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10月17日
 
 曇り
    外   内
朝  14℃ 17℃

 新宿の赤さがたなびくように池袋の方に、ビルの向こうの渋谷の方にも。

 今日は曇りで水の変化があまりなさそうなので手抜きをさせてもらいました。
世話が早く終わって手持ち無沙汰ですが、少しゆっくりさせてもらっています。

 雨が降るかも知れないので午後の選別を早めに始めることにした。
そのあとには予防の薬を入れておくことにした。

 早めに始めれば早めに終わるので、早めだが予防薬を入れて、後は何もせず身を自重してゆっくりしていることにした。

 予報通り雨が降ったので、予防薬を入れたことでとても気休めになった。
朝にはまた元気で会えるだろう。


心の起源を読んでの比較 217

【最初にあらわれた細胞(それは「個としての細胞」であった)の階層の上に個体群(関係としての個体)の階層が重なっている】
 これは例えとしてではあろうが、同列の例として用いるならば、そこにこれほどの矛盾をはらんでいて良いのだろうか。
 「個としての細胞」は神経系さえ生まれていない。
まして高度な中枢神経系の存在は望むべくもない。
心が生まれていない階層であり、ここには個としての心はありえない。
 個体群と大きく括っているが、そのなかでも中枢神経系が心を生むまでになっていない個体群は、同じく心が存在しない、もしくは高度に発達していないものとして除外されるはず。
 心を持っていないもの持てないものの階層を心の成り立ちの例に用いるには、
不適切となり、よしんば用いるとしても確認と限定が必要になる。

 心が生まれていない「個としての細胞」が「個としての心」として同列に受けとめられる恐れがある。
 個体群であれば(関係としての個体)が「関係としての心」として付加されて良いと受け取れてしまう。

 〔〕の論では、元々「個としての細胞」に心が在るので、
素直に「個としての細胞」が「個としての心」として受けとめられる。
個体群であれば(関係としての個体)が「関係としての心」として付加される。

 【】がこの矛盾に気付かずに用いていることは、「個としての細胞」に心が在ると無意識的に感じている証拠となりはしないか。
 
2009.10.17(Sat)  土佐錦魚TOP

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