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6月30日
 
雨のち曇りのち雨
    外   内
朝  21℃ 22℃

 既に鉢は溢れているのでよく降っていたようだ。
一時間早く起きる必要もなかったが、これからはこのペースで行って見よう。

 去年は親からやっていた。2時起きしていたから。体力のことを考えて今年は3時にしていたが、やはり2時が丁度良い。無駄がなく4時間から5時間で終わるかも知れない。その分朝寝で? 昨日はできなかったが。

 選別の集中で疲れて休憩に下りて来たら、出していないこと気が付きました。

 雨で始まった今日は昼間にうっすらとした日まで出て、雨用の水だったため魚が見えなくなるほど濁ってしまった。19時の点検ではその濁りもスッカリ透き通っていた。あの濁りはいったいどこへ行ってしまうのだろう。
明日も今日と同じ様とか。朝の雨が止んでから水換えか?朝起きてから考えよう。


心の起源を読んでの比較 108

 記憶の流れが時間をつくるのか、時間の流れが記憶をつくるのか、
どっちをとるかの前に、脳が発達して記憶が生まれなければできない時間なんて、くそくらえと思ってしまうのは、どうした訳だろうか。
高度に発達した物だけの記憶には、そうでない多くの生物が反発しているのではないだろうか。
これは思考の問題ではなく、肌に合うかの問題だろう。
神経的な問題ではなく、体液的な問題なんだろう。
すると、神経的に造った時間と体液的に造った時間の問題として置き換えることもできてしまうのか。
生時でも神経的時間をさしていれば神経が発達してからで当前となり、
生時でも体液的時間をさしていれば神経が発達する以前で当前となる。
どうやら【】と〔〕の見方の相違はこの辺りの立場にあるのかもしれない。
すると、記憶の流れが時間をつくるのか、時間の流れが記憶をつくるのか、の受け取る方も見方が定まれば決まってくる。

2009.06.30(Tue)  土佐錦魚TOP
6月29日
 
曇りのち晴れ
    外   内
朝  19℃ 20℃

 2日ほど蒸しながらも晴れ間輪見ることが出来たが、本格的な梅雨の始まりか。
 明け方前の予報は当てにならない季節。予報官も小忠実なチェックを求めていた。
今日は昨日とは逆で、先に親の水換えをして天気の様子を見ていたが、やはり、晴れ用の水へ変更。今はギラギラしている。
 明日からは親から換えることにした。いままでは3時に起きていたが2時に起きて暗いうちに親をして、明るくなる頃丸鉢にかかるようだ。世話が終わったら1時間朝寝をして睡眠を補うつもりだが、どうなるか。


心の起源を読んでの比較 107

P118【時間があたえられたとき、過去に感覚がおよんでいた範囲にまで広がりをもつことができた。それは此処という点に過ぎなかった位置が、彼処と言う広がりをもった「空間」に変貌したことを意味する。生物にとってはこれが空間の誕生にほかならない。】

 生物にとっての時間の誕生と生時は同義となり。生体内の自分の空間を手っ取り早く生空と呼べば、その生物独自のものとして何ら違和感はない。
問題はその成り立ちをどう見るかになってくる。
自分の好むと好まざるに関係なく時間に流されて行くものなのか。それとも、
脳の発達によって過去が認識できたから時間というものが造られてきたのか。
前者は、既に時空が存在する中に生物の時空が生物の誕生と同時に発生した。
後者は、既に時空が存在する上に生物の時空を生物の記憶が成立させるとした。
前者は、自分の脳細胞の記憶が喪失しても生時は流れ続け生空は存在し続ける。
後者は、自分の脳細胞の記憶が喪失すると生時は途切れて生空は収縮するのか。
生体独自の生の時空は生物が死を迎えるまで途切れることはないだろう。
喪失可能な記憶と生の時空との関連はそれほどの重要性をもっているのだろうか。
生物の記憶とはまず神経系に堆積するもので、神経系がその堆積を認識できなければ、時間が降り積っても認識できないことになる。生の時空とは神経系の認識で誕生するものなのだろうか。

2009.06.29(Mon)  土佐錦魚TOP
6月28日
 
曇りのち午後から雨
    外   内
朝  20℃ 22℃

 曇ってはいるが気持ちの良い南風が吹いて、夏を感じさせてくれる。
運がいいように今日も晴れマークがついてくれた。
 今日は作業をやめにして、選別をしなくては。

 世話が終わる前には気持ちの良い風はやみ、なんかひんやりして降ってもおかしくない雰囲気、晴れマークはお愛嬌かも知れないと、元水を曇り雨用にした。
降りて来て予報を見ると一転晴れマークが雨マークに変わっていた。例え晴れても大事はない水の濃さと思うが、午前中に水ができれば午後に降っても良いぐらいになっている。結果はどっちになるか。

 早く昼食を食べて12時から選別を始めていると、13時半にはポチポチきて、2時頃には選別がおっくうになるほど降って来た。カッパを着ていなかったので上着だけを着てキリを付けたが、ま、早く始めた分多くできたと思って止めてしまった。水の出来は朝少し濃いめにしたので十分なはず。
 雨降りは工事ができないので昨日までの工事は正解とすると、なかなか選別が進まない結果となった。

 強い雨と言うほどではないが、濁っていた丸鉢も夕方には透き通ってしまった。


心の起源を読んでの比較 106

P118【瞬間にのみ生きていた生物は、記憶によって初めて過去をもったからである。過去が堆積していくとは、そこに時間が降り積もることにほかならない。こうして記憶は「時間」を刻みはじめる。記憶の成立があってはじめて時間は流れはじめた。これが生物にとっての時間の誕生である。】

 生物にとっての時間の誕生とは、生物にとっての命の生命、生物にとっての心の生心と似ている。時空の二文字にもに象徴としての生の字をつけて、生時、生空と言ってもいいのかもしれない。
時は留まる物ではないから流れとして言うと、記憶の流れが時間をつくるのか、時間の流れが記憶をつくるのか、そのどちらを採用するかで、採用されなかった方は本末転倒ということになる。
 ここでも視点の方向性の違いがハッキリしてくる。
生物が自分で刻む時間を手っ取り早く生時と呼んでしまうと、
その生物が誕生したと同時に生時は誕生していて、それを記憶が刻むのか。
その生物が時を刻む記憶を成立させるまでは、生時の誕生はなかったのか。
根本的な前提に関わり、どちらを選ぶかでものの見方が反転してしまう。
 瞬間にのみ生きていた生物なんているのだろうか、生時はその生物独自の時間を刻んでいる。アメーバとゾウの時間の流れが違うように。
 仮にアメーバには記憶がないとしよう、【】もそう言いたいに違いない。
だが、それでもアメーバの時間は流れている。それをアメーバが認識していないだけだ。
それを言うと、人間以外に認識しているものはいないだろう。
人間にしても、それを意識しているものは少ないだろう。

2009.06.28(Sun)  土佐錦魚TOP
6月27日
 
晴れのち曇り
    外   内
朝  20℃ 22℃

 青みがかった明け方前の空に、懐かしいような星がポツリポツリ出ていた。
張り切って水換えを始めよう。

 晴れたら晴れたで丸鉢の苔が乾いてしまうのから忙しない。
ポンプは順調、出力は以前のと同じなので水の出方は変わりないが、音が静かになったことが有り難い。
 二歳親とも各鉢への割り振りが済んだので、水替えの夏用ができあがった。
後は選別して尾数を減らすだけ。

 イトメが来ないと言うことで、少ないうちにイトメ棚の上のタンクを造ってしまおうとやり始めてしまいました。
 倍ぐらい入る予定がボールタップの加減で半分ぐらいの水位しか溜まりませんが、とにかく日が入らないように密閉されて、保温ができて、そこへクーラーのホースを差し込んでみました。容量が20リッターほどなので、いままで冷えなかったクーラーが使えるようになるといいのですが、明日には結果が出るでしょう。。一つ気がかりは配水パイプの接着剤の乾きが中途半端なのに、乾くまで待ちきれず水を入れてしまったことです。後で失敗したと言わなくて済めばいいのですが。


心の起源を読んでの比較 105

 現在、生命維持装置や臓器移植が取りざたされ、脳死なんて言う新たな問題が出現し、死を並べ合ったり、どこに生と死の裂け目をつけるか討議する時代となり、意識させられることが多くなった。
 このとき取りざたされるのが、死にあたるご家族のお心は、、、。
臓器提供にあたる本人の意思は、家族の意志は、低年齢者の自己判断は、法律は。
 例え死に至ってもなお諦めきれない、認めたくない家族。
生命維持装置を外して臓器を提供するように勧める臓器移植推進側。
移植のために定められた脳死の説明が欠かせないものとなり、脳死の定義と検査と公平性がさらに求められている。
人間の都合で人間が定めた臓器を提供するための死が、数々の問題を残しながらもすでに歩き始めている。
 このとき臓器移植推進側は、患者の命を救いたいの一心もあるだろう。技術や研究を活かしたいの思いも。どうせ助からない命の臓器を新鮮な内に有効に使う分にはと言う、矛盾も解っているだろう。だから進めながらも話し合いをする。
臓器を提供してもらう本人や家族は、生きたい生かしたいの一途だろう。
臓器移植推進側は進む方向性を定めらている。
生と死の尊厳を重んじる脳死抑制側も、暴走させない思いが方向性となっている。宗教側も教義による方向性を持っている。
 心のはたらきは言うならば、脳をどの方向へ働かせるか、どの方向へ行動させるかの、脳や生体の行動の方向性に関与している。
臓器移植推進側は命が関与している。
生と死の尊厳を重んじる脳死抑制側は心が関与している。

2009.06.27(Sat)  土佐錦魚TOP
6月26日
 
曇りのち晴れたり曇ったり
    外   内
朝  20℃ 22℃

 星は見えないけれど何となく青みのある空。
陽射しがたくさん出てくれるといいのだが。

 日が出てくれていいのだが、蒸して餌を与える前に水が濁った鉢がでてきた。
鉢洗いをシッカリしなくては。
その水を使っている親も一日置き以上置けなくなってしまった。
いよいよ夏模様になってきた。
今まで詰め込んだりしていたが尾数を均等にして、水の汚れを均等にして規則的な水替えにしなくては。

 ポンプが来たときのために置き場所を決め、配管の計画も立てたし、購入部品も書き出したし、上手くいきますように。

 ポンプが昼に到着、早速糸目用から作業開始、複雑に入り組んだ配管を吟味しながら切断、接着、結構めんどうだったが三時半に終了。試運転も上々。
思ったより早くできたので,溜池からの配水用は案外早く終わるかもと5時に終了。いい気になって試運転してみると、一カ所切りっぱなしでキャッを忘れて、噴水のように溢れ出してしまった。慌てて電源を抜いて、水のコックを閉めて、キャップを接着。後は支障なく動いてくれた。新製品は音が静かで、今度の設置場所は野外なので案じていたが、ホッとしたところ。後片付けをしたら6時になってしまった。とにかく今日じゅうに終わったので、良しとしたところ。
明日の水換えが楽しみ。


心の起源を読んでの比較 104

 心の働く場も心そのものも脳の神経経路をいくら調べても出てこない。脳の分析がこんなに進んでいる昨今でも見つからない。
 それは、心臓死や脳死や呼吸停止を死の規範としていても、心臓や脳を調べても生命を見つけることができないことと同じだ。心臓や脳や呼吸や瞳孔は生を象徴して働く器官であって、命を保有したり命を生み出している訳ではない。
同じように思考や思いは心を象徴する働きであって、心そのものではない。
 思考に於いての心とは、昔から終始一貫したものとされていなかった。
かつて心は心臓と思われていた頃もあった。心臓の拍動によっても、心がときめく、つまる,おしつぶされる、みだれる、おちつく等思いが表現されて来た。
心が心臓や胸であった頃には思いが心の主役だった。
 思考や認知の研究が進むと心は脳へと移動し始めた。経験的歴史や言葉の引きずりがあるので、心は胸や心臓から抜け切れていないが、現在科学的には脳へ移行していると言える。だがそれは学問的体系の話しで、普段の生活には脳であろうと心臓であろうと、その場その場の表現にシックリと納まればそれで良いことになり、学者でさえ学問からはなれれば何気なくそうしているだろう。

2009.06.26(Fri)  土佐錦魚TOP
6月25日
 
曇り
    外   内
朝  22℃ 23℃

 このごろ、星を見た覚えがない。梅雨だから仕方ないかも知れないけれど、
晴れの予感で気を弾ませてほしい。

 雨の後の水換えは気を入れてやるので、ブッ続けで6時間かかってしまった。
一日分のエネルギーを使った感じ。産後の疲れが出てコトンと言ってしまうことがあるので、念を入れないと詰まらない思いをしてしまう。
 梅雨明けまで一月足らず、気を締めてかからないと。

 明日、予備のポンプが来ることになっています。
そこで新しい方と古い方と取り替えて、古い方を予備に回すことにしました。
糸目用の溜池からのも専用のポンプにして、2台が常時回ることになります。
 次の予定は、エアーポンプ2台は入れ替えてやはり古い方を予備に、糸目冷却用のポンプ1台は出力の高いのと入れ替え、排水用の水中ポンプ1台も追加するようで、他も次々に取り替えるようになってくるようです。この設備ももう十年過ぎていますから。


心の起源を読んでの比較 103

 睡眠はその過程が複雑な生物程必要欠かせないものとなっている。また複雑なものとなっている。睡眠は遺伝子とのやりとりをするためのものだからだ。
 胎児は母体で睡眠中に、遺伝子とのやりとりをしながら順序良く形成されて行く。産まれ落ちてからも間もないほど良く眠る。年寄りになるほど眠りを求められなくなる。
 歴史を見ても遺伝子は、途方もなく永い間体液系とのやりとりをしてきた。今さら新参者の神経系の入る余地を造ってはいなかった。神経系は体液系へのじれったさに、伝えきれなかった記憶や余ったエネルギーや自分との意志の葛藤で脳は混乱し、夢が吹き出してくる。夢は生心と同じで脳が働かないと意識に浮かんでこない。その働きが体液系に近い時には意識では理解できないものとなり、その働きが意識に近いと現実性が増してくる。
これは生心的な夢と言っていいだろう。
 睡眠中の胎児が発生、形成の過程で見る夢は、遺伝子の記録が記憶となって再現されるからだ。個々の細胞の主張であり、個々の生体の主張や存在感や歴史が日の目を見る機会となっている。

2009.06.25(Thu)  土佐錦魚TOP
6月24日
 
曇りのち雨のち曇りのち晴れ
    外   内
朝  23℃ 24℃

 じきに降り始めて7時頃から大雨になる予報。
それでもコツコツ世話するしかない。
選別ができなくなるのが心配。

 間際の時間予報はこんな難しい時期でも当たるようになっている。
明日の予報はコロコロ変わっている。
どうしても予報を参考にしてしまうが、難しい時期は時間予報が基準になる。

 止んでくれたので、午後から選別。


心の起源を読んでの比較 102

 体液系は細胞や細胞どうしを維持発展させてきた。
生の維持や発展を支えてきた。生体が複雑になって来てもその役割は変わっていない。それは体液系が生体を造るからだ。新しい組織を造ろうとするとまず血管が伸びて行く。血液を含む体液系が行動しなければ中枢系の働く場はできてこない。遺伝子からの伝達を最初に受けるのは体液系で、体液系の基本的働きを受けて中枢系はその場を得る。逆の流れも中枢系からの信号を直接遺伝子に作用させることは無く、間に体液系がたって遺伝子に伝える。脳の葛藤はこのとき最高となる。脳は意識、無意識の記号化した記憶を全て遺伝子へ伝えたがる。その記憶は生物の意識に汚染されている。生物の飽くなき欲求に満たされ溢れかえっている。体液系はその信号を選別するではなく、生命の根幹に照らしながら伝えている。それは体液系が神経系の忙しなさに対応しきれない能力的差が幸いしている。
2009.06.24(Wed)  土佐錦魚TOP
6月23日
 
雨のち曇りがち陽射し有り
    外   内
朝  23℃ 23℃

 冷たい雨なら心配をもっとするのだが、この暖かい雨ではどうなるのか、正直半信半疑。
 先日予防の薬が多くて失敗したのでそれ以来薬を使っていない。
健康はどっちの方向へ進むのだろうか。

 今日の鉢の振り割で大方の位置付けができた。
後はおいおい整えれば秋までの態勢となる。
少しづつ少しづつ、気持ちの余裕ができるようになるといいのがだ。
 天気予報が良い方へ変わってお日様マークが顔を出している。
好転することは歓迎できる水にはなっている。


心の起源を読んでの比較 101

P115【この関係を心の世界へ移してみるとどうであろう。心のはたらく「場」というなら、それは本来なら脳の神経経路を指さねばならないであろうが、残念ながらそれについては現在でもよくわかっていない。従って、この部分をブラックボックスにしたまま少し先へ出て、そのなかで情報が動きだしたあたりから検討をはじめるより仕方がないのはやや不本意ではあるが、ブラックボックスの解明は将来の問題とするほかない。これを生物界でいえば、ちょうど原初の核酸の構造を棚上げにして、それがはたらき出して自己触媒能があらわれるあたりから話しをはじめたことに似ている。原初の核酸の構造も現在のところのままである】

 心のはたらく「場」と原初の核酸の構造もブラックボックスのまま、それ以前には言及せず、その解明は将来の問題としている。解明できていないままでは語れないからその後から始めてしまうのだろうか。解明できていなくてもせめて仮説ぐらいには届いてほしい。ブラックボックスとかその後とかには自己顕示しない、いさぎよさを感じることもできるがやはり淋しさを歪めない。
 中枢神経系を象徴して場を脳の神経経路と言っているが、脳は外とのやりとりと、それにともなうために造られてきたたようなもので、原初には無かった。もともとの時には体液系がしていた。体液系では電気的な迅速で鋭くて大量の応答は望めなかった。電気系は外とのやりとりが忙しくなってきたので造られてきた。すると、内とのやりとりも複雑になってきたので、脳が重宝されるようになってきた。すると、電気的速さの思考ができるようになってきた。すると、それを心と勘違いするようになってきた。

2009.06.23(Tue)  土佐錦魚TOP
6月22日
 
曇りのち雨
    外   内
朝  23℃ 24℃

 夏のような最低水温になってきた。
だが、風もなく、薄日でも出たら蒸しそうな雰囲気だ。

 よく今日は降らない、そんな曇り。
明日も曇りだったが雨マークがついた。要するに何時降っても不思議のない天気が梅雨と言う訳だが、それに合わせる方は気を揉みっぱなし。大した事なくきているのは有り難い。
夏苔が大分生えて来ている。後一ヶ月足らず、梅雨明けまで気を保たねば。

 さあ、これから選別、と思った矢先にまた降って来た。
降らないことが不思議なような雲行きだったから、腹もたたない。
時間降水予報だと18時頃まで降るらしい。
う~ん、選別したかった。


心の起源を読んでの比較 100

 自然選択は、存在し続けていることそのものが適応して選択されたと見ることができる。強者はより強者になって存続力を高めるが協調性に欠ける。弱者は自然に適応し強者に対しても適応し、数を殖やしたり、身を守る術を身につけたりもする。
自然選択は、生物の対外的働きとなり、生物全体を対象としている。
 性選択は、大きく、強く、賢く、上手く、美しく、優しく、種の内を対象としている。その位置と作用は自然選択と心の選択の間にある。
心の選択は、賢明で共和的で個の集まりや社会性に関与している。

 以前、猿のボス争いの映像を見たことがある。
強く成長した若い猿がボス争奪に挑戦した。歳を重ねた現ボス猿はあっけなくまけてしまった。勝った方は、負けた老猿を追い出そうとする。と、雌達がかばいだした。争奪戦に勝った乱暴者の猿をボスの座には座らせまいとした。追い出されなかった老猿は再びボスへ返り咲いた。老猿はこれまでと同じく、思慮深く、優しく、賢く、群れ全体を守り、安定させることをしばらく続けた。
強く、我がままで、乱暴な猿は、争奪戦に勝ったが、ボスにはなれなかった。
そこには考慮された社会性と母性的生心とその心の働きがあった。

2009.06.22(Mon)  土佐錦魚TOP
6月21日
 
雨のち曇りまた雨
    外   内
朝  21℃ 21℃

 暖かい雨、昨日出来上がっていた水は、スッカリ透き通っている。
昼濁り朝透き通る夏のパターンがやってきた。

 この雨では選別もできやしない。
せっかくの雨だから骨休みをさせてもらおう。
 西の方では渇水だったからこんな雨がそっちでも降っていればいいのだが。
一度に降り過ぎて災害にならなければいいが、と心配するぐらい降っている。

 二才は曇りが付いていたので予防に薬をよく入れていたが、この間夜に入れた量が予防より治療量になっていたようだ。なんか少し多いなとは思っていたが、ヤッパリ。
魚の健康には良い方位へ働いたが、あの薬の副作用を書いていたようにその通りになってしまった。さびしい思いをしている。元気がいいか引き換えに淋しい思いがいいか。少しぐらい曇りが増えても痩せなければ、予防量を下回る方が良いと結論を出した。増して治療量を入れないように肝に銘じなければ。
 会員でも経験者がいるはずなので、同じ思いをしているだろう。
解っていてしてしまったほど嘆かわしいことは無い。


心の起源を読んでの比較 99

 ここに受精卵が誕生したとしよう。
そして、何らかの事情で温めてもらうことができなかったとする。
その事情が環境によるものであれ、事故や災害であれ、個別の限られたことであれ、誕生できなかったタマゴはなり行きとして淘汰されたことなる。
 すると、ダーウィン以来、何らかの理由で自然淘汰されたで片付けられてしまう。共通項が多ければ多いほどその可能性は高くなる。
だが淘汰される選択にはいろいろある。
自然選択、性選択、心の選択、他にもあるだろう。
何れも選択されたもの以外が淘汰されることになる。
自然選択で選ばれしものは、生命力、適応力や力ある者。
性選択は強さ、大きさ、象徴、栄え、優しさ、働き。
心の選択は優しさ、信望、共存、共栄、発展。

2009.06.21(Sun)  土佐錦魚TOP
6月20日
 
曇ったり晴れたり
    外   内
朝  19℃ 21℃

 明日からの雨をひかえて、貴重な今日の晴れに張り切って、水換えの始まり。

 今日ははたして晴れるのだろうか。
今まで見ていた予報が詳しくないので他の天気予報を見てみると、お日様マークは無く一日中曇り。気になる時にはいくつか見て参考にするようだ。
 魚が元気でいてくれるので、気を揉んでいるのは飼い主だけのよう。
と、書いた途端9時頃に日が出て来た。
このまま強くなることを望むがはたして。

 片腹対策一週目の鉢を掬ってみた。
期待していた通り、改善方向100%を示していた。
治り具合を解りやすくするため改善度%で言うと全体的には50%ほど。
確かこの鉢は片腹だけ入れてあったはずと、確認するほどの成果もあった。
酷い片腹も試すために残していたが、酷いと感じる魚はいなくなっていた。
後一週で、80%を確保できれば申し分無い。
 昨年これに挑戦した会員はことごとく失敗したようなので、みんなにもできるようにと時期や大きさを確認しながらの試行だったが、一応目安は示せるようだろう。だが、感覚的なところがかなりを占めているので、聞いた通りにやればできると言うものでもない。来月きた時に魚を見て、もう一度挑戦してみたくなった会員は、説明するので申し出て下さい。

 夜の空はなぜかぬけるように青い。
なかなかの南風に乗って白い雲が、まだ赤く染まっていない新宿の空を足早に通り過ぎて行く。
と言ってもまだ8時、点検済んで、これから歯を磨いて、おやすみなさい。


心の起源を読んでの比較 98

 ここでも、言わば自分の世界、中世界の必要性が浮かんでくる。
生心とはこの中世界に存在する。遺伝子を含めた自分の内と自分の環境として把握できる周りの生物に存在している。生物世界なくしては遺伝子が存在意義をもてないからだ。核酸の羅列が半分しかない無受精卵のように、物質世界においてただの核酸の羅列のようにしてしまうと、遺伝子から開けるであろう生命と生心と生体は共に意味を失ってしまう。
 自己複製を目的として造られた遺伝子は、発生するしないに関わらず、発生することを前提として造られている。発生させるさせないは他の条件に委ねている。だから、ジッと我慢していたり、発生できる条件を選んだり、仕組んだり、その条件で発生できる自分を造ったりしている。

2009.06.20(Sat)  土佐錦魚TOP
6月19日
 
曇り午後に陽射し有り
    外   内
朝  19℃ 21℃

 やっと3日間つづけてお日様マーク。
今日は張り切ってぴっかぴかの水換えを。

 お日様はなかなか出てくれません。
5時間かかってぴかぴかになった水は、お日様が出て来たらみんな吸収してしまおうと待ちかまえているのに。

 二才は晴れように与えた餌で腹をパンパンにして、ちょっと貫禄が出てきたような、どれが雄だか雌だか判りづらいぐらい。
 夕方の点検で与え過ぎで影響が出たかを見なくては。
それも気まぐれなお日様次第。

 3日間つづけてお日様マークは直ぐに2日に減って、その後に曇りが続いていたのが雨が並んで、今日も午後には晴れるでしょうになって、冴えないながらもやっと日を感じることができた。
魚はやはり食べ過ぎ、曇りが増えたような気がする。
さ、明日に期待。


心の起源を読んでの比較 97

 素直に考えても、物質であるタマゴを温めれば、その中で生きたニワトリが発生するとは釈然としない。受精して生きているタマゴを温めれば、その中から生きたニワトリが産まれてくると馴染んでいる。そこでは普通初めからタマゴを温めればヒヨコが産まれてくると言い、〔受精して生きている〕と〔その中から生きた〕を常識的前提として省いている。
 それは、ニワトリとタマゴが同じ生物世界に存在しているから、どっちが先かの対象になっている。タマゴが物質世界でニワトリが生命世界では端っから話しはできなかっただろう。
タマゴとニワトリの間には、裂け目があると言ってしまうことになりかねない。
遺伝子の形成は既に、情報化された生体が形成されていることの証ではないだろうか。この場合、生体がなければ遺伝子は複製されない。生体とは切っても切れない仲、それがニワトリとタマゴの例えではないだろうか。

2009.06.19(Fri)  土佐錦魚TOP
6月18日
 
曇り
    外   内
朝  19℃ 20℃

 やっと降らない日が来たかと思って寝たら、起きた時には降り終わっていた。
鉢が溢れるほどではなかったので、薬を入れなかったが影響は少ないだろう。

 低い灰色の雲の流れは早く、ときおりパラリと落としてはさってゆく。
この天気にも魚達はめげず、餌を欲しがってくれるのが救い。
 陽がいっこうに出ないでいるのに、二才に曇りが付いても、当歳もまるで影響ないように元気なのは、最低気温が下がらないためと感じている。
例年では梅雨冷えとでも言うのか、水温15℃以下に冷える日があるものだが。
こんな悩みも今期の関西ではまるで無いようだ。

 天気の優れぬ間に片腹対策をしてしまおうと手を付け出したが、いつもなら3.4列ぐらいは難なくできるのに、このところ体調のせいか一列がやっと。
とにかく、一回りしたところで最初の鉢を掬うのが楽しみ。
治りの方向か、効果なしの方向か、楽しみなところ。


心の起源を読んでの比較 96

それは、遺伝子はできたが働かない状態と言える。
これは、生物とは言えない状態となる。
それは、ニワトリの卵の無精卵、あるいは有精卵だが温めない状態と言える。
これは、自己複製能の発揮から後とは、発生が始まることと受け取れる。
それは、自己複製能の発揮から後とが、生物の始まりとなっている。
すると、タマゴは生物ではないので、ニワトリとタマゴはどっちが先、なんて言うせめぎ合いは成り立たなくなってしまう。
タマゴは、発生しない状態ときめつけないと物質にならない。
タマゴは、必ず発生する状態を前提とすることから、ニワトリとタマゴはどっちが先が成り立つ。
タマゴは、必ず発生する状態を前提として始まると、【】の言う裂け目は流動的になってしまう。
タマゴは、必ず発生する状態を前提とした場合、そこに生命の関与がうかがえる。
すると、タマゴが必ず発生する状態とは限らない場合、そこには生命の関与がないのか。
受精卵なら、発生する状態と発生しない状態が混在する訳だから、関与はあるだろうとうかがえる。
すると、受精がその境目になるのではないだろうか。
受精していれば、親があたためようと孵化器であたためようと発生する。
受精しているタマゴを物質として扱うのは、いささか乱暴ではないだろうか。
受精しているタマゴと受精していないタマゴを一緒くたにすることは、かなりの危うさを抱えてしまう。
裂け目を位置づけるなら、生命の関与が認められるこの場合、受精以前と受精以後との間となる。

2009.06.18(Thu)  土佐錦魚TOP
6月17日
 
曇り
    外   内
朝  18℃ 20℃

 今日までに似たような状況が3日目となった。
予報では2、3日降らないようだが。
 予報は変わって明日は降るよう。予報する人は大変な思いをしているだろう。

 昨日の蝶の食草のメールの隅を、いつものようにほじってみた。
可愛げのないことはしない方が無難なのに、せずに済まされない性格が自分でも嘆かわしい。
止せばいいのに下記致します。
 心の起源に生得的遺伝子と獲得的遺伝子とあった。
生得的は生まれつき、獲得的は産まれた後から。
蝶の成虫がその植物をこだわることは生得的で、その植物も生得的に組み込まれているなら遺伝子に必ずその情報がある。そして、早く見つかることを祈って祝福したい。
 祈っていながら皮肉な言い方で恐縮ですが、もし仮に、その植物にこだわる拘り方は生得的で、その植物が獲得的だったら遺伝子から見つけることができるだろうか。
 植物の化合物に反応する遺伝子は生得的として見つかるだろう。特定の化合物への反応が生得的に組み込まれているなら、植物も生得的と言える。
 その植物を誘発因子として獲得するとき刷り込まれるとしたら、その判別方法も誘発されるはずだから、遺伝子から見つけることはできないだろう。
 その植物に産みつけられ、その植物を食し、そのとき刷り込みが行われるとしたら、そして刷り込まれた植物に産みつける拘りが生得的遺伝子に組み込まれていれば、その植物がある限り繰り返しが行われるはず。


心の起源を読んでの比較 95

P114 【あえて分けてみるならば、自己複製能をもった核酸分子(つまり遺伝子)があらわれるところまでが「枠組み」の形式であり、自己複製能の発揮から後のことが「はたらきそのもの」のかかわる場面となると言う訳である。この位相の移行はきわめて微妙なものであって、そこに物質世界の裂け目があることを見過ごしてしまいがちであるが、もし生物世界のはじまりを求めるとするならば、その原点となるところはここにしか見いだせない。】

生物世界が開かれるべき場の「枠組み」は遺伝子の形成 
「はたらきそのもの」は複製と生体の形成
「枠組み」は物質世界   
「はたらきそのもの」は生物世界
物質世界と生物世界の裂け目が「枠組み」と「はたらきそのもの」との間。
と受けとめられる。
 生物世界のはじまりがこの裂け目を境としてしまうと、
自己複製能までは物質世界、〔タマゴ〕。
自己複製能の発揮から後が生物世界、〔ニワトリ〕となる。
これは分裂による複製、減数分裂の結合による複製が行われなければ生物とはならない訳で、自己複製能の発揮以前〔タマゴ〕では物質世界のままということになる。

2009.06.17(Wed)  土佐錦魚TOP
6月16日
 
曇り のち雨
    外   内
朝  18℃ 20℃

 気温、雨、昨日と似た状況、今日は昨日より降りやすいとか。

 二才の曇りがいくらか薄くなったような? 全部の魚の食欲はあいかわらず。

 2、3日前ビデオにとって置いた番組で、サケの回帰のことをやっていた。
サケの産卵後の死骸が動物の餌になったり、朽ちて植物に吸収されたりする度合いを、窒素の同位体を逐うことで、どのくらいどの辺りにまで影響しているかを調べていた。
 たくさんサケが朽ちた辺りは同位体が植物や動物に多く残っている。その動植物は成長が良く、周辺環境にかなりの影響を与えている。と言うような内容だった。
 その同位体は養分と共に水に含まれたり、苔に吸収されたり、水棲昆虫やその他動植物に存在していると推察できる。その同位体と同じように、サケを示すミネラルや化学物質がその川独特の相を作っていると感じたのが、サケの回帰、心の起源へと進んで行く切っ掛けだった。
 番組の同位体のことは、人間がミネラルと括っている未知のものの方向を、やはり示しているような気がする。

 今日、友人から来たメールはサケが母川を探ることと重なるイメージで、また刺激されてしまった。
 ここに載せても差し支えないと勝手に決めて、下記致します。
アゲハチョウやウラナミシジミのように幼虫が決まった植物しか食べない性質を狭食性という。
母親であるメス成虫が植物の種類を正確に見分けて産卵場所として選択することが次世代の生存を左右する。
色や形がよく似た植物をどうやって見分けるのか。
皆さんはチョウがその前脚で植物を叩く姿を見かけているだろう。
あの動作を「ドラミング」と呼ぶが、じつはこれでメス成虫は、産卵の直前に植物種を識別している。
識別の手がかりは植物に含まれている化合物の組み合わせ。
だが、それを判定しているときに働いている化合物の受容に関わる遺伝子群はまだ特定されていない。
研究者はそれを見付けることができれば、昆虫と植物の関わり合いについてより深く理解することが出来るだろうと考えている。
「産卵刺激物質の受容に関わる遺伝子群の解析」というのがその研究のタイトルだ。
昆虫と植物を結びつけている仕組みは徐々に解明されてきている。
現代のムシ博士たちはこうした研究をしている。

 予報のように16時頃には降り始めてしまった。
今日は2時に起きて2時半から始めたが、明日も同じ状況のよう。


心の起源を読んでの比較 94

 自分の視点なんてどんどん移り過ぎて行く、身の回りに完全を求めなくてもいいじゃないか。自分の視点から完全を求めれば、他の視点へ委ねようとしなくなる。
 感じただけでもいいじゃないか。そうすればなにか粋な遊び心に思えてくる。
人生がショウタイムに見えてくる。
 自己完全的に知識から答えを求めようとすれば、その唱えることのように、その完全さゆえに、消滅してしまうだろう。

P79でまとめられた 第2章心の原点をたずねる では、くい違いが明らかとなり、 第3章 「世界」とは何か では、懸念通り破局的形相になっている。
 おそらく【】の頑固者は既にいくばくか、いや、到達するところを感じているように思える。だがそれを口にした途端、学者のプライドを捨ることになり、その恐れが口を閉ざしていると察する。
第3章のまとめではそれが伝わってきてならない。
 第4章 こころのはたらく「場」では、当然、脳が登場してくる。
もう、淋しさとしか言いようがない。
熱もスッカリ冷めてしまい、かえって冷静に読むことが、やっとできるような気がする。

2009.06.16(Tue)  土佐錦魚TOP
6月15日
 
曇り のち雨
    外   内
朝  18℃ 20℃

 ザッと凄かった昨日の雨、降る前に薬を入れておいたが、明るくなったら元気で居るかがわかる。

 昨日は途中から調子が悪くなったが(人間)、みんなが帰る頃には幾分持ち直したと見えて、薬を入れることをしていた。
入れねばという無意識的なゆるやかな衝動がそうさせているのだろう。
 当歳の曇りは気にならないほどだが、今の元気さを維持しなければそれこそならない。
 二才の曇りは相変わらずだが、元気だけは失っていなかった。
曇りが気になり出してから太りが悪くなっているので、一瞬の油断も命取りになってしまう。
 試練の季節を実感。

 冷水器は凍結防止が働いているので、冷却しなくなったのではとアドバイスを頂き、昨晩は電源を切ってやすみ、今朝入れてみると一気に15℃まで冷えたが、今はまた常温の18℃まで上がっている。
 設定温度は以前のまま10℃、冷却が始まり15℃,13℃と冷えると凍結防止が働き、冷却しなくなっているのかも知れない。

 今日も降りそうな。二才はこれ以上曇らせたくない。今日も薬を入れながら、やがて一日の世話が終わろうとしている17時半近く、ポツポツ降って来た。
その後ザッと来てしまった。また明日の水換えが大変だ。


心の起源を読んでの比較 93

 これは自分からでしかものが見えないという視点と似ている。
物質世界に自分を投入してしまうと、物質世界からしかものを見ることしかできない。同じように生物世界に自分を置くと、生物世界の自分でしか見ることができない。
 【】では心の世界はまだ検討中のため、自分の居場所ができていないため、心の世界からは見ることが出来ていない。人間が本当の心の世界からものを見ることができればむしろ平和になるだろう。
そこには既に綿々と真理が示されているからだ。
 物質世界が偶然の重なりで生んだ心の世界、生物の脳が生んだ心の世界とは、なんとなく恐ろしげな予感がかゆみのようにまつわるりつく。そこからの自分はいったいどんな見方をするのだろう。恐いもの見たさもあるが、やはり見ることを拒みたくなってきた。
そんな心の世界は勘違いの産物のままで終わってほしくなってきた。

2009.06.15(Mon)  土佐錦魚TOP
6月14日
 
おぼろながら月が見えている曇り のち暗くなる頃雨
    外   内
朝  19℃ 22℃

 肌の雲りはとれないものの濃くなることはなく、これ以上調子を崩さないように努めています。
薄日も出て、魚たちは今日も産卵で忙しく困ったものです。


心の起源を読んでの比較 92

〔〕が逆の立場から始めるとするば、大いなるものを、大元の公理と仮定して、命も生のエネルギーも心も死も生体も大中小宇宙も波及した公理とするならば、もはや何の矛盾も生じなくなってしまう。
【】では、物質世界が大いなるものの変わりになっている。生物世界がその上に乗っかった階層になっている。入れ子になっている。
 これを、大きなものの中の秩序ある混在であって、相互に関連しているが、独立した平等な世界と解釈できないだろうか。でないと、
生物世界から見ると物質世界はただの物のようで下に見がちで、
物質世界から見ると生物世界は物質の産物のような物で、
心はそのまた産物のようで、
その上下関係は、今にも対立まで生まれてきそうな様相になってしまう。

2009.06.14(Sun)  土佐錦魚TOP
6月13日
 
曇り
    外   内
朝  18℃ 20℃

 冷水器は18℃に逆戻り、E2と言う記号が表示されているので、何か故障でもしているのかもしれない。

 二才が十数尾産んでしまい隔離していると、まるで雄雌分けしているようだ。
大潮と前の日が高温で次の日が適当に下がると産みやすくなる、この二つの要素は掴めるのだが、決定的な決め手が解らない。もしかすると決定的なことなどないのかもしれない。


心の起源を読んでの比較 91

 物質が細かくなったから偶然生物が生まれたような偶然がおこる物質世界。
偶然遺伝子ができたから生物が増え続ける物質世界の生命世界。
物質は元々細かいものなのだが、それまでは大きいものしか見えていなかった。それを、偶然科学が細かいものを発見した。複雑なものを偶然科学が発見した。
すると、細かくて複雑なものが自己増殖することを偶然科学が発見した。
すると、偶然科学はそれを必然とした。
すると、偶然科学は必然科学へ偶然なった。
 脳が認識している自己でさえ居場所を見いだすことができていない。例え隙間や裂け目でもいいから、生物界がシッカリ腰を据えるところから内と外を見据えないと、仮定を重ねることしか成し得ない。
 科学者は単に物質を理解しようとしている。そうすれば全てが解けるような脳の勘違いで。


2009.06.13(Sat)  土佐錦魚TOP
6月12日
 
夜明けには直ぐ晴れてしまいそうな薄い曇り のち雲の多い晴れ

    外   内
朝  18℃ 20℃

 さあ、念入りな水換えの始まり。

 やっぱりと、夜が明けてしばらくは青空と陽射しが出て良しっと思ったが、8時頃には曇ってしまった。
 今日は2歳2尾産んでいるのを見つけて隔離。
全部の魚が元気と言えるようになった。が、用心しての隔離。

 半分諦めていた冷水器がどうした訳か今朝になって冷え始めていた。
5℃にセットしても17℃以下には下がらなかったが、3日かかって、13℃になっていた。
15℃にセットしたら、今は16℃になっている。
さて?この先どうなるのだろう。

 希望を抱かせた冷水器は、はかなく19℃になっていた。
気温が上がると効かないようだ。能力の低さと受け取れる。
かなり見栄えの良い冷水器だが、多く見ても100リッターの容量も冷やすことができないのか?
 12℃に設定し直し。
これからの気候で最好冷えても15℃、気温が上がっても20℃を超えないでくれれば有り難いのだが。


心の起源を読んでの比較 90

 公理の絶対性は失われ、かえって理論の自由が保障されるという指摘もあるなら、定理はもっとあやふやなものとなりはしないか。
辞書を引いてみよう(公理=真なることを証明する必要のないほど自明の事柄であり、それを出発点として他の命題を証明する基本命題)
 普通定理は公理から導かれて証明されるものではなかっただろうか。
定理から導き出されたものはどうなるのだろう。
公理の絶対性に触れる必要はなく、理論の自由は保障されている。
公理の絶対性が失われては真なることが疑わしくなり、全てが成り立たなくなる。理論は自由だが証明する元に絶対性がないのなら、何を基本としたらいいのか。
 仮にある公理が覆されたとしよう。すると覆すことをするほどのものが取って代わる公理となるだろう。
 また、公理の用い方や解釈が変わったとするなら、それに対する新しい証明ができてのことだろう。
 絶対性が失われるほどの公理はいったい何時頃で来た公理なのだろう。

2009.06.12(Fri)  土佐錦魚TOP
6月11日
 
雨のち曇りのち晴れ
    外   内
朝  18℃ 20℃

 はじめて書き込むのにメールアドレスとパシワードを要求されて、いつもながら四苦八苦。やっとなんとか入れました。

2時頃雨音で目が覚めたが、この雨をやり過ごしてから水換えをすることにした。
昨日水換えで気を入れて苔の汚れを取っておいたが、吉と出るか凶となるか。
昨日の夕方、雨による急変の予防に薬を入れておいたが、どうなるか。
もうしばらくしたら様子を見ながら水換えを。

 全ての魚に異常なしだが、今夜も予防の薬を追加することにした。
明日はまた念入りな水換えになりそう。


心の起源を読んでの比較 89

P97【現在では、公理とは一つの理論の出発点となる仮定に過ぎないとされ、公理の絶対性は失われている。しかし、この方がかえって理論の自由が保障されるという指摘もある。】

〔〕の世界も捨てたものではない、
仮定である公理を元にしているのも、
信じる、感じるを元にしているのも、これでは大した差を感じられない。
むしろ、信じるの方が確信に満ちている。信じる元が責任を負ってくれるので自由気ままに言いたいことを素直に言っている。
なんかますます元気付けられている気がして来た。
 生物学では物質が縦横無尽に幅を利かせているため、物質世界が全てのようで、その上に生物世界が乗っかっているようで、その上に心の世界が乗っかっているような階層を描いている。

2009.06.11(Thu)  土佐錦魚TOP
6月10日
 
曇り
    外   内
朝  19℃ 21℃

 14日から晴れが続くよう。これでは梅雨入り宣言を出せなくなる。
冷水器は18℃を表示、実際温度17℃、こんなところで納まってしまったのだろう。操作ミスかもしれないが前期よりは増しな状態。このまま今期はすすめることにした。

 二才が一尾死んで一尾ふらふら、どうやら昨日卵を産んでいたもよう。
いままで放っておいても異常なかったので、気候や水等原因があるのだろう。
あの時薬を入れ忘れたのが尾を引いているのかもしれない。
とにかく当歳から順次水を一新することにした。

 とうとう関東からついでに以北まで梅雨入り宣言をした。
今日明日を逃すと当分できなくなるので、遅ればせと今やっておかなければとが一緒になったのか。前線もあるので気象庁としてはここが妥当なのかもしれない。
とにかく予報とは言え梅雨入り間もなく晴れ間が来ることは望ましい。


心の起源を読んでの比較 88

 こうなると世界とは、、、、自己中の世界。芸術の世界。生きる世界。死の世界。勝負の世界、世界一の世界。物質や生物の実存世界。心の世界。エネルギーの世界。無限の世界。宇宙。事象の世界。精神的世界。思考の世界。自我の世界。闇の世界。創造の世界。想像の世界。知らぬ世界。神仏の世界。時間の世界。
 世界とは一定の空間や領域。そしてそれの表現。
 世界を持っているのは。世界を認識しているのは。世界を意識しているのは。
世界を持つことは人間に限らずできている。むしろ人間以外は懸命にその世界で生きている。懸命でなくては生きていられないふしもある。
「人間は夢中になるものがある人は幸せ」なんて言うけど、多くの生物は生きること生殖することに夢中だ。夢中になるほど懸命に生きている。
 だが、世界を認識しているのは人間だけだろう。
持つことは無意識にできるが、認識してそれを意識して生きて行けるのは人間だけと言える。意識して生きて行けるが、意識していない人が大半のようだ。
 認識を心の学問としている。学んで意識した行動が心を活かすことになるだろう。どう活かすかが心の世界となる。心ある行動となる。

2009.06.10(Wed)  土佐錦魚TOP
6月 9日
 
曇り
    外   内
朝  17℃ 19℃

 冷水器は12℃を表示、実際水温は18℃。この辺りがこの機械の限界なのかもしれない。設置替えをしてみるようだ。

 今まで設置したのは糸目用の溜池、今度は糸目保存用の棚4段へ直接設置してみた。出力が小さいなら一番効率の良い所へと極端だが。
 今までのポンプだと糸目が踊ったり流れてしまうのではないかと懸念していたが、こんどの出量では流れるどころか踊りもしなかった。結局は丁度良かったということになり、1トン2トンの溜池ではまったく役に立たない訳だ。
 表示温度も1℃の誤差になったので、15℃にしたくて14℃に設定したら、17℃で運転を中止してしまった。そこで、現在10℃へ設定して様子を見ているところ。

 11時まで様子を見ても17℃のまま。
冷却能力がおかしくなっているのかもしれない。


心の起源を読んでの比較 87

P95 【あえて奇矯な言い方をすれば、そこは世界の裂け目となっているといえるかも知れない。】

〔〕は始めっから奇矯だから臆面もなく言ってしまえば、
外向的にいままで外へ外へと向かっていた世界を、外世界と訳し、
内包的に内へこもりはじめる世界を、内世界と訳して、
その境目を外と内との裂け目と訳す。
 その訳ありの裂け目あたりを、【】では分岐点になるとしているが、
〔〕で言う中世界と言うことになる。裂け目もかなり深い意味を持っている。
そこに生物界が存在しているのだから。
 分岐点と言うと範囲を狭く受け取れてしまうが、そこには自己があり、時間があり、空間があり、物質の世界、命の世界、心の世界があり、生物世界もある。
その裂け目を潜ってみると、かなりの深さと広がりををもっているはずだ。
 【】は、単に境目を言っている訳だからその通りだが、視点の違いはまるで違う範囲の世界となってしまう。

2009.06.09(Tue)  土佐錦魚TOP
6月 8日
 
曇りのち小雨降ったり止んだりのち曇り
    外   内
朝  18℃ 20℃

 冷水器が気になって起き抜けに再挑戦。
挑戦なんてことなく動き出した。が。
設定温度を大げさに10℃にしておくと、14℃と表示されたところで止まった、が、実際水温は20℃から19℃に下がっただけ。
そこで設定温度5℃にしてみたら再度動き出した。とにかく動き出してくれたので様子を見ることに。

 4時頃には降り出してしまった。
天気予報も忙しい。

 冷水器は今のところ、5℃に設定、現在水温13℃を示し、実際水温18℃より下がらない。冷水器からの水を直接計っても18どだった。
その程度の性能しかないのかもしれない。
設置場所、方法を考え直して、再度試すことになるだろう。

 関東以西は晴れている模様。
どうやらこの辺りだけ梅雨を思わせる気候のようだ。


心の起源を読んでの比較 86

 何か憤激している自分が馬鹿に見えてくるのが、世の中の流れなのだろうか。
何故かそう思わせてしまうのが権威なのだろうか。

P94頁【物質が原始、分子、高分子とつながって行く系列は、物質としての複雑さの増加であって、これは物質の階層がいわば外に向かって付加されていく過程であった。】
 
これをP95で【外向的、外延的】と言っている。
これは外宇宙、外世界と扱ってもよさそう。

P94の続き【これに対して、核酸分子が自己増殖能を獲得したところは少し違っている。いままで外へ外へと向かって世界は広がっていたのに、ここではまるで蚕がまゆをつくるように、内へこもりはじめる。】

これをP95で【内向的、内包的】と言っている。
これは内宇宙、内世界と扱って良さそう。
 もしそうすると〔〕が今まで言い続けていることと大して変わらなくなる。
【】と〔〕の双方がつべこべ言っていても結局は近づいて行くのだろうか。

2009.06.08(Mon)  土佐錦魚TOP
6月 7日
 
曇り 直ぐに快晴
    外   内
朝  18℃ 20℃

 夜でもハッキリ青い空と白い雲と分かれた晴れになりそうな曇り。
梅雨入り宣言前の晴れ間を味わえそう。

 明け方の雲の動きは速いとは感じていたが、60%ほどあった雲はあっという間になくなってしまい、明るくなる頃には晴れと言えるようになっていた。
途中から快晴用の水に変更。変則的で手間はかかったが嬉しい変更なのでささっとこなしていた。
 昨日二才へ薬を入れ忘れて、うっかりもスッカリもない、曇りが濃くなっている。今日の陽射しで抑えてくれるといいのだが。

 午前中に糸目用水池の冷水器の設置をしていたが、配管等設置はあっさり出来たものの運転がうまく行かない。通電すると26℃にセットしてあった。現在水温は20℃、これでは暖水になってしまうので、冷水にセットし直そうとしても言うことを聞いてくれない。昼食後もう一度挑戦。

 なにをバカなことをやっているのか、今度は設定温度31℃になってしまった。
どうにもならないので電源を切って明日朝再挑戦。


心の起源を読んでの比較 85

P93からP94【.....素粒子にはじまり、原子、分子、高分子とのつながり、それはさらに細胞へ連続的につながっているように見える.それは単に複雑さの度合いの増加であって、物質あっての生命であり、生物世界と物質世界は連続しているという主張は、十分に成り立つ。(中略)そこにあらわれてきた核酸分子がみずから存続すべく自己増殖の能力をもったことも、これも紛れもない事実で、自己増殖能の出現という偶然の事実を起点として、ここから生命現象という必然的展開がはじまっているということもできる。】

 こういうのを見解の不一致というのだろう。
このような発想が全科学者を網羅していないことに願いを託すのみ。
【自己増殖能の出現という偶然の事実】このようなことが偶然で片づくなら、科学者なんか要らない。少なからず学ぼうとして読み続けて来たことが馬鹿馬鹿しくなって来た。物質の複雑さの度合いの増加が生命をつくったかのような言い回しになっている。
【そこにあらわれてきた】これも偶然と同義ととることができるだろう。
【核酸分子がみずから存続すべく自己増殖の能力をもったことも、これも紛れもない事実で、】核酸分子が自己増殖の能力をもったことも紛れもない偶然の事実で、と読まざるを得なくなる。
複雑さが増加したり、物質が細かくなったから生命が偶然できたことになってしまう。
これが正論だとすれば、どんどん細かいものを発見している科学者は、いまに偶然生物を造る事ができてしまう。

2009.06.07(Sun)  土佐錦魚TOP
6月 6日
 
雨のち曇りのち薄日
    外   内
朝  17℃ 20℃

 雨が染み込まないようにシッカリとしたカッパで雨支度。
これからしばらく強く降ると言う。
どの辺まで替えるか、今日は明るくなるのを待って水の状態を確認しながらの作業になる。

 この雨の中二才は元気にまた数尾産んでいた。
元気を喜んでばかりはいられない。二才に曇りがついて来た模様。
この雨だから何時ついても仕方ないのだが、以前からうっすらしていた一鉢が濃くなって来た。明日から3日間陽が出るとか、その後の梅雨入り宣言までに治るよう薬を入れて置こう。

心の起源を読んでの比較 84

 生物の体の中の神秘に近づけば近づくほど内界となる。遺伝子を通り過ぎて行けばやがて大いなるものへ辿り着く。そこには大宇宙が眼前に広がり中宇宙とつながっている。
〔〕の信じは、その自分の中界から自身の体の内である小界へ自問し、小界からの自答が閃きや気づきとして中界へ浮かび上がってくる。〔自問自答の世界〕
【】の公理は、その自分の裂け目から科学という同じ裂け目の分野で自問し、自分からの他答、他答からの自分への受け入れとなる。それは個人の内で消化せずに【ところで、私たちは】と言うように複数の立場となる。自分が他に向けた問いや仮説が科学者世界から認められるか、他の科学者の説を受け入れるか、それが人間世界の公理になるかの、〔自問他答の世界〕として分けている。
 自問他答の世界では最も共通するものが定理とされる。
現在、心とはを、思考等にしていることは定理として成り立っている。
しかも一般に広く受け入れられている。

2009.06.06(Sat)  土佐錦魚TOP
6月 5日
 
曇りのち雨 降ったり止んだり
    外   内
朝  17℃ 20℃

 見回るともうバチャバチャ聞こえる。
夜中に産むのが本来なら、朝や昼に産むのはどうしてか?
まして、食後に産み出すのは偶然そうなったのか?

 六時過ぎにはポチポチ来て、でも小雨ほど。
これって少し前から梅雨入りしたんじゃない。
次の晴れは梅雨の晴れ間ということで通りそう。
気象庁は条件にこだわり過ぎ。
以前は条件が整うのを待っていたら、梅雨が無かったという年もあった。
 二才は少なくなって、気温が低くて、ぷくっと肥った。
 丸鉢も角鉢のも小さいのに追われているので数尾隔離。
小さいと逃げるのも追うのも上手なもんだ。

 雨が降って気がゆっくりしたのか、次の会の案内を投函。
銀行へも何ヶ月ぶりかの記帳、赤字にはなっていなくて、ほっ。
久しぶりの外歩き。


心の起源を読んでの比較 83

 時が勝手に過ぎて行く訳だから、老人になれば老人の見方でしか見ることはできず、もはや幼年の見方はいつのまにか過ぎ去ったものとなってしまう。
 自他を含めた時の流れで、自分が見ている範囲、見える範囲、感じる範囲、ある意味知る範囲を中界としている。
 自分の中のような見えず感ぜず届かない、自分よりごく細かい単位を内界。
 自分より外のごく大きな単位を外界としている。
そのごく大きな単位はごく細かい単位で成り立っている。生物は自分を含めて中界に入る。その中界は生物ごとに異なる。生物ごとの時間の流れと同じように。

2009.06.05(Fri)  土佐錦魚TOP
6月 4日
 
曇り
    外   内
朝  18℃ 20℃

 横にある天気予報の明日が一時雨になっているのに0%。
情報をまだ入れていないのか、けっこうあやふやなところがある。

 採る気の無い明け二歳が、毎日のように一尾二尾とびちゃびちゃやってた、
今日は四尾と多くなっている。大潮近し?

 横にある天気予報の明日がやはり変わっていた。
5時がその日の予報の変わり目なので、戸惑っていたのだろう。
この時期は大変そう。
けっこう便利にしているので、よろしくと言いたい。

 暑くなく、涼しくなく、清々しくないだけなので、のんびり二才の選別をしていた。
やっと仕上げる方と育てる方へ分けることが出来たが、半分に減らした丸鉢へはまだ許容量の倍入っている。と言うことは、いままで四倍入っていたことになる。
半分にしてもこれではおいそれと仕上げられないだろう。
梅雨明けまでにはまた半分に減らす試練が待っている。
 角鉢へ移した育てる方にも、この先いじってみたい魚が百尾ほどいるので、そんなことを言っていたら何時までたっても減らすことができない。


心の起源を読んでの比較 82

【】では、外界と内界だが、〔〕では前述のように外界と中界と内界としている。
中界が何故必要となったか、生物は自分が中心だからで自分でしかものを考えられない。ものを見ることができない。
 例えば、子供の時には子供の自分としてしか見えず、成年の時点の自分は成年でしか、老年になればその自分でしかない。見方を変えると、自分はいつも同じ自分という視点だが、時が勝手に移り行くようなもので、そこには自分の時と、それに付随する周りの時という別な時が存在することになる。自分の時と自分に共通するような時を感じ表すことはできるが、他の生物の時間は感じることも表すこともできていない。そこにはアメーバとゾウとで別の時が流れることとなる。
 人間はこんなに優れているのに、アメーバの気が解らない。ゾウの言葉も解らない。人間は人間の単位で理解している。人間は人間としてしか見ることが出来ないから。

2009.06.04(Thu)  土佐錦魚TOP
6月 3日
 
曇り
    外   内
朝  16℃ 20℃

 昨日は晴れ間だったのだろうか。
これからはそうなるのだろう。

 昨日は晴れように水を調節、今日もそのつもりでいた。
多分そうなるように希望していたのだろう。
今朝になって曇り用に変更。
降らないだけまだましというところか。


心の起源を読んでの比較 81

P86からP87【物質世界はビッグ.バンから始まったとされている。しかし、ビッグ.バンがなぜおこったかを他の事象から導いてくることはできないのであるから、これは前提された無証明命題であり、一種の公理であると言うほかない。...........(特異点)】
【しかし、いったんこの世界がはじまってしまうと、世界の基本要素をなす粒子があらわれ、さらにその素粒子を基礎に於いて原子や分子があらわれるというふうに、それら全体に階層構造をつくってゆく。..........(基本要素)】
【この基本要素のはたらきを規定する原理として物質とエネルギーの総和は不変であるという法則があり、(中略)これ以上さかのぼれないところに物質エネルギー不滅則がある。(中略)この法則もまた無証明命題であり、公理として良いであろう。.........(基本原理)】 (物質世界のなり立ち)

〔〕の感じからの信じも【】の科学の公理も似た経路で、共に無証明ではないか。
〔〕の信じと【】の公理は、何故か似た方向に思える。いつかは合致するのではと都合良く感じている。
公理とは公の理、おおやけを大いなる、ことわりをものとすれば全くと言ってもよい程に同じになってしまう。大いなるものを宇宙の智慧と言った人がいた、宇宙の真理と言った人もいた、宇宙の摂理や公理と言った人が混ざったにしても差し支えないないだろう。

2009.06.03(Wed)  土佐錦魚TOP
6月 2日
 
晴れ
    外   内
朝  15℃ 20℃

 五つよりいくらか多いい数少ない馴染みの星たちを、しみじみ見上げた。
少し冷えた空気がすがしく、良く陽を通してくれそうで、久しぶりの夏日を予感させる。

 この間流れて来た種がこの雨の間にすっかり張ってしまっている。
油断大敵だが、油断より判断ミスだ。
あの時腹を出しておくことがまだ早かったことになる。失敗。
ダメにしてしまった魚は謝ってハネるしかない。
 先日、会員が張りの良すぎる魚を見てくれと持って来た。
その魚への以前のアドバイスは、いい魚だから張りを抑えるように飼うことだったか。でも、努力むなしくそうなってしまったのなら、ハネるしかない。
いくら素質が良くても、そこの飼育環境がそう言う魚には向いていないのか、飼い方が向いていないのだろう。
 今期の稚魚分譲は前回会員全部が出来なかった張りの良い系統だ。
おそらく今回もだめだろう。

 心地良い陽射しの中、張らしてしまった種を一鉢選別してみた。
選面器へ入れてみるとよく泳ぎ、よく流す。
止まると張りを見せるがもう少し様子を見ることにした。
体はもう丸手を見せ、泳ぎの悪い事をうなずかせる。
この手は秋まで終始泳がせることに徹するようかもしれない。
 時期を見て泳がす鉢から作る鉢へ移そうと思っていたが、この分では移すことは考えない方がいいようだ。


心の起源を読んでの比較 80

 生物世界の次元を超えるのか、超えていないのかを、およそ生物学とは似つかわしくない世界という方向へ進んで行くようだ。それとも世界という言葉は最も科学らしい表現なのだろうか。
〔〕では、最初から身体と心とは次元が違う前提なので何の違和感もないのだが。、その心の捉え方が一般的に言われている心の感じとは違っているようだ。
〔身体=生体、心=生心、命=生命〕とすると同じ次元となる。
【身体=物質、心=思考、命=行動】とすると同じ次元となる。
【】では、物質から命が偶然産まれ、命ある身体の発達により心が生まれたことになる。物質と命と心は時系列的であっても同じ次元ではないだろうか。
物質世界、生命世界、心の世界は当然違っている。
それが生物になった時に、それぞれが別世界ではおかしいと感じないのだろうか。
【】では時系列的に、〔〕では同時にやって来る以前は命も心も異次元だが、生体に宿った時点で同次元になるのでは。
その同次元体が〔身体=生体、心=生心、命=生命〕=生物。
【】では生物として身体と命は同次元、心は生物から、中枢系から生まれて存在しているとしながら、それを超えた次元になってしまうのか。
生物学、生物世界と括っているが、生のことも命のことも死も心も、その原点とするところは証明できずにいる仮定にすぎない。だが、心だけは定義付けがなされている。

2009.06.02(Tue)  土佐錦魚TOP
6月 1日
 
雨のち曇りのち雨のち曇りのち晴れ
    外   内
朝  18℃ 20℃

 期待は朝から晴れてくれることだったが、あいにくまだ雨が残っていた。
高層ビル群の頭をおおう低い雨雲。
まだ朝ではないから、雨のうちに溜池二つを掃除しておいた。
これから2歳、親と水替えしているうちに雲がとれてくれれば。

 ビルを覆うような低い雲はどいて、どんよりした雲に替わった。
少し明るくなって来たので降らなくはなる感じ。
梅雨間近だからこんなものか。
 今期の水のやりくりが慣れたようで、大分落ち着いて来た。
疲れも例年より楽になっている。
 コツコツ行くようだ。

 11時前には陽射しが出てきた。
明るい中で選別が出来そう。

 と、思いきや15時前頃かまた一雨、また気が乗らなくなって中断。
やっと17時頃になって晴れ間が出てきた。
これでは予報を出す方も大変だろう。
 

心の起源を読んでの比較 79

P79【ところで、私たちはまだもう一つの課題を残している。心の世界が生物世界に生まれるとすると、それは自らの母胎である生物世界の次元を超えるのかが、まだわかっていない。つまり、世界とは何かという問題である。........】

 心の世界が生物世界に生まれるとする仮定。
 それらは自らの母胎である生物世界の次元を超えるのかとする疑問。
この疑問は、超える見通しのうえでの疑問提起と思える。
この仮定は、心の世界が生物世界に生まれる進展としているように思える。
心の世界が生物世界の次元を超えるようにもって行く必要性があるのだろうか。
生命世界と心の世界が同等では生物世界はやっていけないのだろうか。
心の世界が生物世界から生まれるとすることは、生物学からすると当前なのか。
心の世界が生物世界に宿る(生心が生体に宿る)としてはいけないのだろうか。
心の世界とは、これを問題とする前に心とはを少し詰めてみてはどうだろう。
中枢系(脳)の思考等の他には心とするところがないのだろうか、と。
生心には思考等も含むことが出来る。
それは個体ごとに存在する。
個体、個体に存在するほかにもっと統一的なものはないのだろうか。
個体の個が統一されているように。
それこそ世界と呼べるような。 

2009.06.01(Mon)  土佐錦魚TOP

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