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7月31日
  
雨のち曇り
    外   内
朝  22℃ 23℃

 しとしと、ずっと降り続いていたのだろう。
世話が終わる頃には止むつもりで、苔の手入れを始めることにする。

 世話が終わっても霧の中に居るよう。
のっぽビルは隠れていないが霞んでいる。
今日の予報も当たらない苦労の年。まして明日はわからない。
 昨日濃くなった丸鉢で、鰓まくれが一尾でていた。
多分、鰓痩けは大分出ているだろう。


心の起源を読んでの比較 139

P164【自然淘汰が競争原理であるのと違って、意志の自由則のはたらき方は単純な競争原理ではないようにみえるからである。それは一種の自立原理であるらしいが、自立の内容はまだよくわからない。これは将来の問題として残しておきたい。このあたりに道徳律の起源や、道徳律を命ずる超越者にかかわる秘密がかくれているように思える。道徳律や超越者は、表象が動いている次元よりも一つ高い次元で働いているのであろう。】

 【道徳律】これはどうやら〔大いなる心〕と同義と捉えても良さそうに思えてくる。
 【超越者】これはどうやら〔大いなるもの〕と同義と捉えても良さそうに思えてくる。どちらも視点が違うだけの問題のようだ。
 すると、〔大いなるもの〕を全ての生みの親としているので、〔大いなる心〕は〔大いなるもの〕の働きの一つであって次元を異にしている。
〔大いなる心〕の働きが生体に宿ることによって〔生心〕となり、また次元を異にしている。
 
2009.07.31(Fri)  土佐錦魚TOP
7月30日
  
曇りのち晴れ
    外   内
朝  24℃ 25℃

 高い空に白い雲が多く、低い空の雲は少なくなった。
青い空も見えて風は丁度良い具合。

 どうやら今日は降らないでくれるらしい。世話をしている間に空の青い分が段々多くなり、やっと晴れになってくれた。
今日はそれほどピカピカの水にしていない。あと一時間もすれば水は出来てしまうだろう。

 風が無いに等しいので、37℃まで上がってくれた。まずまず。
水の出来過ぎの鉢は2つだけだった。
その鉢は選別のついでにハネと入れ替えてしまい、心配無用とした。
普段の苔の手入れが良かったと見えて、こんな時によく働いてくれる。
丸鉢の魚はやっと土佐錦の夏を感じただろう。

 23時ふっと目が覚めて、せっかく目が覚めたのだから点検に出てみると、雨が降っていた。空気はひんやり、北の空気に入れ替わっていた。
昼間は土佐錦の夏だったはずだが。
今日は降らないはずだったが。
天気まで常識的でなくなって来ている。


心の起源を読んでの比較 138

 感覚が求める遺伝子への伝達は、回数の多さのみを言っているように感じられるが、強さも重要となる。たとえ強い一回でも、一回の情報が複数重なった場合の強い一回でも、それが必要なものと判断されれば実行への働きが始まる。
 日常的回数の多さで徐々に変わって行く時には、途方もない年月の段々の受け入れで十分だが、遺伝子が劇的な必要性を判断したとき遺伝子による誘導は、生体に劇的な変化を遂げることがある。昆虫の変態のように。

 生殖は劇的な変化を求めたりする。
芋虫と蝶のように。
 生存は劇的な変化を求めたりする。
ハナカマキリ(ランカマキリ)のように。
究極の擬態と言われ、小さい時はアリのように、大きくなると花びらのように。

 芋虫が生きる姿だろうか。蝶が生きる姿だろうか。
両方ともそうにかわりないが、芋虫は生存の姿、蝶は生殖の姿と言える。
どっちが本来の姿だろうか。
元々はタマゴのような一つの細胞だった。
元は芋虫だった。
蝶は生殖のための変態だった。
芋虫は生存の形で本来の姿であった。
蝶は生殖の形で特化的姿であった。
蝶は生存を兼ねるようになって行った。
 
2009.07.30(Thu)  土佐錦魚TOP
7月29日
  
曇り 朝の内一雨のちときおり陽射し
    外   内
朝  24℃ 25℃

 きょうは昨日と同じように降るのか降らないのか。湿度は高く土佐錦向きではない。人間向きでもないようだ。

 丸鉢の魚は雨が入ろうと湿度が高かろうと元気で食欲があり、救われる。
一回戦には及ばないまでもつい与えてしまう。


心の起源を読んでの比較 137

 自然淘汰の結果は生物の生命の強さや繁栄や暴走のかたちでもあるが、一方で遺伝子はそれを生命の形として許容している。
生心は生物の行き過ぎた生命の暴走を許容している遺伝子へ働きかけ、遺伝子的内部から抑制するかたちの生然淘汰を行っている。
自然淘汰は強いものの繁栄を想像させるが、生心が導く生然淘汰は、行き過ぎた繁栄の制御や、弱いものの忍耐や、次なるものの保護のように応援的役割を担っている。
 自然淘汰をくぐりぬけ繁栄を極めた生物の内発的な働きとして、切りのない強さの進行を足踏みさせたり、凶暴性を抑えたり、適応環境を狭めたり、繁殖力を弱めたり、病弱なものが出てきたり、共生を得たものが出てきたりする。
 それは一度繁栄を極めたり、限界を知ったり、他の生物に先んじられたりすると、進化の速度が鈍ったり、止まるように働きを留めてしまうのは、命と心との一つの均衡と言えなくもない。それは日々常を万年とする一つの安寧的なものを遠く示唆しているのかもしれない。
  
2009.07.29(Wed)  土佐錦魚TOP
7月28日
  
夜中雨のち曇り
    外   内
朝  23℃ 24℃

 雨が上がるとまばらに空が見え出した。
またザッとくるのだろう。

 風はそよ吹くほどだが、上空の流れは速い。
天気回復は月末だったが来月にずれる込むとか、土佐錦の夏はいつ続くのか。


心の起源を読んでの比較 136

 自然淘汰は、生命世界による生物間の競争や、生物の適応力へ物質世界が環境として生体外から生物へ及ぼすもので、生物の内的なものとして行われていない。
自己淘汰と記したがこれも表現として的を得ていない。そこでまた勝手ながら、自然淘汰は外からのものとして、対する内からのものとして、生物がおのずと内発的に行う淘汰的現象を〔生然淘汰〕とする造語を使わせてもらう。

 生心は生体に宿るものとして、また遺伝子の制御役として最も重要な働きとなっている。自然淘汰では有利なもの強いものが生き残る惨さがある。自然淘汰が遺伝子を超えるばっかりでは、強いもの、有利なもののみの世がきてしまう。
すると、また自然が抑える条件をつくると言いたいだろうが、例えそうであってもそれまでは野方図となる。そして、強いものの繰り返しになる。
それは生物世界を養う物質世界が行っていると言える。
それは単に生命世界を物質世界に委ねていることに等しい。
生心の役割は、物質世界における生物世界を目的へと導くところにある。
生命の暴走が繰り返し遺伝子へ伝えられたり目に余ると生心が働き、遺伝子の制御が始まる。
すると強いものの中にちょっと変わり種が出てきたりする。
またその正反対に弱いものへ身を守る術を与えたりもする。
 
2009.07.28(Tue)  土佐錦魚TOP
7月27日
 
晴れ夕方から雨
    外   内
朝  24℃ 25℃

 ときおり風が鳴っている。
ちぎれたような雲が遠く冴える星を遮っては過ぎ去る。

 風は強ぎみだが雲が多くなって来た。
夕方には雨が降るという。昨日一昨日の陽射しで苔が活発化して濁らなくなって来た。もし降ったらどういうことになるだろう。昼間の陽射し次第か。
このところ良くハズレる予報がまた外れて欲しいものだが。

 ちょっとヘマをしてピンで指先を刺してしまった。
痛みもないが、午後の選別や糸目の裏返しで、ヒョウソウになったら大変。
今日の作業は中止。
少しのんびりするつもり。


心の起源を読んでの比較 135

 適応力があって、繁殖力もあり、若返りまで出来るものに更なる力があったら、自然淘汰はそのものへ有利に働いたことだろう。幸運にもその生物には身の程にしか力が働かなかった。
 それがその生物に幸運となったのか、他の生物の方が幸運だったのか。
もしその生物に強い生命力が備わっていたら目覚ましい進化を遂げ、自然淘汰に選び抜かれ、生命世界の頂点にもなっていただろう。
そうならなかったのは他の生物が幸運だったと言える。
その力が身の程の生命力だったから、それ以上の力を望まなかったから、進化も程々。むしろ進化を留めることで適応力も繁殖力も弱まらず、失わず、抑制されず、永年の生命を保ってきた。幸運でもなく不運でもなく、自然淘汰の対象にならず、生然淘汰の対象にもならなかった。ただ黙々と連綿と生きて来た。
結果的にその生物は幸運だったと言える。
進化とは生命力の発露なのか。
自然淘汰の切っ掛けなのか。
自然淘汰とは生命力の暴露なのか。
 
2009.07.27(Mon)  土佐錦魚TOP
7月26日
  
晴れ
    外   内
朝  24℃ 25℃

 星は見えないけれど一面青みがかって、空気は澄んでないようだが晴れている。

 水面がキラキラするのは嬉しいものなんだと身にしみる。
風が止んでおとなしい夏が来ている。
今日も一回戦。腹は膨れるが、朝には凹んでくれるだろう。

 風が止んでいた午前中に34℃へ上がったが、風が出た午後に33℃へ下がった。午後の方が雲がなくなり陽射しが増えたのに。
健康には有り難い陽射しと風だ。


心の起源を読んでの比較 134

 自然淘汰が先に在って遺伝子が後に現れて来て、自然淘汰の法に則ったのなら、自然淘汰がその意味で遺伝子を超えていると言う事を納得しよう。
だが、遺伝子が先に存在して、環境との適応、生物間の競争等が始まって自然淘汰と名をつけられるようになっている。それまでは生じられるところに生じ、生存できるところに居て、増殖できるところだったから増殖しただけだった。
 そもそも自然が先に存在していたと言われればそれまでだが、生物の存在がなくして自然淘汰は成り立たない。むしろ、生物が消極的に自然のなすままになる事ではなく、生命の維持や繁栄のために能動的に自然へ挑んだり馴染んだ結果、自然淘汰が成り立った。
 遺伝子の悪戯で環境にまったく適さず産まれ来たものが、なす術もなく朽ち果てて行く事とは異にしている。
 また、環境へ広範囲に順応している生物も居る。
類には、暑くても寒くても、深くても浅くても、海水でも淡水でも、有性生殖も無性生殖もいて、億年単位で生き続けている。普通の場合成体は死んでも遺伝子によって再生されるが、死を迎える成体から直接幼体が産まれたりする。遺伝子修復機能が備わっているとも言いわれる。
こうなると自然淘汰の働く場がない。超える超えないの対象にない。
 
2009.07.26(Sun)  土佐錦魚TOP
7月25日
  
残り雨のち薄日のち雲多いいが晴れ
    外   内
朝  23℃ 25℃

 鉢が溢れているのでザッときていたようだ。
これから降らなくて31℃まで上がる予報。それを前提の水換え。

 気持ちのいい南の風が戻って来た。
苔も気持ち良さそうに酸素の泡を出して、魚も気持ち良さそうに餌をついばみ、
昨日まで半分だったが今日は腹いっぱい食べて、久しぶりに膨れた。
水面がキラキラしていることは世話している方も気持ちがいい。

 久しぶりの麦わら帽子。
さほど強くない陽射しに強めの風が暑さを感じさせない。
選別もはかどり一段落。
残念なことに尾は良かったが長手の正体が出てしまい、二種が全部ハネ。
途端に丸鉢がガラ空き。
一周したところで、次の作業は20入れていた鉢を15へ振り分けになるか。


心の起源を読んでの比較 133

P161【自然淘汰は遺伝子の情報としてあるのではなく、遺伝子の個性を選択する原理としてあらわれて来たものであった。この意味では遺伝子を超えているといってよい。】

 やっぱり、比較検討せずにはいられませんでした。

 自然淘汰はこの意味では遺伝子を超えている、と言う表現がやはり気になってしまった。どんな意味でもどうして超えるとか支配とか使わなければならないのだろう。
 自然淘汰は遺伝子の個性を選択する原理としてあらわれてきた。で、十分納得できる。
 自然淘汰が遺伝子を超える訳がないじゃあないか、と言いたくなってくる。
超えるぐらいならそんな遺伝子を最初っから造らせなければいいじゃあないか。
それが超えた存在だろ。穴から出てくるモグラをハンマーで打ってるだけが超えてる存在なのか。
 どうも言わなくてもいいところで毒づいてしまう。
遺伝子は自然淘汰を受ける前に自己淘汰を行っているとも言える。自己淘汰を行わなければ、どんどんイケイケの生命エネルギーは切りがなくなる。物質界の摂理や生体の摂理、遺伝子の存在自体も生物世界の制御となっている。自然淘汰は生物界の摂理であって、遺伝子を超える必要もなく、遺伝子なくして存在不可能なのだから、共に必要な場で働くものとなっている。
 
2009.07.25(Sat)  土佐錦魚TOP
7月24日
  
雨のち曇り
    外   内
朝  23℃ 24℃

 天候不順と言えるだろう。
梅雨時と同じように2、3日前から予防薬を使い出している。

 世話が終わる頃強い雨。小降りになるのを待って餌を与える。
九時頃には上がっている。もう諦めがついてきた。とにかく対処して行くしかない。


心の起源を読んでの比較 132

P158 ~159【表象どうしの相互作用が概念を生み】
        【概念どうしの相互作用が命題を生み】
        【命題どうしの相互作用が理念を生む】

P138以後学問的過ぎて、心の場を図で表したりしているが、つまらない。
上記も論として拝見してもどうにも実感が涌かない。
これから先も実感の涌かないまま読み続けて行くしかないようだ。
 しばらくは読んでいて〔〕としての意見がふっと浮かんできたとき、比較することなしに書き留めておく。唐突でとりとめないがご容赦を。

 人間が言語という信号の進化を得たことが、これも遺伝子獲得と同じように、一つの分岐点となっている。だがその分岐点は、心を脳が生んだものと勘違いする元となってしまい、人間が全ての上位と勘違いする元にもなっている。

 人間だけがと言えるのは、記憶の回帰だけでなく次元の回帰を試みているところにある。その多くはとりあえず遺伝子までだが、なかにはその先(元)まで行っていると思われるものもある。

 体の内外の感覚を脳に伝えて言葉にすることで認知したり、帰ってきたその信号を答えとして表現することができるようになった。思考が生まれ、知識が生まれ、記憶の記録が生まれ、人間も人間世界の時間を凄まじく加速し、思考に於いて他の生物との差をひろげることとなった。
 
2009.07.24(Fri)  土佐錦魚TOP
7月23日
  
曇り
    外   内
朝  22℃ 23℃

 どうやら天気の回復は今月末のよう。
それまで魚には頑張ってもらえるよう、水をシッカリしなくては。

 先日の好天気以来苔の育ちが良くなったと見えて、徐々に毛足が伸びて来た模様。濁りが少なくなり、ここにきて元水の割合が増えるようになって来た。
良い傾向と捉え、今日から八月の研究会へ向けて尾数を減らす選別にかかることにした。

 こんなにあつい雲が、白い灰色と黒い灰色の雲が、こんなにどんどん流れて行くなんて、ときおり隙間から陽射しがさしたかと思えば風がパラパラ雨を運んでくる。
 暑くなく寒くなくいささか照度不足だが、大きい口で10尾、小さい口で20尾以内に納まるよう進んでいる。


心の起源を読んでの比較 131

 例えば雄の幼児がアリンコの列を見つけると、訳もなく踏みつぶしているところを見たことがあるでしょう。男の人の中には私を含めて経験者がいるはずです。雌の人で経験者がいれば、それは典型的現代女性と言えるかもしれなせん。
 反射的に踏みつぶすことは、そんなに長い期間続きません。
意味がない、可哀相と気がついたり、そんなことはするものではありませんと教えられたり。私のときは通りがかりの大人が「あ~あ、可哀相に」と、呟きながら過ぎ去ったのが切っ掛けです。小学4年の時、「チョウチョは見るもんですよ」と教えられるまで、低学年では昆虫採集を夏休みの宿題で提出していました。
一世代後には自然保護のため昆虫採集をしないようにとなっていました。
 同じ雄の幼児でも反射的に踏みつぶす行動をとらずに、ジッと観察をするような子がいます。この差が性格として遺伝子に備わった差と言えるかもしれません。私は自分の子にその辺りを伝えたつもりでいます。それが重なればいつかは観察するところまではいかなくても、無闇に踏みつぶすことをしなくなると願っています。
 
2009.07.23(Thu)  土佐錦魚TOP
7月22日
  
曇りのち雨
    外   内
朝  21℃ 22℃

 霧に包まれて、のっぽビルも普通の高層ビルへ、これで真夏なのだろうか。
このところの天気予報は変わる天気にあわせるようで、気の毒でならない。

 世話の途中で降り出してしまった。
それでも丸鉢の当歳は元気いっぱい。
昨日に引き続き餌は半分なのに、もうちょっと待てよ。と言いたくなるほど腹が出てしまった。

 水面ばっかり見ていると雲に隠れた日食のことなどまるで思い出さない。
朝の世話の時は暗いので魚の逃げ方が緩慢だが、昼間は素早く隙間を見つける。
「こんなに世話をやいているのだから逃げなくたっていいじゃないか。いい加減逃げるなよ。」魚にとっては毎回命がけ。


心の起源を読んでの比較 130

 雌雄としての心を逐ってみよう。
メスはメスと名がつく前に元々母性として増殖の存在だった。そこに雄が付け加わった。オスなんて雌アンコウのどこかにくっついているイボのような存在だった。(雌雄が現れてから生物の多様化が目覚ましくなったが、はるか後の世のアンコウを形容の例に用いています。)
初期には雄同士の競争がなく、幸運と偶然で雌に巡り遭うことができた。やがて己の利を自力で引き寄せようと雄同士の雌争奪が始まり、勝者は生命(種)の牽引役となって行った。
 メスは基本的に、事なかれ的でつつがなく子が育ち巣立ちすることを望んでいた。現代の女性には当てはまらなくなって来たようだが、女性の基本は上手く納めて事が起こらないようにして、子を育てることにある。
 オスは、争ってでも自己の子を殖やすことにある。
始め雄はハーレムをつくるために戦った訳ではなく、利己的に切りなく争った結果がハーレムとなり、やがて目的がハーレムとなって行った。
(はるか後の世の例を用いています。)
 その争いの過程で、同種、あるいは邪魔ものを殺すことさえいとわなくなって行った。
 アダムとイヴのリンゴは雌雄を巡る争いに目覚めることも示唆している。
 
2009.07.22(Wed)  土佐錦魚TOP
7月21日
  
曇りのち霧雨
    外   内
朝  21℃ 22℃

 ビルが良く見えるので空気は澄んでいるよう。
雲は一面にあるが高いのだろうか。気温が低いのでサッパリしているが。

 北側の窓から風が入り込んでいた。
7時前にはさらさらとこぬか雨、まるで秋雨。
今日は餌も半分。秋と勘違いして本格的に出来てしまうには早過ぎる。
 当歳が大きくなってくると掬いやすく、世話の時間が4時間半ほどで終わるようになった。全部がそのくらい成長すれば四時間で終わるかも。

 少しの止み間があったり、一回傘がいるかな程度に降ったり、結局一日中降っていた。これでは予防の薬を使った方が無難か。


心の起源を読んでの比較 129

 教育、学習も然り。
なかには神経ですら、遺伝子からの形成だけでは実質働ける状態に達していないものがある。のちの教育がそれを完成させる。どうやらその教育は遺伝子が行っているものではないらしい。筋道は遺伝子がつけているが、神経細胞独自が教育を受けると行動するように受け取れる。
 神経系はほとんどの興奮と少なめの抑制で成り立っている。
遺伝子も然り。
 遺伝子も教育を必要とされるところがある。
文化的、習慣的分野となるのだろうか。やはり遺伝子が教育されるとその部分が働き出すように受け取れる。獲得的とまでいかなくても、教育を受けると働き出すように思える。
 “ 科学は社会の貢献のために使われるべきである ”
この教育に再び原爆は使うべきでない。と言う作用が働く。
また、平和利用に限るべきと働く。
廃絶してしまうほど協力ではないが、それがなかったら、利己のために利用しようとするものはとっくに使っていただろう。
 命のほとんどの興奮と心の少なめの抑制で成り立っている。

 【】は、心は危険な面を持っているとする。
それは神経の興奮、命の興奮の真っただ中をを心としているからだ。
神経系でも抑制を行うものがある。
せめて、その辺りを心と言っていたら。
 
2009.07.21(Tue)  土佐錦魚TOP
7月20日
  
晴れたり曇ったり
    外   内
朝  24℃ 25℃

 月はビルの陰に隠れているが、星うっすらでも少し多く見える。
風は止んで、晴れてくれている。

 世話が終わる頃にはすっかり曇りになってしまった。
魚は元気いっぱいで明日からの雨模様でも今まで同様、何事もなかったかのようにしてくれるだろう。

 時おり陽射しが出るが選別をしていて気にならない程度。
とにかく魚が元気でいてくれるのが、気休め。
今は西の方が大雨とかそれから比べればいい方だ。


心の起源を読んでの比較 128

 生物としてのバクテリア、そしてそれ以前の生物にも心があった。
その生物は人間の癌細胞で例えられるように、いまだ人間にも存在している。
癌細胞の場合は嫌われ者で、歓迎されないのに突然現れたように感じられるが、この頃脚光をあびている再生医療の主役、幹細胞には無限に分裂できるものがある。遠い遠い過去の、発展しようとしている細胞へ取り込まれたであろう利己的細胞も、取り得を活かされると幹細胞にもなり、一歩間違えると癌細胞にもなる。免疫系が一歩間違えると自己を攻撃してしまうように、遠い遠い過去の自己も今の自己を攻撃しかねない危険性をも含んでいる。だが、間違えなければ正常に働き、どれもが人間へ至る一つの基本となっている。そんな基本の一つは、導かれ、教育されれば、なんにでも変化し分化する幹細胞へとなり、太古から現在まで活躍し続けている。
 生体も新しいものだけではやって行けない。常に古いものと連携している。
脳は大脳皮質が目立つ働きをしていても、常に古いものと連携しなくては大脳皮質も成り立って行かない。すると、大脳皮質が生んだであろう心も古い脳の助けがなくてはおぼつかないものとなる。遺伝子も然り。
 
2009.07.20(Mon)  土佐錦魚TOP
7月19日
  
曇り
    外   内
朝  24℃ 25℃

  糸目用の置き水池の掃除は昨日できなかった。
水がなくなるのが22時頃になり、それまで一休みしていたらいつのまにか眠っていた。目覚ましは掛けていなかったが、2時前に目が覚め、今しがた終わったところ。

 キレイになって空になった糸目用の置き水池へ、空にするためにとって置いた水を移すと、その池が空になる。するとそこもキレイにしたくなって掃除。
二才の水を糸目用へ移し、とって置いた水を二才へ入れるとそこも空になり、ついでに掃除。当歳を替えると置き水が空になり、結局五つの置き水池を全部掃除してしまった。
 している時にはこんな機会はないからやってしまおうと一気に進めるが、終わればガックリ疲れていた。終わる頃にあくびが出ていた。終わってから何もしないで朝寝をしていた。
 前回の掃除が七月五日、だいたい半月置きのようだから、これでしばらくは気分良く水が使えそう。
 と書いていたら糸目が届いた。
早速気分のいい水の流れへ放ってあげるようだ。

 薄日が出てくれると丸鉢は33℃まで上がってくれた。
溜め息に近いようなホッと一息。


心の起源を読んでの比較 127

 心の働く場はそしてその結果は、いつ顕著に現れて来たかの順を追ってみたが。心って何だろう、何時できたのだろうをまた逐って見よう。
 それは物質で体が構築され、命と心が同時に宿って、生体となった時。
生きた体が生体。その体に命が宿って生命、心が宿って生心、生命と生心が体に宿って生きるから生体。この三つ巴の三要素は同時と言うことになる。
もちろん全ての生物が共通と言うことになる。
 バクテリアのような原核生物は妨げがなければ際限なく分裂をするから、命の利己を強調する例にされているが、目の敵のような原生生物にも心はあり、命の利己の勢いに遠く及ばないにしても心は働いていた。
 以前心は制御的働きと書いた。
例えれば、心は制御、抑制、鎮静。
     命は興奮と言えるだろう。
命はどこへ行き着くかの試行だから、命としての生体進化の概要ぐらいは想定はされていただろう。するとこの試行は言ってみれば、心がどこまで働くことができるかの試行と言えなくもない。
 
2009.07.19(Sun)  土佐錦魚TOP
7月18日
  
小雨 昼近くに薄日 のち曇り
    外   内
朝  23℃ 24℃

 目覚めたときは、きょうも雨、
もう一つの予報では午後にまた一雨。
どうやらお日様は望めないらしい。

 雨はじきにやんでくれた。だが、引き続いていつまでもぽっちりぽっちり。
一昨日まで高温で餌を増やしていたが、昨日今日は抑えている。
 糸目用の置き水池にまた虫がいっぱい涌いている。孵る前に掃除しなくては。
今夜か明日朝か。

 こう涼しいと当歳の腹が出てメッキリ肥ってしまった。
産まれが早いので腹が出るのは時期もあって仕方ないが、もう少し肥った痩せたを繰り返してほしいものだが。


心の起源を読んでの比較 126

 【】の心の働く場は、高度な神経系ができるまで生まれてこなかった訳だが、
 〔〕の心の働く場は、そしてその結果は、いつ顕著に現れて来たのだろう。
バクテリアのような原核生物は妨げがなければ際限なく分裂をする。それは増えるという自己の利だけを求めていた。
 真核生物は初歩的でも細胞内共生ができ、共生が進むと遺伝子も進み、有糸分裂が行われ、減数分裂がおこなわれるようになり、細胞内で共に発展する役割ができて、統一された生物となって行った。
 この流れは生命の己の利を求めるだけの欲求でできたものだろうか。
己を増やすだけで、共生や社会性を持たない単細胞生物に死は必要なかった。
共生が細胞内社会となり、役割が生じた時に共栄への道筋ができ、心の働きは場を得て現れを見せた。
 その形が対立より円滑を進める細胞内社会であり、やがて生体内社会へとつながり、生体外社会へ、社会生物、生物社会へと繋がって行く。
 その流れの中でも、命が求める利己と心の求める共生共栄との葛藤は常に行われ続けている。
 
2009.07.18(Sat)  土佐錦魚TOP
7月17日
  
雨のち曇りのち晴れ
    外   内
朝  23℃ 24℃

 外に出た途端、ぽつり、ぽつりと顔に頭に。空気はひんやり。
なんと雨。それでも空は青く、白い雲。
時間予報では午前中降るらしい。
他の予報では明日は曇りになっている。
土佐錦の夏に頼らず、用心しろと言うことか。

 今期は梅雨入りも梅雨明けも変則的、昨日までの暑さを恵みと感じて、次の陽射しを待つよう。
 用心を心掛けて、雨に対処できるようにシッカリ水換えしたら、5時間以上掛かってしまった。5時間が疲れの分かれ目のようだ。


心の起源を読んでの比較 125

 生物が創った心の世界。
だから心の世界の存在や立場を立証しなくてはならず、
心の世界を否定したときも想定しなくてはならなくなる。
命の世界を否定したときも想定しなくてはならなくなる、のではないだろうか。
だが、命がどうして生じてきたか解っていない。
やはり心もどうして生じてきたか解っていない、のではないだろうか。
だが、【】の心の世界は高度な神経系が創ったとしている。
だから、高等な脳の持ち主にしか存在しない。
この無理が、否定されたときのことまで考えておかなくてはならなくなる。
命を否定する人はいないだろう。
何も否定したときの出来事を想定する必要はないと思われる。
かえって不可思議さを加えている。
 心の世界を否定すると心の世界ばかりか生物世界まで消滅するのは、無理に無理を重ねた形となっている。
【】の心の世界とは、高度な神経系が生んだ世界。
〔〕に言わせれば、たかが脳という臓物が生んだ世界とされる。
高度な神経系が生んだ世界に限定しているのだから、たとえ否定しても、高度な神経系を持っているとされる限定された生物世界が消滅した時には、そこへ関った物質世界が後に残されるのではないだろうか。
 
2009.07.17(Fri)  土佐錦魚TOP
7月16日
  
晴れ
    外   内
朝  23℃ 25℃

空が遠くにあるような、
星が沢山あるような、
月が眩しくあるような、
星が近くにあるような、

 快調に世話ができて、体が軽く感じて体重計に乗ってみると58キロ15%。
標準体重にもどっていた。
 錦魚シーズンが始まる前には63キロ18%まで太っていた。
この間まで60キロ付近をうろうろしていたが、この頃の寝苦しさのお陰か。
体重が落ちるのは56キロまではいいのだが、それ以下になると危険信号、そろそろ気をつけねば。

 今日はそよ風。
昼前と言うのにもう36℃。
これはどちらかというと上面付近の温度。
それならついでに38℃まで上がってくれれば、いろいろ都合がいい。
ヤッパリ、土佐錦の夏はいい。

 14時半、もう丸鉢の最高水温が出たとして水温計を見ると、36℃変わらず。
何となく日がどんよりしているせいか。鉢の保温が良いせいか。
 底の方はヒンヤリしているので34℃としても、十分な水温。
まあ、これだけ36℃が続けば、これ以上の贅沢は言えない。


心の起源を読んでの比較 124

【心とはその場をみる限りでは生物世界そのもの】その場ということは生心に受け取れ生心に限定したこととなり、生心は生物の構成要素の一つだから生物世界そのものの一つと言える。生心を時空と同じ捉え方をして、相対的を理解しないままに当てはめるなら、相対的心を生心と同義とできる。

P138 【】を全部出すととても長くなるので、勝手に要約させてもらう。
イ、心を物質世界の延長とすると生物もまた物質世界の延長とせざるをえない。
ロ、心を生物世界の延長とすると生物に新しい世界が生まれたとすることが可能。
ハ、心の世界を否定すると心の世界ばかりか生物世界まで消滅し物質世界が残る。

 これは生体の三要素を述べているにほかならない。〔〕なりの受け入れは、
イ は、生心は物質世界の延長だから生物もそうなる。
ロ は、生心は生物世界の延長だから生物に新しい世界(生心)の存在が可能。
ハ は、生心を否定すると、生物世界(生命と生体)まで消滅し物質世界が残る。
基本的には同じようなことを言いながら、視点を変えると同じことを言っていても別のことのようになるから、厄介だ。
 
2009.07.16(Thu)  土佐錦魚TOP
7月15日
  
曇りのち晴れ
    外   内
朝  23℃ 24℃

 寝苦しくなり、目が覚めると土佐錦の夏の始まり。
それでも雲は月を隠そうとしている。
きっと太陽が雲を追いはらうだろう。

 もうしばらく曇っていてくれればと、丸鉢の苔が乾かないように水をかけながらの水換えになってしまった。
内で温度掛けをしていた鉢の魚を外に出して日光浴。
 良い魚を外に出す入れ替え作業が始まった。

 やはり風が強く今日は34℃までしか上がらなかった。
36℃を期待しているのだが、この辺りがいいところなのかもしれない。


心の起源を読んでの比較 123

 神経系が造り出した個の心を心としているのだから、神経系の高度さによって心も差ができるのだろうか。その差が相対的差になるのだろうか。あえて相対的心を想定すれば、同種同等の別個の生物になるのか。それとも他の生物の心と言うことになるのだろうか。
 猿は人間より知性が劣るが機微を持っている。考えることもしている。それを心があると言えるなら、階層を設けた場合下に位置付けるにしても、相対的心と言えるのではないだろうか。
 ゾウは死を知っている。死を悼んだり自分も何れはそうなると理解している。
猿は死を理解していない節がある。これを、猿よりゾウが上の階層と言えるかも知れない。ある意味人間よりゾウの方が上と言えるところがある。
だが、どれも同じ生物世界での心として括れるのではないだろうか。
生物世界での心、それぞれ個が持っているが生心として相対的心となって、絶対的心と別次元ではあっても存在している。
だが、【】は時空を論ずる時に絶対的時空を認めている。
だが、【】が心を論ずる時に絶対的心を認めてしまうと、〔〕の意見に近づくことになってしまう。
そのようなことはありえない。
  
2009.07.15(Wed)  土佐錦魚TOP
7月14日
  
曇りのち晴れ
    外   内
朝  23℃ 25℃

 魚の曇りも大分とれてきたので、ありがたい。
今日も30℃以上を望めそう。
さあ、清潔な苔へピカピカに磨かなくては。

 ポンプの使いこなしに慣れて来た様子。
15分ぐらいは短縮しているだろう。その内30分ほどになれば丸鉢に日があたる速度と同じになって、鉢の苔を乾かさなくて済みそう。
 イトメ棚にも小さな循環ポンプ二つを回しているので、冷えていないが今のところ傷みは来ていない。これから先、さて、どうなるか。

 ついに梅雨明け宣言が出ました。
今年の梅雨明けは早いとする、私の気が当たったことになる。
当たろうと当たるまいと他人にはどうでもいいことだが、自分としてはとても嬉しい。
 いい気分でこれから選別すれば、陽射しを浴びても苦にならないだろう。

 屋上はいい風が吹いて、陽射しもさすほどではなく、選別日和でした。
温度も36℃まで上がってくれて、言うことなし。
昨日のように風が強いと気温が高くてもさほど上がらず、風とは大したものです。


心の起源を読んでの比較 122

P137【心とはその場をみる限りでは生物世界そのものであり、.........】

 心と同じように、その場をみる限りでの時空は生物世界そのものであり、
時空に絶対的と相対的があるなら、心にも絶対的心と相対的心を想定しないとおかしなことになってくる。 、とは限らないか。
 【】の世界では、絶対的心なんて存在しないのだろう。
すると、相対的心の存在もなくなってしまうのだろう。
時空にあって心にはない。それはどうしてか、の疑問は抱いていないようだ。
 神経系が生みだしたものに絶対も相対もある訳がない。
時空は記憶が生みだしたものの割に、絶対と相対がある。
 それにしても、絶対的心を持ち出すとますます噛み合なくなってくる。
ただでさえ噛み合ないのだから勝手に〔〕としては、大いなる心を絶対的心、
生物個体の心の生心を相対的心と位置づける。
【】の言う心は当然相対的心の位置づけとなる。
そしてその心の持ち主は、神経系の高度に発達した生物に限られる。
そして、その相対的心から絶対的心が抽出されるはずになる。
【】が相対的心と絶対的心を想定した時には、いったいどうするのだろうか。
〔〕の場合、絶対的心は普遍となる。
 相対的心は絶対的心を基にして個の生物に存在する。
  
2009.07.14(Tue)  土佐錦魚TOP
7月13日
  
曇り時々張れ
    外   内
朝  22℃ 24℃

流れる雲におぼろな月の夜明け前。
今日は32℃になってくれるとか、これで丸鉢は36℃へ上がってくれるかも知れない。待っていた夏がやっと。このまま梅雨が明けてくれたら。
 このあたりで明けないと早い梅雨明けと言えない。はたしてそうなるか。

 今日の丸鉢はピカピカの水に。
陽射しと南の風は整った。後は長続きしてくれるかだ。

 風が強かったので32℃までしか上がらなかったが、好条件には変わりない。


心の起源を読んでの比較 121

第5章 心の世界を覗きみる
 ここら辺りまで読むとやっと解った。
人間のみの範囲で、人間から見た範囲で、人間の認識の範囲で、学者の記憶の範囲で、【】の見ている範囲の論ということがようやく飲み込めて来た。
すると理路整然とした論へ何ももの申すことのない、申すことに意味がないことが。
 学問として専門の視点をもつと、生物自己の視点と同じようにそこからでしか見えないようになってくる。それが専門性であって他を排する程その分野に鋭くなるのだろう。遺伝子の選択とも似ているところがあって、お陰でこれも面白さと捉えることができるようになってきた。
 脳を根本に置けば当然、知覚の回帰が心とゆうようなことになってくる。それをとらえようのない、証明できない一段上がった公理のようなものとした時、もはや成立すると脳が考えれば、心も受け入れていると言うことになってくる。
模糊曖昧が理路整然となってくる。
 
2009.07.13(Mon)  土佐錦魚TOP
7月12日
  
曇り 薄日有り
    外   内
朝  21℃ 22℃

 月と星一つ、何となく青く、なんとなく曇っている。
作業をするには涼しく感じる夜明け前。

 天気はやはり曇り、薄日ありだった。
今朝は一時間寝坊したので、今(9時半)までかかってしまった。
糸目も早く着いてくれたので、その作業も加わっているから5時間半、まあ、こんなものだろう。
 二才の御度掛けは二列目へ。

 今日の二才会は努力をして来た人の魚が確実な進歩を見せてくれた。
熱心な人に実力がついて来るのを見ることは、実に嬉しくもあり、愉しい。


心の起源を読んでの比較 120

 記憶が回帰して経験が生まれ、やがて脳が発達すると、将来的経験の対処ができるようになって行った。
それが積み重なると、経験する可能性の高い将来への想定ができるようになった。
想定的想像力は身近な将来への対処法を備えることになる。
その範囲を広げて行くことで、優れた能力となって行った。
此処までは人間以外の生物にも多く見られることだが、人間が備えた能力は想像力と共に創造力をも持ち合わせたことが、今日の栄華をもたらしている。
自然界での人間は創造力を持ったことになる。
生命界での生命は創造力を持っていないのだろうか。
生心界での生心は創造力を持っていないのだろうか。
 自然環境での経験が開発した能力は、生きるための対処として、自然淘汰を免れる上で、生命の働きによるところが多く。
 社会環境での経験が開発した能力は、共栄のための対処として、社会淘汰を免れる上で、生心の働きによるところが多い。

2009.07.12(Sun)  土佐錦魚TOP
7月11日
  
曇り
    外   内
朝  22℃ 24℃

 ムッとしている家の中から外に出ると、さわやかに感じる。
じめじめした雨が心配ないと気も塞がらない。
さ、今日も始まり。

 予防薬が効いてきたのか、魚の動きが良くなって来た。
梅雨明けまえ最後の温度掛けを二才一列目にやっている。
明日二列目、続いて三列目が終わればもう梅雨明けだろう。

 今日は明日を踏まえて、少し早いがこれから選別。


心の起源を読んでの比較 119

 記憶のある生物は多々ある。記憶の回帰を果てしなく繰り返すうちに、経験が抽出する必要や願望から、環境への適応性が生じたり、群れに馴染んだりして行く。
親がそうしていることから子は学び、その子も学び、代を重ねるうちにその獲得的能力だった状況判断は獲得的遺伝子へと、やがては生得的として染み込んで行く。その環境や社会の内では経験や教育が誘発因子として働き花開くが、異なる環境や社会では働くことができずいるか、戸惑いとなってしまう。この辺りが否定される原因の一つかも知れない。
 記憶のある生物の、記憶を産み出した社会内外の環境で働く能力が獲得的に備わっていても、関っていない環境では獲得因子を得ることが難しく、たまたまそれを得たとしても、開発された働きは場違いのものとなってしまう。
 
2009.07.11(Sat)  土佐錦魚TOP
7月10日
  
曇り 南風強し
    外   内
朝  23℃ 25℃

 糸目の冷水機がやはり良く働いてくれない。
23℃あたりから締まりが悪くなり出す。25℃までなら何とかなるだろうが、これからどうなるのだろう。

 このところ弱い薬を予防に使うことをしていたが、やはり曇りは増え、痩せる傾向は治らない。そこでまた効き目のある薬に戻して昨日入れてみたら、今日には曇りが薄くなっていた。この時期には多少の問題はあっても、以前通り効き目のある薬を使用した方がいいようだ。

 このところ、餌を与えてからしばらく魚をいじれない間に片付けや整備をやっているが、今日はエアーを整えることをしていた。
ホースを長々と引いていたが、パイプから各々引いて効率が良くなり、必要なところへ必要な量を全部整えることができた。今まで放っておいた訳だから遅ればせと言うところ。


心の起源を読んでの比較 118

 心を生んだとされる脳は経験なくして発達したのだろうか。
たまたま偶然の突然変異で脳の大きな人間が産まれて、優れていたから繁栄したのだろうか。
 進化は種的な単位で起こり、突然変異は個の単位で起こるが、個の単位の突然変異が自然界に受け入れられなければ消滅して行き、受け入れられると種の単位に発展して、進化と言われるようになる。これは常に偶然でしかなく、数限りない偶然の突然とされている。すると、単細胞生物から人間への進化、誕生は突然の途方もない重なりでしかないのだろうか。人間が何も意志を持たない、経験を活かしていない生物だったら納得できる。生物にはそれぞれに意志がある。それぞれの段階なりの意志がある。その段階からの更なる発展を変異がもたらしてくれる。その変異に強い意志が働くと数々の変異が起こり、弱いと変異は起こりにくくなる。生きた化石と言われるような生物はその働きが弱まっていると感じられる。それも偶然の突然でしかないのか。数々の擬態やその花カマキリも突然変異では解明されていない偶然が、見事に造形したことになる。突然の偶然でほとんどが片付けられている。感覚器官からの遺伝子への伝達なくして起こりうることだろうか。
 感覚器官の究極的存在意義は遺伝子への伝達ではないだろうか。
 
2009.07.10(Fri)  土佐錦魚TOP
7月 9日
 
小雨 雨のち曇り薄日有り
    外   内
朝  23℃ 25℃

湿った風か雨か、肌に冷たくあたる。
今日も降ったり止んだりのようだ。


心の起源を読んでの比較 117

 この間、先祖帰りや温度管理でメチル化のことに触れたが、メチル化も突然変異の一つとされている。メチル化は何かの条件で起こる。その条件に規則性があったら、錦魚の先祖帰りの誘因が温度によるものであったなら、突然変異の一つは突然ではなくなる。
 その条件にまたその条件があったなら、それは、かつての経験や規則性や必要性や希望のようなものが働いるとしても不思議はない。
人間が次第次第にキレイになって行くように。
 学問的大系からいろいろな偶然的変異を、突然変異という分野に組み込んで行ったのは理解できる。
ダーウィンに敬畏を払うことも理解できる。
だが、数々の変異を突然変異として片付けてしまうには抵抗がある。
それはまったくの偶然でしかなく、突然変異に意志が働いていると認めていないからだ。いろいろある遺伝子の変異でいいのではないだろうか。
その分類はこれから解明されて行くに相違ない。

2009.07.09(Thu)  土佐錦魚TOP
7月 8日
 
晴れのち曇りときおり雨
    外   内
朝  23℃ 24℃

 夜でも空は青く、雲は白く、月は晃晃と、天の川は見えないけれど星は瞬いています。南風はやっと夏を持って来てくれた感じです。

 夏気分はほんの一時、水替えしているうちに湿った空気に入れ替わり、しまいにポチポチ降って来た。
昨日の暑さで、魚は元気を保ってくれるだろう。
後10日ばかりの梅雨模様。

 選別が一週、それぞれに成長してくれています。
腹の調整は一区切り、腹の様子を見るために多数入れていたが、次からはやっと尾でハネることができる。


心の起源を読んでの比較 116

 反論としてではなく〔〕としては違う角度から現れる心の根底を、生得的な潜在能力や獲得して花開く能力から見てみたい。
 親から伝わった能力や潜在的能力は親がまたその親がと経験したものが積み重なっている。今日では、どうやらそうしたことが遺伝子に組み込まれることは否定されているようだが、どうやらこれも突然変異偏重のように思える。経験が遺伝子に繁栄されないことの方が不思議と思えるのだが。
 進化や変異になんらかの意志が働くことはないのだろうか。
鳥のくちばしが食べるものによって変わって行くのも、偶然の突然変異の賜物なのだろうか。
突然の偶然がその食べ物に合うまでクチバシの突然変異は、ありとあらゆる突然の偶然を繰り返し、自然淘汰の対象になるだろうか。
食べ物に合わせるという目的は生じないのだろうか。
 
2009.07.08(Wed)  土佐錦魚TOP
7月 7日
 
曇のち晴れ
    外   内
朝  22℃ 23℃

 これからパラッと来てから晴れるのか。
それにしても、七夕の夜明け前の新宿の空は黄緑色の雲に覆われている。

 さあ、日が出てもいいようにピカピカにしたんだから、早く出てくれ。
時間予報がずれて朝降るはずが昼前になっている。日が出るのは早くて昼過ぎか。

 雲は厚く流れは早く合間から日が漏れる忙しない天気模様、今しがたパラパラと、一応昼近くに降る予報はとにかく当たったことにしておく。
 餌を与えて魚をいじれない間に期日前投票へ行って来た。
8時半から受付、31分に入って三人目。9時には戻って池を一巡り。
これで12日はゆっくり用意ができる。


心の起源を読んでの比較 115

P132からP133【心の体系の根底をなす枠組みは、「統覚」と仮に名づけた統合能力によってつくられる。統覚の潜在的能力は生得的にあたえられているが、その顕在化には経験が必要であって、その意味では獲得的である。つまり、統覚は生得的と獲得的のちょうど中間にあるといえる。】

 統覚とするこの辺りへの〔〕の理解は、時空、論理、感情のようなことを空白の記憶のように生得的であるが獲得的であって、光や音や教育や経験などの誘発因子を受けることによって自発的に働き始める。と。
この“自発的に働き始める”ということが大事なようだ。
 少しの違和感を感じても先に述べていることが下地にあるだけで、ここに至っては比較は慎むところとなり、一つの論として拝聴するほかない。
それが論述者への礼儀と学ぶことができてきた。
 
2009.07.07(Tue)  土佐錦魚TOP
7月 6日
 
曇 朝のうち雨 降ったり止んだり 夜晴れ
    外   内
朝  21℃ 22℃

 まだ降っていないが、これから降るらしい。
降らないはずだったから、降らないでほしい。
 4時過ぎにポチポチ振り出し、4時半近くで降り出した。
と思ったら、1時間ほどで止んでしまった。人騒がせな雨だ。

 イトメと循環ポンプが早めに来てくれたので早速取りつけ、以前のより倍ほどの流量。イトメにとっては条件が良くなるはず、冷水機もこれで冷えなければ冷水機がおかしいことになる。
 午後まで様子を見ることに。

 選別の集中力は2時間と言うところのようで、12時からはじめて14時で途切れてしまった。再度15時から始めたとして、17時までできればそれでも結構進むことはできる。
 冷水器はわずかに1℃下がっていた。今までより動いているだけ良しと言うことになる。
この先暑くなるとどうなるのだろう。心配よりわずかでもこのまま動いてくれることを願って様子見。

 今日の選別を終えての印象は、前期のように目幅が広くなっていないこと。多少の影響は当たり前だが、夏に目先を延ばせば何とかなりそうな程度。
 片腹の方は、少量のイトメで調節していたものが粒餌に代わって、量のせいか質のせいか解らないが、大分戻ってしまった。
イトメで続いていたら戻らなかったか、その辺りは来期の確認となりそう。

 寝しなの点検での夜空は青かった。
高層ビルの工事現場から豆の木のように生えたようなクレーンを、急ぎ足の都会の夜の白い雲は包み込んで、切り裂かれて、何もなかったように流れて行く。


心の起源を読んでの比較 114

P127【表6】
 【離散的 連続的】        〔情報の認識〕〔内〕 〔外〕
 【 時刻 → 時間 】  →   〔時間〔時間の認識〕 時間 → 時刻〕
 【 位置 → 空間 】  →   〔空間〔空間の認識〕 空間 → 位置〕
 【 事象 → 因果律】 →   〔物質〔現象の認識〕 現象 → 事象〕
 【 快苦 → 好悪 】  →   〔感覚〔感覚の認識〕 感覚 → 情報〕

【】内は脳による記憶が成立させたものとなっている。
外の → からは〔〕の見方として、脳を認識、表現する器官として扱っている。

 人間の脳が記憶することで人間の時間や空間を認識することは確かにできる。
ただしそれは生時生空と表現した人間独自のもので、絶対的時空に対するものとするには次元が違っている。絶対的時空の存在があってさらに別次元として生時生空が生物に存在している。
人間独自のものであれば時刻を離散的として時間を連続的とすることもできるだろう。だがそれを絶対的時空に対して相対的としてしまうには無理がある。
生物自体の内部で絶対的時空となり、生物間で相対的時空として存在する。

2009.07.06(Mon)  土佐錦魚TOP
7月 5日
 
曇りのち薄日
    外   内
朝  22℃ 23℃

 イトメが空になっている間に溜池を掃除してしまうことに。
そのための水中ポンプの設置が昨日できたので、今日一番の作業に。
 2.3日後に糸目水循環用のポンプがくるはずなので、交換予定。

 水中ポンプは下の方までよく吸ってくれたので、きれいにできました。
いつも溜まっているので虫が涌く。飛び立たないうちに流してしまわないと増えてしまう。良いタイミングだった。


心の起源を読んでの比較 113

P124【記憶と照合の相互作用によって情報の自己回帰がはじまり、そこから時空、論理、感情の徳性が生みだされる。これらは心のはたらく「場」を規定する枠組みとなる。】

 記憶と照合の相互作用も情報の自己回帰も神経系が行う。よって生物の心は神経系が生みだしたものだとすれば、生物の時空もその他も神経系が生みだしたものとしなくては収まらず、そうならざるをえないのだろう。
 逆にハッキリと神経系が生みだしたものが心だし、その心が働く場や他は、神経系の記憶から派生したものである。と言い切ってしまう方が後腐れなくて鮮やかではないだろうか。
そうすれば将来に解明を託す必要もなくなる。
ブラックボックスを無視しても一向に差し支えがなくなる。
そう「信じる」の一言で終らすことができる。
そして、信じてはいるが解っていない、で締めくくることもできる。
 それでは学者でなくなってしまう?
なにか目の前の神経系というわだかまりにしがみついて、神経系崇拝に陥っているのではないだろうか。

〔〕の脳はあきらめ切ったのか、すっかり疲れてしまった。
こんな〔〕の脳が経験した相対的時空から、絶対的時空を抽出したならば、ゾッとして自分の脳に鳥肌が立ちそう。

2009.07.05(Sun)  土佐錦魚TOP
7月 4日
    
雨のち曇り 薄日有り
    外   内
朝  22℃ 24℃

 よく降るな~。太陽が恋しい。イトメがないともう一つ気が乗らない。

 粒餌も慣れて来たようで良く食べるようになって来た。
次ぎに選別する時、目幅と腹形がどうなっているか気になる。
 大潮前の雨の日、やたらと産んでいる。これから数日続くのだろうか。

 イトメが日曜に来ると言うことだったが、月曜に一日遅れの連絡。
本当に来てくれるといいのだが。
人間はやきもきするだけで済むが、錦魚は可哀相。


心の起源を読んでの比較 112

 生物内有の絶対的時空の存在を相対的経験によって認識した相対的時空によって、絶対的時空の存在が意味を持ちはじめるのは、生物内有の絶対的時空と対する生物外有の絶対的時空の存在を認識したことになる。
そこには中枢系を備えた生物の存在が不可欠になる。
記憶による時空の認識は高度な中枢系を備えた生物があればこそで、宇宙を成す物質世界の上に生物世界がある、いや、物質世界は生物世界が支配すると言う階層が成り立つ。
 これではかつての宗教が、人間は世界を支配することを与えられた。とすることと何も変わらない。 
記憶されるから時空は存在するのか。
人間が認識しなければ時空は成立しないのか。
宇宙も?。
生物世界に限った話しとしたならば成立するとするのか。生物としては?
そして、そこから絶対的時空が抽出されるのか。

2009.07.04(Sat)  土佐錦魚TOP
7月 3日
  
曇り
    外   内
朝  20℃ 21℃

 イトメがいないと糸目水の確保がいらなくなる。すると親の水換えをする必要がなくなる。すると当歳の水換えも必要がない。
 魚からすると当歳はしなくては、するとその水が余って捨てるようになる。
それはもったいないと親の水を替える。イトメに回していた親の水を捨てるようになる。それももったいないと、イトメがいないのに今までと同じように流すことになる。
 梅雨も本格的。
今季は関東と西の方では梅雨の始まりが違っていた。
関東の方は早くからじめじめ、そして梅雨明けも早そうに思わせていた。
その勘は当たるのだろうか。
自分で結果を楽しみにしている。


心の起源を読んでの比較 111

 もしかして、タマゴとニワトリの間に裂け目があるとしたら、ニワトリとタマゴは別の世界となり別の時空の存在となりはしないか。ニワトリには高等脳とは言えないまでも記憶能力が認められる。それは相対的時空を持つと言えるのか。
タマゴはまだ発現していないのでタマゴとしての記憶がない。
するとタマゴとしての時空、あるいは相対的時空を持てないのだろうか。
 仮にタマゴがニワトリの相対的時空を受け継いでいるものとした時、まだ発現していなくても、相対的時空の時の流れを持っているのだろうか。
それともタマゴ自体が経験しなくては相対的時空は持てないのだろうか。
 それとも、此処と彼処を空間として意識的に認識できない高等脳でないニワトリは、相対的時空を持つまでに至っていないのだろうか。
相対的時空を持つ生物となるにはかなりの条件がいる。
 分割を始めたニワトリのタマゴは既に自分の時間に沿っているものと見受ける。少なくともタマゴの中に空間を持っている。タマゴを温めている何がしかをはじめとする外との時空的関わりも始まっている。
〔このときのタマゴの時空は、記憶されようとされまいと、時間も空間も存在しているとするのが、絶対的時空の考え方であるのに対して、ここで経験されるものは相対的時空であり、相対的時空は絶対的時空から抽出されたものと考えているからである。〕

2009.07.03(Fri)  土佐錦魚TOP
7月 2日
 
雨降ったり止んだり
    外   内
朝  21℃ 22℃

 時間予報では六時頃に一回止むという。
このまま世話を続ければ六時過ぎには止む。六時頃から始めるかこのまま続けるか。
親の水を替えている四時前には止んだので、上手い具合に行くかと思ったが、七時過ぎにまた降って来てしまった。時間予報が早目に進んで次の雲が来てしまったようだ。
 片腹対策をしたお陰で尾の狂いがメッキリ少なくなっていた。
腹形の治らないのは素質として撥ねられるが、これから尾でハネるのが大変そう。尾は様子を見るとして、まず長手から撥ねて行くようか。

 イトメがまた遅れると連絡が入った。
絶食を決め込んでいたが、あまり長い間絶食するとイジケてしまう。
仕方なく明日からは粒餌をやることにした。


心の起源を読んでの比較 110

 絶対的時空と相対的時空の存在までに口を挟もうと思うことはないが、経験されるものは相対的時空であり、絶対的時空はそこから抽出されたものとの考えは、やはり受け入れ難いものとなってしまう。
〔〕が学生時代の“ 時間を造形せよ”の時間の元は大いなる時間だが、それは絶対的時空を感じていたことが、ここでの思考で実感となってきた。そこでは十字架を借りて時間の波及を描いたが、その波及先はそれぞれの世界へそれぞれの時間となる暗示も実感できて来た。波及先の象徴を人間世界としパンにかたどったが、そのパンは生物の性(さが)を意味していた。
今にしてこの作品が間違えた方向でなかったことに、確信を得たような気がする。
 【】の方向はパンから時空が始まっている。
記憶を得た生物から小宇宙も大宇宙も始まっている。
これでは脳や記憶が絶対的存在になってしまう。
確かに、記憶を認識することには高度な脳が必要だろう。
生物自体が時空を認識すること自体驚異的なことになる。
その記憶の時空は生物それぞれになる。
すると、脳が発した時間を宇宙が記憶したとき、宇宙は相対的時空になるのだろうか。そのとき生物は絶対的時空となってしまうのだろうか。
 絶対的時空にニワトリとタマゴは存在しない。それはニワトリとタマゴが記憶した相対的時空に存在しているものだから、と、【】は言いたいのだろうか。

2009.07.02(Thu)  土佐錦魚TOP

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