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8月31日


    外   内
朝  19℃ 20℃

 きょうは久々に楽をさせてもらうことにする。
毎日していた苔洗いはせずに水換えだけ、ま、その分明日が大変なのだが。

 よほどでないと餌を与えないことはしないのだが、今まで不格好にしてしまった分のいくらかでも取り戻すために、当歳だけ餌を与えていない。
行くと与えたくなるので、風が吹くまで点検もしないことにした。

 台風の暴風域は逸れてくれた模様。
午後の点検では17℃、朝より冷えていた。
雨で魚は見えず、鉢からは遥かに溢れ、水は入れ替わり、明日の元水を如何にするか、、、明日の悩みは明日に。


心の起源を読んでの比較 170

 例えば、心の一つの表現が思いとするなら、胎児には思いが無いのだろうか。
人間の形になったと思える胎児になるまで、思いが無いのだろうか。
胎内で発生を続けている間は眠っていると感じている。
眠りが遺伝子とつながっていると感じているからだ。
発生が始まっていることは、命が宿っているということになる。
その命の働きが遺伝子の働きとなっている。
〔〕の意見では、命と同時に心も宿っているとしている。
発生の段階として命の形容が現れてくる。
発生の段階から命の形容の段階ごとに心も発生の段階として同時に経ている。
【】の意見では、人間に当然心があるとしていても、どの段階から生じるかには言及していない。
胎児から生じるにしても、赤子から生じるにしても、神経系の形成状態によるものだろう。
だが反面、神経系の形成状態が未熟であれば、胎児でも赤子でも心が無いことになる。
 
2009.08.31(Mon)  土佐錦魚TOP
8月30日
 
曇りのち雨
    外   内
朝  24℃ 25℃

 温かい北がシッカリ吹いている。
予報では最高気温25℃。昼前から雨。
元水は濃いめ。低い気温と雨を考慮して、やはり少し濃いめにしておくようか。

 10時頃には冷たい霧雨。
元水を倍入れたが出来た鉢は数鉢。
魚が出来始めると同時に、気候とのせめぎあいが始まる。


心の起源を読んでの比較 169

 錦魚の発生は卵の中と、孵化してからと、浮出してからと掛け合わせの段階を経て土佐錦になるまでの経過となる。
その土佐錦となるまでが発生と感じている。
 人間は卵から(錦魚で言うと)浮出以後まで胎内で経て、赤ん坊となって産まれる。
誕生して以後も骨の形成は続き、発生の誘導は続いている。
 赤ん坊ではまだ発生してないところに心が含まれているのか。
赤ん坊でも、既に心があるのか。
人間の赤ん坊に近づいた胎児でも、心があるのか。
それとも形が人間の胎児と思える以前では、心が無いのか。
 生物学的脳の形成状態では、どの辺りで線引きをするのだろうか。
身体的に赤ん坊がはいはいする初期は、爬虫類の時期を経る段階と聞いたことがある。その時期を疎かにすると形成不全となって、股関節やその他歩行等に不自由が生じたりする。
 
2009.08.30(Sun)  土佐錦魚TOP
8月29日

晴れ
    外   内
朝  20℃ 22℃

 この夏の晴れは今日でお終いの模様。
今夜からまたお日様は雲に遮られると言う。
お日様にしばらくの間の幸せを感謝します。

 夏の置き土産か、この機会に二才のだめ押し的温度掛けをすることにした。
さあ、急いでセットだ。

 今朝の夜中から放映していたテレビ番組をビデオで見ていた。
排出ガス等による温暖化を唱える学者と氷期化を唱える学者が、打々発止とやり合ってる。
その議論の仕方が政治家などと違い筋が通っていて、見る価値があった。
温暖化派は人為的原因によるという。冷えたのは自然現象の内のようなもの。
氷期派は太陽活動の低迷によるという。温暖化は氷期の小春日和のようなもの。
どっちにしても錦魚派にとって異常気象に変わりなく、覚悟のいるところ。
 判り易くは5年ほど経ってより温まったか、より冷えたかで決着がつくだろうとのもよう。

 夕方か夜には雨が降ると言う予報にのせられた結果、
半数以上の鉢が出来過ぎ。目がちょっと出過ぎ、粒餌は難しくて食べ過ぎ、
雨が降ったら餌を抑えようと思惑の走り過ぎ。


心の起源を読んでの比較 168

 生心の働きの表現は、脳みたいに認知できる機能を持った生体に限られることは確かとなる。
 ニワトリは感じることができるが、生体となっていない卵はまだ発生していない生体の生心を感じることができない。
 発生を遂げたにしても中枢系がまだ複雑に発達していない生物は、生心の認知と表現を電気的より体液系が多く占めている。
 その生物は、体外的にも体内的にもそうなるので、特に人間のように中枢系の感覚が発達していて、体液系の感知度が鈍くなっているものからすると、そのような生物にはまるで心が無いように感じてしまう。
 もし人間が、電気的な方に頼り過ぎず体液系の機能を鋭く持っていたり、もっと脳へ影響していたら、心が脳にあるなどと感じることはなかっただろう。
電気的でないもの以外には心が無い、
電気的でないと心はつくれない、などと感じることはなかっただろう。
 
2009.08.29(Sat)  土佐錦魚TOP
8月28日
 
曇りのち晴れ
    外   内
朝  22℃ 23℃

 外に出るといつもは静かな空模様を見上げているのだが、今日は静かだが派手な事態になっていた。
 方向的には渋谷、六本木方面だろうか、数本のサーチライトが赤や青に色を変えながらグルグルと目まぐるしく放射している。
 何のためにやっているのか、まるで都会の花火のようだ。

心の起源を読んでの比較 167


〔脳を壊すと止まるのは心を知る術ではないだろうか。〕
脳を壊すと心も無くなってしまうのだろうか。脳は心を表現できる能力を持っている。その能力を失うと心を知ったり表現する術をなくしてしまう。すると心が無くなったように勘違いする。もう何回書いただろうか。
 心のありかを脳とするのはもっともだが、その心情によって頭としたり、胸としたり、心臓としたり、はたまた頭の外としたり、表現が変わるのは何故だろう。
その時に相応しい心のありかを、脳が表現しているせいではないだろうか。
興奮や衝動や高鳴りや落ち込みや体液系の作用と受け取れることでさえ、脳が表現している。
 脳と体の均整が崩れたとき、体が重い、希望が持てない、生きる気がしない、
体の奥深くから沸き上がるものの表現となって、より生命的な作用が脳に及ぼしていると思える。
 植物に近い状態の時は、少なくとも体液系の深いところの作用は感じているものと思える。
また、体外的に表現できなくても、体内的には電気的表現も働いている可能性は否定できない。
 
2009.08.28(Fri)  土佐錦魚TOP
8月27日
 
晴れ
    外   内
朝  19℃ 21℃

 ぱらぱら星がせいいっぱい広がっている。
こんな透き通った空気はいつかも、、あったような。

 朝焼けの東の空が淡い朱に染まり、水色へかわりゆく高空に最後の星の輝きがなんんとなく輪をつくり、ぽっかり浮いていたかすれたような雲が染まるころ、いつの間にかひかりの影に隠れてしまった。
 ビル影から陽が覗くと、丸鉢の縁をひかりがかすめる。
追われるように水をそそぐと、ひかりは水面に跳ね返る。

 きらきらと輝く空気、刺すことを思い出した陽射し、カーテンを揺らす風。
なんて幸せな気分だろう。
午後の選別が口惜しいような、水を掻き回したくない、全部大きくしてあげたい。
こんな日ばっかりだったら、優しい気分でいられるだろう。


心の起源を読んでの比較 166

 人間として分け隔てのない心の尊厳とは、人類の保守的働きなのだろうか。
他の生物全てへ人間同士と同じような心の尊厳を、人類全てが持ち合わせているとは感じられない。
 心が生体の推進力であったなら、共に生ることから始まっていただろう。
 命が生体の推進力であったから、自然淘汰が生じその洗礼を受けてなお生きること、そして生き抜いて繁栄することが優先される。
生きていてこその心となってしまった。
 人科への保守的働きは、文化的社会的なものが複雑に入り交じりながら、生命の働きの方が生心の働きよりもいまだ遥かに強いと感じられる。
 戦争主義と平和主義とのいたちごっこは、いつも戦争主義が勝って来た。
だが、人間の中には尊厳をすべからく持ち合わせている人もいる。
その中に全生物の心を理解しているとしか思えない行動をとる人もいる。
それが心の流れであって、生命の自由の中に個性として存在している。
 いつの日か心からの平和主義がまさる時が来るだろう。
 
2009.08.27(Thu)  土佐錦魚TOP
8月26日
 
曇り時々薄日 
    外   内
朝  20℃ 22℃

 今日からは安定するとか。
丁度良い感じで選別できるのだろう。そのためにも今日もピカピカに。

 餌を食べ終わって落ち着いた頃、薄日が射して来た。
小さい腹の魚に曇りが付いて来た。
冷えもあるが、先日の夕立が影響していると感じている。が、根拠はない。
今夜、予防薬を使うつもり。
いやはや、もう秋の苦労が始まろうとしている。

 衆院選の期日前投票に行ってきたら、ここへ出すのを忘れてしまっていた。

 心地良い秋日和? まだ8月と言うのに。
この気温この日照でもの足りなかったシワが出てきていた。
今日の比率は十%と言うところか。
裂かれた魚がそこかしこ。明日からも増えるだろう。
今回の一週でシワ抜きは終りとなる。
この秋日和で始まっているのが桜かな。


心の起源を読んでの比較 165

 植物状態の人へ接っする方の、心の持ち様にもなる。
植物状態をやがて命が尽きるものとし、心がもはや無くなったものとし、物質的状態に近い物とすれば、この頃は扱い方が違って来るようだ。
 この扱いは脳死という目的に当てはめたことになる。
 植物状態あるいは脳が高度に働かない状態でも、多くの人は病人に心がないと判断する人はいないと思う。
 脳死の判断には心の条件が加わっていない。
意思表示カードに意向として、臓器提供の同意不同意を、その一つとして。
あるいは脳死判定そのものに同意不同意をその一つとして。
あるいは家族の意志に同意不同意を任せることを、その一つとするか。
家族の意志は本人の人権や心の代弁と判断されるはずだ。
 仮に病状が好転して脳が復帰したとしよう。
すると心も復帰するはずだ。
心の働きが復帰するのは当前だろう。
それとも心の復帰ではなく、心そのものが再発生するのだろうか。
(これは大変なことだから考えない方がいいだろう。)
生物学上の心とは何とも忙しいものだ。
 
2009.08.26(Wed)  土佐錦魚TOP
8月25日
  
小雨のち曇り 晴れ間あり
    外   内
朝  20℃ 22℃

 入道雲や夕立をやっと夏らしいと書いたら、明くる日には秋らしくなていた。
北からの風にのって秋雨の予感がやってきた。

 夜がしらじむ前に雨は止み、世話が終わる頃には薄日がちらほら。
今日も不安定なのか。

 今日一回目の朝が冷えたら、もう腹が出てきた種がいる。
腹が出ると顔のみっともなさを補ってくれて、目巾も気にならなくなってくれる。
と言うことは、本腰を入れて端瘤用心せねば。

 午後の見回りでは、抜いたところがほぼ付いて来ているのがほとんど、半分ほどしか付いていない魚も引き寄せているので、後は時間の問題だろう。
 そこで予定通り明日から選別を再開することにした。
同時に、片方を抜いて片方を残しておいた魚は残りを抜かれることになる。


心の起源を読んでの比較 164

 そんな時、心はいったいどうなっているだろう。
俗に言う植物状態の時【】の論なら、まだ心が発生していない頃にもどっているはずだ。脳の働きが高度でなければ心は存在しないからだ。生物学的にはそうでもいいのだろうが、一度心を持ち社会の一員となった病人を扱う時、心情的には、医学的にも、人間としての尊厳を持って接しているはずだ。
植物状態の人の心が、もはや植物のように無くなってるとか、退化しているなどと感じたり思ったりする人はいないだろう。
 それは人間社会の心の持ち様で接しているのであって、植物に近い状態や対象人物の心の有無とは関係ないはずだ。たとえ死を看取られた死体であっても。
 それは、対象人物の今までの行いや貢献度や地位や財産などがそうさせているのだろうか。それは人格や地位への尊厳ではなく、心が無い状態となっても人間として分け隔てのない、人類としての心の尊厳ではないだろうか。
 
2009.08.25(Tue)  土佐錦魚TOP
8月24日
 
曇りのち朝から晴れのち夕立
    外   内
朝  22℃ 24℃

 外はひんやり、雲は一面。
昨日はポツポツ屋根にあとがついた時もあったが。

 世話が終わってしばらくすると晴れてくれた。
一番好ましい様子。
 このところ糸目がまるっきり届かなくなり、長い間粒餌となっている。
過去二回目。今回は始めからでないので、魚の有り様は前回よりましだ。
 今回の魚の一番の特徴は目が出てしまったこと。もちろん目幅も。その上背巾背肉が盛り上がり、我池の魚ではないようなシッカリした体になってしまった。
 当歳でこの有様では、品を求める段階をかなり妥協せざるを得ない。
我池の特徴の1つ端瘤だけはなんとか保とうとしているので、そのせいもあるのだろう、やはり成長が遅くなっている。

 やっと夏らしいすさまじい夕立。季節が一ヶ月ずれたようにおとずれてくる。
ただし、北東の吹き降り。


心の起源を読んでの比較 163

 【心とは何であるかを見定めようとして脳を壊したとすると、心のはたらきは止まってしまい、】とは、
 〔脳を壊すと止まるのは心を知る術ではないだろうか。〕
脳に心が存在しているのであれば、脳が破壊されていない程度に、心が逃げて行かない程度に壊れたとすれば、心は脳に存在し続けているはず。
神経組織の間にも心の領域が必ず存在するはず。
未だ心の領域が発見されていないのは、心そのものを特定しておらず、脳の領域も特定できる段階にないからだ。神経組織の間などとおよそ不明瞭な言い方になってしまう。脳から心が生まれたり、心が脳に存在していることに拘らなければ、脳は心を表現している器官として、なんの障害もなくなる。
 脳を破壊すれば当然命と共に心の働きは止まって死となってしまうしまう。
仮に死を迎えない程度に脳が破壊されたとしても、脳はもはや心を表現することもできないだろう。
 仮に、なんとか生きている程度に脳が壊れて、良く言う植物に近い状態となったらどうなるだろう。これは温かかったり、息をしていたり(人工呼吸器を含む)傍目にもまだ命が存在しているとわかる。

2009.08.24(Mon)  土佐錦魚TOP
8月23日
 
曇り時々晴れ
    外   内
朝  22℃ 24℃

 そよそよだが北が吹いている。
一面の白く漂った雲の隙間は青く、昨日よりは空気の通りがいいようだ。

 スッカリ怠け癖が付いてしまったか、払い拭うために今日は二才の手入れをすることにした。どういう訳か今期は二才に興味がわかず手入れを怠っていた。
時間があるのだから見てあげなくては可哀相。


心の起源を読んでの比較 162

 〔心とは持てる生物共通なものではないだろうか。〕
〔〕は、人間という生物には個々の個体ごとに別々に違う心ではなく、共通する心があるとしている。
 大体が人間同士現実に、心としたものを漠然と理解できるのではないだろうか。あの人の脳が生んだ心は大したものだ。あの人の脳はできが良くないから、心もろくでもないなどと差別しているだろうか。普段は心とはなんて考えたことがなくても、心を言いあらわすことができなくても、何気なく理解している。
 たとえ人間と犬でさえ理解し合える。何かがつながっている。言葉は通じなくても心が通じ合えるときがある。たとえ錦魚でも。
 〔〕はその元の心を生物共通の心として生心と名付けている。
その元の心を元にして、生き物が各々の心を重ね進めて行くからだ。
 
2009.08.23(Sun)  土佐錦魚TOP
8月22日
  
曇り
    外   内
朝  24℃ 25℃

 昨日は夜降るかも知れないとなっていたが、降らなかったようだ。
今日も夕方は降るかも知れないとなっている曇りだが。

 2週間魚を掬ってみないとどう変わっているのだろうか。
もう残す魚を選ぶことができるようになっているかも知れない。
そんな期待を楽しみに、午後になるとグルッと歩き回っていたので、大腿部の太さが少し戻って来た。
 今期は腰の痛みがまったく無くなっているので、思い切ったことができる。
選別時の身体的辛さが無いのが救いで、後は集中力とその持続力の問題だが、
これは年々衰えて行くことを覚悟済み。その分を年の功が補うような仕組みのようだ。


心の起源を読んでの比較 161

 【】に通じる発想の始まりは、進化論以前からあったが、ダーウィンの進化論以後は進化論の都合の良い解釈をもとにしてさらに推進したとすることができる。
既に人間の階級を確立していたもの達は進化論さえ利用して、人間以外は人間より劣るもとし、宗教すら利用していたもの達は勢いづいて、神に一番近い人間が総てを支配することも一層と確固とした。
 この考えを確固とした人間達は、人間どうしにあるとした差を以て、人間が人間を支配することも許されるとした。
 身体差、能力差、教育差、あるいは権力差によって人間として優劣の差ができるのであれば、心にもその差があることになるだろう。
 心に差があるのであれば、身体差、能力差、教育差、あるいは権力差によって命にも差が生じることになるだろう。
【まったく同じことが心についても言える。】と、前提の違う命と心を同じに扱っているからだ。
はたして、そうなのだろうか。
 
2009.08.22(Sat)  土佐錦魚TOP
8月21日
 
晴れたち曇ったり
    外   内
朝  23℃ 24℃

 星は今日も見えないけど、白い雲がぽかりぽかり浮かんでいる。
南なのに涼しのは、風らしい強さがあるからか。

 もう忘れ去られている梅雨明けに触れてみよう。
1日目と記してからはそろそろ10日になるが、せっかく降らない日がつづいているから、14日から曇っていても雨の降らない日を数えても、もう直き10日間になる。
異例だろうが、東京は8月14日を梅雨明けとすることが一応の条件を得たことになる。
 早々勘が当たっていたと喜んでいた梅雨明けは、条件を満たしていなかったことになる。気象庁もその日だったのが、かえって訂正しづらくなっている。
ま、どっちでもいいのだが。
気象庁は訂正などしないだろう。そして梅雨の平均期間等がその影響を受ける。


心の起源を読んでの比較 160

 〔脳が心を表現する媒体だったら、脳の違いで表現や使い方に差が出ることは当前となる〕
この見方の違いは、生物学からの見方と、哲学や宗教的見方の差になるのだろうか。
 〔〕の見方は科学、哲学、宗教にも限っていない、受け入れたままに表現している。どれを受け入れるかは、感じるままにしている。

 科学はどうしてそうなるかの現象を求めても、その意味は求めない。むしろ避けている。
科学と哲学や宗教との裂け目はそこにある。
心を機能と捉えれば科学(生物学)でもその範囲で解明できるだろう。
心の意味を捉えようとすれば哲学や宗教での解明に託されるだろう。

錦魚を飼育するには機能を捉えれば十分となる。
錦魚を作るにはまず意味を捉えなくては不十分となる。その上で機能を働かす。
錦魚は哲学で作る。
どうしてそうなのか、そうするのかの意味を捉えて、どうすべきかを導き出す。
するべきことへ機能を働かす。
機能は意味の方向性をもって働く。
 
2009.08.21(Fri)  土佐錦魚TOP
8月20日
 
曇りのち晴れ
    外   内
朝  22℃ 23℃

 星はないけど、雲もない、晴れているのだろうか、曇っているのだろうか。
 塩を摂るようになって2日。足が吊ることを忘れていた。
効き目があったと言えるようだ。
こんどは、過剰摂取にならないように気をつけねば。

 昨日までの選別で8尾前後に落ち着くことができ、シワ抜きが付く間は洗面器を入れないことにして、少し外へ出ることにした。
世の中お盆も終わったようで、東京の静けさもいつものざわめきに戻っていることだろう。


心の起源を読んでの比較 159

 生物学で成り立ちや生体を解き明かすことで、命を解き明かすことは出来ないように、心も解き明かすことは出来ない。
 前提の違いを意識してしまうとどうしても反面が現れてきてしまう。
心とは、本当に高等脳を所有する生物が個有のものとして持っているのだろうか。
だとすると、種の発達段階や個体ごとの発達段階の差で、心はそれぞれに違ったものとなってしまう。
有り体に言ってしまうと、人間では頭の良い人とそうでない人とでは心に差がつくのだろうか。
中枢神経系の発達段階で心が出来たり出来なかったり、神経細胞の編み目の間に心が存在するのであれば、その差の存在は発達段階や編み目の違いによって当前となる。脳が心を造るのであれば、脳の出来不出来は心の出来不出来となる。

2009.08.20(Thu)  土佐錦魚TOP
8月19日
 
曇り午後からぱっとしない晴れ
    外   内
朝  22℃ 23℃

 4、5日前、え、虫の音。
近所の空き地の草むらだろう。久方ぶり。
今日は一段と鳴き交わしている。秋盛りか、虫の勘違いか。

 しらじむと虫の声は止み、世話が終わる頃には一面の雲。
だが、魚は気持ち良さそう。


心の起源を読んでの比較 158

P172【本来の有機体である生物についていえば、生物のもっている生命とは何であるかを見とどけようとして生物体を壊したりすると、生命の働きは止まってしまい、求めていた生命は手の指のあいだを抜けて行く水のように消え失せる。残されたのは生命の要素としての物質のみである。まったく同じことが心についても言える。心とは何であるかを見定めようとして脳を壊したとすると、心のはたらきは止まってしまい、後に残るものは神経細胞の編み目だけになる】

 金のタマゴのような例えとしては納得しているのだが、科学が生命の神秘を解き明かすことはブラックボックスを開けることに等しい。
なぜ生きているのか、生命はどうしてあるのかは哲学や宗教の分野と入れ子になっている。“生体はこう働いている”は科学の分野だが、その生体を壊したからとて命が見つかろうはずが無いことは、いまさらに、、、。
 心はこう働いているは科学の分野とすることが出来る。その生体を壊したからとて心が見つかろうはずが無いことは、いまさら重ねて言うことも、、、。
【まったく同じことが心についても言える。】と言っているように、心も命と同じ扱いのはずだ。
 命は、生体のメカニズムを解き明かしたとて、ブラックボックスを開くことができない。
どうして、心だけは、生体のメカニズムで解き明かすことができるのだろう。
 
2009.08.19(Wed)  土佐錦魚TOP
8月18日
 
曇りのち薄日晴れ
    外   内
朝  23℃ 25℃

 なぜ夜には曇るのだろう。
今日の晴れに不安はないので、今日も苔の手入れに余念なくしよう。

 昨日就寝中に足が吊って酷い目にあったが、そのしこりがまだとれていない。
どうにもならない疲れではない。水分はとっている。サプリメントも。
よくよく考えると先年はスポーツ飲料をとっていたが、今年は水にしていた。
もしかすると塩分不足か?
このところ陽当たりでの選別が続いている。
とりあえず用意してある水に塩を入れた。
スポーツ飲料も用意しよう。
体を整えないと錦魚には立ち向かえない。

 今年は暑くて辛い選別の日はなかったような気がする。
今日も選別には過ごしやすい日だ。魚のためには物足りないが。
 選別も一週した。
シワの手入れも始まったが、今期は少なくて3%ほどか、張り合いがない。


心の起源を読んでの比較 157

 【これはおそらく思考のおよばない超越の世界、】神経系が生み神経系に場があるものの先きが超越の世界とは信じ難い。それは心そのものが超越の世界に近い物と【】は薄々感じているから、論の舌の根の乾かない内から心の世界の先きは超越の世界と出てきてしまうのだろう。
 だが、【】の論を辿れば人間の先は超越者となってしまうだろう。
人間の生みだした最高の心の先は、超越の世界となりうる。
心は危ういものではなかったのか。超越者の心は危うくないのか。
超越者の心の持ち様一つで超越者の世界は壊れ、すると心の世界も壊れ、生物世界も、物質世界も連鎖的に壊れる入れ子なのだろうか。
そのようなことはないだろう。だが、【】の論はその経路を歩んでいる。
 
2009.08.18(Tue)  土佐錦魚TOP
8月17日
 
曇りのち晴れ
    外   内
朝  22℃ 24℃

 外に出ると肩にひんやりあたる、汗ばんでいた肌にすーっと鳥肌が立つ。
北が吹いていた。

 北が止むと青い空が見えて来た。
このところ毎日の苔磨き、ほとんどかるい汚れしか出ない。
いい苔になて来た。
その分元水が増えたが、いっこうに腹は出ない。
これでいいのだが、少し淋しいのは立てば歩めのエゴだろうか。
せっかくの暑さのうちに伸びてくれなくては。
もう少し経って冷えれば腹は出てくれることは解っている。
天気の不順だった頃には腹が出ていたからだ。
 適度な陽射し、適度な温度、やがて吹く風に鉢の水は昨日のように蒸発する。
魚にとってはこんな日が気持ちいいのだろう。

 陽は射せども肌を刺さず、雲動かずども風そよぎ、なんとも選別日和だったことか。それなのに、まだ陽があると言うのに、北東風がさざ波を立てると集中力が削がれてしまった。このところ歳に似合わず頑張った付けが回って来たのだろう。
いさぎよく止めて、今、僅かに樽臭が醸す、さわやかにしてコクの白ワインに酔い始めている。
なんと、幸せな人生かな。


心の起源を読んでの比較 156

【それをさらに心の先の世界などといっても、そういう世界がどういうものかを考えることすらむつかしい。これはおそらく思考のおよばない超越の世界、あるいは超越者の世界なのであろうが、しかし、そういう世界があり得ることまでは予想することができる。】

 予想するなら何故さらに推し量ろうとしないのだろう。推し量った論を述べてみようとしないのだろう。その努力の途中で推し知ることができるだろう。その神秘へのルートは人間だれしもが持ちあわせているのに。
 物質世界から産まれ、生命世界の頂点に立ち、心を脳が生み出し、心の世界を生みだして来た人間は、当然心の世界の先きをも生みだすのではないだろうか。心は神経系から生まれ、神経系に場があり、その先きと言っても神経系から逃れることは当前できないだろう。
 どうして神経系が生みだし、その場さえ神経系にあるのに、どうして脳で考えることができないのだろう。
 それは考える世界、知識の世界ではないからだ。
それは、感じる世界だからだ。感じる心の世界だからだ。
 
2009.08.17(Mon)  土佐錦魚TOP
8月16日
 
曇りのち晴れ
    外   内
朝  22℃ 24℃

 湿度が低いのだろうか。
ヤッパリ残暑で最低気温が下がって来たのだろうか。
少し、過ごしやすくなって来ている。
 少しづつ体にかかる水が冷たくなる頃か。

 餌を食べてしばらくして丸鉢に陽射しがさしてくれる、理想的。
よく言っているが、当歳の朝の昇温は少し遅れぎみでもいい。
だが、西日は日が沈むまであっていい。
 歳をとるほど朝は早くていい、西日は早く陰ってもいい。
限度問題だが、傾向的には感じている。

 この空気さえ存在しないような陽射しは、夏を思い返してくれる。
だが、入道雲ではない。
湿気がない。
熱気を移動する南がない。


心の起源を読んでの比較 155

P171【心の世界の未来に何を期待してよいのか、まだ誰も知らないのである】

 だからとして投げやりと感じられる【】の言葉を読みたくない。
それを生物学から挑戦するから意義がある。
科学者として言及するから意味がある。
【心の世界の未来に何を期待してよいのか、】何故、期待しようとするのか。
心の世界は待ちわびるものだろうか。心の世界は自ら切り開いて行くものではないのか、自ら行動で示すものとなる。
【まだ誰も知らないのである】と、【】が思い込んでいるだけで、追究している人はいくらでもいる。知らないまでも感じている人、無意識で行動している人は沢山いる。心の未来は心ある人を殖やしている。
 
2009.08.16(Sun)  土佐錦魚TOP
8月15日
  
晴れ
    外   内
朝  22℃ 24℃

 本物の晴れ? 星が一面にぱらぱらとかけてる月も。
頼もしい苔を磨きに行こう。

 今日が本物の夏の一日目なのだろうか。
とにかくこんな日を歓迎したくて待っていた。
魚は知ってか知らずか知らんふり。

 こんな暑くなった日に本当は水をいじりたくないのだが、選別を午後にするため、一週間に一度だけ丸鉢をかき回すことをしてしまう。
いつも底水と上水の温度差に驚きながら魚を掬うが、同時に丸鉢の底の冷たさにも驚く。その冷たい底がかき回された水もわりと直ぐに上下差を取り戻してくれると、頼っている。


心の起源を読んでの比較 154

 遺伝子が増えたり変わったりする度に共生共栄を目指す社会性も増して行く。
体外社会とでも言うようか。前者は体内社会とでも言うようか。
前者は直接的、あるいは生得的といえる。
ハチのように中間的と言えるものもあるが、
後者は間接的、あるいは獲得的と言える。
母性的で、抱擁する遺伝子、
律儀で忍耐強い遺伝子、
控えめだが確固な遺伝子、
学習や習慣や誘導があってはじめて発揮する遺伝子、
遺伝子が増えたり変わったりする度に、心の関る遺伝子も、増えたり変わったりしている。その比率は僅かながら増え続けている。
 
2009.08.15(Sat)  土佐錦魚TOP
8月14日
  
夜中晴れすぐ曇り
    外   内
朝  26℃ 27℃

朝から晴れているのは久方ぶり。
寝苦しさも戻って来た。
今日からでもいい。
今さらでもいい。
夏よ、いつづけてくれ。

 まだ熱帯夜の余韻が残り、夜もほんの少し白けてきたかな? 
我慢できなくなったセミが鳴き出した。
ご同輩がここにもいたか。
ご同輩は頑張りも束の間。
雌を求めて飛び去ったか。
一面に広がった雲と、ちょっと涼しくなった空気で勢いを失ったか。
 今年は天気に悩まされて、よく空を見あげるようになった。
ほんの二、三時間前にはそこに星が居たのに、
流れて来た訳でもなさそう。
蒸し暑さから涌いたのか。
もう少ししたら日に照らされて、また居なくなるのか。

 今日は体が長めで心配していた腹の選別に入った。
尾は気に入っていたのだが、途中から体の長手が出てき始めていた。
ぽちぽちハネてはいたが、今日で正体が出ていた。
やはり、長い。
これには粒餌が一枚噛んでいるようだ。
今迄になく目幅が目立ち、口も小さくなくなっていた。
すると、腹が出ていなくては様にならない。
残念ながら出は良くない。
筒は伸びていないので、一応仕上げてみるつもりでいるが、今まであった期待が陰を潜めているのに気が付く。以前に二腹、長いために居なくなってしまったが、今回は期待していただけに気落ちしているのだろう。


心の起源を読んでの比較 153

 遺伝子も万能ではない。
生命のなす生体の共生、統一、進化、発展によってその度遺伝子も増えたり、変化している。発達過程によって、言ってみれば一つ目、次の発達による二つ目みたいに連携している。遺伝子と生体もタマゴとニワトリみたいにどっちが先かの関係にある。
生体がなくて遺伝子だけではなんにもできない。複雑な生体も遺伝子なくては再生できない。生体の感覚が遺伝子に伝わるから遺伝子が変化する。
遺伝子が増える度に、生体は生きる術をより備えて生き抜いて行く。
だが、遺伝子が変化する時に心はただ黙って見ているだけではない。
 遺伝子が入れ替わりでなく増える必要を持つのは、過去の遺伝子を抹消しないからだ。総て新しいもので構成してしまえば、過去の遺伝子なんかいらない。
数々の過去の段階も共栄の段階として、心は邪険にしていない。
数々の過去を踏み台として、更なる進化、発展ができていることを心が忘れさせない。
更なる進化、発展も、いずれは更なる統一された意志への踏み台となる。
 
2009.08.14(Fri)  土佐錦魚TOP
8月13日
 
曇り朝のうち小雨のち曇りのち晴れ
    外   内
朝  24℃ 25℃

 星も月も見えない一面の曇り。
じきにこぬか雨が振り出し屋根が濡れる程度に降ったる止んだり。

 ちゃんとした夏が来てほしいばっかりに夏の条件を試していても、こう雨が降ってはどうにもならない。だけど十時頃にはやっと日が出てくれた。これを希望を込めて、
(2日目)としておこう。

 選別しやすい一日でした。
天気予報では明後日から晴れが続くとのこと、大いに期待して魚の仕上げへと進めることにします。


心の起源を読んでの比較 152

 いったい〔〕は何を心と思い込んでいるのだろう。
それを探した方が話しがはやそうな気がしてきた。
脳は、知性、認知、脳神経、哲学、物理、数ですら考えることができる。
今度は〔〕が脳を持ち上げ出したことになるが、脳は今や心あるコンピューターの手本になったり、理論を紡ぎ出したり、科学を探究し、哲学を論じたり、宗教を解いたりしている。知性は心であると聴いた覚えもある。すると脳は認知できる心であり、考えることができる万能の臓器なのか。
 これは【】が言うような、心は神経系から生まれるとことが至極当前となる。
だが【】は理論では納まらない淋しさをときおり見せている。気持ちの奥底では物足りなさを隠しきれないでいるように思える。
 〔〕は何を心と思い込んでいるのか、今までくどいくらい述べてきた。
生命の利己に対して、心は共利としている。
だが、心は利他主義ではない。利己を否定せずに共栄へと導く。
このように定義的に具体的にも、これだと示すことはできない。
 【】にしても、過程的仮説を述べても指し示してはいない。
それは、双方とも脳を以て表現しようとしているからと感じられる。
むしろ心の具体的表現は、おこないを以て表現するものと感じている。
遺伝子がそうしているように。
 
2009.08.13(Thu)  土佐錦魚TOP
8月12日
 
曇りのち晴れ
    外   内
朝  24℃ 25℃

 雲が北から南へ流れて行く、月は雲を通しても晃晃として、清々とした空気が雲の上にはあるのだろう。

 スーッと南が吹き出すと雲の流れは止まり、淀んでしまった。午後にならないと陽射しは出ないのか。それでも昨日までの水を一新して、今日もギンギン。
 一日置きの苔擦りを昨日サボったのと、陽射しが出たのが幸いして一気にもっと働きの良い苔へ成長してくれた。今日の擦りでは3日分の汚れが出るはずが、1日分ほどしか出なかった。
 水も上々。
十尾前後になっている尾数を、今日丸鉢を空けて明日から八尾前後へ選別開始だ。

 陽射し刺し、南吹き、丸鉢35℃と1℃心残りだが、やっと夏来たれり。
(1日目)


心の起源を読んでの比較 151

 〔〕は今まで本や知識をできるだけ避けてきたが、その最たる教科書の論を思い返してみよう。
教科書によれば上記の作業そのものが全て心となっている。
心は、考えであり、知性であり、認知、脳神経、哲学、物理、数ですらある。
思うことが心であり、知性があれば心があることになり、いまやコンピューターにも心が存在する世の中になったとしている。
心は思考する、思考は心がすることが常識とされている。
すると〔〕が今まで述べて来たことは、常識はずれとなる。
当前そうなるだろう。
別に人や世に認めてもらう必要はない。
だから今まで述べることもなかった。
人には言わない方がいいよと忠告を受けたことさえある。
本を持って来てくれた友人から、〔〕が変わり者とか面白いと言われる由縁はこの辺りにあるのだろう。
 
2009.08.12(Wed)  土佐錦魚TOP
8月11日
 
曇り 5時過ぎから雨降ったり止んだり午後から晴れ間
    外   内
朝  25℃ 26℃

 屋根は乾いているし、雲間の月は輝いている。
台風の前の静けさか。

 上記は二時十分頃。つながらなかったので三時半に試してつながり、出した。
星もまばらに見えて一時間前より空は済んでいる。

 東京は日曜と火曜と一日置いて震度四。それだけで気味が悪いのに、
被害を受けられた方々にはお見舞い申し上げます。

 屋根が塗れたり乾いたりの雨。
選別をする気がなく、いじらないので苔が伸びてくれて、水は傷まず、ただ雨待ちの様相。

 結局、天気予報のようには降らないで終わってしまった。
この頃は同情するほど当たらない。
台風による大雨待機は気を揉みながらの骨休めになったようだ。
 明日からの一週間はまた太陽マークがついている。
それが引き続き十日程続くのか、ちょっと気を向けてみる。


心の起源を読んでの比較 150

 【】は何でそれを心と思い込んだのだろう。
普通なら、心から、これは心じゃないかと思うようなことを心と思う。
だが【】は、心から始めるのではなく、題名のように生物から始めている。
生物学からの追究として、前提を生物においている。
まず心を持つ資格ある生物選びから始めている。
資格ある生物を選ぶと、その生物の心とは何かを探している。
その生物のどこから生まれたか。そして、どこに在るか。どこで、どう働くか。
そこへ至るために、その過程としてほとんどの生物を切り捨てている。
きわめて限定的で優れた生物に至る象徴的な経路を描いている。
象徴的な生物の描いた心を心とするための展開になっている。
象徴的な前提へ回帰する論理になっている。
象徴的な生物から離れることができずにいたから。
象徴的な視点からしか見ることができなかったから。
 
2009.08.11(Tue)  土佐錦魚TOP
8月10日
 
雨上がりおぼろ月、台風による気まぐれな強い雨 午後から曇り
    外   内
朝  25℃ 26℃

 溢れてはいないのでそこそこの雨だったようだ。
高知沖に台風が出来たようで、悪天候はまだまだ続くよう。

 暗いうちに親の水換えが終わろうとする頃、本降りになってしまった。
丸鉢の方は糞と底水を捨てたところで、雨の止み間待ちの休憩。


 暗いうちに親の水換えが終わろうとする頃、本降りになってしまった。
丸鉢の方は糞と底水を捨てたところで、雨の止み間待ちの休憩。

 丸鉢は溢れ放題の降り、それでも止み間があったので水替えして、軽く餌やりまでできた。


心の起源を読んでの比較 149

 いったい【】は何を心と思い込んでいるのだろう。
それを探した方が話しがはやそうな気がしてきた。
たとえば、【】の文章を読む時、
視覚から言葉の記号を受けながら、
脳で言葉として翻訳しながら、
それに持論を重さねながら、
反論を思考しながら、
どうしてこうも違うのだろうかと嘆きながら、
いったい【】はどのような人なんだろうと思いながら、
意見を言葉の記号に表現している。
 さて、この一連の作業の中に【】が言っている心が含まれているのだろうか。
含まれていれば心は神経系が生んだと言うことを受け入れなければならない。
例えば、嘆く、思い、思考、重ねる(回帰)翻訳、それとも【】を好ましくないとでも思えば心となるのか。危険なことを考えればいいのか。優しいことをか。
 このように沸々と言葉が浮かんで来る元をか。
 
2009.08.10(Mon)  土佐錦魚TOP
8月 9日
 
曇りのち晴れ間のち雨
    外   内
朝  24℃ 25℃

 きょうは陽が出てくれるそうだが。東京はかすって降ったり降らなかったり、いまだ降っているところでは大変だろう。

 予報からは晴れマークが消え、肌にサラサラとあたる雨があったがどうにか降らないでいてくれている。晴れマークは10日にまたずれてしまった。
 これではもう晴れが続いても梅雨明けはここだったと言えることはなさそうだ。
今日も割水は昨日と同じ、昨日は丁度良い水になっていた。
晴れを期待してこのところ苔を磨き過ぎている。明日一日擦らないことにした。


心の起源を読んでの比較 148

 例えそうであったにしても、心の世界とは高等な脳にしか存在していないとしているので、本来なら入れ子になっている部分的、高等な脳の持ち主の生物世界しか破壊できないことになる。仮にその知識による破壊が生物全体に波及しても、連綿と続く生物の歴史を見れば生存の可能性は明らかとなっている。たとえごく僅かでも残ればそこからまた始めることをする。しかもその生物は水を得た魚のような飛躍を始めるだろう。
 仮に生物世界が根こそぎ全て壊滅されたとしても、今度は生物世界が寄生していた物質世界の破壊が行われるのだろうか。そんなことは限りなく不可能だ。たとえ生物が消え去っても物質世界は淡々と時を刻んでいるだろう。
 仮に地球が破壊されても、その質量は普遍のものとして形が変わるだけとなる。
またどこかで条件を得て、生物世界が始まるとも限らない。
【心とは生物にとってけっして安全な寄生者ではないどころか、むしろ危険な寄生者であるように見える。】は、むしろ、心ないものが寄生したときではないだろうか。それとも、悪賢い心などがあるのだろうか。腹黒いとは聞いているが。
 
2009.08.09(Sun)  土佐錦魚TOP
8月 8日
  
曇り
    外   内
朝  24℃ 25℃

 北の空には薄雲が一面に、南の空には月が照って星が微かに。

 世話が終わる頃には一面の曇りになってしまった。
元水の割合をいつの間にか増やしていた。
空を見る訳でもないのにどうして判断しているのだろうか。
自分ながら思い返したところ、肌で何となく感じているようだ。
 このところ予防薬を使用していないが、丸鉢の魚の元気は相変わらず。

 曇っているときは選別がしやすい。
人間の都合もあるが、丸鉢の上下水温差が少ないからだ。
魚の作りに影響する温度差なのに、魚を掬うために混ぜてしまう。
混ぜたそばから丸鉢の特性が失われる。
 産まれの早い口は良し悪しがハッキリして来た。
望みの有るの無いの、運命の分かれ道が近づきつつある。


心の起源を読んでの比較 147

 生命世界を破壊しうる心の世界の発想は、そもそも人間に象徴されるつまらない心の表現をつまみ上げている。だから、狭く小さく不安なものとなってしまう。そこからは心の世界が寄生にしか映らず、それを映す生物世界も物質世界の寄生にしかならない。そして、物質世界はいったい何に寄生しているのだろう。
ブラックボックスにだろうか、公理にだろうか、将来に託す課題にだろうか。
 そもそも生物学とはそんなにつまらないものだろうか。
生物学の追究からは生物本来の心の在り方や、生物の行く末まで明らかになって行くものではないのだろうか。単に物質の細かい究明や生物の細かい探求だけが使命ではないはずだ。
 
2009.08.08(Sat)  土佐錦魚TOP
8月 7日
  
曇りのち晴れたり曇ったりのち夕立ち
    外   内
朝  24℃ 25℃

 1時に目が覚めたので糸目用の溜池を掃除することにした。
もうイトメがいないので、そのまま空にして置くことになる。
また入荷がないと連絡が入っている。

 目覚ましの鳴る頃に休憩、

 世話が終わる頃には晴れてくれた。ギンギンの水にしたがどうなるか。
水が薄くなって来たので朝痩せ食い太りがハッキリして来て、丸鉢の魚は長くなって来た。
 晴れがこのまま続いてくれるのだろうか。
今日が梅雨明けとするには太平洋高気圧が張り出すか、10日ばかり晴れが続くか。見物だ。

 夏らしい残暑がやって来た。
まさに夏の陽射し、夏の風。
首にタオルの午後の選別で、中途半端だった日焼けが真っ赤になるか真っ黒になるか。

 出来過ぎの鉢は4鉢、今まで良かった鉢が急に出来過ぎるようになってしまう。苔の手入れは難しい。
 今期は苔が良く働いてくれて濁りが少なく、気分がいい。
これから例年となる、基が出来たのかもしれない。

 日焼けの心配は無用だった。
少しがっかりだが、陽が出ただけでもあり難い。
丸鉢は36℃へ上がってくれたし、温度掛けの締めくくりも出来た。まずまず。

 夕方から遠くに雷を伴うどしゃ降り。
夕方には全鉢出来上がっていた水は、出来過ぎの鉢がどれか解らないまでに透き通り溢れていた。
明朝の水替えでは外の水は全部捨てるようだろう。


心の起源を読んでの比較 146

 【入れ子とは一種の寄生であるから、】 入れ子は何故、寄生なんだろう。
入れ子は一種の寄生と言う定義でもあるのだろうか。入れ子でも共生共栄できないものだろうか。
“入れ子とは一種の寄生でもあるから、”なら解る。
かつて単細胞生物に他の生物が入れ子になっていたとすれば、それらは総て寄生だったのだろうか。共生共栄して来たから今日があるのではないだろうか。
 入れ子とは利己が争う象徴なのだろうか。
入れ子を寄生とすることは捉え方によるところが大きく、考え方の方向性が如実に現れているものと思える。
心を高度な神経系を持ち合わせている生物の持ち物とすれば、ろくでもないことを考えても違和感を感じない。
 入れ子を共生共栄への一つの手段と受け取れば、成功すれば発展し、失敗すればそれこそ破壊へと至るだろう。今日繁栄、存続している生物は、破壊を免れ一時的でも繁栄を得たものとして、成功例と考えとも差し支えない。少なくても失敗例ではないだろう。今日ある形態を危うさの基礎の上に成り立たせる論には、違和感を感じてしまう。
  
2009.08.07(Fri)  土佐錦魚TOP
8月 6日
 
曇り
    外   内
朝  25℃ 26℃

 青空が見えるが白い雲が多い。晴れそうな雰囲気。
寝苦しさが戻って来た。暑さも戻ってくるといいのだが。

 曇りなのか晴れなのか、のっぽビルが霞むような、何時降ってもおかしくないような、結局曇りだった。

 時折さらさらっとこぬか雨、午後は雨まじりで選別か。
また晴れが一日ずれた。こうして先月末のはずが今月初めそして7日、そして8日とずれて行く。
 丸鉢の魚は元気だが、世話する方はめげて来た。

 選別中は降らないでくれた。蒸したけれど暑くなく選別が進み、26鉢で集中力の方が切れてしまった。
温度が上がらないためだろうか当歳の出来がいま一つ。選別の楽しさが一つ足りないせいもあるのだろう。


心の起源を読んでの比較 145

P170【入れ子とは一種の寄生であるから、寄生者が歯止めなしの暴走をつづければ、寄生者自身の破壊はもちろんのこと、ひいては宿主の破壊にまで行き着いてしまうのは、生物学的な宿主と寄生者の関係をみても、はっきりしていると思う。......中略...... 物質世界に対しての生命世界がそうであるし、生物世界に対する心の世界もまたそうである。これが入れ子の世界の宿命的な葛藤である。ひるがえってみれば、心とは生物にとってけっして安全な寄生者ではないどころか、むしろ危険な寄生者であるように見える。しかし、このことはあまり気づかれていないようである。】

 懸命に共通点を探す努力むなしく、決定的な違いが出てきてしまった。
〔〕の心は正義の味方となっているが、【】の心は危ういものとなってしまった。
【】の心は生物の高等な脳が生んだものだから、心の方向次第で生命世界を破滅に追いやる知識を持っている。と、することは、以前書いてあったのでその論の延長であれば当り前となる。そして、心の世界によって生命世界を破壊し、生命世界の破壊によって物質世界を破壊してしまう恐れを示唆しているのだろう。
  
2009.08.06(Thu)  土佐錦魚TOP
8月 5日
  
曇りのちときどき晴れ間
    外   内
朝  24℃ 25℃

 予報から当面の雨マークが消えた。
台風が梅雨を払うことはよくあることだが、今度は台風が取って代わってうっとうしくならなければよいが。でもそれが例年で、早くそれを願っている。

 降らないだけで嬉しくて、今まで半分だった餌を一回戦与えてしまった。
もう二、三日待って陽がちゃんと照ってから与えられないものだろうかと、自分の単純さに呆れる。後になっておまけで、目幅が広がってしまったと嘆くに決まっている。

 思ったより晴れ間があって今日は丸鉢の三分一の水が出来過ぎてしまった。
嬉しい誤算だがそんなことも言ってられない。天候不順に慣らされていたようだ。
夏用に戻して気を引き締めなくては。


心の起源を読んでの比較 144

P166【物質世界と生物世界のあいだの関係を論じた時に、一度ふれたときがあった。いま、物質世界、生物世界、心の世界という三つに世界が、順々に前の世界を超えているという関係がみえてきたところで、あらためてもう一度考え直してみようということである。】

 【】との相違点はありありしているので、〔〕は懸命に共通点を探しているようだ。
個人差的見方の違いはあっても共通する三つの世界となっている。
【物質世界】→【生物世界】→【心の世界】
〔物質世界〕→〔生体(物質)、生(命)、生(心)〕→〔生物世界〕
【】の【心の世界は】思考の世界と置き直してもさほど大きな問題は起きない。
学問的には心を思考や認知等としているからだ。
【】の場合、生物世界から生まれたとする心の世界を持つには、条件をつける必要がある。(認知や思考ができる脳を持つ生物世界)とすれば、→の先は心の世界と言うことができる。
生物世界のすべての生物が心を持っているとしていないからだ。
 
2009.08.05(Wed)  土佐錦魚TOP
8月 4日
  
曇りときどき雨のち曇り午後から陽射し
    外   内
朝  24℃ 25℃

 一面の曇り、今日は雨が降るのだろうか。
どっちにしてもとにかくそれらしく水替えしなくては。

 世話をしていると、のっぽビルのてっぺんの赤い光が霞んできた。
北風がスーと吹くとこぬか雨がやってきた。
終わる頃にはビルも鉢も霧雨に覆われいた。

 陽射しが出てくれて丸鉢は33℃まで上がってくれた。
出来過ぎになるかと心配したが、さほどではなかった。
とにかく陽射しは有り難い。

 西の方がやっと梅雨明け、台風が回り込んでいるのは太平洋高気圧が強くなった証。その台風が夏を持って来てくれるようだ。
 さあ、東の方ももう少しで夏の回復が望めそう。


心の起源を読んでの比較 143

P163 
 ここで脳が理解する意志とは、思考している生物の脳の働きを言っているとわきまえれば、わりとうなずける。
生物の脳が意志を表現するとき、どのような状態かを言っていると解釈する。

P165【意志とは統覚の出現と言う不条理に端を発する自己矛盾のなかの一つの様相であるように見える。】

脳は心の知覚への表現者だと認めない限り、脳の機能からはなれられないだろう。
心は大きな意のもとが始まりとしない限り、その先には疑問が待ちうけている。
生心は常に生命を導くもので、身体や脳のように変貌するものではない。
生体は再生され受け継がれるが、生心はそのままで引き継がれている。
身体は、生命に偏っても、生心へ偏っても変貌する。
意志はどちらに偏っていても、その生物自体のものとして働いている。
意志はその生物の方向性の現れだから。
 
2009.08.04(Tue)  土佐錦魚TOP
8月 3日
  
曇りのち薄日
    外   内
朝  23℃ 24℃

 星の見えない少し青みがかった曇り。今日はお日様が出てくれるとか。

 雨の日が多くても、入りっぱなしの丸鉢の当歳は元気でいる。
雨水が入る直接の害よりも、湿度や風通し、低昇温による水の停滞が害を及ぼしていると、はっきり感じられる。
日照があれば昇温が望め、光線の効用、湿度の低下、風も付いてくる。が、ここでは日照不足の影響を別にすると、雨水の直接の影響は前半期に魚へ曇りとして現れていた。今頃を後半とすれば肌の曇りは少なく、予防薬の使用量が格段に減っている。雨を運んでくる風が北か南かによる影響なのだろうか。南は太平洋上から北は中国方面から、南は温かく北は冷たくと大掴みにできる。
 来期は天候不順がないことを望むが、機会があったらこの辺りの観察も始めるようだろう。


心の起源を読んでの比較 142

P162【原初の制約者は、はじめから完成したものとしてあらわれるわけではない。制約の対象である表象じたいがそうであったように、制約者も自己回帰をくり返すことによってしだいに成長を遂げ、やがて一つの制約原理としてのすがたをあらわしてくるものと思われる。】

 なんとか話しが噛み合うような努力として、
 【制約者】の解釈を違う方向からの見方として〔心〕と置き換えてしまうと、
【】と〔〕の言っていることに重なりを見いだせる。
 制約する方を心とすると制約される方は生命となる。
生心が生命への働きかけを自己回帰することによって、生命との折り合いを生心の成長と呼ぶことができる。やがて生心の制約原理が生物にすがたをあらわしてくるものと思われる。
【意志の自由】とは、試行内の放たれた自由を【】は脳でなく、肌で感じとって言っているのではないだろうか。
  
2009.08.03(Mon)  土佐錦魚TOP
8月 2日
  
曇りのち降ったり止んだり
    外   内
朝  22℃ 23℃

 ただぼーっと月もなく、星もなくて、青くなく、空を隠してしまった。

 昨日は毎年恒例の一つ、うえのジャズインへ行ってきました。
錦魚突入前の花見、錦魚一段落のジャズイン。
午後の選別をちょっとサボって、なんとかなるようになった8月早々です。
 このジャズインはジャズでないのも混ぜていて、かえって良い経験をさせてもらえます。
選者のセンスがいいのかこれまでハズレがありません。
毎年その分野を認め直して帰って来ます。
今年はパーカッション1人とドラムスが2人もいて、6人中5人で叩きだしたベネゼーラの上のトリトバのリズムが凄まじい。
7人目のボーカルがそのうえ素晴らしく、日本人の実力をまた見直しました。


心の起源を読んでの比較 141

P164【意志とは一見自由であるようにみえるが(そしてそれは遺伝子支配からの自由であり、したがって生物世界からの自由ではあろうが)】

 つくづく、意志も心も捉えようが違うとここまで噛み合ないものとなる。
ニワトリに存在している意志を遺伝子が支配しているのか、ニワトリが遺伝子を支配しているのか。
生物に生んでもらった心が生物を支配しているのか、心を生んだ高等脳の生物が心を支配しているのか。
支配なんて言葉を使うから、自由があるのかないのかを論じなくてはならない。自由がなくては収まらなくなってしまう。
もともと支配も自由もない。生命の葛藤を認識した脳の一つの表現が意志となっている。
意志も生命と生心とが織りなす生体の意識の方向だから、当然、脳が認識の器官となっている。
 生体になった途端に、生体を構成する三要素は既に自由を得ている。
自由にしたらどうなるかが試行の主旨だからだ。
 
2009.08.02(Sun)  土佐錦魚TOP

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