土佐錦魚専科・研究棟 志す人のブログ



- 2019年12月 (16)
- 2019年11月 (30)
- 2019年10月 (31)
- 2019年09月 (30)
- 2019年08月 (31)
- 2019年07月 (31)
- 2019年06月 (30)
- 2019年05月 (31)
- 2019年04月 (30)
- 2019年03月 (31)
- 2019年02月 (28)
- 2019年01月 (31)
- 2018年12月 (32)
- 2018年11月 (30)
- 2018年10月 (31)
- 2018年09月 (30)
- 2018年08月 (31)
- 2018年07月 (31)
- 2018年06月 (30)
- 2018年05月 (31)
- 2018年04月 (30)
- 2018年03月 (31)
- 2018年02月 (28)
- 2018年01月 (32)
- 2017年12月 (31)
- 2017年11月 (30)
- 2017年10月 (31)
- 2017年09月 (30)
- 2017年08月 (31)
- 2017年07月 (31)
- 2017年06月 (30)
- 2017年05月 (31)
- 2017年04月 (30)
- 2017年03月 (31)
- 2017年02月 (28)
- 2017年01月 (31)
- 2016年12月 (31)
- 2016年11月 (30)
- 2016年10月 (32)
- 2016年09月 (30)
- 2016年08月 (31)
- 2016年07月 (31)
- 2016年06月 (31)
- 2016年05月 (31)
- 2016年04月 (30)
- 2016年03月 (31)
- 2016年02月 (29)
- 2016年01月 (31)
- 2015年12月 (31)
- 2015年11月 (30)
- 2015年10月 (31)
- 2015年09月 (30)
- 2015年08月 (31)
- 2015年07月 (32)
- 2015年06月 (30)
- 2015年05月 (31)
- 2015年04月 (30)
- 2015年03月 (31)
- 2015年02月 (28)
- 2015年01月 (31)
- 2014年12月 (31)
- 2014年11月 (30)
- 2014年10月 (31)
- 2014年09月 (30)
- 2014年08月 (31)
- 2014年07月 (31)
- 2014年06月 (31)
- 2014年05月 (31)
- 2014年04月 (30)
- 2014年03月 (31)
- 2014年02月 (28)
- 2014年01月 (31)
- 2013年12月 (31)
- 2013年11月 (30)
- 2013年10月 (31)
- 2013年09月 (30)
- 2013年08月 (31)
- 2013年07月 (31)
- 2013年06月 (30)
- 2013年05月 (31)
- 2013年04月 (30)
- 2013年03月 (31)
- 2013年02月 (28)
- 2013年01月 (32)
- 2012年12月 (31)
- 2012年11月 (30)
- 2012年10月 (31)
- 2012年09月 (30)
- 2012年08月 (31)
- 2012年07月 (31)
- 2012年06月 (30)
- 2012年05月 (31)
- 2012年04月 (30)
- 2012年03月 (31)
- 2012年02月 (29)
- 2012年01月 (32)
- 2011年12月 (32)
- 2011年11月 (31)
- 2011年10月 (31)
- 2011年09月 (30)
- 2011年08月 (31)
- 2011年07月 (31)
- 2011年06月 (30)
- 2011年05月 (31)
- 2011年04月 (30)
- 2011年03月 (31)
- 2011年02月 (28)
- 2011年01月 (31)
- 2010年12月 (31)
- 2010年11月 (30)
- 2010年10月 (31)
- 2010年09月 (30)
- 2010年08月 (31)
- 2010年07月 (31)
- 2010年06月 (30)
- 2010年05月 (31)
- 2010年04月 (30)
- 2010年03月 (31)
- 2010年02月 (28)
- 2010年01月 (31)
- 2009年12月 (31)
- 2009年11月 (30)
- 2009年10月 (31)
- 2009年09月 (30)
- 2009年08月 (31)
- 2009年07月 (31)
- 2009年06月 (30)
- 2009年05月 (31)
- 2009年04月 (30)
- 2009年03月 (31)
- 2009年02月 (28)
- 2009年01月 (31)
- 2008年12月 (31)
- 2008年11月 (30)
- 2008年10月 (32)
- 2008年09月 (30)
- 2008年08月 (31)
- 2008年07月 (31)
- 2008年06月 (30)
- 2008年05月 (31)
- 2008年04月 (30)
- 2008年03月 (33)
- 2008年02月 (27)
- 2008年01月 (14)
- 2007年12月 (31)
- 2007年11月 (30)
- 2007年10月 (31)
- 2007年09月 (32)
- 2007年08月 (33)
- 2007年07月 (32)
- 2007年06月 (30)
- 2007年05月 (32)
- 2007年04月 (30)
- 2007年03月 (33)
- 2007年02月 (13)
- 2007年01月 (1)

雨
外 内
朝 20℃ 23℃
しとしとと、一日煙っているのだろうか。
雨降りにかこつけて今日は手抜きで楽をさせてもらうつもり。
朝の世話をゆっくりと午後の選別もあせらずに。
やっぱり、曇りが多くなっている。
明日はもう少し多めに入れてみるか。予防に治療量の四分の一入れていたが、明日は二分の一にするもり。
外にカッパを干せなくなると途端に部屋が苔臭く、生臭く、汗臭くなる。
これからの長雨をこの臭いにめげることなくのり切らなければ。
とうとう記念切手の原画が出来上がりました。
昨日も今日も睡眠時間を削って、辛い夜更かしをした甲斐がありました。
二つ、どちらも良くて迷いに迷って、初めての縦書きの方に決まりました。
明日、申し込んできます。
自分で言うのはおこがましいのですが、いいさかなだな~ っと惚れ惚れしてしまいます。
会員から『あのうおがいい、欠点が見つからない』っと、リクエストされたことがうなずけます。
切手にしてしまうと小さくて良さが解らなくなる。
惜しいようで、今度は大きくカレンダーにでもしたいぐらいです。
手にしたら何かで拡大して、是非ジックリ観て下さい。
心の起源を読んでの比較 200
ミミズには神経系ができているが、その働きは反射的なものとされている。 例えば、神経系のない生物の反応は反射とされていると聞いたことがある。
それには意志がないとされている。
果たしてミミズの神経系による反射的反応には、意志があるのだろうか。
反射とは意志がないもの、思わずするもの、無意識的なものを言う。
反射なのだから。
ミミズは初期的神経系なのだから、初期的意志が働いていても不思議はない。反射的反応の後に意志が働くことになるのだろう。反射した後の身をどう処するか。この行動には単純であれ複雑であれ意志が働いていると言える。
例えばアメーバが危険らしい異物に当たると、アメーバにとっては反射的に身を引く。これは神経系の以前であっても、神経系に及ばないまでも、代わりをなしていたものがあったに違いない。効率の問題と、科学的と電気的の違いはあっても、機能的な本質には大差なかったのではないだろうか。

雨のち曇り
外 内
朝 20℃ 22℃
いつもの頃にザッときたのでちょっと様子を見てから始める。
今日予防薬を入れるつもりでいたが、昨日の夜にて置くべきだったか。
今日はどのように替えるか、迷うところだ。
今日から半分。足りないに決まっているから点検に行かない。
行くと与えたくなるから行かない。
餌を与えるころ都合良く止んでくれたので、また早めから選別が出来そうだが。
昨日の連続した集中が無理だったのだろう。朝食も摂る間もなく眠気に襲われ、目を開いていられず、そのまま横に。
いま気が付いたが、熟睡していたようだ。目が覚めても体が重い。
体はまだ眠っているのか。
動いてはいけないと言うことか。
とりあえず遅い朝食を食べて様子を見ることに。
結局、朝と昼食が一緒になってしまったが、なんとか選別をする気力が戻って来た。程々にして、現在の体力にあわせてすることにした。
15時で終了。
明日で一巡できそう。
次の一巡は来月、その間、体力、集中力的には少し休めそうなので、大会の用意をまた始めるようだ。
心の起源を読んでの比較 199
P179図11【心があらわれるまで】神経系の発達の図が用意されている。
「う~ん」。思わず唸ってしまう。
どうしても心の誕生を神経系の生い立ちで証明したいようだ。
【】はここで再び神経系の発達を顧みることをしている。
生物学としての図はさすがに明解で、ここに表を出せないことが残念。
そのなかで無生物の時代の次ぎに単細胞生物、植物、海面動物などとある。
この段階が体液系となって気分が現れても、心まではまだまだほど遠いいようだ。
植物がこの位置に来るのは生物学上では当前のことなのだろうが、次ぎにくる多くの無脊椎動物より前にされるのはやはり仕方ないのだろう。植物よりミミズの方が神経系ができて反射が発生しているから。
ミミズを卑下している訳ではないが、なぜか植物が可哀相な気がしてくる。

曇りときどき晴れ間
外 内
朝 19℃ 21℃
昨日の南が止んで静かになった。
今日も今日の世話をしよう。
餌を三分の二にして朝の痩せ方が増して来た。この分なら余分な肉は落とせそうな感じ。明日から雨模様なので機会を見て目一杯の二分の一するつもり。
今度は目幅を戻す予定だが果たしてそうなるだろうか。
明日は雨に備えるので濃いめの水替えになるだろう。餌を普通に上げたら余計に太ってしまう、その意味でも二分の一は今の魚にそぐうものかも知れない。
鰓元の余分な肉好きも無くなった。
二分の一にすれば、目幅も戻るといいのだが、何しろ粒餌顔だからそれは無理だろう。
点検に行くと、三分の二の時には餌を欲しがってよってくる。一回戦のときには来ないから、目一杯だったことが判る。
餌を少なくしたら早めに選別をしても差し支えなさそうな感じ。
いつもの腹の中はまだこなれていない感じだが、今日はこれから始めてみる気になった。
始めると夢中になる。
ドンドン進むので半分まで行った。明日で一週できそうだが雨が近いので集中できるだろうか。明日終われば、来週もう一度手入れをして、会員へ最高の状態で渡すことが可能になる。
心の起源を読んでの比較 198
ここで【】が心としているものを具体的に言いえて来たのではないだろうか。
意識は心の働きを表している。
辞書的には、自立的な心の働き、自覚、覚醒、精神や心的総て、自我、心の状態、感覚器官に対して精神的心的な働き。
まさに今まで【】が言って来たそのものと受け取れる。
これは、
神経系から生じたと言える。
神経系組織の間に在ると言っても差し支えない。
神経系に場が在ると言える。
高等脳では目覚ましいと言える。
、、、、、、、、、、、やっと、【】の言っていることを理解できた気がする。
だが、信じることはできない。
意識が心とは思えない。
意識は生体(脳)への心と命の働きと思える。
意識は生体(脳)への心と命の表現と思える。

曇り
外 内
朝 19℃ 21℃
珍しく安定した九月もそろそろ終りか。
楽をやってばかりいると魚まで締まりがなくなる。気を入れることもそろそろ覚悟しておくとしよう。
六時過ぎにパラパラっと来ていなくなってしまった。
いったい降るつもりなのか、降らないつもりか、降らないにこしたことはない。
それでも元気な魚を見ていると、もっと世話をしたくなってしまう。
ここに来て2歳が30尾ほど減った。
一鉢あたりの尾数を同じになるように調節。
手早く済んだので、大会の案内を作成、明日には出せそう。
心の起源を読んでの比較 197
【生きていることを自覚】することは意識と言うのではないだろうか。
気を失っていた人が再び気が付くことを意識が、戻ったと言う。
死線を彷徨った人の気を取り戻すことを、意識が吹き返ると言う。
臨死体験をした人の意識は、死線にある生体から離れてその情景を見ると言う。
【生きている意味を考える】ことができるのは意識があるから。
【】の場合、心の世界は意識の世界、心は意識と言えるのではないだろうか。
意識には【】が今まで心としてきたあらゆるものが含まれていた。
神経系が生んだとしても違和感がない。
神経系に場があるとしても相違ない。
高等脳に存在することにもそれなりに頷ける。
表に現すこともできるし、表れて来たものにも不思議がない。
意識が壊れれば死にもするし、生物世界や物質世界に戻っても異論はない。
悪い事を意識してすれば、それほど恐ろしいことはない。
入れ子にしようと寄生にしようと表現に問題はない。
脳を壊すと意識も消えてしまう。
果てしなかったり、努めとしたり、重かったり、責任を感じたりするときは、本当の心を意識している時。

(晴れなのか曇りなのか)曇りのち晴れ間有り
外 内
朝 19℃ 22℃
昨日も割水は上手くいった。
苔が良い、尾数があっているので、少々の誤差は緩和してくれるようだ。
今日は昨日のようにスカッと晴れないようだが、同じにしてみるつもり。
親、二歳も太り気味なので当歳と同じく、三分の二へ餌を少なくしてみた。
親はパンパカパンに膨れた体の削がれたところが戻るといいのだが。
二歳は崩れた目幅が戻るといいのだが。
当歳は目幅と後腹の膨れ感が戻るといいのだが。
心の起源を読んでの比較 196
動揺する言葉の表現の範囲の心をすべてとせずに、物質であって、生体であって、生物である自分に宿っている生命と生心とを感じた上での言葉の表現を認識してはどうだろうか。
せっかくの浮かび上がりを素通りさせていて、知識ばかりに表現を求めていると、かたくなにその表現がすべてであるという勘違いが始まる。
情動に惑わされることなく、情動の働きを心と勘違いすることなく、自己の冷静な生心に身を置き、沸き立つ生命を感じることも一興ではないだろうか。
下記は9月4日に一度載せているが、ここに当てはまるだろうか。
覚醒 意識 ー 脳 ー 思考
有意識の他象 ー 瞑想 ー 智慧
無意識 ー 自己 ー 生命

晴れ
外 内
朝 18℃ 21℃
スッキリ遠くまで晴れている。
星もちらほらよりパラパラよりもっと多い。
昨日はほとんどの鉢が良い状態だった。
今日は昨日より元水を少なくするつもり。
腹はこれ以上出ないようだ。
鰓下が太り出した。
鳩胸気味になってきた。
体全体が丸みをもってきた。
後腹が張ってるイメージが少なくなってきた。
調子にのってこのまま餌を与えていると無闇に太ってしまいそう。
雨が降ったら餌を抑えようと思っていたが、降らないのも嬉しい困りもの。
心の起源を読んでの比較195
ふっと浮かび上がってきた感じを受けると、それを何だか掴もうとする。
掴むには認識しなくてはならず、認識できる言葉に置き換える作業が必要となる。言葉にした時点でその感じは、脳の範囲でしか表現できなくなる。
受け取る度にその未知なる範囲は広がって行く、そしてその切っ掛けが眠っていた遺伝子をも呼び覚ます。その範囲は自分の想像をはるか超えた範囲に広がりをみせる。
その表現には、生命の営みや心の営みも物質の営みまでもが、生物の有り様となって展開している。
もしかすると、獲得的にその範囲を広げた結果が秀才で、
生得的に範囲を広げていた結果が天才と呼ばれているのかも知れない。
その有り様をこれほどまでに思考できるのは、現在は人間だけと言える。
素晴らしいことではないか。

曇りのち晴れ
外 内
朝 18℃ 20℃
このところ晴れないまでも降らずに比較的安定した日が続く、西の方では陽が出て羨ましいが、東の秋としては例年より世話がしやすい。
昨日丁度良かった率の割水で始めるとしよう。
魚の曇りは付いたままだがそれ以上は濃くならずに、僅かながら成長していてくれる。
選別が一段落したので大会の用意を始めた。
まずは参加賞の記念切手から、今期は当歳魚なので魚選び。二尾にまで絞り込んで、切手サイズにして、見栄えの良い方を採用。
来月早々には大会案内状を出さなくては。
これからはぼちぼち、コツコツ用意をしないと。
心の起源を読んでの比較 194
情緒的に心の表現を味わうことは素晴らしいことなので、何の妨げも無いが、その表現が憎たらしいとか、欲しいとか、奪う、戦う、殺すといような表現となると、心は恐いものとなるような、さきの不安をもつものへ至ってしまう。
これは、あくまで言葉を要した思考の表現であることを、前もって認識していないと、とんだ勘違い的誤解を招いてしまう。
そこが【】と〔〕との、出発点から噛み合うことのない相違となっている。
心を知識の内で何とかしようとすると、三要素からの浮かび上がりを受け入れる気が涌いてこない。せっかくの浮かび上がりは素通りして行くばかりとなる。自己を自分で開くとでも言うのだろうか、自己の声を自分で聞くとでも言うのだろうか。自己の発する信号を受けとめる。
的確に表せないが、素直に受ける気を起こすと聞こえてくる。

曇りときどき晴れ間
外 内
朝 18℃ 20℃
まだ陽は出ないのか。
予定通り増やしてみよう。
今までは洗面器でやっていたが、元水をバケツに取らなくてはならず、毎年のこととはいえ時間がかかる。足下が狭くなる。
洗面器とバケツの上げ下げで上半身の筋力強化にもなる。
足腰はなんとか続けているので、これで全身を保てるだろう。
魚の食欲は変わらないので、元水を増やしたことでの健康面は変わりなさそう。
と言うより、良くなるはずなのだが。
丸鉢一率な元水にしてみた。水量の多い鉢も小さい鉢も同じ量に。
多い鉢ではわりと透き通り、きれい目の出来。
少ない鉢ではわりと濁り、出来過ぎ目の出来。
中間は勿論丁度いい。
昨日は今日より透き通り目だったから、明日は今日より少な目を目安にすればいいと、ハッキリした。
と思ったら、 19時の天気予報で明日は陽が出ず、気温が今日より上がらないという。と言うことは今日と同じぐらいか。
なぜ、それほどまでに割り水の量に拘るのか。
始めっから薄めでいれば水換えに気を使うことなく、天気に一喜一憂することなく、魚は健康で、大きくなり、太くなり、力強く、飼いやすく、楽でこんないいことはない。
そんなことは誰もが通過する道筋だ。もしそこに留まっているとすれば、その人はただ誰にでも出来る時点で、本質に迫ることなく満足していることになる。
そこから一歩踏み出し元水はと悩み出すことで、魚作りが始まる。
失敗の連続が始まる。
心の起源を読んでの比較 193
先日、テレビ番組の再放送を見ていたら、科学者が心とは思いとか意識とかに思い易いが、心とは無意識の利他性だと言っていた。
心の現れは社会性として知ることができる。
利他性は社会性を掘り下げると行き着くことになるだろう。
〔〕の言っている心と通じる説をまた知ることができた。
ここにも共鳴できる科学者を見つけることができた。
生物学から通じる心を見つけることは難しいようだ。
生物学的科学者でも分野によって言うことがまるで違う。
それが当然なのだろう。
だが、社会性は多くの生物に、利他性は人間やそれに近い生物に現れた生心の事象となっている。心と言っても差し支えないが、心そのものではない。
利他性や社会性をあらわすそのもとが、心となっている。

曇り
外 内
朝 19℃ 20℃
今日も星は見えない。
昨日より元水を増やしてみようか。
昨日より暖かいので同じにしようか。
昨日は出来過ぎた鉢がなかった。
親池を替えて当歳にかかった途端、頭に何かが当たる。パラパラッと水面とたたく、あわててフードをかぶる、数分、屋根が濡れるほどで止んでしまった。
後を押されるように元水を増やす。
丸鉢の苔が一層良くなり、尾数も4尾と余裕、気温も下がり、出来過ぎの鉢も目立たなくなり、濁りがいい感じに薄くなくなって来たので、元水の割合は20~40%と多くなったが、明日からはさらに30~50%へと増やしてみるつもり。
心の起源を読んでの比較 192
心は上記と受け取れるが、
【】の言う心の世界とは“思いの心が繰り広げる世界”となっていることがやっと感じられた。
思いが生きていることを自覚できる。そして、思考が生きている意味を考えることもできる。まさに【】がこれまで言って来た心と言える。
そうであれば、思うこと考えることができなければ、心の世界が破けるのは当然となる。思うこと考えることが心であるからには心の死となっても不思議はない。
そして、思うこと考えることのない生活となる。これは思うこと考えることのできない生物と変わらなくなる。だけどミミズは思うことができないのだろうか。
苦しいと感じても苦しいと思うことはできないのだろうか。
どうして思いは高度な神経系に限られてしまうのだろうか。
むしろ情緒的なことは体液系の方が得意としている。
情緒的なことは心ではないのだろうか。
もし、神経系がなくても体液系で感じることが可能なら、単細胞生物でも単純な思いを感じられるはず。増して、ミミズなら、なお。

曇り
外 内
朝 16℃ 19℃
雲の加減だろうか、新宿の空がやけに赤い、ぽっかり赤い。
昨日、会員宅にて丸鉢飼育の魚を目の当たりにしてスッカリ刺激を受けてしまった。初心に帰って飼ってみたい。良いと教わったことに戻ってみたい。
全ては無理でも、たとえ部分的でもしてみよう。
そこで今日から、2歳を入れてもいいように設計した丸鉢8つの当歳を、他へ移す選別にとりかかることにした。
角鉢のハネには出てもらって、順次丸鉢8鉢分から角鉢へ落ちて行くことになる。
刺激を受けなければ冬籠りまで仕上げていただろうに、可哀相な気がする。
早めの昼食を摂り苦戦のつもりで始めたが、アッサリ3時間で終わってしまった。そのかわり無理な集中力だったか、頭痛までしてきた。
今日の作業はこれで終わりにして、休息。
心の起源を読んでの比較 191
P178【心の世界をもっているからこそ、生きていることを自覚し、生きている意味を考えることもできることを思うと、心の世界をもった重要性は格別なことといえよう。】
しみじみと味わい深く受け取ることができる。
しみじみと味わい深く受け取っている【】の内容と、しみじみしている〔〕のものは、はたして心なのだろうか。
それは思いであり、思考ではないだろうか。
思いや思考は表現だから心と受け取っても差し支えはないが、それが「心だ」としてしまうと差し支えが出てきてしまう。その表現は言葉の独り歩きをしているので、文学的と言われるような様々な表現を許容してしまう。
心を開く、心に響く、心が燃える、心にくる、心にしみる、ときめく、ふさぐ、しおれる、おどる、心の営みを味わうありとあらゆる形容を用いる心は、またその思考は、感情感性の起伏のようなもので、気分、感情、感性、悟性、理性、これらは辞典に出てくる段階で、ここに帰するならば、今まで小難しく「心」とは等と、並べたてるまでのこともなくなってしまう。

曇りのち晴れ
外 内
朝 17℃ 19℃
昨日より北が強くなっている。
世話をしている内に最低水温がもう少し下がりそうな気がする。
1℃しか下がらなかった。
風は強くてもまだ冷たくはないようだ。
だが魚の食欲は夏場より大分少なくなっている。
無理して与えないようにしなくては、せっかくの形を崩してしまう。
2歳の手入れまでは片付けたが、親は早ければ明日から始めて、無理をしないで今週中になりそう。
3歳は親としての素質が解ったので、整理される魚が出てくる。二歳が押せ押せで迫ってくるから、いつも追いやられてしまう。
心の起源を読んでの比較 190
【何れも「入れ子」をなしている世界が担わねばならない運命であろう。】
確かに三世界のどれが欠けても成り立たたなくなる生物構成の三要素でもある。
生物にとって生物構成の三要素は運命共同体であるが、それぞれがそれぞれを担っている訳ではない、と思われる。
担っているとすれば、三つ巴でになっているのだろうか。
心の世界が壊れて心が死んでも生物は生き続ける訳だから、心の世界が担っている世界は無いようだ。高等脳を持たない生物は心を持っていないのにも関らず、支障無く生きているのだからもっともなことかもしれない。
〔物質で構成されている空間造形に生命と生心が宿るとはいっても、寄生と宿主の関係ではない。〕
もちろん階層でも、支配でも、上下関係でもない。
それぞれが何れを担う運命などどこにもない。
どれが欠けてもならない生物として、共に歩んでいるだけだ。

曇り
外 内
朝 17℃ 19℃
今日も一時間早く始めてしまった。
昨日当歳の選別を終えて直ぐ2歳の手入れに移ったが、4鉢を残して暗くなってしまった。
こうしようああしようと思い残して、考えながら床についたが案外寝つきは良かった。21時に寝て1時にカキッと目が覚めてしまった。この目の冴え方ではあと1時間眠れる訳がない、いっそ起きて、思い残し思いついたたことを実行してしまえ。目覚ましを止めると寝起きの寝床体操を始めてしまった次第。
2時開始。
ブッ続けで6時間、いつもの水換えが終わってから、昨日やり残した2歳の選別と手入れ、かなりの体力と集中力が必要なのでガックリ疲れた。
先に朝食を食べて放心状態のように少し休んでいた。
今まで2歳を放っておいた罰。
今期中に今期中の分は決着をつけるべく設定。
サボればサボっただけ後が大変を、また身にしみ込ませることになった。
会員ー今年はいいんですか。
私 ーそれほどでもない。
ハネでも結構いいので、全体が良いように思えてしまう。
確か始めの頃は良くないと言っていたはず。
ここに来て、やけにいいように、浮かれているように見えるのだろう。
この頃のハードな世話が苦にならない。
疲労の咳が出て、世話が終わるとガックリ来るのに、朝の目覚めは快調。
いったい何がこの変調をもたらしているのだろう。
また、自分に問いかけてみよう。
今年は例年に増して手入れに力が入っている。
魚の足りないところを補うことで平均値が格段に上がっている。
ただ水換えをして餌を与えて選別していたら、こんなには残らなかっただろう。
10年単位でいろいろ挑戦してきた手入れ法が、実を結んできたと言えるだろう。手入れは手入れをする価値のある魚にしか行わない。今残っている魚達はその価値があることになる。
だが、飛び抜けた大関となる魚がいない。飛び抜けた種ではなかったことは確かだ。示せることは段々良くなる種と言うことになる。近森さんがだんだん良く鳴る法華の太鼓と覚えやすく教えてくれたが、地道に選別して来た努力は無駄ではなかったと今期の魚達が教えてくれた。これは歳を重ねた親達なので、旧い血が途絶えなかったことにもなる。それはいつか、昔の型が出てくる望みを繋ぐことにもなる。
手入れとは作りの一端だが、魚の本質を読む、魚の先を読む、魚の癖を読む、魚の状態を読むことを求められる。
まず本質的にハネる魚か、価値ある魚か。この魚の本質はどこに現れているか、何が隠れているか、、、。
そして、今手入れすべきか、待つべきか、急ぐべきか、いつ頃支障が出るか、その時には捨てる魚になってしまうか、否か、、、。
これは先天的か後天的か、飼い方育て方の問題か、環境の変化を優先すべきか、手入れを施すべき段階か、、、。
施すことが魚のためになるか、過酷を魚が受けとめられる状態か、完治するだろうか、かえって悪化させるか、、、。
直った魚は見違えるようになる。施したことによって本質を引き出すこともある。そんな時は魚に拍手、自分には確信がともる。
今期は失敗よりも遥かに成功が多かった。
その喜びが、魚達を誉める高揚が、抑えきれずに浮き浮きさせているのだろう。
手をかけると魚と一体になった気さえする。
指先に魚の振動が伝わってくる。
今でも指が生臭い。
部屋中、苔のむさ苦しい臭いが充満している。
腕時計の裏には苔が生えてしまった。
心の起源を読んでの比較 189
【】の言う三世界は階層になっていたり、上の世界が下の世界を支配していたり、入れ子になっていたり、寄生者が宿主を壊したりを度々言ってきているのに、心の世界が壊れても【私たち人間も生物として生きるだけになる。】これはなにを意味しているのだろうか。その意味にも言及して欲しかった。
科学とは意味の世界へはあまり立ち居らないのかも知れない。
正直想像もつかない。科学者の意見であれば筋道があるのではないだろうか。
【】の場合の心とは、知識や思考や思いではなかったのか。
心が死ぬと言うことは、知識や思考や思いができなくなる、もっと激しくは知識や思考や思いが皆無の人間ではないだろうか。
中枢系の発達していない生物並みになって生き抜くということか。植物的となるのか。ただ心が無いだけの生物として生きるとは、それほど差し障りのない状態なのか。そんなことが可能なのか。

晴れのち曇り
外 内
朝 16℃ 19℃
外へ出るとヒヤッとする。
見上げると星がある。
これで雨が降る水換えにするようなのだろうか。
台風は逸れてくれるようだが、この冷えが抑えてくれたのだろう。
多少降っても良いような水にしておいて5時以降の予報を見たら、雨マークが晴れマークに変わっていた。もう少し薄くしておけば良かったが、収容尾数が少ないのでなんとかなるだろう。
昨日はワインを一本近く飲んだので目覚ましを3時に、目覚めたら頭はスッキリ。食後の胃薬が効いているのだろうか。
昨日、会員が午後の選別中に来たので、一緒に選別を続けた。
その辺りの丸鉢は残す可能性の低い鉢だった。
それでも5、6尾までしぼっているので悪いのはいない。
会員ーこれのどこがハネなんですか。
私 ーこれは片腹。
会員ーえ、(凝視する)そう言われてみると。これでハネですか。こっちのは。
思わず、欠点を言ってしまったが、その魚にはもう一つ雰囲気が足りなかった。
どことなく感じるので言葉にしづらく、とっさに欠点を言ってしまったのだろう。
雰囲気にはいろいろある。
品がない、腹型、長い、体型、尾型、均整、、、、、他言葉にしづらいこと。
その魚に品はある、腹も出ている、中手を保持、全体的にも合格する。
それなのに何故ハネ組に入っているのか。
せっかく切っ掛けをもらったので、自問自答をしてみた。
どことなく感じているものとは、何か。
今期、親魚のほとんどが、五歳六歳、なかには七歳。
卵数や受精率は良かったが、鮒尾率が高かった。
鮒尾に準ずるハネが半分程、始めは諦めが漂うていたらく。
とても望みを描くまでいかなかった。
それでも丸鉢へ入れる頃になると、残った魚達に望みをもてるようになっていた。
選別する度に感じが良くなって行く。
次第次第、世話に気が入リだした。良い循環が始まった。
その精鋭の魚達は、今4尾づつ丸鉢に収まっている。
今は250尾程もいる。
これからベスト50辺りを会員へ渡すので、冬籠りは200尾程になるだろう。
今期は良い系統を6腹ほど残すことが出来た。
そのなかの良い腹の一尾が話題の魚になる。
どことなくだが尾の付き方か、片腹か、荒れた遺伝子を秘めてているような雰囲気がある。
これまでに、幾多の個性的な魚から子を引いて来たが、良い子が出ない親には共通した雰囲気がある。
その印象に照らして、○をつけたり×がついたりする。
冬籠りをさせる魚の選択基準の1つになっている。
その魚にはそれほどハッキリとした×はついていなかった。
ほかに○のついた魚達が沢山がいるから、×組になっていた。
上がいなければ、その魚の片腹を直して会へ出しているだろう。
そこそこのところへのるはずだ。
ハネと言っても、兄弟が優秀なので下位になってしまっただけだ。
もう少し様子を見ながら手入れをして、仕上げてみるつもりでいる。
心の起源を読んでの比較 188
心とは破れるものだろうか。
それは失恋したとき?
破れるにしても壊れないにしても、心とは大概掴みどころのないものを言うようで、それを心と言ってしまえば納まりがつく場合が多い。
先日、心の発達過程の講義で、赤ん坊が産まれて二日以前と以後では顔や色への反応が違うという表が出た。これは、2日過ぎ頃から心が発達し出すことを示していると言っていた。
だがこれは、視覚から受ける脳の認識過程ではないだろうか。
この反応をなんで心と言うのだろうか。
この反応がなんで心と結びつくのだろうか。
このように心とは、何であるかの定義的な幅の広さや曖昧が浮かんでくる。
逆に言えばこの曖昧さは、心が的確に言い表せないものでることも示している。
心とは命と同じ要素を持っている。
命を的確に言い現すことは出来ない。
掴むことも捉えることも見ることもできない。
心も同じことが言える。
〔〕は心と命を同じ次元としている。

曇りのち晴れ
外 内
朝 19℃ 21℃
今日は水の巡り合わせで一時間早く世話を始める。
点検では以外と魚が動いていたこと。
この辺りは夜中でも薄明るいので眠りが違うのかもしれない。
早くからの水換えは思惑通り順調に終わったが、ヤッパリ疲れた。
将来はこんな無理は出来なくなるだろうと、感じるほど。
午後はまた選別。
会員が遊びに来るので結構大変。
夜は錦魚談義に花が咲くことだろう。
心の起源を読んでの比較 187
【それは心の死であり、】心が死ぬということは、心の働きや働く場や心の発生過程も死ぬということではないか。そうであれば、やはり、生物も死を迎える。
もしくは、中枢系の死を意味するのではないだろうか。
それとも、中枢系の故障程度の問題なのだろうか。
【私たち人間も生物として生きるだけになる。】心の世界が破れても生物としての死はないとして、心のない生物になるだけとしている。
【】は心が無いとどのように生きるかには言及していない。そこが知りたかった。
推測では、神経系も知能も思考も意識も何も変わらずに、淡々と生きるのか。
心が死んでいる人間になることの先をなにも示していない。
心が発生する以前に戻ることへの発想はまったくないのだろう。
不思議な程に都合の良い感じがする。科学からの挑戦だろうか。
〔〕の意見だと心が死んでしまえば、制御の効かない命の欲望のまま突っ走る状態になってしまう。

雨のち曇りのち晴れ
外 内
朝 19℃ 21℃
1時頃雨音で目が覚める。
止んでから水換えするため目覚ましを2時から3時へ1時間寝坊。
2時間ぐっすり寝て覚めたら雨はやんでいた。
先日の雨は良くなかったと判断。
今日の雨の元水は使わないことにした。
北から来る雨は汚染されているとして差し支えないような確率。
さーて、明るくなってからの当歳の曇りはどうなっているだろう。
やはり、曇りはいくらか濃くなっていた。
別な出来た水を用意していたので、その水を元水としてみたがどうなるか。
食欲は相変わらず、太りは十分なので焦ることなく地道にいける。
雨や冷えで体調を崩さないよう気を配れば、そこそこにはなるだろう。
今日は今期選別していたなかで一番忙しい日かも知れない。
今日4軒へ送るのであっちの丸鉢こっちから集め、近々5軒へ送るのを選んで決めた丸鉢へ収容している。
そのうえ、予期せぬ訪問者まで来る始末。
来週には冬籠りさせる魚のみになるので、気楽になるだろう。
心の起源を読んでの比較 186
記憶喪失や精神異常や人格破壊や心が生まれる以前の生物並みとされるのだろうか。
それとも、心が死んでも生物として生きて行けることができるのだから、心とはそれほど大したものではないのだろうか。
よしんば生物世界へもどるとしても生物世界のどこへもどるのだろうか。
ブラックボックスなのだろうか。
それとも、心を生むことのできるまで中枢系が発達している他の生物へともどり、生まれなおすのだろうか。
それとも、どこか適当な神経細胞の間に潜むのだろうか。
いいや、生物へ戻るのではなかった。
得体の知れない生物世界へもどるのだった。
いくらグルグル回り回っても混乱するだけでどうにもこうにも合点がいかない。

曇り
外 内
朝 18℃ 21℃
すがしく楽しませてくれた秋も、女心の秋へと変わり始めたよう。
仕上がりの秋とともに、用心の秋が始まりを告げたよう。
ポチポチ雨が降ってきたら、なんか体まで重くなって来た。
午後の選別の集中力が心配になる。
そんな時には朝寝をしてみるか。
朝寝が効いたかお茶が効いたか、思ったより集中できて予定まで進むことができた。
体が重く感じる原因かも知れないもう一つ、選別に夢中で首をまた傷めたか。
頸椎を1つ骨折したことがあるので傷めやすい。
心の起源を読んでの比較 185
【心の世界が破れたなら】心の世界が生まれる以前の神経系に戻るだけかも知れない。心は神経系が生みだしたとするなら、心の世界も当然神経系が構築をなし、神経系に存在しているはず。神経組織の間に存在している心が、心の世界の構成員、あるいは産みの親と言えるのではないだろうか。
心の世界が破れたなら、一体生物のどの辺りに戻るのだろう。
心が無傷なら心に戻るのだろうか。否、生物世界へ戻ることは心の死を意味するのだからそのはずがない。いいや、生物世界に戻ることが心の死であり、生物へ戻ることはその対象になっていない。【すべての心は生物世界へもどる。それは心の死であり】としている。 心と心の世界は切っても切れない間と感じていたが、そうではないらしい。
生物と生物世界もそうらしい。
心の世界が破れると生物世界へ戻るが、生物はさほどの影響は受けないようだ。
【私たち人間も生物として生きるだけになる。】心が死んで生物として生きるだけとは、どんな状態なのだろう。

晴れたり曇ったり
外 内
朝 18℃ 20℃
白い雲がぽかりぽかり、風もなく、隙間の星がチカリチカリ、
青い夜の空に、大分減った白い月と大分増えた黒い月が浮いている。
相変わらずの食欲だが、
昨日元水を使ったのが悪かったのか、今日のが曇りが増えている。
餌を抑え気味にして、夜には治療量の薬を入れることにする予定。
今回の選別で残す魚が決まりそう。
もう一鉢5尾前後になりだした早いものだ。
ここまで残った魚はそれぞれにいいところを持っている。
今期も種を残すことができそう。
心の起源を読んでの比較 184
心は神経系から生まれるとしているのだから、心の世界も神経系が創るとするのが成り行きなるだろう。それともその生物個体のそこにあるだけなのか。個体ごとに思い浮かべるだけの思いの世界なのか。
世界が破れれば心は生物の神経系に戻ると言うことか。神経系がつくる心、心がつくる世界、その心の世界が破れれば心に戻るのが当前だろう。その心が死ねば神経系へ戻るのが当前だろう。生物世界へ戻ることがこころの死なのか。神経系へ戻ることを略して生物世界としているのか。
心は思考のようなものとしているのだから、心や思考の世界が破れても、その生物は生き続けていると言うことか。
破れた生物世界だけが生物の死として物質世界に戻るのか。
もしかすると、生物と生物世界をごちゃ混ぜにしているのだろうか。
心と心の世界も。
これはどうにも合点がいかない。

少しもやっているような曇りのち晴れ
外 内
朝 19℃ 20℃
出来過ぎだった鉢もみんな透き通り、溢れている。
さあ、元水をどうするか。
雨水が入ったから使わないか。
かまわず使うか。
今日は晴れて暖かくなると言う予報を当て込んで、少なめの元水に落ち着いたが、如何に。
昨日の雨のせいか、気温のせいか、複合か、魚に曇りが見えるようになっている。
もし予防に薬を入れなかったら、もっと曇りが濃くなっていたかも知れない。
さあ、今日は晴れて欲しいものだが。
心の起源を読んでの比較 183
【物質世界に対しての生命世界がそうであるし、生物世界に対する心の世界もまたそうである。これが入れ子の世界の宿命的な葛藤である。】
世界間の関係は【寄生者と宿主の関係】ではなかっただろうか。
寄生者がいなくなっても問題はないが、寄生者が奇妙に戻ったらどうなるのか。
【心の世界が破れたなら、すべての心は生物世界へもどる。】
心の世界が破れたなら、すべての心の帰すところは生物世界なのだろうか。
ブラックボックスではなかったのか。
心の世界が破れれば心も破れるはずと思うが、世界だけ破れても心は無傷なのか。
漫画の吹き出しのように生物から生まれた心は、心の世界が破れれば元の生物世界へ吸い込まれるように戻るのだろうか。
破れたり、壊れたり、生まれたり、戻ったり、寄生したりする生物学の心の世界とはいったいどういうものだろうか。

曇りじきに雨 降ったり止んだり
外 内
朝 20℃ 21℃
のっぽビルの上の方が少し隠れるように、もやっている。
冴えない天気が影響しても元気をそのまま保てるように、予防薬を入れた。
明日の会までに何も起こらないように、餌も抑えた。
夕方降るはずの予報は、大分前からシトシト来ていたが、まだ10時前と言うのにザーッと本降りもよう。
さっきの点検では出来た鉢がかなり出来過ぎも4鉢、雨対策としての水の濃さは十分。水、餌、薬と思惑通りだが、明日は如何に。
心の起源を読んでの比較 182
各世界が破れる事で、心も生物も物質も何も変化しないのだろうか。
【それは生物の死である。】生物は死ぬと物質世界へと戻って行く、それは生体でなくなりただの物のとしての体になってしまう。物質で構築された体から生命がなくなれば当前物質になるのは、物質世界へ戻る事だろうか。
元々物質世界に存在していたのではないだろうか。
物質世界で命や心を受けて生物になった。
物質世界に生命世界は存在している。けっして生物世界とは物質世界から抜け出たものではない。だから入れ子と言っているのだろうと解釈していた。
生体の体は物質そのもので、命と心が抜け出ればただの物質になるのは当前となる。それを戻るとすることにわずかな違和感を感じるだけか。

晴れたり曇ったり
外 内
朝 17℃ 19℃
どうして丑三つ時の空が青いのだろう。
どうして夜中に流れる雲が白いのだろう。
闇を通さないあおさが夜を遮っている。
夜をさえぎるあおさが星を隠している。
全部の魚の調子がいいので今が一番気の休まるときだろう。
忙しさにも追いかけられないので、何となくのんびりしている。
いつもがこんなならいいのだが。
こんどの会が終わると、空いた鉢に入れる魚の選別が始まる。
仕上げも始まる。
心の起源を読んでの比較 181
P170では心の世界が壊れたら生物世界も壊れてしまうのではなかっただろうか。そして、生物世界が壊れたら物質世界も。
この場合で壊れる心や生物の世界は、死んだ生物一個体がもっていた世界としていない。全ての心、全ての生物を対象にしている世界と受け取れる。
この場合、全ての生物を生んだのは物質世界、全ての心を生んだのは生物世界としている、物質世界→生物世界→心の世界とする【】の道筋に合致する。
壊れたときの波及は、心の世界→生物世界→物質世界となって行くことも受け取れる。
だが、どうしたら心の世界が壊れてしまうのか、へは触れていない。
おそらく、これもブラックボックスなのだろう。
科学が触れたくない領域なのだろう。
触れずして、棚に上げて、仮説を成している。
P176では心の世界が破れたら、生物世界が破れたらとなっている。
破れると壊れるでは言葉の差があっても、破壊という意味ではそれほどの大きな差を含んでいるとは思えないのだが。

晴れ
外 内
朝 17℃ 19℃
北が吹き、気冴えて、星散らばり、雲高く薄く、月その奥に輝き増す。
用心したくなるほど餌を欲しがる。
秋の透き通る陽射しを、風を、余すことなく受け入れる水を見ていると、幸せな感じさえする。この気分も余すところなく味わっておこう。
当歳のお腹はすっかりメタボに。
午前中は楽しませてくれる。
お腹さえ出てくれれば目巾が目立たなくなる。
その点ではいい感じなのだが、朝になると目が目立ってしまう。
もう、嘆くのはあきらめて、妥協して、腹出しに望みをかけるようだろう。
幸い、口を小さめに維持しているのが救いとなっている。
心の起源を読んでの比較 180
すると、生ける物全てが死に絶えたときだろうか。
これは当てはまる。
生物世界も心の世界も破れ去る。
ただしこの成立は、生物世界や心の世界が破れたら心や生物が死んでしまうこととは、逆になってしまう。
逆もまた真也の証明はされていない。
すると、物質世界が破れてしまったときだろうか。
これも当てはまる。
生物世界も心の世界も消え去る。
これでは元も子もなくなってしまう。
心の世界や生物世界が破れるという仮定の根拠が、見つからない。

曇り
外 内
朝 20℃ 22℃
秋の空気秋の陽射しに包まれるという。
昨日はサボったので今日はその分も、秋を受け入れられるように手入れをしなくては。
世話してるうちに肌に霧が当たるようだった。そのわりに元水を少なくしてしまい、手入れも良過ぎたのか出来過ぎの鉢は1つだけ。昨日は手抜きをして、湿度が高かったので出来過ぎが20ほど、条件の差はハッキリとしたものだ。
心の起源を読んでの比較 179
問題はどうしたら心や生物の世界が破れるのか、と言うところにあるようだ。
それに当たって、生物世界を心の世界と同類項とできるように生物世界を限定しておく必要がある。生物世界を同一種類の集まりや社会と限定せず、生命を有するものとしておく。すると生命世界の具現化が生物世界の様相となってくる。
この生物世界と心の世界がどうなったら破れるのだろうか。
生物の死ではないだろうか。
一つは、死んだ生物一個体がもっていた世界の破綻となる。
その個体が心の世界や生物世界を構築する一員としてのものとは違っている。
その一個体が死んで有していた世界が破れても、心の世界や生物世界は破れないからだ。
もう一つは、死んだ生物が心の世界や生物世界を構築する一員だったとき。
例えてみよう。生体を構築する一つの細胞が死んでも他の細胞がそれを補うことをしている。そのような作用が生物間でも働いているのではないだろうか。
だとすると、生物世界を破るのは生物一個体の死ではないようだ。

曇り
外 内
朝 21℃ 23℃
月も星も何にも出ていない。
昨日は小学校の同級生と学校を訪れ、帰りに美術館へ行き、夕方飲み会となった。
結局寝たのが23時、目覚ましを3時に1時間ずらしても起きられるか不安だったが、案外スッキリ。だが、雨が降る予報に手抜きをしているあたり、やっぱり二日酔いぎみなのか。
心の起源を読んでの比較 178
第六章 心の未来はどうなるのか
いよいよ最終章になった。
このところ気の重い比較になっているので、【心の未来は】明るい方に向けてもらいたいものだが。
P176 第六章の序【生物世界が破れたらすべての生物は物質世界にもどる。それは生物の死である。それと同じく、心の世界が破れたなら、すべての心は生物世界へもどる。それは心の死であり、私たち人間も生物として生きるだけになる。何れも「入れ子」をなしている世界が担わねばならない運命であろう。】
この序も、のっけから波乱となってしまった。
心の世界や生物世界が破れるという仮定自体が、どこか掴みようがなくしっくりこない。
このい場合の世界とは、時空的制約によりまとまった広がりの範囲、
また同一のものの集まりや社会、また知識や見解の範囲、とすることができる。
心や生物とするものが、時空的制約によりまとまった広がりの範囲。
心や生物とするものの集まりや社会。
心や生物とするものの知識や見解の範囲としたとき、
その世界が破れると言うことは、その世界が破綻する、破綻するとその世界は成り立たなくなる。世界を構築していたものも一緒に破綻する。それが心の死であり、生物の死となる。
と、ここまでは問題ない。

晴れ
外 内
朝 20℃ 23℃
暮れたときの月は低く大きく、夜明け前の月は高く小さく。
月が大きく見える人はロマンチストだという。
低い月を見た人は長い夜に包まれるのだろうか。
この間シワ抜きを止めたのだが、日照が増えるとまたぞろ始めたくなる。
もう抜く魚がいないので手を出さないで済んでいるが、抜き忘れがいればやっていただろう。最後に抜いた魚は半分ほど付いているが、予定より少し早め。
今月中には皆付き終わっているはずだが、どうなるか。
入れ替わって、時期としては桜が始まっている。
心の起源を読んでの比較 177
ここにきて【】はやけに人間臭くなっている。科学者【】はどこへ行ったのだろう。やけに殊勝で、それでいながら気弱で、【】なりの心の起源を展開してもらわなければ、張り合いがなくなってしまう。
可愛くなったり、おとなしくては詰まらない。
心の目指すところは果てしないだろうが、心は身近に在る。それを意識することが肝要で、意識するとは心任せや、果てしないや、努めは重いとかではない。
生体は再生で受け継がれて行くが、心は再生するでもなく引き継がれ示されて行く。
生心は生体とともにあるので生体が死を迎えれば、生命とともに生体に宿ることはできなくなる。が、再生された生体に命と共に再び宿ることになるだろう。
生心は思考や思いで意識することができる。その生体がその時点で最も取り入れるべきことを感じることができる。生きること、食すること、欲することに汲々としていては、感じることも、意識することもできない。感じることができれば、それにそぐうように努力する。それが精一杯であって、それが生物世界に生まれて来た役目としての努めと言える。自己の内外の社会に於いての最良の行動と言える。

白いほわほわ雲がいっぱい、隙間の青いところにパラパラ星
外 内
朝 20℃ 22℃
明け方前の懐中電灯のあかりでは、少し色が褪めているように見えた。
やはり、明るくなって確認すると元の感じの色。今日は与えることを止め、明日はもっと褪めることになるのかを見る予定。わずかでも褪めていたら昨日の餌がまだ効いていたと受け取れる。褪めなかったらもう無かったことになる。
明日からは少しづつ与え、いつものように徐々に濃くなるかを見て行く。
心の起源を読んでの比較 176
心の世界は果てしないように感じられるが、心の目指すところが果てしないのであって、その目指すところは生命の行き着く先と一致しなければ、果てしないように続いている心の働きも徒労に終わってしまう。
おそらく、大いなるものも無意味な結果へ至ることは想定していないはずで、前途多難ではあるが現在の途中経過を見れば、このまま静観できるのではないだろうか。
【どこまで進んでも果てしない世界】これでは希望のない世界のような印象を受けてしまう。
【】の心はそれほど希望を見失っているのか。それとも行き先を見いだせないでいるのか。危険な面には気が付いていても、果てしないことに気が付いていても、心の目的の希望を感じることができないのだろうか。
心の世界は、失望を与えるような【】の世界とは逆になっている。
希望される常を目指している。
【どこまで進んでも果てしない世界】とはブラックボックス的世界を感じているのではないだろうか。脳では理解しきれない世界。生物が生じさせることのできない世界。命と同じような世界。

ぱらりと星が見えているので晴れ
外 内
朝 19℃ 21℃
昨日は夜に降って来たが、今日から台風が来るまでしばらく日が出てくれるよう。昨日より薄め方向か。
陽射しを取り戻してくれました。
エルニーニョだから冷夏だけれども、9,10月は温かいと言っていたので、
この調子が続いてもらいたい。
九月になったら色揚げ剤を試そうと思っていたが、昨日気が向いて用意して置いた。今朝は昨年まで与えたことのなかった多い量を試してみると、午後にはもうこれで十分というほど揚がっていた。明日水換え予定なので水は出来あがっていて、日が出たし、このごろ朝が冷えていたから条件が重なっているにしても、やっている方が驚くほど。
同じ餌を試しても効果がないと言う人は、何かが欠けているのではないだろうか。
心の起源を読んでの比較 175
P174【心の世界はどこまで進んでも果てしない世界となっているのだ、ということもできよう。心の世界をどうするのかは正しく心任せになっているといえよう。心をもったもののつとめは重いといわねばなるまい。】
心の世界が心任せとは単なる掛け詞の遊びとは思えない。
高等脳の心に心の世界が任せられていていいものだろうか。
危険な面をもつ心に心任せでいいのだろうか。
努めが重かろうと重くなかろうと、危険な面が強く働けば努めなどはハナにもかけられない。
高等脳の発達は自然淘汰さえもすり抜けかねない。
高等脳の発達は自然破壊さえ起こしかねない。
その高等脳に準じて発達する心が、心の世界を形成しているのだろうか。
心の世界が心を許容しているのだろうか。
高等脳が生じさせる心が心の世界を形成しているのであれば、心が心の世界を見いだせない訳が無い。

曇りのち薄日
外 内
朝 18℃ 20℃
外は20℃をきるようになってきた。
太りながらまだ成長して来るとき、その成長の速度が夏より遅いので、大きくなるようについ餌を与えてしまう。成長がもの足りなくて夏のように与えてしまう。
すると目が出て、目巾が出て、背瘤まで出てしまう。
今期は粒餌になったために調節が判らず、それを見事にやってしまった。
先日、丸手を飼うと逆し向くというメールをもらったが、丸手だから逆し向くと言う訳ではなく、逆し向く丸手の種か、逆し向く傾向のある種を長手と同じように飼っているせいと答えた。
我池の丸手はほとんど逆し向かない。
現在300尾ほどいる当歳の丸手中手は腹がパンパンなのに、逆し向く魚は一尾もいない。
他の様子を見る鉢には二尾いるが、ちょっと確かめたいことがあって観察中。
逆し向かない兄弟の中で、逆し向いてしまう兄弟は散ざ撥ねられてしまったが、そのなかには長手も居た。
長手でも逆し向く魚は逆し向く。
そして、逆し向かない丸手からも、逆し向く長手が出ることがある。
心の起源を読んでの比較 174
P172【心の本質が神経細胞の間に潜んでいる関係にほかならないのは、生命の本質が物質の間にひそんでいる「関係」であることとおなじである。】
心の本質も、心が神経細胞の間に潜んでいるとする関係も、双方とも証明されていない。〔〕はむしろ否定している。
本質にしても、命は物質の間に潜んでいて、心は神経細胞の間に潜んでいるなんて、何で回り回って戻ってしまうのだろう。心も命もこんなに単純なことだったのか。これが学問の回帰なのか。潜んでいるところは解っているとしても、命も心も解っていない、と、またそこから始まるのか。
ブラックボックスではなかったのか。
覚醒 意識 ー 脳 ー 思考
有意識の他象 ー 瞑想 ー 智慧
無意識 ー 自己 ー 生命
心は優しいとか愉しいとか思いやすいが、それは心の示すところの現れでその過程はただひたすら下向きな働きとなる。

曇り
外 内
朝 19℃ 20℃
このところ降ると言って降らない日が続いてくれている。
今日明日降らなければその後は回復すると言うのだが。
5時発表の予報で雨マークが消えた。
このところの冷えでも二才は元気でいてくれる。今期試した温度掛けが功を奏しているようだ。これでだいたい温度掛けがまとまったと言える。後は忘れず、面倒がらず、予防的に行えばまずまずのはずだが。
心の起源を読んでの比較 173
【生物体を壊したりすると、生命の働きは止まってしまい、】
生命の働きは止まってしまい、と書いているところは、生命が消滅したり壊れたりするのではなく、働きが止まるとする表現に、生物体が壊れてもブラックボックス内に生命が存在して、働きだけが止まることをうすうす感じているようにも思える。
【まったく同じことが心についても言える】とするのだから、
生物体を壊したりすると、心の働きは止まってしまい、とすることができ、心のことも、働きだけが止まることをうすうす感じているようにも思える。
心の生まれ方が双方の異論となっているが、現象としての結果は共通している。
以前にも触れたが、残ったのは物質のみだが、〔〕の言う心は生物に宿ってはいるが、生物から生まれていないのでまだまだ強かなものとなっている。

曇り
外 内
朝 21℃ 23℃
昨日の晴れは恵みだったようだ。
その恵みを無駄にしないような水換えを心掛けてみよう。
丸鉢の水換えを始めると、冷たいこぬか雨が降って来た。
カッパを羽織って続けると、冷たい北風が唸りながら過ぎて行った。
丸鉢の水換えが終わると、冷たい口笛を遠く吹き鳴らしていた。
もう秋が、もう冬を。
そこまで。
心の起源を読んでの比較 172
【残されたのは生命の要素としての物質のみである。まったく同じことが心についても言える。】
命がなくなってしまっても要素の物質が残る。
この場合は体に命が宿って生物になったことが前提となっている。生物(生体)が命を造ったとされていない。
【残るものは神経細胞の編み目だけになる】
この場合は体に命が宿った生物が自ら心を造り出したことが前提になっている。
【まったく同じことが心についても言える。】と言うには、
前提の違いが障壁となる。
それは次元の違いと言うことができるほどの差となる。
命と心が同次元であれば【まったく同じことが心についても言える。】訳だが、
【】の言うたとえは、命と心のイメージのみが、
【まったく同じことが心についても言える。】と言うことになる。
このイメージこそが、無意識的に核心を感じているのでないだろうか。

曇りのち晴れのち曇り
星は見えていないが晴れだろう 明るくなったら一面の曇りと判った。
これからは星が見えてなければヤッパリ曇りとするようだ。
外 内
朝 20℃ 20℃
昨日は餌を与えていないので、おそらく苔が大分減っているはず。
水は汚れていないはず。
雨で水は透き通っているはず。
台風の雨が使える水か使えない水か、とにかく、苔の間の汚れを取って、元水として使って替えて、四鉢だけ水を替えないで試してみよう。
今朝やっと魚と顔を合わせたが元気だった。
餌を一日与えなかったただけでいくらか戻っている。
腹が膨れていないのに、みっともなさが少しだけ納まっている。
まだ望みだあるようだ。
餌を与えたら直ぐ元通り、望みなしか?
まあ、やるだけやって見よう。
心の起源を読んでの比較 171
仮に赤ん坊がはいはいする初期を、爬虫類の時期を経る段階としてみよう。
すると、この運動に脳が関与していないはずがない。
少なくとも運動を司る脳ではやはり、一時的あるいは部分的にせよ、爬虫類の時期を経る段階と言えるのではないだろうか。
すると、爬虫類には心が無いとされるのだから、この時期の赤ん坊には心が無いとするのだろうか。
もっとも、運動を司る脳と心とは始めから関係ない、と言われればそれまでだが、天才と言われる勝負師は動物的勘を持っていると言われる。正しくはそれを持っているのではなく使っているとするのであって、その機能は誰しもが持ち合わせている。脳が優れている部類の人間ほど心と関係なさそうな脳の部位をを使っている。
もしかすると、人間でもそのなかで特別優れた脳を持つと言われている天才は、心を持つことのできないような古い脳が素晴らしいと言うことになるのだろうか。