とはなにか、ということと同じこととなる。
研究者によって系統樹はバラバラになる。
 
2009.11.27(Fri)  土佐錦魚TOP
11月26日
 
晴れ
    外   内
朝  12℃ 15℃

 暖かい朝、いっせいに顔を出して欲しがっている。
餌を与えられるのは今週までだろうか。
来月もあるだろうか。

 天気予報を見ると暖かい日を喜んでばかりはいられない。
来たから冷たい寒気が強く吹いてくれないと、台風が来てしまいそう。
来週は餌を与えられないことは覚悟しているようなものだから、
ぜひ、台風を逸らしてもらいたいものだ。


1126、心の起源を読んでの比較 257

 【】の言おうとしていることは解るのだが、ハチを引き合いに出さなくてもいいのではないだろうか。

人間はハチと同じだけ生物としての時を経ている。
少なくとも系統樹の分岐点からは同じ時間となる。
ただハチになってからと人間になってからは違う。
人間になる前は生物世界の生き物だったのだから、
今もって人間が生物世界の生き物なら同じになる。
人間は生物世界と人間世界を二重に経ているのか。
人間は生物世界と心の世界を二重に経ているのか。
そもそも生物の系統樹には生物社会が描かれない。
そもそも生物の系統樹には心の社会が描かれない。
そもそも生物の系統樹には心の世界が描かれない。
生物社会の問題は生物社会の系統樹が必要になる。
心の社会の問題は心の社会の系統樹が必要になる。
心の世界の問題は心の世界の系統樹が必要になる。

 生物世界のそれまでを表したのが系統樹になる。
【】に生物社会の系統樹を表してもらいたかった。
【】に心の社会の系統樹を表してもらいたかった。
【】に心の関係の系統樹を表してもらいたかった。
【】に心の起源の系統樹を表してもらいたかった。

 そうすれば目に見えてハッキリしていただろう。
 そうすれば疑問な点もハッキリしていただろう。
 
2009.11.26(Thu)  土佐錦魚TOP
11月25日
 
やみそうな雨 十時頃に止み 昼頃晴れ
    外   内
朝  10℃ 14℃

 餌を与えていても何とかなりそうな日が続いてくれている。
今日は減った水をたすようだが、外の丸鉢は雨増やしている。
内だけになりそう。
明るくなったら、そこの魚の曇り具合を確かめるようだ。

 やみそで止まない雨、魚の曇りはひどくなっていなかった。
このところは季節としては暖かかったか、南の雨が多かったのか、
思い返してみなくては。

 健康診断に言って来ました。ついでに前立腺ガンと肝炎ウィルスの血液検査と旧来のインフルエンザワクチンも、よって、今日の階段登りはお休み。
今日のお風呂は診断前に入っておいたし、アルコールは大量でなければ良いと言うことで、ボジョレーヌーボー以来健康診断前一週間の禁酒が解禁。
血圧は上々、心電図も異常なし、メタボもOK、ひとまず一週間後の結果を聞くまでは楽しめそうです。結果が良かったら例年のように、忘年会を重ねることになりそうです。


心の起源を読んでの比較 256

 それは人間の社会しか、心の社会を創ることができないからだ。
心と心が紡ぎ合うことは、心のないハチには絶対出来ない。
少なくとも子育てをするツノゼミの母子間には、遺伝子的心の交流が認められる。
獣と言われる哺乳類の親子にも、遺伝子的心の交流や立派な家族愛や心と心の紡ぎあいを感じられる。
心が無いと心の社会を創れない心とは、余りにも遺伝子を排除し過ぎている。
 高度な精神活動へ偏重している。(人間としてのおごりか)
 生物への思いやりを忘れている。(研究対象への冷視線か)
 生物への心の配慮を怠っている。(博愛を失っているのか)
人間の社会が社会の世界の中でも最高峰と勘違いしている。
社会の世界には尊重すべき様々な社会形態が存在している。
人間の世界にも尊重すべき様々な社会形態が存在している。
(上記箇条書き三行は、〔〕が錦魚に対するとき行っていたことと同様として、 反省の意を込めています。)
 
2009.11.25(Wed)  土佐錦魚TOP
11月24日
 
曇り
    外   内
朝   8℃ 13℃

 外は8℃を保ってくれた。内は全部締めたので5℃の差。
昨日餌を与えたので、外の8℃はギリギリ願い通り.
今日も餌を与え、明日は雨ということで止めておこう。

 日は薄く漏れる程度、一℃しか上がっていないが欲しがっていたので、与えてみた。う~ん、影響が出るか、温度次第。

 突然の来客で今までかかってしまった。
健康診断は明日に、心の起源を読んでの比較はこれから。
健康診断前はなにも食べられない。食事もこれから。


心の起源を読んでの比較 255

 【まだそれぽど長い時間をかけた試練を経ていない未完成の原理といってよいだろう。その原理を私たちみずからが、つくっていかねばならない。】
 社会という現象を起こす原理を創る心という能力を育てて行くと受けとめる。
未完成の原理を、心だけで創ろうとするから、
もともとは、命の働きによる生体数増加が、原理を創る必要性を生んでいた。
 増殖はなぜ行われたのだろう。
自己の生存が保証されていれば、増殖の必要性はないはずだが。
自己の生存がある程度担保されると、うずうずしてきた生命の推進力は、増殖せずに納まらなかった。自己に有利に突き進まずにはいられなかった。
有利な自己への働きが進化となって現れた。
 個性が同じ自己が増殖している分にはそれでよかったが。
徐々に個性が異なり始めた自己が生殖するようになると、自己の間に競争が生じた。
親子、家族、親族と群れを成すほどに、共に生きる術を身に付けるようになって行った。
 増殖、生殖、繁殖は命の歩み、試練は命が与える。
 共に生きるは心の歩み、術は心が与える。
社会の原理を心のみに求める時、その原理を私たちみずからがつくっていくことは、叶わないだろう。
 
2009.11.24(Tue)  土佐錦魚TOP
11月23日
 
曇りのち晴れ
    外   内
朝   6℃ 11℃

 今週は餌を与える方向で考えることに、
日が出たら魚を見て決めることに。

 日が出てきて8℃へ上がると餌を欲しがって浮き上がって来た。
少し餌を与えた。
陽射しがたくさん温めてほしい。

 昨日も今日も600段、1000段へ段々と、
この分では、明日あたり健康診断へいけそう。


心の起源を読んでの比較 254

P 199つづき 【一方社会をまとめる原理を比べてみると、ハチの社会は生物世界の長い歴史をくぐり抜け、弱肉強食、優勝劣敗という自然淘汰の荒波に耐えて生き残ったという、いわば保証書付きの原理を捉えている。それにひきかえ、ヒトの社会の基礎にある自由な意思にもとづく連帯というかたちは、まだそれぽど長い時間をかけた試練を経ていない未完成の原理といってよいだろう。その原理を私たちみずからが、つくっていかねばならない。】

 【】の言おうとしていることは理解できる。
 だがはたして、つくって行けるのだろうか。それまでに人類が絶滅する可能性はかなり高い。むしろ、造って行く方向より壊して行く方向なのか。
 自然的本性をもとにしていれば、つくることは叶わないだろう。
自然的本性を克服するためには、本性を押さえて行かなければ叶わない。
遺伝子と同じように、必要なものを選んで働かせることをせず、不必要なものを抑えて行く、それは自然的本性を克服して行くことにほかならない。
自然的本性を克服するための契約は既に備わっている。
自然的本性を克服するよう、契約せずとも自然とその原理は働いている。
 
2009.11.23(Mon)  土佐錦魚TOP
11月22日
 
曇り 朝雨のちくもり
    外   内
朝   6℃ 10℃

 12時までに寝床に着けば5時間前後で目が覚めるようだ。
この頃は、毎年だが、運動は階段登りだけ、後は基本的に座っている。
この頃は、それでも疲れを感じるようになってきた。

 さっき雨が降ったような雰囲気や痕跡があったが確認できなかった。
今はもう雨音がし出した。
 朝の水温が10℃付近を維持する週が来ているようなので、様子を見ながら最後の餌を与えて、籠り態勢へもって行くようだろう。12月に入って冷えるようなら早々と思い切るようか。


心の起源を読んでの比較 253

P 199【ハチでは始めに社会があって、そこから個体が生ずるのに、人では始めに個体があって、そこから社会が生ずる。あるいはハチの個体は脆弱であるが、その社会は強靭であるのに、ヒトの個体は強靭であるが社会は脆弱であると言っても良い。社会があらわれる順序が、ハチでは全体から個へと向かっており、ヒトでは個別から全体へと向かっているのであるから、まったく逆である。】

 ハチとは心が無いただ生きているだけの生物としていながら、生物社会としては認めている。そんな生物に社会がつくれるのだろうか。生物社会とはそんな生物が創る社会のことをいい、心が有る生物は生物社会に属さない別の心の社会なのか。
【ハチでは始めに社会があって、そこから個体が生ずる】
【ハチの個体は脆弱であるが、その社会は強靭である】
【社会があらわれる順序が、ハチでは全体から個へと向かっており】
あたかも社会がハチを支配しているかのように言っている。
 始めに支配するような社会が存在していたのだろうか。
心が無いハチは簡単にそうされたのだろうか。
するとそのような社会は、生物より以前に生物を支配すべく存在していたのだろうか。
 それともハチ自身が支配されることを願って、社会を形成したのだろうか。
心が無いハチにそのようなことが出来るのだろうか。
心が無いから、社会に支配されるのだろか。
それが大部分の生物社会なのだろうか。
だから、心の社会が別に存在するのだろうか。
心の社会とは生物社会の上の階層なのだろうか。
 
2009.11.22(Sun)  土佐錦魚TOP
11月21日
 
晴れそうな曇りすぐ晴れ
    外   内
朝   8℃ 12℃

 昨晩は二時までしていた。
結局目が覚めたのが六時半、ビルに陽が当たっていた。
今日は温かくなっている。外には餌を上げられないが、内には上げてみよう。

餌をあげに出たらもう晴れていた。
いい陽射しになったので窓を大きく開けに行ったら、もう餌が無くなっていた。
ほど良く温かく、程良く空気がしまり、陽射しはたっぷりでなんか嬉しくなってくる。

 遅ればせの階段登りのイメージが整って来た。
今の水準では納得がいくメージを掴んだと思える。
300段ほど済むとこの分なら500段は難なく出来そうな気になって来た。
外足に軸を置きながら内足に重心を移す。分けの解らないようなことをイメージのうちで実行できるようになってきた。
400段過ぎると500段になったらもう止めようとヤッパリ思う。


心の起源を読んでの比較 252

 【】の心は判断と選択を司る機能として誕生した。
心はもともと危険なものとして登場して来た。
危険なもの邪魔なものを抑えて人間が扱えるものとしてきた。
 なるほど、使いたいものを選ぶのではなく、使いたくないものを抑えるやり方は、遺伝子と良く似ている。
すると、心と呼べるような精神活動になって来た。
そして、心の世界を創るまでになった。
すると、生まれてくる個体は丹念に心と心の結び目を一つずつつないでいって、その結果として社会がつくられるというかたちをとる。
 心がつくる社会は危険な心がつくるのでなく、崇高な心が創る社会になって欲しい。
 そのように心から願う社会の実現は、遠い遠い将来ではないだろうか。
身分制度で人間扱いされない人の時代は延々と長く、植民地や領地争奪、文明の破壊は現在でも続き、この間までおおっぴらな奴隷制度でさえあった。
 人は憎み合い、欲のために殺し合いもするが、ハチには一切ない。
ハチの心は全体が一致しているから。
社会がキッチリしているから。
人は心をハチのように一つ一つ繋ぐことができないから。
人はいまだに対立が絶えない。
 
2009.11.21(Sat)  土佐錦魚TOP
11月20日
 
晴れ
    外   内
朝   4℃  8℃

 いつものように点検に行くと溜池の水が無くなりかけている。???、
ポンプの音がしている、ということは水がでている。
どこから出ているのだろう。
かすかな水音を探すと糸目へ送っていた仮付けのパイプが外れていた。
まずポンプの電源を抜き、溜池のコックを止め、配管の修理を。
狭い中に体を潜らし外れた片方を探すが見つからない。
もたもたしていると明るくなって、物陰に片方を見つけた。
差し込もうとしても上手くいかない。
体をもう一つ奥へねじ込んで、なんとか挿し込む。
でもギュッとねじ込むほどに力を入れられない。
良くこんなところに配管したものだ。
感心しながら回りを少し片付けて、力を入れられるようにして、ギュッと。
溜池へ水をためだし、一段落。
寒さを忘れる、体が温まる、久しぶりに緊張した朝でした。


心の起源を読んでの比較 251

 【これに対して心の社会(たとえば人の社会)は】
(たとえば人の社会)としていることは心の社会が人の社会のほかにも存在していると受け取れる。
それは人類を含む霊長類を指しているのだろう。
それは人類への進化を辿る猿人類、現在の人類に近い類人猿としていて、
おそらく現在の猿類は除かれているのだろう。
その類人猿と人類の現在の差と同じように、類人猿の社会は人類の社会からはほど遠く離れたものといえる。
それは、 発展の規模と複雑さにあるのだろう。
類人猿は適した環境と適した規模の家族あるいは種族的規模に留まっている。
それはまた人類の通過した規模となっている。
類人猿が人類の通過点に留まる意味は、ハチが留まっていることと似通っている。
人類は類人猿のように適した環境から更に適応能力を高め広範囲となった。
人類は類人猿のように適した規模から更に適応能力を高め大規模となった。
すると、心の社会と称される社会を創った。
その人の社会では、類人猿の社会と同じように丹念に心と心の結び目を一つずつつないでいったら、家族の社会がまず埋もれ出した。
つづく、親族の社会が薄れ出した。
つづいて、民族の社会が覆われ出した。
人の心の社会は、【生まれてくる個体は丹念に心と心の結び目を一つずつつないでいって、その結果として社会がつくられるというかたちをとる。】が、
「個として心」も「関係としての心」も人の社会となってしまうと、【ヒトでは個別から全体へと向かっている】が、「個として心」としては、さらにさらに遠い道のりとなってしまった。
 
2009.11.20(Fri)  土佐錦魚TOP
11月19日
 
曇りのち雨
    外   内
朝   6℃ 10℃

 冬籠り近し、暗い空気はそんな思いをさせる。
このまま暖かい日が巡ってこなければ、12月初旬に籠るようになる。
 どうしても、暗いうちに目が覚めてしまう。
明るくなってからの点検でいいのに、どうせ世話を始めるのは夏と違って明るくならないと。
 暗いうちの点検が終わると、朝の水温を書く。
ついでに心の起源を読んでの比較を書いている。
書き終わると体をスッキリさせる体操に入り、
後はいつもの順序。
一段落すると心の起源を読んでの比較を見直してから、出すようにしている。
早いうちに書くとどこか寝ぼけている。
夏場は見直す時間がないので、つぎに読んだ時に直している。

 少しは温かくなっていい時間なのに、いぜん6℃のまま。
当歳が数尾腹や尾を底に着けている。
もう少し温かくなってもそうしているようなら、冬籠りに耐えられないだろう。
抄い出して温室へ入れるようになる。


心の起源を読んでの比較 250

P 198つづき 【生物社会(たとえばハチの社会)では個体は社会のなかに埋没している。個体ははじめから社会の構成員として生まれており、単独の個体としては生存することすら危うい存在である。これに対して心の社会(たとえば人の社会)は個体(つまり個人)の自由な意思にもとづいてつくられる連帯である。生まれてくる個体は丹念に心と心の結び目を一つずつつないでいって、その結果として社会がつくられるというかたちをとる。】

 この例えでは、生物社会がハチになり、心の社会が人になるのだろう。
ハチには心がないとしているから、ハチは当然ただ生きているだけの生物社会。
心を代表するものは人間ということになるから、心の社会としてもっともな例となる。 
【生まれてくる個体は丹念に心と心の結び目を一つずつつないでいって、その結果として社会がつくられるというかたちをとる。】
このようになったのは何時だろうか。
このように天国のような社会になったのは。
もしできているとしても、ごく限られた一部であり、ほんの一瞬だろう。
心は登場したとき危険なものだったが、それでも何とか納めた精神活動としていながら、ここでは天国を創れそうな素晴らしいもののように描いている。
心を終始危険と言いながら、用いるときは気高いもののように扱っている。
知識としての心は危険なのか、感じる心は気高いのか。
 
2009.11.19(Thu)  土佐錦魚TOP
11月18日
 
曇りのち晴れ
    外   内
朝   8℃ 11℃

 よく降ったがやっと止んでくれた。
朝10℃を下回る日がしばらく続きそう。
たまに見回りをするだけは、うらさみしい。

 少し明るくなると、少しあたたかくなった気がして、もしかしたら餌を上げられるかも知れない。上げられるようになっていのかも知れないと、変な気持ちと一緒に見回りをする。
すると、親は餌を欲しがって浮いてくる。
エッと思って水温計を見ると11℃。
当歳は8℃。
8℃なら上げても大丈夫だったかも知れない。
10℃以上だから与えればいいのにと、ささやき声。
温室を締めれば15℃は保てるのに、と。
締めれば今日は陽が出てうんと暖かくなるよ。
なんで、首を振って耳を抑えているんだろう。


心の起源を読んでの比較 249

P 198 心の社会と生物社会
【生物社会と心の社会を比べてみると、それぞれの世界の独自性がくっきり浮かび上がってくる。なかでも強く感じられるのは、生物社会の強靭さとそれに対する心の社会の脆弱さであろう。】

 表立って働くものは生命力として推進する。
 根底に流れるものは生心力として制御する。
生物であれ生物社会であれ生命の働きは突き進む。
生物であれ生物社会であれ生心の働きは常に進む。
だが共に、物質で構築された生体としてでなければ働けない。
三位一体として働く。
三位一体でなければ働けない。
そのうちの心を取り除くわけにはいかない。
この行為は心と言う言葉の認識の違いに留まっていない。
精神活動を高見にもち上げたことに発している。
人間を崇高なものにしてしまったことから始まっている。
人間は一つの能力の精神活動を目覚ましく発達させた単なる生物として存在する。

 目立つ生命力は強く見える。
目立たない生心力は弱く見える。
生物社会と心の社会を通じて生命力と生心力を垣間見て感じているのだろう。
 
2009.11.18(Wed)  土佐錦魚TOP
11月17日
  
曇りすぐに雨
    外   内
朝   9℃ 13℃

 北が冷え冷えと吹き、冬籠りの近いことを知らせている。
これから冷たい雨が降るという。
冷えが続くしばらくの間、錦魚を忘れることが出来るだろうか。

 もう降って来てしまった。
予防薬を入れて置いたし、昨日は餌を与えていないし、不可抗力以外の思いつく心配の種はないはず。ゆっくり室内作業に取り組ませてもらおう。

 もう何年寒くなると階段登りを続けているだろうか。
この階段が出来て二年目にぼちぼち始めたから、十年になる。
始めのうちはあちこちひねってかえって傷めたこともあったが、
今年は足首も、膝も、腰も、首も治って体の悩みが大分減っている。
錦魚の世話が楽になている。
だが、十年経つと体力が衰えている。


心の起源を読んでの比較 248

 このところ、本の内容紹介のようになってしまったところもあったが、それでも良かったと思っている。真っ向からぶつかりっぱなしでは後味が悪い。
ある作家が虫の心が解ると言った。
ある芸術家が絵の心が解ると言った。
ある科学者が掴みようのないものを心と表現してしまうと言っていた。
ある生物学者が心の起源とはと言った。
人間のこころとは、それぞれがそれぞれに感じたものなのだろう。

 人間の一つの心では、その一つにしか平穏は訪れない。
心と心が繋がると、その繋がりに平穏が訪れる。
人間の心がすべて繋がると、人間に平穏が訪れる。
心を持つ他の生物が、同じようになるとその生物に平穏が訪れる。
人間と他の生物の間に心の階層が存在すると、その間に平穏が訪れることはない。
すべての生物の心が大きな心のもとに繋がると、生物全てに平穏が訪れる。

 あと十数頁で本書も終わる。
気になることが出てきても既に何回か言い尽くされたことばかり、もう反論を述べる気が萎えてきている。社会生物学的見方が出てきてからは穏やかに読むだけにして、これからは徐々に比較することから、意見を述べるだけにしていきたいとは思っているのだが。どうやら【】は社会生物学を通り過ぎてしまったようだ。
 
2009.11.17(Tue)  土佐錦魚TOP
11月16日
 
曇り
    外   内
朝   8℃ 12℃

 月曜日の夜明け前は一番静かに始まる。
晩秋の夜が明けると活気が一度に始まる。
 今日は8度。昨日水換えをしておいて良かった。
そう思ったのは人間で、魚は寒さが余計に身に染みているだろう。
次の水換えは明日の雨が止む明後日の予定だが、冷たい水に怖じ気付いてしまうのでは。
 明日からはしばらく餌を与えられなくなるようだから、本当は今日は与えない方がいいのだが。
もう少し水が温まって魚が動き出すようになってから決めよう。

 餌を与えることを止めた。
最後の決定理由は粒餌だったこと。
糸目なら昼間の暖かさで消化吸収も何とかなるだろうが、粒餌は後を引くに違いないと判断した。
無理は止めた。
また暖かい日が巡ってくるさ、その時に与えて、与えられなくなかったら冬籠り、ここに来て、無理をする必要は何もない。


心の起源を読んでの比較 247

 心の世界は高度に発達した中枢神経系を備えた生物にしか存在しない。
これは、あんに人間を示していると受け取れる。
克服するための契約は、人間と交わされた契約を示していると受け取れる。
人間の身体が契約を交わすことは出来ないから、心が交わしたことになる。
だから、心におかれているのだろうか。
心がなにと契約を交わしたのだろう。
すると、心とは何だろうと言うことに戻らざるを得ない。
契約を交わした相手は何だろうと言うことに触れざるを得ない。
 〔ここで言う契約とは、単に法律上の契約や約束ではなく、ユダヤ教やキリスト教における神の意志と人との関係に重ねることが出来る。
やはり、生物学から離れ、生物学では回避すべき領域となってくる。〕
 心や命を科学で論ずれば、ブラックボックスに納めることになる。
哲学や宗教が科学の内としたにしても、納得のいく結論は出ない。

 科学者は脳と心を結びつけたがる。
脳にこころを見つけたがる。
それを言葉で伝える。
言葉は社会的に共通する。
社会的に共通した言葉で脳が心を考えると、心は共通して表現できるものに限られてしまう。
それは、限られた思考の領域に限られてしまう。
それは始め性理学と訳され、やがて精神学と呼ばれ、現在心理学と名付けられる。
それは最初に心とはとの定義付けから始まる。
心の学問の歴史と言える。
学問は時代とともに進む。進歩とともに変わる。心の学問も例外ではないだろう。
心の起源も例外ではないだろう。
 
2009.11.16(Mon)  土佐錦魚TOP
11月15日
 
曇りすぐ晴れ
    外   内
朝  12℃ 16℃

 雲は多いいが隙間の空は高い。
12℃ならなんとか手がもつだろう。
さ、開始。

 ヤッパリ3時間、動いたって言う感じが残る。
水も良し、陽射しも良し、温度も。
やっと、魚達も気持ち良さそう。
 さ、これから階段登り。

 雲の変化は特に夜明けあたりで驚かされる。
隙間しかなかった空がこ一時間で青空になっている。


心の起源を読んでの比較 246

 【自然的本性を克服するために契約がおかれると考えられよう。】
ここだけを抜き取ると生物学からの見方となっていないことが伺える。
今まで【】が生物学から言って来た心とは、身体的発達が生んできたものとなっている。
【】は生物学という身体で心を考えて来ていたが、ここまで来ると身体から離れざるを得なくなったようだ。
 心は、一端発達した身体から生まれると別世界を形成して、心の世界となり、
身体は相変わらず生物世界となる。
身体は、物質+生命=生物世界。
ここに心の世界は存在していない。
心は、発達した生物から生まれた精神世界。
精神世界は発達した中枢神経系を備えた生物に存在する。
ここから、心の世界が始まっている。
自然的本性は、心の世界が始まる以前から存在している。
自然的本性は、生物世界におかれていることになる。
克服するための契約は、心の世界が生じたことと関連している。
克服するための契約は、こころの世界におかれていることになる。
生物世界から生まれ出た心の世界におかれている克服するための契約が、生物世界の自然的本性を克服するための契約になっているのではないかと、【】は感じている。
 【それがなんであるかはまだみえてこない(表8)。】
“心は、発達した生物から生まれた精神世界”としている以上、永遠に見えてこないだろう。
 【】の言う心とは、身体から生じている現象でしかないからだ。
“身体から生じている現象が身体におかれている自然的本性を克服する”
このどうどう巡りでは、永遠に見えてこないだろう。
およそ生物学らしからぬ、契約がおかれているという考えに達しながら、
果てしなく見えてこないだろう。
 
2009.11.15(Sun)  土佐錦魚TOP
11月14日
  
雨のち晴れすぐ曇り
    外   内
朝  11℃ 13℃

 びっちょり濡れて雨は止んでいたが、これからまた強く降るという。
明日頑張ろう。
 今日は昨日終わらなかった下絵をなんとかしよう。

 世話をサボった分、階段登りは500段へ、気持ちの良い汗となって来た。
痩せるはずが筋肉が付いて来て太ったような。
これから、これからと言い聞かせて、これから机に向かって座りっぱなし。

 ヤッパリ、今日水換えするようだった、と思える陽射しとなった。
夏と違いこのぐらいの陽射しでは急激な水の変化は起こらないだろう。
と、慰めている。
明日は13℃以下でもシッカリ手を入れて鉢洗いをしなくては。

 すぐ曇ってくれたから過ぎた心配はしないで済んだが、もう少し錦魚の世話が落ち着いてくれるといいのだが。
錦魚と下絵と心の起源を読んでの比較とで精一杯になっている。
他にもやることがあるのだが、やってられない。


心の起源を読んでの比較 245

 【これは対立というよりも、自然的本性を克服するために契約がおかれると考えられよう。】
 自然的本性は、命から来るものに他ならない。生命力と置き換えることが出来るだろう。
 克服するための契約は、心から来るものに他ならない。生心力と置き換えることが出来るだろう。
 性善説は、心を基本に置いて、克服するための契約を掲げている。
 性悪説は、命を基本に置いて、自然的本性を掲げている。
対立と見ることも、陰と陽と見ることも、パートナーと見ることも出来るだろう。

 それにしてもここにきて、正反対から始まった【】と〔〕の矢印の方向は、いぜん正反対に変わりないが180度線上に並んだかのように、中心的一点へ向かうことができてきたようだ。
 なんだか張り合いを失ったかのようで、一気に疲れが出てきたような感じさえ受ける。、、、溜め息が出そう。
 
2009.11.14(Sat)  土佐錦魚TOP
11月13日
 
曇りのち雨
    外   内
朝   8℃ 13℃

 久しぶりに5時に目が覚め、夜明け前の空を見ることが出来た。
昨日は訪問者があり、たくさん話しをしたことでぐっすり眠れたのだろう。
寒く冷えた風なのに、空はすっかり雲に覆われ、新宿だけがぽっかり赤と黄色と青の異空間になっている。
 今日の8℃を踏まえ昨日餌を与えなかったのは賢明だった。
カラスが今頃になって吠え出している。
寒くなるとカラスも寝坊するのか。

 見えない雨粒が肌に冷たくあたります。
本降りは暗くなる頃になるのでしようか。
明日水換えの予定は朝の暖かい日曜日にずれ込みそうです。


心の起源を読んでの比較 244

 生物である以上、食して代謝することは宿命となっている。
だが、生物が植物のみであったなら、心の世界は必要なかったかも知れない。
少なくとも現在のようには働かなくて済んでいただろう。
 物質と命との働きが植物で留まるようなら、それが限界と見えていたら、試行が始動することはなかっただろう。
 それは植物が無機物を有機物にかえる代謝をしているからだ。
動物は有機物を無機物にかえる代謝をしているから、動物は消費者、植物は生産者と言える。
その意味では循環が成り立っているとも言える。
その意味の内だけの代謝だったら罪は成り立たないのかも知れない。
植物世界でのせめぎ合いは環境の内での棲み分け的になっている。
動物の世界では棲み分け、食い分け、弱肉強食的自然淘汰となってしまう。
そうであったにしても、代謝に必要分のみの消費であれば、突出するもの、し続けるものは希だろう。生命世界ではそれを常と言っているかも知れない。
 植物は罪を犯さずして、結果的に罪作りをしている。
動物は罪を犯しながら、代謝をしていながら、罪とならない世界を創ることが、できるのか。
人間は必要な代謝以上をせずに納めることができるのか。
これが現在の試行対象になっている。
 
2009.11.13(Fri)  土佐錦魚TOP
11月12日
 
雨 まもなく曇り
    外   内
朝  13℃ 16℃

 今朝も降り止まず。
サボった後ろめたさの分、曇りが増えてしまった。
その分下絵は進んでいる。明日か明後日には何とかなりそう。

 春先に三時間の世話をすると疲れるように、今日も疲れを感じている。
ずーっと楽をしていたから体が戻ってしまったのだろう。
 机に向かい30分集中すると目と首と集中力が限界になってくる。
そこで立ってうろついてお茶飲んで食べて、朝の階段登りだけでは運動不足。
スッカリ体が鈍ってしまったようだ。

 昼には曇りが濃くなっている。
水換えをサボるとろくなことにならない。
土曜の雨が止んだら治療へかかることになりそう。
冬籠り前にはキレイにしておかなくては。


心の起源を読んでの比較 243

 本来、自然淘汰は命の側の制約であって、心の制約を同軸に並べて超える超えないの対照とするものにならない。
 命にとっては心が制約だから、その制約の制約は存在していなか、あるいは命が心にとっての制約と言えなくもない。
その制約を心が必要としていることは、対象を人間の心としているからにほかならない。
ハチの歴史とは比較にならない心の歴史をもつ人間の方が、心が無いとされるハチよりも制約を必要としていれることは、神経系の心のほころびが露呈したかたちになる。
 特にミツバチは、代謝、成長、増殖のどこを探っても罪とするところが見つからない。しかも、植物との共存共栄を実現している。
そこにあえて、心の制約を働かせる必要はなにもない。
人間で言えば、超越者的存在になる。
それでもミツバチは試行の究極にならなかった。
それは、ミツバチが繁栄し過ぎると、共栄の植物も繁栄し過ぎる。
すると、繁栄し過ぎた植物に押し退けられた植物と動物が、淘汰される。
そして、ミツバチ一色の時代になろうとすると、ミツバチの天敵が生まれる。
その天敵は心の制約がもたらす訳ではない。
制約を心ならず受けていた命が行う。
この事は、ミツバチが完成形でないことを示している。
命が強かなことを示している。
 完成型でないことはなんとなく感じとれるが、完成型がどのようなものなのか、想像もできない。
勿論、人間の知識の範囲に留まらない、試行の結果となる。
 
2009.11.12(Thu)  土佐錦魚TOP
11月11日
 

    外   内
朝  17℃ 20℃

 降り続く雨だが驚いたことに温度が高い。
餌を与えるようか迷うところ。
明日は確実に与えられなくなるだろうから、今日は与えたいところ。
でも雨が気がかり。

 餌を与えたいという本能的働きにはどうしても勝てない。
雨の中、与えてしまった。
 サボりたいという本能的誘いにはやっぱり勝てない。
餌を与えただけであとは何もしなかった。


心の起源を読んでの比較 242

人間がそのようなことをしてもいいのだろうか。
そのようなことを頼める相手がいるのだろうか。
頼む一方でなく、報いることが出来るのだろうか。
生物全てとしての契約なのか。
そのなかにはハチもミミズも植物も入るのか。
心が無いそのようなものに契約など出来る訳がない。

【】はその相手をあるいは心として、意志活動の制約がされたから心の社会があると言う。
だから、働く自己展開則においては、わからないと言うほかがなくなる。

人間は誰と契約を結んだのだろうか。
 そこには契約などない。
人間が結んだ契約などない。
人間の他に契約を結んだものがいるのか。
人間以外が結んだ契約もない。
人間は人間を人間以外より崇高なものと思っている。
人間は心を人間が造ったと思っている。
人間は心を人間の所有物と思っている。
人間は人間が思考したり意識することを心と思っている。
人間は人間の思考したり意識することを心と定めている。
人間は人間の知識を以て心を探っている。
人間は人間の知識を以て心を定めている。
人間は知識で理解できないものを心と定めている。
人間は契約上の生物でしかない。
 
2009.11.11(Wed)  土佐錦魚TOP
11月10日
 
晴れのち曇り
    外   内
朝  13℃ 17℃

 いつもとは逆で四時に寝たので目覚めたのが六時半。
良く目覚めたものだ。
急いで世話していそいでまた寝るようだ。
今日の階段登りはまた目覚めてから決めるようだ。

 雨が降ってもいいような水は出来ている。
今夜から明日は降り続くという。
その予報では土曜辺りが水換えとなりそう。
間3日間は楽が出来るのか、雨の中世話をするようか、魚の調子次第。
 とうとう階段登りはサボってしまった。
やはり規則的な生活をしないとかえって体の調子が崩れそうだ。
下絵は三割ほど進んだか、目の調子も気にしなくては。
夜更かしせずコツコツとすることに。


心の起源を読んでの比較 241

 【これは対立というよりも、自然的本性を克服するために契約がおかれると考えられよう。】
 ここで言う契約とは、単に法律上の契約や約束ではなく、ユダヤ教やキリスト教における神の意志と人との関係に重ねることが出来る。
やはり、生物学から離れ、生物学では回避すべき領域となってくる。
 ここで言う自然的本性を克服するための契約とは、遺伝子の利己的活動と利己的意志活動を克服するための、遺伝子暴走活動と利己意志暴走活動の制約を人間が何者かへ頼んでの契約と言える。
人間にそのようなことが出来るのだろうか。

 比較のために再び【8表】と、8表に重ねた〔8表〕を載せてみる。

              生物社会         心の社会
基本原理に対する制約ー 遺伝子活動の制約     ー意志活動の制約
        (個としての生命は制約される)ー(個としての心は制約される)
働く自己展開則ー生存競争に生き残れるようにふるまうー わからない
           (自己淘汰則がはたらく)   ー(道徳律がはたらく?

生物社会おける制約    自己として         社会として
基本原理に対する制約ー 遺伝子暴走の制約     ー利己意志暴走の制約
      (利己としての生命は制約される)ー(利己としての心は制約される)
働く自己展開則  ー生存競争に生き残れるように  ー共に生き残れるように
           (自己淘汰則がはたらく)   ー(利他則がはたらく)
 
2009.11.10(Tue)  土佐錦魚TOP
11月 9日
 
うす曇りのち晴れ
    外   内
朝  12℃ 16℃

 夜中まで下絵を描いていたら、目覚ましを書けるのを忘れ、寝坊をしてしまった。もう5時過ぎ。
まだ暗さは残って、上天には1つ2つの星と月が照っているが、雲は白みを増し、空はかなり青みを増している。
 世話は明るくなる6時過ぎから始めることが多くなり、これからの就寝は遅くなる。最低水温は6時から7時に出るだろうから計れるが、夜の空は見られなくなりそう。
 新宿の街のネオンの多くは4時頃までに消えるのだろうか。夏の2時に見る時とは濃さも範囲も色合いも薄くなっている。5時過ぎには色の気配は感じにくく、月曜の朝方はなおさらになる。
 これから朝の体操をしてから、世話を始まることにする。

 餌を貰う習慣がつくと12℃でも上にあがって来て欲しがる。
今日は世話が終わる前から暖かくなって来た。
つい多めに与えたくなったが、やはり控えめにしていると、他の世話をしている間に無くなっている。そして欲しがっている。
 でも我慢。

 一昨日階段登りをサボったせいでもないだろうが、昨日から楽にできるようになって来た。準備運動では息が切れない、昨日も今日の300段、昨日はやっとだったが、今日な難なく出来た。しかもスキーのイメージまで描きながら余裕だった。しかも終わって浴びないと納まらない汗をかいていた。風呂からあがると今日のワインを決める余裕。
 そう言えば、心の起源を読んでの比較を書いていても内容がしつこくなって来た気がする。これもみんな世話が楽になって行きたからだろう。


心の起源を読んでの比較 240

 【もし、生物としての本性の制約が心の社会の成立の条件であるならば、】
 ここで言う生物としての本性とは、生物活動の基本原理のうちの生命が生命を食らう代謝が最も関っているだろう。代謝は最も遺伝子の利己的活動となり、利己的意志活動となっている。
 代謝、活動、繁殖の活動は、他の活動が代謝の場合より制約として働く場合が強く、繁殖の場合は、雄は利己的意志活動が強く、雌は制約が強く働いている。
 ここで言う生物としての本性の制約とは、単に遺伝子全搬に渡る制約ではなく、本性と表現される制約されるべく遺伝子の暴走活動の制約となるだろう。
 ここで言う心の社会とは、中枢神経系が生み、神経細胞の間に存在する心が創る社会ではなく、生物としての本性を制約しうる根本的な、生物の三要素の心が創る社会を示していることになるだろう。
 ここで言う心の社会の成立の条件とは、単に意志全搬に渡る制約ではなく、制約されるべく利己意志の暴走活動の制約が条件となるだろう。
 
2009.11.09(Mon)  土佐錦魚TOP
11月 8日
 
晴れのち曇り
    外   内
朝  13℃ 17℃

 夜の快晴、月が照り、だから星がパラパラなのか。
ビルを照らすように新宿の街は明るいが、このところ赤みが薄くなっている。 
 今日は13℃、手を入れられる。
今日も餌をあげられる。次の雨まであげられるようだ。
 朝に階段登りをしないとヤッパリ、夕飯前では忘れてしまう。
世話して、運動して、朝食、下絵描き、例年通りの習慣に努めるよう。

 世話して、運動して、朝食まで進んで、運動前に書いた239を下書きを始める前に載せておく、始めるとまた出すのを忘れそうだから。


心の起源を読んでの比較 239

P198【しかし、私たちの立脚点である生物世界と心の世界の重層を前提とする立場からすれば、これは対立というよりも、自然的本性を克服するために契約がおかれると考えられよう。もし、生物としての本性の制約が心の社会の成立の条件であるならば、そこにはたらく制約は自然淘汰を超えたものとならなければならないが、それがなんであるかはまだみえてこない(表8)。】

 【それがなんであるか】は、知識の線上である限り永遠に見えてこないだろう。
【そこにはたらく制約は自然淘汰を超えたものとならなければならない】
自然淘汰と同列に考えるとまた超える超えないになってしまう。
せっかく【これは対立というよりも、自然的本性を克服するために契約がおかれると考えられよう。】生物学の範囲を超えたところまで辿り着いたのだから、しばし生物学からの観点を柔軟にして、深く追究してみても面白かったのに。
 
2009.11.08(Sun)  土佐錦魚TOP
11月 7日
 
曇りのち晴れ
    外   内
朝  12℃ 16℃

 今朝12℃あれば、昨日餌を与えて正解だったようだ。
薄い雲が一面に覆って放射冷却を緩和したのか。
切れ間の空は青みがさし、新宿の色もどこか黄色みを帯びている。
静かな朝のはずなのに、カラスが我が物顔で吠えている。

 明るくなるのを待って世話を始めることが多くなった。
魚が餌を欲しがって浮いてくる。
早く水換えを終わらせてあげようと、体が自然と動き始める。
ヤッパリ世話が出来ると、いいな。
 うっかり、朝食を食べてしまった。
その前に、階段登りをするのを忘れてしまった。
今日は夕飯前にすることにした。

 下絵を描き出したら、出すのを忘れていました。

 昼食を食べ終わり、再び机に向かい描き出していたが、いつの間にか線描きから点描へ移っていた。
 それに気が付くと、木版では初めての点描へも面白いのではないかと思い始める。
木版では版木が直ぐに傷んで、枚数が摺れないだろう。
 でも、やってみよう。
決まるのに、それほど時間を費やさなかった。
 今まで描いていたことを無駄にして、また、一から始めることとなる。
初めての試みだ。こんなことを何回か繰り返すのだろう。
 でも、やってみよう。


心の起源を読んでの比較 238

 8表を補足させてもらうとしたら、【わからない】のところへ、
〔共に生き残れるようにふるまう〕と入れさせてもらう。

【】の論に当てはめさせてもらうと〔共に生き残れるようにふるまう〕となるが、
〔〕の論をその上に乗せさせてもらうと、全く違う展開となってしまう。

生物社会おける制約    自己として         社会として
基本原理に対する制約ー 遺伝子暴走の制約     ー利己意志暴走の制約
      (利己としての生命は制約される)ー(利己としての心は制約される)
働く自己展開則  ー生存競争に生き残れるように  ー共に生き残れるように
           (自己淘汰則がはたらく)   ー(利他則がはたらく)

 利他則が働き出すと社会の形成は容易になってゆく。
だが、命の利己は常に強くはたらき続けている。
利他則がそれに追いつかないと社会は利己に用されてしまう。
すると、利他則が以前より強くはたらき出す。
このせめぎあいは、次第次第に利他則を強めながら時を刻む。
いつの日か利他則と利己則が拮抗する時がくるだろう。
それを体験するのは、はたして人間だろうか。
 
2009.11.07(Sat)  土佐錦魚TOP
11月 6日
 
晴れ
    外   内
朝   8℃ 13℃

 月が照り、星が散ってはいるが、僅かにビルが霞んでいる。
新宿はまた赤く色付いて来た。
 いくらか落ち着いて来た冷え込みに、餌を与える気がして来た。
明るくなってから、判断しよう。

 世話は簡単、餌を少し与えた。
準備運動で息を切らして休んでも、階段登りも200段した。
 それでも早く終わってしまう。
そうして錦魚から離れて行くのだろう。


心の起源を読んでの比較 237

P197 表8 「心の社会」と「生物社会」の対比

              生物社会         心の社会
基本原理に対する制約ー 遺伝子活動の制約     ー意志活動の制約
        (個としての生命は制約される)ー(個としての心は制約される)
働く自己展開則ー生存競争に生き残れるようにふるまうー わからない
           (自己淘汰則がはたらく)   ー(道徳律がはたらく?)

 心の社会の自己展開則をわからないとしていることが、何故だかわだかまりなしで理解できるようになってきた。

「個体としての生命」となって世代交代を繰り返す遺伝子が生命の再生をなす時、体内社会としての【遺伝子活動の制約】によって(個としての生命は制約される)。
発展の末の「個体としての生命」は統一された意志の現れとなる。
過去は制約されてはいるが、発生の段階でその主張と役目は報われている。
 もし、主張と役目をかえりみずに疎かにすると、一つのクローン化と似たような事態を引き起こし、寿命が短かったり、弱かったり、奇形的だったり、適応力不足だったり、機能不足だったりする。
過去のすべてを辿ってこそ「細胞としての生命」を尊重することになり、すべての「細胞としての生命」を満足させて、「個体としての生命」は滞りなく誕生する。
 
 8表を補足させてもらうとしたら、【わからない】のところへ、
あなたなら、なんと入れますか。?
明日、〔〕の意見を入れさせてもらいます。
 
2009.11.06(Fri)  土佐錦魚TOP
11月 5日
 
晴れ
    外   内
朝   8℃ 13℃

 久しぶりの月が照り、星が散らばっている。
空気も冴えて、まだ冷えを残していた。
新宿の空ものっぽビルの下を這うように、色付いている。

 冬の先駆けは今日で一段落か。
明日からは深まる秋の世話を冬になるまで修行のようにこつこつと。

 年賀状を買って来た。
さて、下絵の準備にかかろう。


心の起源を読んでの比較  236

 「細胞としての生命」が発展と衰退を繰り返すうちに有利とした発展形態の一つの流れは、「細胞としての生命」が他の「細胞としての生命」と結びついて行くうちに、一つの遺伝子から他の自己を発生させながら形成する、アリやハチのような体外的細胞社会だった。この社会は他の自己に役目をもたせることで、体外的な機能をはたしていた。
役目以外に求めることをせず、その役目を発展させることが遺伝子への忠実となった。そこにはそれ以上、個の脳の発展を望むことなく、社会の発展こそが目的となった。
 「細胞としての生命」が、発展と衰退を繰り返すうちに有利とした発展形態のもう一つの流れは、「細胞としての生命」が他の「細胞としての生命」と結びついて行くうちに、自己の体外的社会とせず、自己を複雑に発展させた体内的細胞社会を造り上げ、「個体としての生命」を充実させて行く方向となった。
「個体としての生命」は更なる発展を求めて対外的社会をも造り上げて行った。

 その別れは、系統樹での大きな分岐点となっている。
アリやハチの方向へ伸びた枝には【】の言う心が生じた生物はいない。
ミミズは人間へ通じる枝となっている。
だから、植物より心に近いことになるようだ。
アリやハチはこの先どんなに進化しても、【】の言う心を得ることは出来そうにない。
ミミズは可能性を持っていることになる。
だが、その心とは、人間が定めた心となる。
学問の成り行きで変わりゆくことになる。
人間の心次第で変わりゆく心となる。
 
2009.11.05(Thu)  土佐錦魚TOP
11月 4日
 
晴れ
    外   内
朝  5℃ 10℃

 星がハッキリ見える。雲も可愛い程度。新宿も色付いていない。
今日も世話を止めた。
写真の切り抜きを続けるつもり。

 起き抜けから座っていると滅入ってくる。
体操をする気が出てきた。
終わると、階段登りをしてもいいなと思えて来た。
明日からはまた世話が始まりそう。
今日はその後のために、階段登りをやてみることにした。

 階段登り準備体操で息が切れて一休み。
150段がやっと、口で息をしながら精一杯。

 体を動かした後はくよくよしないで済むらしい。
今日じゅうに切り抜きを終わらせて、明日から年賀状へ移る目処がついて来た。
選び出しと違って繰り返しの作業は気が楽でいい。


心の起源を読んでの比較 235

P197【......「細胞としての生命」が「個体としての生命」の基礎におかれていながら、ときに癌細胞の活動として個体の生命を脅かす存在.......】

【「細胞としての生命」が「個体としての生命」の基礎におかれていながら、】
「細胞としての生命」が「個体としての生命」の基礎におかれているのに、心になると細胞としての生命には心が無いとして、個体としての心の基礎とされていない。
 このような矛盾を繰り返し繰り返し指摘するのも疲れてきた。

 がん細胞も「細胞としての生命」の時代は勢覇的繁栄をむかえていたに相違ない。そこに心の働く余地が狭められるに連れ、その繁栄は自ら滅んで行った。その繁栄と滅びの度重なりは自然則や自然淘汰となって行った。
 生物の繁栄と生存は、生命の力の働きだけでは盛者必滅、必ず次の盛者やとなるべく強いものが台頭してくる。
生物の繁栄と生存は、生心の共存共栄の働きは穏やかにもたらされる。
 生体の癌細胞的なものは過去の繁栄の名残りとして残っている。活躍時には生体の成り立ちにも貢献していただろう。発生初期にはかなりの役目も負っているだろう。だが現在の生体としては、自己の他として抑えられている。
その自己認識に何かの支障が出たとき、押さえが欠けて働き出してしまう。
【ときに癌細胞の活動として個体の生命を脅かす存在】となっていても、
癌細胞は自己として認識されつづけている。
 自己の他としての認識の復活が、自己へ害を与えずに癌細胞を抑える元となるのではないだろうか。
 繁栄を極めた癌細胞と同期の生物は、その時すべて滅んでいることはないはず。その環境に有利な機能を利用したものが、その分をわきまえることで存続しているはずで、その仕組みは密かであっても、生き残り引き継がれている。
現在人間がなにかの自然則に反すると、たちまち癌細胞が場違いに現れては、忘れていたはずの繁栄を求め始める。
ガン治療究明の根本はそこら辺りにあるかもしれない。
 
2009.11.04(Wed)  土佐錦魚TOP
11月 3日
 
晴れ
    外   内
朝  6℃ 10℃

 昨日水を替えたのは、餌をあげたのは失敗だったのか。ここまで冷えるとは。
新宿の空まで何色もなく冴え冴えしている。何もかも流されて吹き飛んでいる。
北風だけが音をたてている。

 結局、世話は何もしなかった。
手持ち無沙汰なので会報の編集を始めることにして、一番面倒で写っているか居るか心配だった写真にとりかかることにした。
 何とかなりそうに写っている。
不満だがいくらかホッとして六時頃から整理にとりかかっている。

 昨日食べ過ぎたせいか? 座りっぱなしで動かないせいか?
ぜんぜんお腹か空かず、朝ミカンを二つ食べたて水だけ飲んで続けていた。
朝、昼、夕食が一緒になりそう。
昨年同様写真の魚数が多い。どうしてそうなるのだろう。
年々判断力が落ちてくるから年々ひどくなるだろう。
1尾1尾確認しながら撮ればいいのだが、撮るだけでやっと。
そこまで気を回すことはできない。
昨年間違えたと聞いたが、どれを間違えたかは確認をとれていない。
また今回も同じになりそう。
ちょっと口で間違えていると言わないで、キチッと指摘をしてもらいたい。
遠慮しているのだろうけど、何時までたっても続いてしまう。
自分が悪いのだが、編集していてもまたかと張り合いを失う。
協力する意味で、自分の魚が間違えて乗っていたら、シッカリと指摘をしてもらいたい。

 18時、写真の選び出しが終わって、切り抜きの目処がついたところで、今日は止めることにした。
 やっぱり、魚の世話をしている方がいい。
明日は切り抜きの出来るところまで。
手を入れられるようなら魚の世話をしなければ。


心の起源を読んでの比較 234

P196 から P197 【ここに生じてきた支配則は「個としての心」に対してはたらきかけて、それより高次の「関係としての心」を生みだすものであることを、忘れるわけにはいかない。「個としての心」を脅かすものにさえなり得るだろう。それは「細胞としての生命」が「個体としての生命」の基礎におかれていながら、ときに癌細胞の活動として個体の生命を脅かす存在ともなるのに似ている。「個としての心」が自我の心であり、「関係としての心」が自我を加えた心であるとすると、高次の心に対する規範としての道徳律は、定次の心のはたらきを単に延長しただけでは、浮かんでこないものであろうと推測できる。】

  「個としての心」と「関係としての心」 が再び、
「細胞としての生命」と「個体としての生命」の対象と扱われている。
【「細胞としての生命」が「個体としての生命」の基礎におかれていながら】
【「個としての心」が自我の心であり、「関係としての心」が自我を加えた心であるとすると】
「個としての心」とは既に個体として、しかも高度に中枢神経系の発達した個体にしかありえないと言っているのに、細胞としての生命と同列に扱われている。
既に高度な「個としての心」の対象に、心のありえない「細胞としての生命」の癌細胞を採り上げ、個体の生命を脅かす存在としている。
 【】が言いたいことは解るのだが、心の設定が余りにも不安定で、【】自体の心の認識がふらついてしまうことが感じられる。
 
2009.11.03(Tue)  土佐錦魚TOP
11月 2日
  
曇り 夜に冷たい風と雨
    外   内
朝  14℃ 18℃

 厚い雲が一面、東が強く、変わり目の真っただ中か。
新宿の色も吹っ飛んでしまたかのよう。
雲が白く、のっぽビルをシルエットにして、いつもよりスッキリしている。

 親の水を替えている間に北風に変わり襟首がひんやり、
そこで急遽丸鉢の水換えをすることにした。
明日冷えても手を入れる心配もなくなる。
今日雨が降るかも知れないが、さほどでないと高を括ることにした。
 きのう、雨に対して予防の薬を入れ忘れ、少し曇りが増えている。
その対策としても今日替えるべきだろう。
 餌の量も明日の冷えを案じて半量にして置いた。

 昼頃には顔に雨らしきものがあたった。
夜には凄く冷たい北が唸っていた。
明日は魚も凍えているだろう。
今日の餌は与えない方が良かったことになるが、夏日の後ではつい与えていても仕方のないところ。
明日の世話はメッキリ少なくなるだろう。


心の起源を読んでの比較 233

P188  ふたたび記号系【内分泌系の記号はホルモンという生活活性物質であり、これに対して神経系の記号は神経細胞の電気的興奮であった。あえてよぶならば、前者は科学的記号の体系であり、後者は物理的記号の体系といえよう。】

 実にハッキリと教えてくれているのでまとまりがついてくる。
内分泌系のかつての役割や現在にも重きを置いている〔〕としては、ホルモンという生活活性物質で片付けてしまうにはしのびない。
生活の範囲ではあまりにも納まらず、生命維持、存続、繁殖のような根本を担っている。
 心は神経系であるという【】の立場からするとそうなるのだろうが、神経系は体液系の相互補助を受けていればこそで、神経系の持ち場は華々しいが、体液系あってこそ成り立っていることを踏まえて欲しい。

P189 ここでもあっさり免疫系を除いているが、免疫系は生きて行くうえでの自己認識による自己確立と自己存続には欠かせないものになっている。
 内向的には、多くの生命との合体と接合を繰り返した後の生体において、個々すべての主張を活かし切ることはできない。どれかあるいはほとんどを抑えなければ、生体として統一された自己は形成できない。現在の自己を活かして、過去の自己を抑える、取捨選択の自己認識作用によって自己を確立している。
 外向的には、自己に対する多くの他の侵入や攻撃から守る働きも、自己と他との認識作用の判別が欠かせないものとなっている
それは生きて行くという生命的な働きとなっているが、心の働きでも自己の自己と自己と他者とを分ける自己認識の始まりともなっている。
 自己認識なくして、生心は成り立たない。
 
2009.11.02(Mon)  土佐錦魚TOP
11月 1日
 
曇り 薄日あり 南風強し
    外   内
朝  14℃ 18℃

 雲の隙間から星が二つ。
のっぽビルは霞むほど、霞いっぱいに滲みて行く赤い色が高く広く、新宿も池袋も渋谷にも沸き上がっている。

 もう11月、雨が上がると秋も深まる気配。
今宵の雨の対策は整っている。でも、雨上がりの3日の冷えの時、手を入れられるのだろうか。
ま、その時はその時でどうにかなるだろう。

 この南風で11月の夏日。
通り過ぎたその後木枯らしが吹いて一気に冬を感じさせるのだろう。


心の起源を読んでの比較 232

 心の社会とはどのようなものだろう。
心を精神、精神活動、あるいは意識、意識活動としたら、個体との関係としての意識活動と言うことになるのか。
その活動の有り様が社会で、枠内が世界か。
心それ自体が社会を形成できるのだろうか。
心はそれのみでは何も出来ない。
生物に宿ってはじめて働くことが出来る。
その形が生物社会となる。生物の意識活動はその発露と言える。
【】の言う社会は、世界と共通するところがあり世界と言い換えることもできる。
それは、なぜ世界や社会が出来たのか、いつ世界や社会が出来たのかの根本をブラックボックスに置いていることだ。
 生物ができて複雑に発達したから世界や社会が出来た。
 心ができて複雑に発達したから世界や社会が出来た。
これではブラックボックスのただの延長線上でしかない。
逆に言えば、何時でも、何処でも、何故でも、好きな時に、好きな事情で、
創ったり壊したりできる事になる。
【】の「生物社会」と「心の社会」との分け方は、
〔〕では、生命の営み+生心の営み=生物社会となる
社会を形成するには、生心の働きを欠くことができない。
社会とは共に生きようとする行動が紡ぎあげている。
 
2009.11.01(Sun)  土佐錦魚TOP

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