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5月28日
 
曇り直ぐ雨
    外   内
朝  16℃ 20℃

 2時に目が覚めて、目覚ましを待たずに点検してみると、ポンプがうなりを上げて空回りしていた。イトメに水が行っていない。昨日は疲れて最後の点検をせずに寝てしまった罰。加熱していたポンプを冷やすと、幸いまた動いてくれた。
朝もはよから冷や汗もの、スッカリ目が覚めたが、気力の方はスッカリ疲れてしまった。

 5時過ぎには雨を含んだ風が吹いて来て、六時には屋根が濡れるようになり、
本降りへと移って行った。
 外の丸鉢の稚魚も親魚も元気なので、この三、四日を難なく過ごしてくれると願っている。

 雨のせいか、ポンプのせいか気が萎えてすっかり骨休め、疲労の咳も納まってきた。


心の起源を読んでの比較 75

 【みずからが宿っている個体は、やがて死すべきものであることを知るまでになる。】 個体としての死は、決定的な器官や多くが働けなくなると個体そのものの死となってしまうが、個体の内では古い細胞が死に新しい細胞と入れ替わる死と生が、日常として行われている。
 その生は、個体として営むうえで体内社会としての役割をはたすためのもの.
その死は、貢献の証のようなものとなり、役目を果たしたことを意味している。その生と死は自己内の必要性を決定し、どの自己が不要になったかを判断する免疫系の役割の一つとなっている。
 常に入れ替わっている細胞から言わせれば、今さら死を怖がって何になる。短いながらもその役割に徹して果たせば生きて来た甲斐があるもの。そして再度役割を果たすべく自己の出現をなすときは、受け継がれる生体の再発生をもって可能とする、その世代交代を約束する個体の死が前提になくて、その再生は行われない。
 それが個体の死へ至るとどうして心が怖がらなくてはならないのか。己の生命を維持し、全うしようと生命的本能が避けようとすることはもっともだが、世代交代の余生としても自己にこだわりをもっている。そのこだわりは心のなすところなのだろうか。にべもなく怖がるほど心とはそんなに軽々しいものなのか。身勝手なものなのか。それともそのような思いを持つ思考だだと、心もそうなってしまうのだろうか。

2009.05.28(Thu)  土佐錦魚TOP

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