FC2ブログ
天気予報
ブログ内検索
月別アーカイブ
10月31日
  
晴れ
    外   内
朝  14℃ 17℃

 星はちらほら、雲一つなく、ちょっとだけ冷たい北が吹き、気持ちの良い秋が続きそう。
 新宿の空ははじけるようにのっぽビルの上の方まで赤い。雲がないのに。

 13℃までは丸鉢に手を入れる事にした。
12℃からはホース使用ということになる。
昨日の水替えはかなりいい線だったようで、もう水が出来ていた。
今日の水換えはその水を保つようにしている。
手を入れられる間は、小忠実に続けることにしよう。

 昨日は、ハプスブルグ展を観に新国立美術館へ。
新国立美術館にも少し慣れてきて、その手の洋画にも馴染んできたか、ちょっと余裕で? ランチでのんだワインの酔いだったか、絵画に圧倒される事なく技術を見ようと用意していた老眼をかけ、できるだけ接近してジーッと。
 ほろ酔いにも勢いがあったのか、
「あまり近寄らないでください」と、係員から注意を受けてしまった。
一応は柵の外からなのだが、よほど身を乗り出していたのだろう。
 それから控えて、気持ち控えて、ジーッと観て来た。


心の起源を読んでの比較 231

 【中枢神経系が発達していなければ「個としての心」をもてず、他者になりえない。】中枢神経系が発達していなければ他者になりえないのであれば、なりえないもの全ては自己なのか。それとも自己でも他者でもなく心の死を迎えた生物のように、心が無いだけでただ生きているだけなのか。
 生物社会の発達過程で心の社会を誕生させて来ているならば、
心の社会が誕生する以前での生物社会は、心のない生物社会だったのだろうか。
心が無くて社会ができるものなのだろうか。
心が誕生する以前と以後では生物社会をどう定義するのだろうか。
心の社会が誕生する以前と以後では生物社会をどう定義するのだろうか。
心の社会が誕生する以前と以後で生物社会を定義分けする必要がないとすれば、
心の社会と生物社会は誕生と同時に平行線だったのだろうか。

 心の起源を読ませて頂く切っ掛けは、タコに心が有るか無いかだった。
〔〕にとってはタコに心が無いと言う人がいるとは、考えもしなかった。
仮にタコには心が無いとすると、心が死んだ生物と同じように、ただ生きているだけの生物となるのだろうか。だいたい、心が死ぬと言う事などありえるのだろうか。それは高度な中枢神経系の死なのだろうか。中枢神経系がそこまで発達していない生物はみなそうなのだろうか。
 
2009.10.31(Sat)  土佐錦魚TOP
10月30日
 
曇の多い晴れのち優しい快晴
    外   内
朝  15℃ 19℃

 真上の空は黒く遠く、星を見せてくれる。
回りの雲は低く、新宿の淡く黄色みを帯びた赤い光を留めている。
 15℃だと手を入れるのだ苦ではなくなる。
台風以来今日は丸鉢をキレイにしてあげよう。

 気持ちの良い疲れだ。
陽も出てくれたし、魚も元気、手もかじかんでいないし、鉢は光っている。
今日の手入れはつつがなく全部済んで気が満ちているのだろう。


心の起源を読んでの比較 230 (番外編2)

 番組が進むと、ツノゼミの雌の子育て場面となってくる。
その場面から母性とは何だろうかと、再び考る切っ掛けを受け取っていた。
 母性とはいつから始まっていたのだろう。
生物の代謝、生存、増殖のうち、増殖に最も関っている。
代謝は生命が最も関っている。
生存は生命と母性が共に関っている。
母性は生物上の心の象徴かも知れない。
増殖そのものが既に母性的と書いた事がある。
雄が生じる以前はすべて雌だったと。
生物が増殖を始めたときから、母性は始まっていた。
増える、育成、生存へと繋いで行く。
そこには心の関与がありありとしている。
 例えば女王アリは母性の象徴となっている。
働きアリは母性として女王アリを補佐し、母性を分担している。
雄アリも普段は女王アリを象徴とする社会を守っている。
女王アリは母性と社会の象徴となっている。
自己の母性であり、社会の母性となっている。
 利他性はいつから始まったのだろう。
母性は個の自己の母性から始まり、個体の母性となり、集団の母性へと進んだ。
共に生き共にさかえる利他性は、母性が始まった時から、
自己同士の利他性を計った時から、母性と共に始まっている。。
社会は母性と母性から始まった利他性によって成り立っている。
その時から社会も始まっている。
母性と利他性と社会性は生心によって成り立っている。
 それでも利己的な生命の働きと母性は直接繋がっている。
繋がる母性から生じた利他性は、生命の利己性とは相反するものとなっている。
母性は生命と繋がる増殖のうちでありながら、母性に続く利他性は既に生心の発展系を示している。
 
2009.10.30(Fri)  土佐錦魚TOP
10月29日
 
曇りのち薄晴れ
    外   内
朝  13℃ 17℃

 真上だけぽっかりあいた曇り、星は見えない。
新宿は僅かに赤が滲んでいる。この頃は四時目覚ましなので、5時近いとネオンを消すところが多いのか。

 北風でも冷たいとは感じないが、曇っているせいかうす寒く感じてしまう。
当歳はめっきり肥えて来て、餌を欲しがり元気だがどこか淋しい。
疲労の咳が出ようとも世話に追われている方が落ち着くようだ。
世話中毒とでも言えるのか。


心の起源を読んでの比較 229(番外編1)

 昨日は世話が早く終わったので、心の起源を読んでの比較 228の纏めにとりかかり、頭ん中をグリグリさせながらなんとか終わって、お茶を飲みながらいつもより余裕でビデオを見ていると。
 ダーウィンが来た、の、ツノゼミが始まっていた。
コスタリカのジャングルに居るさまざまなツノゼミ、その擬態にワクワク、感心しきり、思わず声を出してしまうやら、楽しんでいた。
番組が進んで行くと、説明に説得力のない擬態に辿り着く。
上手く説明できないので進化のし過ぎではないか、意味の無い進化ではとの説。
 変異には行き過ぎや意味のないものがあっても、それは淘汰されてしまうはず。生存して進化と呼ばれるようになったものには、それなりの意味や意義を備えているはず。進化に意味のないものがあるのだろうか。
 よつこぶツノゼミと名付けられている。
一見アリの体の部分のような四つの黒い粒に感覚器的毛が生えている。
木の実に似ていると言う説は、見た目に関連性が薄い。
アリが触れている映像があり、アリに守られているのではとも言っていた。
ところがその以前の場面では、アリは恐いものの一つと言っている。
恐いアリに守られていると感じさせる、そこに何かが有るのでは。
 アリはその四つ瘤や体にも触れていた。
盛んに調べているように見えた。
コミュニケーションしているようにも見えた。
よつこぶツノゼミの四つ瘤が感覚器的にアリへ何らかの信号を与えているのではないだろうか。
おそらくその信号の内容は、アリに仲間と勘違いさせるようなものではないだろうか。
仲間だから襲わない。
アリがうろうろしていると、ツノゼミにとっての他の天敵が近寄らない。
仮に他の天敵に襲われたなら、アリは仲間が襲われてるとして助けているかも知れない。
そこには進化した擬態が存在していると感じられる。
 他のツノゼミの擬態は視覚へ訴えるものとされている。
嗅覚で襲ってくる天敵にはもろかった。
どこか弱点となるところがないと増え過ぎて困る。
よつこぶツノゼミはその弱点を克服して視覚以外の嗅覚的、また電気的擬態を備えているのではないだろうか。
嗅覚的なものとして、ホルモン的、フェロモン的とまでは行かなくても、認知程度のものかも知れない。アリ同士でもそのようななものを利用して、仲間として互いを認知しているのではないだろうか。それをツノゼミが利用したとは考えられないだろうか。
 そのかわりよつこぶツノゼミは、視覚的にはあまり意味をなさなくなっている。
視覚からその擬態の意味を探すと、意味のない進化と受け取れてしまうのだろう。
すると、視覚的に身を守る事が困難になってくる。
何てことはない、弱点はちゃんと代わりを差し引きしていた。
 アリを利用しアリに身を守られているとすれば、アリの居る環境を選んでいるだろう。
他のツノゼミも特定の環境を選んでいる。その環境にのみ適応している。
 その辺りは利用する環境による棲み分けともなるのだろう。

 日本人の科学者が研究を続けているという。
是非とも四つ瘤を調べて、物理的、科学的コミュニケーションがアリとの間でなされているかを、研究していただきたい。
 更に、アリのコミュニケーション機能と四つ瘤の機能の間に共通したところがあるか。
 続いて、一致したところがあるとしたら、遺伝子的に共通したところがあるか。
 仮にあるとしたら、擬態解明、感覚と遺伝子の関係解明への糸口になるやも知れない。 
 
2009.10.29(Thu)  土佐錦魚TOP
10月28日
 
曇の多い晴れ
    外   内
朝  11℃ 15℃

南に雲が多く北に少ない、真上に星が見え、まばらな雲がぽかぽか浮いている。
新宿の色は何故だか感じられない。
 11℃になると手がかじかんできつくなる。10度では鉢に入れるのが嫌になる。今は体調回復を図るので、手からの冷えを数時間受ける事を避けるようだ。
 魚も消化が遅くなるので、腹一杯食べさせる事は避けるようだ。
人も魚も徐々に冬に近づいて行く。

 魚が見えるようになった日の出前から世話を始めたが、もう終わってしまった。
結局ホースで底水と糞を取りその分を足すだけ。
昨日は暖かかったので思ったよりまともに糞をしていた。
でもプランクトンやバクテリアの活動は夏の比ではなくなっている。
それでも朝痩せは無く、ころっとしたまま。
 今日の最高気温と明日の最低気温を考慮して、今日は昨日より餌を少なめにした。

心の起源を読んでの比較 228

 生物社会との括りは、あらゆる生物における社会を対象にしていると思える。
ところが、心の社会は心を所有できる、しかも高度に中枢神経系が発達している生物に限られる社会となる。同列にできるのだろうか。
 しかも、高度に中枢神経系が発達している生物から生じる心と心の社会は、生物社会とは同次元と言えるのだろうか。
 しかも、【中枢神経系が発達していなければ「個としての心」をもてず、他者になりえない。他者となるものは「個としての心」をもち得る中枢神経系の持ち主となる。「個としての心」の持ち主は他者とが絡み合う「関係としての心」が付加される】、、、、、、、(この関係は後に社会といい換えられる)
 およそ生けるもの総ての中で、他者となり得ないものなどいるのだろうか。
他者となりえないものは、自己となりえないものだろう。
自己となりえてはじめて他者となりえるからだ。
 心を持てないものは他者になりえない。心を持っているから自己になり得る。
心が自己と他者を認識する境目、条件となるのか。
しかも心を持っていない生物は自己とも他ともなりえない。
そんなのは生物だろうか。
 
2009.10.28(Wed)  土佐錦魚TOP
10月27日
 
曇り世話の途中から晴れ
    外   内
朝  13℃ 14℃

 肌に感じる程度の残り雨、
新宿の色をすべて流しさった後に低く厚い雲が垂れ込めている。
目覚ましは四時に。これから明るくなると全てが動き出すのだろう。
 さあ、雨を丸鉢から取り払いに行こう。

 楽してサボった分タップリ世話をして、気力を充実させた分疲れをもらったはずだが、疲労の咳が出ない。飽きるほど寝て居たのが良かったようだ。
 世話の途中から晴れて来て、久しぶりに上の方の苔を乾かしてしまった。
何にしても晴れはいい。
 やはり、魚の曇りは増えていたが元気はそのまま、久しぶりの餌を食べている。
2日分の苔色の糞がキチンと溜まっていたので、思ったほど痩せた感じはしなかった。太り過ぎの魚がさほど痩せていなかった方が、なにかガッカリ。

 と書いたところで、地方から大会に出て来ていた会員が訪れた。
帰りの乗り物の時間まで話し込んでしまい、心の起源を読んでの比較を出すのが遅れて、これから朝食と昼食を一緒に食べる事になる。
それでも疲れがでないのは、大会が終わって気が楽になっているせいだろうか。


心の起源を読んでの比較 227

「生物社会」と「心の社会」と、分けていることにそもそもがある。
生物の生んだとする心が、どうして生物社会に含まれないのだろう。
心なくして、社会が生まれるのだろうか。
社会と心の関係はニワトリと卵の関係に似ている。
 ある学者が人間とは利他性を備えた生物と言っていた。
利他性が社会を形成する基となっている。
利他性は共に利を得る、個の共生、共栄、調和からきている。
その調和は心がもたらしている。
「生物社会」は、心の働きがなくしては生まれない。
「心の社会」とは、存在しえない。
存在するとすれば、個々の生心による、それぞれの存在社会となる。
それにしても心の社会とは言いえない。
意識の社会なのだろうか。
意志の社会なのだろうか。
それとも、心の階層の社会なのだろうか。
 
2009.10.27(Tue)  土佐錦魚TOP
10月26日
 

    外   内
朝  12℃ 13℃

 強い雨、昨日がこれ程の雨でなくてラッキーな感じがする。
雨にかこつけて寝坊をして、疲れにかこつけて世話全てをさぼることにした。
2日続けての絶食になる。
だるさと申し訳なさを天秤にかけている。
その間に目蓋が落ちてくる。
今日は許してもらおう。

 宵寝して、朝寝して、二度寝して、後ろめたさに寝飽きして。
十時を待たずに起きてしまった。
見回りすればなんか後悔見つけそうで、行くにも行けず。
じっとするにも腹がへり、世話してこその立つ瀬かな。

 朝食の代わりにお茶を飲み、思考力の回復を待って、
心の起源を読んでの比較 226を確認。
 もう少し腹の空くのを待って昼を摂り、昼寝かな?

 足早の台風は明日の世話を出来るようにしてくれるようだ。
しかも、予報では六時頃まで雨とか、それなら5時まで寝坊させてくれる?


心の起源を読んでの比較 226

【】の言う、神経系の進化と心の進化と生物の進化をおおざっぱに纏めてみる。

 神経系の進化        心の進化          生物の進化
神経系は無し ⇨心が無く、 ただ生きているだけの生物 ⇨単細胞生物、植物
神経系は発生 ⇨心が未発生、ただ生きているだけの生物 ⇨  ミミズ
神経系は初度 ⇨心が未発達、ただ生きているだけの生物 ⇨  節足動物
神経系は中度 ⇨心が発生か、ただ生きているだけの生物か⇨  間の動物
神経系は高度 ⇨心が発達か、心とともに生きている生物 ⇨  哺乳類
神経系は最高度⇨心が最高に、心を考えて生きている生物 ⇨   人間

これが、心の進化なのだろうか。
これが、心の階層なのだろうか。
植物を初期に除外してからは、動物の進化の過程ではないだろうか。
単なる神経系の進化の過程ではないだろうか。
 
2009.10.26(Mon)  土佐錦魚TOP
10月25日
 
曇り
    外   内
朝  12℃ 16℃

 止んでいる。
このまま降らなければ良いが。
昨日より北が感じられ1℃冷えている。冷気が雨をもう少し下に押してくれればこのままなのだが。
 ビルの赤い瞬きが以外と冴えている。空気も靄っていないようだ。
新宿の色も滲んでいない。

 今日は忙しいのでゆっくり考えている時間がない。
昨日のうちに纏めておいたので、早くに出したおきます。

 パソコンの前に座ったら、足がジンジンまるで痺れているように。
もう20時半、懇親会は笑いがいっぱいで楽しかった。午前中は雨の中ちょっとぴりぴりしていたけど。みんな良いところに入って上機嫌になっていた。
 それだけ実力が付いて来たと言える。
来年度から会の基本や理念を学ぶ勉強会が毎回行われることになった。
会員にやる気が出て来ているので、来年度以降は飛躍的向上があるやも知れない。


心の起源を読んでの比較 225

 統一され、意を強くし、利を重ね利己を強調した個は、更なる協調を求めた。
更なる個は個体となり、個の意識は統一された個体の意識となり、統一された個体の意志となった。
統一された個体の意識は個の意識で成り立っている。
統一された個体の意志は個の意志で成り立っている。
個体の意識も意志も階層の頂点とは意識していない。

 もし、自己内を階層にして差別したらどうなっていただろう。
いや、差別する前に統合されず、争いとなり、階層となる存在は他として滅していただろう。
 ともかく、続けてみよう。
差別された個は、ことあるごとに台頭しようとするだろう。
自己内下克上社会。役目に甘んじるだろうか。意識はバラバラになるだろう。統一された意志を保つのは大変だろう。
体外では自然淘汰や他の淘汰に見舞われ、体内でも様々な淘汰が活躍する事になるだろう。
 
2009.10.25(Sun)  土佐錦魚TOP
10月24日
 
曇りのち夕暮れ前から雨
    外   内
朝  13℃ 17℃

 雲はたなびいているのに星が見えない。雲が二重なのだろうか。
新宿の色は雲に反射すると鮮やかだが、それほど低くはないようだ。

 心配していた事が現実に、今日は曇りで、明日は朝から雨マークになってしまった。昨日までが良過ぎたからこんなことだろう。
 今夕は予防薬を入れて明日に備えなくては。

 出陳する当歳を選ぶだけなので、掬わないでなるべく覗いて魚選びする事にした。この天気で何故か水を動かしたくなかった。
 餌の量も三分の二へ、元水もうんと濃くして今日降っても今夜から降っても良いようにしてある。
 明日は雨が降っているだろうから底水と糞を捨てるだけで、丸鉢を洗わないで済ませるつもり。

 雨の中、会場へ運び、洗い、終えて来ました。
手伝いに遠くから来て下さった会員に感謝致します。
お陰さまで疲れも程々、就寝時間もいつも通りになりました。


心の起源を読んでの比較 224

 自己は統一された社会と、統一された意志と、統一された意識を持っている。
個の細胞は初歩的でも個の意識を持っている。
その個の細胞が他の個の細胞と交わり、統合された個となった。
統合された個となることは、それぞれの個にとっての利に叶った事になる。
そこで、それぞれの利に叶った役目の振り分けが行われる。
統一化された個の細胞は、統一化された個の意識を持ち、統一化された意志のもとの自己となる。
その自己内の統合された個の細胞の意識は、以前通りの個の意識として変わらずに持続するが、働きは役目の意識となる。

命はエネルギーの形で、生命の力として働く。
心はエネルギーの形で、生命の力からすると負の形として働く。

 例え個の利に叶っていたとしても、生命の力だけでは争う事となり、無事な統合は行われないだろう。利己的淘汰がまず行われるだろう。
 他を滅しても自己を生きようとする生命の力を調和するように、共に生きようとする生心が抑制として働き、協調が成されたとき統合は行われる。
生心による協調への誘導がなければ、他は滅する。
 
2009.10.24(Sat)  土佐錦魚TOP
10月23日
 
曇りのち晴れ
    外   内
朝  15℃ 18℃

 薄い雲に包まれている夜中の空は案外青い。
雲のあいまに星が見えそうなのに青さが遮っている。
新宿の赤も青さに吸い込まれているのか、今日はおとなしげになっている。

 湿度が少なく、北でも南でも適度に吹いて、陽射しがあって、こんな日が大会前に続いてくれると気を揉まなくて安らかだ。
 当歳は朝太っている子が増えて来た。
二歳もそこそこになって来た。

 二歳と同じように当歳へも餌を多めに与えていたら、今日の選別で太り過ぎが三尾もできてしまった。
丸手なのでおまけが付いて立ちを見せてしまった。
今期は立ちがいなくなっていたので、久しぶりにお目にかかった。
丸手は立ちになりやすく逆し向きやすい、だから今まで神経使って来た。
なのにここにきて、解り切った初歩的失敗をやってしまった訳だ。
 間違いは改むるにはばかる事なかれ。
すぐさま手入れをしてもいいのだが、対処療法で手をかける事はなるべく避けたい。
明日と明後日餌を抜けば、大分緩和されるはず。
その三尾を同じ丸鉢へ移してその後も餌を控え、冬籠りで定着させる方法を採ることにした。
 それでだめなら、二歳で手入れをすれば済む事。


心の起源を読んでの比較 223

 生物学上での階層は、進化の過程で生じる差別を構造化したことになるだろう。
だが、純粋に科学的に扱えば分別となるだけで、差別は生じない。
 より進化したものを差別的上級扱いしなければ、また、下級とされたものへ敬意をはらって役目を認めていれば、差別は生じない。
生物はすべからく自己内で差別を行っていない。
行っているのは自己と他を分別することだ。
だから生きていられる。だから存続できる。だから進化できる。
過去のものでも、現在利用価値のないものでも、一見低水準のものでも、遺伝子に記録し過去の貢献者として尊重している。
そのものの存在意義も、現れる場も、働く場も自己内に存在する。
だから、役目を果たすと誇り高くおとなしくしている。
 人間を人間の心を最上級と位置した時点で差別が生じ、生物社会、人間社会の階層となる。
そこから始まると、無意識にでもそれを維持しようとする。
すると、人間が一番優れているとする前提から起源を求めたくなる。
 その起源から外れたものは、心が無く、ただ生きているだけと切り捨てられてしまう。
 すると、心にも階層ができてくる。
 
2009.10.23(Fri)  土佐錦魚TOP
10月22日
 
晴れのち昼前から曇り
    外   内
朝  13℃ 16℃

 北からの空気がやって来ている、
日に日にそんな空気に包まれるのだろう。
雲が見つからない。広い空に星が瞬いている。
新宿の空も抜けて赤も青も遠くへ逃げて行った。

 気持ちよく晴れてくれた。
週半ばがあまり良い天気だと今度の日曜日が不安になってくる。
それでもこの好天を有効にできるよう、魚に曇りが増えないように、汚れを取っておいたが、元水は増えている。
 冷えと肥りと瘤との兼ね合いが上手くいくだろうか。

 大会備品も揃ったし、今朝の世話でも咳が出なくなったし、午後は大会出陳の親から選別を始めることにした。
 明日は二歳と当歳半分、土曜はもう半分。これなら土曜に無理をする事無く、体調も良い状態で大会へ望めるだろう。


心の起源を読んでの比較 222

 〔〕は、階層という言葉にあまり好感をもっていない。
単純にに受けとめれば、上下の層をなした重なりで十分だが。
同じ階層という言葉でも、当てはめる社会や条件によって意味合いが違ってくる。
例えば地質的に言えば地層を連想させる。
 階層を人間社会とアリ社会へ当てはめてみよう。
階層を構造化への差別と解釈したとき、
人間社会での階層は、構造化された差別となり、」
アリ社会での階層は、構造化された役目となる。
アリでは、自己内社会の構造化と同じように、体外社会の自己の構造化となる。
そこに、自己社会的役目はあっても、利己はない。
人間では、自己内社会の構造化とは異なり、体外社会の他との構造化となる。
そこに、社会的役目は失せて、利己のための構造化された階層が歴史となっている。

2009.10.22(Thu)  土佐錦魚TOP
10月21日
  
晴れ
    外   内
朝  13℃ 17℃

 2日前からの南風が北に変わったせいか空気が透き通っている。
数が少なくても精一杯輝く星、月が見えなくて残念だが、新宿はいつもと変わらず赤に侵されている。

 新宿の空が黄色みを増すころ、カラスがやけに騒がしい。ちょっとした異変でもあったのだろうか。
 二歳の肥りがもう一回りというところ、天気もいいし、冷えもいい、大会向けに少し食わし込んでみるか。

 当歳は直ぐ太るので警戒心を抱くが、二歳は目一杯食べてもさしもでない。
土曜日まで続けてみるか。ひょっとすると腹は出ずに全体に太ったりすると薮蛇だが。

 当歳はパンパン、用心しないと直前で崩すことになる。
二歳は思惑通り、一回り腹が出ている。
少し続ければこの時期なら定着してくれるのでは。
少々のことでは目幅やハナ瘤へ響かないはずだから、いつまで続けられるかそれまでやってみることにした。


心の起源を読んでの比較 221

 どうして【これは道徳や人倫の問題に混乱がみられることと無関係ではない】
のだろうか。
 道徳も人倫もしょせん人間社会が創り上げて来たものではないか。
道徳も人倫もそ時代に合わせて、その時代の解釈で創られている。
時とともに、時代とともに変化を見せるものではないか。
少なくても解釈は、時の都合、人の都合で変化を見せている。
社会生物学は科学的普遍のものを探ろうとした。
すると、普遍でないその時代の道徳や人倫に抵触するところが出てくる。
そこに、混乱がみられることと無関係ではないとされてしまう。
 むしろアリの社会は、道徳や人倫の規範となるところではないだろうか。
欲も俄もない。あるのは努めであり、役目であり、定めとなる。
アリの社会は一見、階層や身分の社会とみられがちで、人間社会へ応用される時には組織運営や階層、身分制の見本として用いられやすい。
だが、はたしてアリの社会はそうだろうか。
アリの社会は役目の社会で身分や階層は設けていない。
上層とおぼしきものは利益を求めていない。
それぞれがそれぞれの役目を平等に全うすべく、努めて働いている。
階層や身分制を保持する社会では受け入れ難いことになるだろう。
階層や身分制を保持する社会に馴染んでいるものが、否定的になることは当前と言える。
【これは道徳や人倫の問題に混乱がみられることと無関係ではない】だろう。
 
2009.10.21(Wed)  土佐錦魚TOP
10月20日
 
曇の多い晴れのち午後から曇り
    外   内
朝  14℃ 17℃

 空気が澄んでいるのだろうか、クッキリとのっぽビルが見えて、回りで瞬く灯りが鮮やかに赤い。空は青みを増して星を遠くへおしやっている。

 多かった雲がいつの間にか掃いたような雲になって、またいつの間にか消えて行く。 
淡い朝焼けがそんな雲に映えると、晴れと聞いたような。
魚のことを気に掛けず、備品の用意ができそう。

 午前中から始めた備品の用意は、もう残り4点となり、余裕となって来た。
その四点は明日へ回し、土曜に出陳の魚を選別すればいいので、選別もそれまでせず、屋上は点検だけにして、とりあえず疲労の咳を除くため、今日はゆっくりすることに。


心の起源を読んでの比較 220

P186【社会一般に存在する共通項と、生物社会にのみ存在する特殊項を抽出しえたてんで、社会生物学は非常に興味深く、またその功績もきわめて大きいが、一方では「社会」という概念に一種の混乱をもたらしていることは、社会生物学の提唱者の意図は別にしても否めないように思う。これは道徳や人倫の問題に混乱がみられることと無関係ではない。混乱は生物世界と心の世界との混淆からきているようにみえる。というのは、二つの世界での規範はまったく異なってるという視点が、ややもすると見失われるおそれがあるからである。この点は「生物社会」と「心の社会」との性格づけがはっきりしたところで、解決されるものと思う。】

P186を全部書いてしまった。
〔〕として言ってきたことは社会生物学という分野になるのだろうか。
妙にシックリきている。とすると生物学に毒ついていたのはお門違いだったのか。
【この点は「生物社会」と「心の社会」との性格づけがはっきりしたところで、】
 ちっともハッキリしているとは感じられない。
【これは道徳や人倫の問題に混乱がみられることと無関係ではない。】
無関係ではないが視点がずれているからそう見えるのではないだろうか。
 どうして出来たが解らないブラックボックスの物質の羅列とブラックボックスの命があって生まれてきた生物が、のちに心を生んだとするからそう見えてくる。
【】の流れを要約すると、(物質+命)×複雑=生物 (生物+記憶)×複雑=心
〔〕の流れを要約すると、 物質+命+心=生物
【】では、生物社会のちに心の社会
〔〕では、生物社会そのものを生命と心が成り立たせている。
 
2009.10.20(Tue)  土佐錦魚TOP
10月19日
 
晴れ
    外   内
朝  14℃ 18℃

 星の数は少ないけれど輝いている。
新宿の空は色付いていない。晴れた空気に溶けたのか、日曜の夜は眠るのか。

 今日もいい天気って言う感じ。以前は秋の長雨が終わると冬型になるに連れて晴れが続いたものだが、そんな頃を思い出す。
近頃は例年とういことが通じなかったが、どんな風の吹き回しか。
 何にしても晴れが続くのは魚にとってこの上なく好ましい。
少しを休めて楽しませてもらおう。

 まず懇親会会場申し込み、お茶や昼食の追加を済ませてから備品の用意を始めたが、程々でやめることにした。


心の起源を読んでの比較 219

P186【したがって、意志という心のはたらきをともなう契約によってではなく、純粋に生物世界の原則によってつくられる集団も、社会のなかに含まれることになる。例えば社会性昆虫などの集団がそれである。それだけではない。その考えを推していくと一つの個体も目のつけ方によっては、細胞要素としてつくられる一種の社会と見ることもできるようになる。ここまでくると社会というものを一種の有機体とみる考えであり、あるいはまったく同義語としてとらえているといってもよいであろう(ホワイトヘッド『過程と実在』)。】

 同感と言える論が出てきて良かった。
〔〕は身方を得た思いがしてきた。
【】はこのような論を承知していて、今までのような論を述べているのだから、よほどの思い入れや確信があるのだろう。
 
2009.10.19(Mon)  土佐錦魚TOP
10月18日
  
曇りのち晴れ
    外   内
朝  15℃ 18℃

新宿の霞む街並に赤や青が淀んでいる。

 まだ多少霞んではいるが、良い日和になってきた。
昨日の雨は丸鉢から取り除いたし、今日は会員が来るので餌を少なくしてある。
みんなが来たら忙しなくなるので、今日はこれから朝寝をしておく。

 魚も気持ち良さそうに感じる。
餌が少ないので、欲しがってよってくる。
明日からの天気もよさそうなので、このままの好調を持続できる可能性は高い。

 今日の集まりも無事終了。
ちょっとホッとしています。
明日からまた大会準備、まず新たな懇親会場申し込みへ、お茶や昼食の追加、その他備品の用意、、、。
さ、後一週間。


心の起源を読んでの比較 218

P182【生物世界と心の世界は.......中略.......本来なら個別であるはずの二つの世界が、互いに絡み合っていることである。】

 この部分だけ抜き出すと、生物世界と心の世界が絡み合っていることに気づいたと思わせる。そこからこの二つの世界が切っても切れない世界と気づいてほしいのだが。

P185【心の未来とは心と心の関わりあいのなかにこそ見えてくるに違いない】
  〔心の未来とは生物と生物の関わりあいのなかにこそ見えてくるに違いない〕
 生物が自己のみで他者がいなければ、その行く末を考慮する必要もなくなる。環境に恵まれさえすれば、ことによると死を迎えないまま平穏無事に過ごせたろう。そうなれば心も必要なかったはずだ。
 ということは、他者(内部環境である自己である他者と外部環境である他者)に命と心を同時に与えたとき、どう進んで、どこへ行き着くかが、命と心の試行と感じられてこないだろうか。

2009.10.18(Sun)  土佐錦魚TOP
10月17日
 
 曇り
    外   内
朝  14℃ 17℃

 新宿の赤さがたなびくように池袋の方に、ビルの向こうの渋谷の方にも。

 今日は曇りで水の変化があまりなさそうなので手抜きをさせてもらいました。
世話が早く終わって手持ち無沙汰ですが、少しゆっくりさせてもらっています。

 雨が降るかも知れないので午後の選別を早めに始めることにした。
そのあとには予防の薬を入れておくことにした。

 早めに始めれば早めに終わるので、早めだが予防薬を入れて、後は何もせず身を自重してゆっくりしていることにした。

 予報通り雨が降ったので、予防薬を入れたことでとても気休めになった。
朝にはまた元気で会えるだろう。


心の起源を読んでの比較 217

【最初にあらわれた細胞(それは「個としての細胞」であった)の階層の上に個体群(関係としての個体)の階層が重なっている】
 これは例えとしてではあろうが、同列の例として用いるならば、そこにこれほどの矛盾をはらんでいて良いのだろうか。
 「個としての細胞」は神経系さえ生まれていない。
まして高度な中枢神経系の存在は望むべくもない。
心が生まれていない階層であり、ここには個としての心はありえない。
 個体群と大きく括っているが、そのなかでも中枢神経系が心を生むまでになっていない個体群は、同じく心が存在しない、もしくは高度に発達していないものとして除外されるはず。
 心を持っていないもの持てないものの階層を心の成り立ちの例に用いるには、
不適切となり、よしんば用いるとしても確認と限定が必要になる。

 心が生まれていない「個としての細胞」が「個としての心」として同列に受けとめられる恐れがある。
 個体群であれば(関係としての個体)が「関係としての心」として付加されて良いと受け取れてしまう。

 〔〕の論では、元々「個としての細胞」に心が在るので、
素直に「個としての細胞」が「個としての心」として受けとめられる。
個体群であれば(関係としての個体)が「関係としての心」として付加される。

 【】がこの矛盾に気付かずに用いていることは、「個としての細胞」に心が在ると無意識的に感じている証拠となりはしないか。
 
2009.10.17(Sat)  土佐錦魚TOP
10月16日
 
晴れ
    外   内
朝  13℃ 17℃

 街へ染み込むように赤みが沈んで行く新宿。
月はビルに隠れてしまった。
動かない空気に空は青黒く、星はわずかに散らばっているだけ。

 昨日は外に出て、人に会って、交渉して、急にまとめてしてしまったことでまた疲れが出てしまったか、疲労の咳が出て来た。判り易い体調信号として受け取り、今日は大会準備を休むことにした。
 18日向けの午後の選別だけにするつもり。

 選別は13時に開始して16時に集中力が切れて終了。
半分は済んでいるので、明日には出来る見通し。
 ま、ぼちぼち。

 大会の記念切手が届きました。
初めての縦書きで、少し落ち着かない感じがしますが、今までのより一回り大きく、魚が見やすくなっていました。ご期待下さい。


心の起源を読んでの比較 216

【個体を超えて自我と他者との関係が結ばれるようになると、心はそこでつぎの段階に入る。】
 生物社会ができて中枢神経系が発達してから、心は後発的に個体や社会の心として付加されたものだろうか。そして複雑になるに連れて発達したのだろうか。それ以前にはなかったのだろうか。
 心とは神経系の発達とともに連動するものだろうか。
一説では、人間の脳細胞は一万年前辺りから大して変わっていないという。
もし複雑さが発達をもたらすものなら、現代人はすべからく古代の哲人より頭が良くなっていていいはずだ。
変わったのは知識の量だ。この量を複雑さと言い換えることも出来るだろう。
記憶の量だ。この量を複雑さと言い換えることも出来るだろう。
それと社会の複雑さだ。
頭の大きさは変わらなくても、内容的複雑さは増えたと言える。
すると心も増えるのだろうか。発達するのだろうか。
 これでは自我と他者間の複雑さが増すことで、心は高度になって行ったとされてしまう。
まるで核酸の羅列が複雑になったから生命が生まれたかのように。
まるで複雑になったから生物が生まれたかのように。
まるで複雑になったから心が生まれたかのようになってしまう。
核酸の羅列がどのようにして出来たかはまだブラックボックス。
その意味に至っては生物学では触れない範囲だろう。
だから複雑になったから生物が生まれたでは済まない。
心も複雑になったから心が生まれたでは済まされない。

 複雑になると増えるのは心の働きではないだろうか。
自我と他者との関係、社会関係が複雑になれば生心の働きは増さざるを得ない。
複雑とともに連動しても不思議でない。
 
2009.10.16(Fri)  土佐錦魚TOP
10月15日
  
晴れ
    外   内
朝  14℃ 17℃

 街から滲み出て来るように、今日も新宿の空は赤い。
ビルの上に乗っかっているように、昨日より細い月が黄色い。
霞んでいる星はちらほら。
 昨日雨が入って溢れた鉢の魚は入れ替えするようか、
今日は明るくなって魚の様子を見てから水換え。

 動きはいい、曇りも変わらない、食欲もある、苔も良い、だが用心して水を入れ替えることにした。
 さて、今日はあっちこっち手配に回らなければ。

 挨拶回り6軒は午前中に済ませて来ました。
飲食関係は昼の忙しい時を避けて、15時頃に行って来るつもりです。

 3軒回って来ましたが、一カ所懇親会場で問題発生。
参加者が想定より多く、こじんまりした予定会場では間に合わなくなってしまいました。まだ日にちがあるので次の会場を直ぐに決めず、18日に会員と会った時相談することにしました。
 候補としては同じ通りに、ハンバーガー専門店、和食、スナック、イタリアレストラン、シーフードレストラン、カレー専門、日本ソバ、中華、等。
回りにはファミレス3店とエスニック料理があります。
 

心の起源を読んでの比較 215

 この時の意志は生命の意志と言える。
同じようなことが心にも言えるなら、生命と共にある生心の意志も単細胞の時から存在しているのではないだろうか。
【はじめて心の世界が開かれたのは、個体内部にある中枢神経系であった。】
これでは記憶が成立するような中枢神経系の発達を待たなければならない。
これはとどのつまり最高の心は人間だと言っているようなもので、逆に淋しさを感じてしまう。
【心の世界が開かれた】この開かれたを〔中枢神経系が表現することができた〕としてもいいのではないだろうか。
 
2009.10.15(Thu)  土佐錦魚TOP
10月14日
 
晴れのち曇り時々ぱらつき一時晴れ間 20時前にどしゃ降り
    外   内
朝  14℃ 18℃

 雲はないけどビルのまわり新宿の街全体が赤い。低めの細い月が黄色い。
空は暗い灰色で、星が霞むよう。

 明るくなる前にのっぽビルの上の方が霧で見えなくなった。
明るくなる頃には総てが霞んで、雲が一面に覆っていた。

 早めにお茶を飲んだので目を覚まして、朝寝なしで部品の取り付け作業へ。

 部品は付け終わり組み立ててみると、上の板と横の板を取り違えていた。
横板が少しはみ出てしまったが、ま、制作記念と思ってそのままに。
接着剤の乾きを待って上塗りにかかろうと思った矢先、パラパラと来た。
ま、接着剤は良く乾かした方がいいので様子を見ることに。
その後晴れ間が出てきたので、片面の上塗りを済ませたところ。
また、夕食後にもう片面を塗る予定だが、雨が降らなかったらの話し。

 塗り終わり、寝る前にしまおうとゆっくりしていると、台風より凄い音を立てて、どわーっと降って来た。幸いもう乾いていたのでしまい込むだけだったが、ぎりぎりのところ。


心の起源を読んでの比較 214

 自己内の社会の意志は、自己の繁栄のために自己ではない他者を自己の細胞へ受け入れ、細胞内で自己と他者との細胞内の社会を形成して行った。
細胞内の社会の自己と他者は、何れの自己も保ちながら意志を統一して行った。
統一された意志は、内と外との両面の意志を持つこととなった。
細胞内の社会の意志は、さらなる自己の繁栄のために、他者の細胞内の社会と一体となって多細胞の社会の形成を遂げながら分化して行った。
多細胞の社会の意志は一個の細胞、自己内の社会、細胞内の社会、多細胞の社会、のそれぞれを尊重しながら、さらに統一した意志を備えて行った。

 他者も自己としての意識となって行く、複数の自己意識から意志が必要となり、意志として統一された意識の働く場と意志が誕生した。
 
2009.10.14(Wed)  土佐錦魚TOP
10月13日
 
曇りのち晴れ
    外   内
朝  16℃ 19℃

 新宿の空が赤いから雲に覆われているのだろう。
そのせいか冷え込みが16℃を保っている。15℃以上だと世話が少し楽だ。

 世話が終わる頃には晴れてきた。
手を入れると冷たくなかったのと気温が上がると言うことで、丸鉢はピカピカの手入れに親を替えてから変更。やはり途中から咳が出始めたが大した事なく終了。
いくらか調子が出てきたのはどうやら、目覚ましを3時にした事が効いているようだ。
 明日には大会の返信が全部揃うだろう。
今日はベニヤ、明日からはあちこちへ手配、会場回りへ挨拶と、人並みにいろいろ外へ出る事が多くなる。

 では、行って参ります。

 昼前に無事帰宅。
陽射しがあるので途中汗ばんだが、心地良い風に吹かれると気分良く。
でも、ベニヤに受けるので幾度か立ち止まりながら、それでも休みなく。
2、3回持ち手を替える程度で帰り着いた。
まだいくばくかの根性が残っているようだ。
 早速午後から制作、明日には終わる予定だが。

 刻み終わって片面下塗りして干してある。
夕食後裏返ししてもう片面を塗ると今日の作業は終了。
 明日は組み立ての部品を付けて、組み立ててみて誤差を修正、問題がなければ上塗りをして終り。と、いけばいいのだが。
 以前のが25年もったのだから、今度のはもっと丈夫で、持ち運びしやすい、
30年は大丈夫だろうが、そこまで見る事は叶わないだろう。

 返信ハガキが揃いました。
期日に間に合わせて頂き、感謝します。
明日時間が余れば、一つ一つ手配させて頂きます。


心の起源を読んでの比較 213

P181【じつは生物界にも似たような事情があった。最初にあらわれた細胞(それは「個としての細胞」であった)の階層の上に個体群(関係としての個体)の階層が重なっている(この関係も後に社会といい換えられる)。】

 最初にあらわれた「個としての細胞」は単細胞生物と受け取れる。
個体群としてあらわれた「関係としての個体」は多細胞生物と受け取れる。
「個としての細胞」の単細胞生物をアメーバとしたとき、分裂を繰り返したときの多数の自己を他者と位置付けることはできないのだろうか。
 先ほどは他者も自己だったとして、他者でありながら自己で、自己でありながら他者であることを、一個の自己と多数個の自己として立場を異にしていた。
一個の自己を選んだものは、一個の自己の完成をかたくなまでに求め、
多数個の自己を選んだものは、多数個による自己の繁栄を柔軟に求めた。
やがて変形菌(粘菌)のように行動形態を多彩として行った。
そこにはハッキリとした意志を受け取ることができる。
その意志は自己による自己内の社会を形成して行った。
 
2009.10.13(Tue)  土佐錦魚TOP
10月12日
 
曇りのち晴れ
    外   内
朝  12℃ 16℃

 雲の合間に、遠くの空の奥に、半分より欠け始めた月が照っている。
今日も空気は冴えている。

 世話をしていると、どこもかしこも一面の雲になってしまった。
つぎつぎと北西から押し掛けてくる雲と寒気、この調子なら台風は来ないだろう。
 今朝は珍しく疲労の咳が出ていない。昨日飲んで寝たのが良かったのか。
そんなことはない。昨日の用意は看板の数字替えだけで止めていたのが良かったのだろう。今日もそこそこにしておこう。
 明日からは暗箱の制作をしなくては。本当は去年つくる予定だったが、ボロで間に合わせてしまった。今年はもうそうはいかない。
まず、設計からだ。

 有り難いことに今日は咳が出なかった。
設計なんて何もしていないのと同じ、その甲斐があったのだろう。
明日は材料を買いに行くようだ。
これがおっくうで毎年造らないでいた。近くにあった材木屋さんが二軒も止めてしまった。一番近くの店で歩いて15分。五ミリのさぶろくベニヤを二枚持って歩き通すことが出来るのだろうか。風が吹かないことを願って、何回か休みをする事を覚悟して、明日はおっくうを越えるようだ。


心の起源を読んでの比較 212

【中枢神経系が発達していなければ「個としての心」をもてず、他者になりえない。他者となるものは「個としての心」をもち得る中枢神経系の持ち主となる。
「個としての心」の持ち主は他者とが絡み合う「関係としての心」が付加される】

 個体内部にある中枢神経系の発達がないと「個としての心」をもてずに、社会があっても「関係としての心」をもてないので、他者にもなれない。
これは心の問題でなく、中枢神経系の階層の問題ではないだろうか。
 ハチやアリはハッキリとした社会を持ち、人間より遥かにシッカリした自己を持っているのに、中枢神経系が発達していないので心を持てないから、他者にはなり得ない?これが成り立つとは思えず、成り立つのなら、アリたちはあまりに哀れな存在になり、生命として価値なく除外された存在になりはしないか。
 
2009.10.12(Mon)  土佐錦魚TOP
10月11日
 
晴れ
    外   内
朝  12℃ 15℃

 星が並んで見える。パラパラ星じゃあない黒っぽい空、少し感激気味の晴れ。
空気が済んで冷えが体に入ってくる。ジッとしている魚を水換えで動かすのがちょっと可哀相になってくる。明るくなってから水換えするかな~。

 秋晴れですね。
12℃だと作業が終わるまで手が続くが、10℃になると長続きしない。
この頃は一日3トンだったのが、2トンで済むようになって来た。
もう直き1トンだろう。水の量に比例するように、餌の量も少なくなる。
無理な餌はいろいろな瘤の基を作ることになる。
二歳から親で瘤が成長するのは、この頃にそのもとをこしらえることになる。


心の起源を読んでの比較 211

 死とは何だろう、ここからも、もう一度立ち返ってみよう。
一般的な死は生体の死。
魂、霊、念、心は死しても別に扱われる。
遺伝子は生を以て受け継がれる。
だが遺伝子は生も死も受け継ぐ。
遺伝子には生も死もプログラムされている。
遺伝子はただの核酸の羅列だろうか。
羅列はどうすれば羅列になるのか。
羅列は羅列になれば働くようになるのか。それが生物科学の分野となる。
羅列はどんな意味をもって羅列になるのか。
羅列が意味なく生と死を執り行うのだろうか。これは生物科学の分野から外れる。
羅列は物質を構築する手段ではないだろうか。
命が体を介するように、心が意識を介するように。
遺伝子は生と死を受け継ぐために物質を介している。
物質でしか叶わないことだから。それが羅列ではないだろうか。
だからこそ、羅列が物質を構築する。
羅列のもとに物質で構築された時空へ、命と心は宿ることができる。
物質で構築された時空でしか、命と心は働くことができない。
羅列は物質構築の手段、そして、物質に命と心を投影させる基となる。
物質で構築された時空は、命と心を得ずして生体となれない。
生体なくして遺伝子は受け継がれない。
生物の三要素=命と心と生体。
受け継ぐ遺伝子。生と死のプログラム。命と心の場。
死は生への貢献。
 
2009.10.11(Sun)  土佐錦魚TOP
10月10日
  
曇り午後晴れ
    外   内
朝  13℃ 16℃

 きょうから目覚ましを3時に。カラスの方が早かった。
13℃になると手のシビレが始まる。
すると魚の仕上がりも本格的になる。
いよいよ、秋の実感。

 8時頃、雨がポチポチ降って来た。予報のようには良くならないようだ。
今日は予防薬を入れていない。夕方降るということだったので、その頃入れようと思っていた。水温20℃以下では魚も静かだ。

 なんとも静かな日和だろう。
選別も手入れもせず、そーっと覗いているだけ、魚もゆっくりできただろう。
 判子押しのあと咳き込んだが、今日で納まって来た。
明日からまた大会用意開始だ。


心の起源を読んでの比較 210

 命には時空がない。
 心にも時空はない。
自己となる時に物質で構築された時空を得る。
時空を得、自己となった時に命は生命に、心は生心になる。
自己にはこれまで自己を構築して来た過去の自己が存在する。
今、自己とされるものは、今、過去も統一された自己となる。
統一された自己には、既に自己社会が存在している。
そこには既に他の自己との社会性を含んでいる。
他も自己である。ここから社会性が産まれる。
自己が共通する自己を感じたとき社会が構築される。
社会は個によって産まれる。
世界は個によって生じる。

【】は、世界が自己を含めている?。
〔〕は、自己が世界を構成している。
【】は、世界が自己を認識する?。
〔〕は、自己が世界を認識している。
【】の自己が消滅しても世界は顕在する?。
〔〕の自己が消滅すると世界は消滅する。
 
2009.10.10(Sat)  土佐錦魚TOP
10月 9日
 
曇りがちの晴れ
    外   内
朝  14℃ 17℃

 遠い青の夜中の空の、ほぼ真上に照る月を、巡るようになびく白い雲。
静かに澄んだ北がそよいでいる。

 世話をしていると、まだ夜明けには間があると言うのに北風が唸り出した。
思わず襟首を縮める。空には掃いたような雲からぽっかりした雲がジッと浮かんでいる。風は地面近くだけなのか。
 夜が明けると途端に陽が射して来た。風も弱まった。夜明け辺りはいつも目まぐるしい。 
 丸鉢はピカピカの水。苔の汚れは意外と少なかった。
親は何もなかったように平然としていた。
二歳まで替えてしまうと明日することがなくなるので、底水の交換だけ。

 午後になると南の方に低くて灰色の雲、15時頃にはほとんどを覆ってしまった。九州地方を台風が去ったとき、直ぐ後ろを北西からの雲が追いかけていた。
その雲が日本列島にぶつかって、どんよりした今いる雲を造っている。
 夜中の掃いたような高空の雲は台風のしっぽ。秋は深まっていても秋の空はきまぐれ。


心の起源を読んでの比較 209

 自己とは何だろう、この機会にもう一度立ち返ってみよう。

〔〕の視点は自己にある。自己から見ているので、自己が死んでしまうと自己の全世界は消滅してしまう。
【】の始点は世界にある。? 世界からみているので、自己が死んでも個の消滅に過ぎない。
世界からものを見ると、世界が破れる仮定から始めることもできる。

 心はまず自己にあった。
心が自己になったとき、心は生心となった。
生きることは、命が自己になったとき、命は生命となった。
自己が全く同じ自己同士であったなら社会はいらない。同じことを考え同じことをする。
自己が分裂した時に同じ自己でも環境に違いが出てくる。場に差が生じ、働きに差が生じる。
自己は変化し、自己は千差万別。
自己は小宇宙、小宇宙は千差万別。
ある自己では自己の内が小宇宙。
ある自己では自己の回りも小宇宙。
ある自己では宇宙に波及するまでになる。
 そこに裂け目はない。あるとすれば生物学上のものだろう。
そうとすれば【】の裂け目は当然となる。
 
2009.10.09(Fri)  土佐錦魚TOP
10月 8日
 

    外   内
朝  16℃ 19℃

 今日の水換えはなし。
餌が少なかったので水の汚れは少ない。丸鉢は水が入れ替わり、水温も20℃以下。親の水替えをしなくても一日は保つと判断。このまま様子を見ることに。
温室は窓を閉めたが、天窓は少し開けてある。
風がもっと強くなったら閉め切って鍵をかける。
 速度が早くなったので急速に衰えるだろうが、暴風域がかかるかも知れない、久々の緊張感。

 いよいよ風が強くなり、天窓を閉めて戸締まりを確認。
それでも側へ行くと餌を欲しがって勢い良く寄ってくる。おもわず餌を与えたくなってしまうほど。

 雨は止んだが、強い風が荒れて来た。
あたる風がきしむ音、戸の揺れる音、唸りをたてる。
 このような時、温室は閉め切ってあるのでいつも蒸れを心配する。
水温23℃、大丈夫だろう。近くに寄っただけで餌を欲しがって一斉に寄ってくる。
このぐらいで通り過ぎてくれれば。

 昼頃には吹かれた空気は透き通った光を注ぎ、内の水温は27℃まで上がっていた。親が1尾鰓を押さえ出した。
天窓を少し開け、北側の戸を開け、扇風機をフル回転。
15時頃には風も納まりを見せ、扇風機を止め、南も明け、天窓をもっと開けた。
 丸鉢の水は4センチほど吹き飛ばされていたが、今水替えしたかのように透き通っている。
 どうやら、被害はなくて済んだようだ。
二歳は鰓を押さえる気配も見せず、元気を保ってくれた。明日はまず親の水換えからだ。取り返しの忙しさがまた始まる。明日のために、今夕は予備的に薬を入れておかなくては。

 就寝前の点検のときには、北風になっていた。
台風の終りの風。北の空気を導く風。明日も風は残るだろうがいい天気になってくれるだろう。
 風通しを良くしたせいだろう。鰓を押さえていた親もいつも通り動かしていた。
一応予防の薬を入れておいたが、予備的なものとなっている。
 今日は総ての魚が絶食させられたので、明日は餌を欲しがって大変だろう。
早く清潔に水替えして、明るくなったら直ぐに与えられるようにして上げよう。


心の起源を読んでの比較 208

 粘菌のような複数の菌同士が目的をもち、目的のもとの社会となった時には、死がプログラムされていた。
アリのような社会では、分化された他も自己である社会のために自己犠牲することが、役割となった。
 他の自己のため、自己の社会のための自己犠牲は役割の一つとなっているが、これも現在の自己の利己なのだろうか。それとも生命の心とでも言うべき自己犠牲なのだろうか。
それとも、物質界が取り仕切る自然淘汰の部類になってしまうのだろうか。

自己と自己が社会では、他者も自己だった。
自己が分化された社会では、他者も自己の分化だった。
人間のように複雑な社会では、他者は類だった。

他者も自己だったら、心はいらなかったかもしれない。
他者も自己の分化だったら、心は働かなくてすんだかもしれない。
他者が類だったら、心は大忙しとなった。
 
2009.10.08(Thu)  土佐錦魚TOP
10月 7日
 

    外   内
朝  16℃ 19℃

 今期最大の試練がこようとしている。
今まで温室に被害が出なかったのは幸運だったのだろう。
覚悟しながら、今日の世話を始めよう。

 雨のやみ間に雨が降るはずの手抜きの世話をしたため、早く終わってしまった。まだ体の目が覚め切っていないような物足りなさ、そこで判子押しを暗いうちから始めることにした。
餌を与えるのは明るくなってから、それまでに一汗かいて、休憩に餌を与えれば丁度いい。

 判子を押してみると斑斑、どうかな?って思ったけど、でもそれが百年前に押したように見えてそのまま続けた。百年前に押した印でも綺麗なのは綺麗なのだが、押した途端になんか古ぼけて見えるのが愉しい。それもそのはず、もう何年も版の掃除をしていない。おまけに印泥が減ってきて付き方が斑になっているようだ。
 近年の判子押しは辛いことは辛いのだが、出来てしまうとちょっと失敗したとこだけが、賞状に浮かび上がって面白く見てくえる。


心の起源を読んでの比較 207

 粘菌の死は自らが選んだ死となっている。死がプログラムされていない細菌は
自らが死を選べなかった。死がプログラムされているようになると自らが死を選択するようになった。外部環境からの影響を受けて、内部環境からの必要性を受けて、自己に不利益な時、自己に不必要な時、そして自己に有利なとき自ら自己に死の宣告をした。免疫系がその指示をした。免疫系はあたかも引導を渡すかのように、寿命や役割の終了と観念させた。死を指示された細胞は自己の社会へ尽くし、自己を未来の自己へと託し、自らを破壊へといざなった。
 寿命とは絶対寿命のことを言う。壊死や事故死と寿命死や役割死は細胞自己の納得度が違う。寿命に達すれば納得した死が訪れる。病死や事故死も否が応でも追いかけてくる。唯一の生物を除いてすべての生物は死の宣告を自然の摂理として受け入れる。唯一のものは死の宣告を遠ざけようとする。生に執着をみせる。死に向かって生きることを怠っている。
 人間は命を意識し、心を意識した初めての生物となった。
命を継ぎ、心を継ぐ生物として試行を担っている。

2009.10.07(Wed)  土佐錦魚TOP
10月 6日
  

    外   内
朝  16℃ 19℃

タップリ降ったらしくて入れ替わったようにキレイに透き通っている。
今回の台風はまともに来そうで恐ろしい。
せっかく種に、会員にと用意した魚達がどうなるだろうか。
 ま、今日は今日の世話をしよう。

 一昨日と昨日と一杯食べたので今日は三分の一へ。
おそらく明日も、もしかすると明後日は絶食か?
 予防薬も二分の一~三分の二へ。
もしかすると明後日までそうなるだろう。

 賞状を造っていたら昼食もここへ出すのも忘れていました。

 賞状を無事造り終えて、ほ、
さ、明日は体力勝負の判子押し。
足は痺れる、冷える、手首は腱鞘炎か、指は真っ紅に、腰はギシギシ、汗だく、何で判子押しでこうなるのだろうと毎年思う。明日はその日だ。


心の起源を読んでの比較 206

 自己保存が進むと自我が強くなり、共生内で自分を活かそうと競争が起こるようになってきた。進化によって用いられ現在働いているものと、過去に活躍したが現在は邪魔にされているものとの間で、あつれきが生じた。そこで免疫系が自己を選別し、活かす自己と抑える自己と破壊する自己を選択するようになり、そこから死というものが始まり出した。
 必要とされ生まれくる自己と不必要とされた過去の自己は、やがて、共に自己の成り立ちとして組み上がり保存できるようになると、遺伝子として積み重なって行った。
その死は、細胞内で、細胞間で、器官で、生体でと進化に伴って行った。
 現在でも体内ではおうおうにして過去の自己が日の目を見ようと現れる。と、免疫系がそれを破壊することが往々にしてある。
 現在、遺伝子病とか免疫病とかいわれる中には、自己に対する勘違いや、神経系とのあつれきが巻き起こす例を、感じることがある。
 体液系は自己の生存と発展を受け持っていたが、免疫系は生と死を受け持った。
だが、この死は復活や再生を伴い、遺伝子を発展させ、死と再生という道を開いた。環境が悪くなっても、自己修復が困難になっても、また新しい自己を再生できるようになった。
ついでに進化もできるようになった。
 
2009.10.06(Tue)  土佐錦魚TOP
10月 5日
 
曇りのち雨
    外   内
朝  17℃ 20℃

 予報通り雨になるようだ。
残念だが、そのつもりの水換えとなる。

 昨日の陽射しが良かったか、予防薬のせいか曇りが心もち薄くなっている。
8時頃には屋根にポツリポツリを雨後が付き出している。
昨日で一巡できたし、今日はゆっくりさせてもらえるか。
 と、書いたところで、載せないまま椅子にもたれてそのまま眠ってしまっていた。


心の起源を読んでの比較 205

 死がプログラムされていない細菌のような生物には寿命の死はなかった。今でもそのままで生き続けている。
それが進化の過程としてどの辺りの生物から死がプログラムされだしたのだろう。有性生殖になった頃には既にされていたと言える。
され出したのはそれ以前の細胞内共生の頃からではないだろうか。
 細胞内では狭いながらも共生による自己内社会というような形をとっていたが、そこに競争はなかった。その細胞の共生に障害はなく、むしろ有利に一体化した自己と言えるまでになっていた。分裂による増殖は自己の多数を生み、ここでは自らの死をプログラムする必要はなかった。
 プログラムする必要がでてきたのは、細胞内社会で競争が出てきたからではないだろうか。今までは障害がなければ増えるだけ増えて、環境の悪化や事故で死を迎えても、障害がなく増えていた別口が生存していた。環境を選んだり、生存しやすいように自己を改善することはなかった。
 有利に一体化した自己が、もっと有利になる進化の過程としてのさらなる共生が進むと、環境の良い所を選ぶ能力や、自己回復能力が身に付き、爆発的な繁殖力が弱まりをみせ、自己保存が備わって行った。
 
2009.10.05(Mon)  土佐錦魚TOP
10月 4日
 
曇りのち晴れ
    外   内
朝  18℃ 21℃

 昨日は結局、なんがかんだ午前中降っていた。手抜きも薬もおもわくどおりになった。今日は貴重な晴れとか、ピカピカの水にしてあげて、昨日を取り返そう。。

 今日は餌をフルに与えた。
明日から天気が崩れればまた二分の一になってしまうから。
今まで減らしていたら体は痩せて、成長は遅れたが、尾は確実に大きくなっている。

 雲の多い青い空に精一杯翼を広げた、この辺りからすればおそらくカラスだろう、気持ち良さそうに羽ばたくことなく高くわりと小さな円を描いている。
 上昇気流は低気圧の方が起こるはず、するとこの晴れはまだ低気圧圏内か。
明日は崩れる予報だが、この上昇気流を受け入れる高気圧が後を追っているような感じがする。明日も晴れるといいのだが。


心の起源を読んでの比較 204

 無脊椎動物になる昆虫にはアリのような社会を備えているものがある。
これらは、P179 図11では記憶(感覚の加工)を備えているとなっている。
P55 図3では原口動物の幹の上部に節足(ハチ、アリ)となって、中枢神経系は脳、腹髄と記されている。
 立派な記憶や脳ではないので、心を備えているかは別にしても、また同じ遺伝子の集まりという個性はあっても、また発生の役割の違いはあっても、社会と言ってもいいのではないだろうか。
 また、単細胞生物、植物、海面動物などに分類される変形菌(粘菌)の行動形態を原生的な社会と呼ぶことはでできないだろうか。
 ハチの働きハチと女王バチは雌で、戦うハチは雄になっている。同じ遺伝子のどこを抑えるかでこんなに違いができる。遺伝子の基本はどこを働かせるかでなくて、どこを働かせないかで決まってくる。それは過去の必要ない物を抑えることが元になっている。
 
原生なほど自己と自己が社会として、
次第に自己が分化された社会として、
後に人間のように複雑な社会として。

2009.10.04(Sun)  土佐錦魚TOP
10月 3日
 
曇りのち降ったり止んだり 午後曇り
    外   内
朝  20℃ 22℃

 この時期でこの生暖かい南風、早く冷えが来てくれないと、台風が来てしまう。

 どうやら降らない方へ傾いて来たようだ。
降ることが前提の手抜き水換えで楽をさせてもらったが、「しまった」と言うところだろうか。今回も信頼出来る鉢に広範囲の調節を委ねておけこう。

 台風の影響を受けるようなので、今日から二巡目の手入れをすることにした。
点検時あちこちの鉢で気になるところを見つけている。
さ、ジックリ見定めることにしよう。

 曇りだが風もおさまり、寒くも暑くもなく、もう少し明るかったらと思うのは贅沢だった。手入れも進んだが、もう少しやりたいところで明日へと持ち越し,
先日を教訓にしたつもり。


心の起源を読んでの比較 203

P180【はじめて心の世界が開かれたのは、個体内部にある中枢神経系であった。しかし、個体を超えて自我と他者との関係が結ばれるようになると、心はそこでつぎの段階に入る。いままで個々別々であった「個としての心」の上に、自我と他者とが絡み合う「関係としての心」が付加されることになったからである。(この関係は後に社会といい換えられる)。】

 人間のように複雑な社会ではないにしても、それほど立派な中枢神経系をもっていないものでも社会をつくっているものはある。
 それは違うと言われるかも知れないが、複雑さと目的が違うだけで、意志を示したものとなっている。
 それは次元の高い意志ではないと言われるかも知れないが、単純さと目的がハッキリしているだけで、意志のある社会と言えるのではないだろうか。

2009.10.03(Sat)  土佐錦魚TOP
10月 2日
 
曇り直ぐに雨 降ったり止んだり
    外   内
朝  18℃ 21℃

 午後から降る雨に備えて少し濃いめに換えるつもり。
睡眠は普通にとれたし、雨にめげずない魚と一緒に始めよう。

 6時過ぎからサラサラと降り出してしまった。
午前中はもつという予報だったので少し濃いめにしたが、もっと濃くしておくようだった。
 だが、その差は鉢が埋めてくれるだろうから、心配するほどではないだろう。

 やはり、ちょっと薄めだが、許容範囲にシッカリできている。
ビバ苔、ビバ元水。
 明日はまた雨とか、またそれにかこつけて骨休めをさせてもらおう。


心の起源を読んでの比較 202

 植物とミミズの感覚をかつて体験したような覚えがある。
たぶん鍼灸院での体験はこの辺りの、もの凄く古いものだったのだろう。
 モワってきた方は、単細胞生物、植物、海面動物などのように働いている感覚だったのだろう。
 ビリッときた方は、人間やミミズように働いている感覚だったのだろう。
どちらも今でも大活躍している機能であって、どちらも健在でいまなお命をつなぎ続けている。

針ーモワー体液系ー気分ー単細胞生物、植物、海面動物など
針ービリー神経系ー反射ー無脊椎動物、脊椎動物など
 
2009.10.02(Fri)  土佐錦魚TOP

  2009.10   09≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 ≫11

BackTopAdmin