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5月31日
 
曇り 十時過ぎに一雨 十四時過ぎにまた雨
    外   内
朝  18℃ 20℃

 もう5月もおしまい、毎日一日が終わるとホッとする時期。
昨日、午後から止んだので選別を始めると、水温が低かったのでかなり肥り気味。
今日からはダイエットを開始。

 ものの二、三分で食べ尽くし、後は物足りなくてうろうろしている。
昨日尾数を減らしたせいもあるのか、張りが強かった鉢は途端に納まってくれ、腹ので過ぎた鉢は泳ぎを取り戻してくれた。
まだ取り返しがついたと見える。この調子で様子を見るようだ。

 午後の選別をしていると、暗くて見づらい。
ただでさえ曇っているのに一面に暗くなっている。
これでは見えづらくて続けられない、と思っているとザーッと来た。
気、ふさぐ雨。


心の起源を読んでの比較 78

P78【....心の働きの原点に記憶の成立があり、ここから心の将来の発展が始まっているであろうという仮説を立てた。というのは、生物学的に辿ってみる限り、記憶以外のものを心の源流に見いだすことはできないように思うからである。】

【生物学的にたどってみる限り】とすれば、記憶に行き着くことは素晴らしく納得できる。これがこの本の【生物学からの挑戦】となっているのだから。だいたい私の持論を並べること事態がナンセンス極まりなく、揚げ足取りで大変な失礼をしている。謝意を述べて全てを帳消しにして戴けるように願うしかない。

 人間が理解できたとする身の回りの科学の仮定から心の神秘を解き明かそうとする試みは、人間ならば当然であり地表を調べて地球の内部を探るようなものだ。
〔〕の場合は出来もしない地球の内部をまず覗き、地球の中心を垣間見て、振り返って地表の広大な知識をあらためて得ようとしているようなものだ。
講釈師のようにあたかもものを言っている。

2009.05.31(Sun)  土佐錦魚TOP
5月30日
 
曇り 直ぐに雨 降ったり止んだり 午後から曇り
    外   内
朝  16℃ 19℃

 今のところ降っていない。
この間に世話をしてしまおうと思うが、今日はあまり降らないでほしいのが正直なところ。明日は雨水の入っていない当歳の水で親の水を替えてあげたい。

 やみ間の曇りは束の間。
じきにぽつぽつ降り始め、世話が終わる前に本降りになてしまった。
鉢の水位を1センチ程残しておいたが、もう溢れている。
それでも稚魚は成長ちゃんと成長してくれる。
鉢が黒くなって来た。
今日のやみ間か、明日からはせっせと選別しなくては。


心の起源を読んでの比較 77

【死すべき身体のなかに閉じ込められていることを知ってしまうのである。】
これは、死すべき身体が死を迎えれば、後に残される心があたかも死の恐怖にさらされることを暗示している。
 基本的な生心や生命に恐怖や迷いはない。
もし、そのようなものを感じるとすれば、身体の一部だった脳が象徴的な発達を遂げてしまったからだ。
そこで脳は自らを最上階層と勘違いするに至ってしまった。
 命や心は身体を死から守ることはしていない。死を寿命と捉え、全うすることをつとめとしている。それは生体の営みとともに機能に委託されている。死や生を察するその思考も生体の機能の一つであって、心はあくまでも間接的で回帰的な働きとなり、直接関与していない。
 物質の空間の生体が運命とされる病、事故、殺りく、寿命で死を迎えても、生体に存在しなくなるのみで、命も心も消滅しない。
〔自動的に一時帰還するか、他を選ぶか、託されて発生を遂げる生体へ継続的出現のかたちをとる〕
言い換えると〔生心も生命も一時元の心と命に帰属する〕だけだが、消滅すると感違いされやすい。
 だが、心の目的と生命の進めた到達点とが一致した時、生体は安寧な日常を得ることとなるだろう。

2009.05.30(Sat)  土佐錦魚TOP
5月29日
 

    外   内
朝  15℃ 19℃

 鉢の水は入れ替わったかのように透き通っている。

 強い雨を一頻りやり過ごしてスッカリ夜があけてからの水換えとなった。
それでも魚は元気で餌を欲しがってくれるので救われる。
もっとも朝食を遅らせたので腹ぺこなんだろう。
もう九時半、結局明け方ゆっくりすれば、人間の方も今頃朝食になってしまう。
ザッーと来る雨は断続的にまた降ってきた。

 これだけ降っているのに濁っている丸鉢がある。
雨が降っていてもこの時期は、二月の晴れているときと同じくらい紫外線があると言う。
水温も昼過ぎで、内19℃ 外19℃。
足掻いてもこの雨では致し方がない。


心の起源を読んでの比較 76

 本来なら、人間社会に貢献できて役割を果たす生き方ができれば、思い残すことはないはず、それができないのは、
社会にその価値がないから、
その価値を見いだせる社会ではないから、
個人が社会をどのようなものか把握できていないから、
個人の俄に捕らわれているから、
それを考えたり思うことが心と勘違いしているから。
心は自由になると勘違いしているから。
心とは己のものと勘違いしているから。(生心は己に存在するが)

 昔、お公家さんの血筋の遊び人の叔父さんから、
歳をとったら若い者を応援しなくては。
なるべく近所で買い物をするように。
お前はかたくていけない、もう少し遊びなさい。
あっちこっち連れて行ってもらったり、
こんな教えを頂いたことがあります。
当時は意味が解りませんでしたが、今にしてみると結構深い意味が含まれていたようです。

2009.05.29(Fri)  土佐錦魚TOP
5月28日
 
曇り直ぐ雨
    外   内
朝  16℃ 20℃

 2時に目が覚めて、目覚ましを待たずに点検してみると、ポンプがうなりを上げて空回りしていた。イトメに水が行っていない。昨日は疲れて最後の点検をせずに寝てしまった罰。加熱していたポンプを冷やすと、幸いまた動いてくれた。
朝もはよから冷や汗もの、スッカリ目が覚めたが、気力の方はスッカリ疲れてしまった。

 5時過ぎには雨を含んだ風が吹いて来て、六時には屋根が濡れるようになり、
本降りへと移って行った。
 外の丸鉢の稚魚も親魚も元気なので、この三、四日を難なく過ごしてくれると願っている。

 雨のせいか、ポンプのせいか気が萎えてすっかり骨休め、疲労の咳も納まってきた。


心の起源を読んでの比較 75

 【みずからが宿っている個体は、やがて死すべきものであることを知るまでになる。】 個体としての死は、決定的な器官や多くが働けなくなると個体そのものの死となってしまうが、個体の内では古い細胞が死に新しい細胞と入れ替わる死と生が、日常として行われている。
 その生は、個体として営むうえで体内社会としての役割をはたすためのもの.
その死は、貢献の証のようなものとなり、役目を果たしたことを意味している。その生と死は自己内の必要性を決定し、どの自己が不要になったかを判断する免疫系の役割の一つとなっている。
 常に入れ替わっている細胞から言わせれば、今さら死を怖がって何になる。短いながらもその役割に徹して果たせば生きて来た甲斐があるもの。そして再度役割を果たすべく自己の出現をなすときは、受け継がれる生体の再発生をもって可能とする、その世代交代を約束する個体の死が前提になくて、その再生は行われない。
 それが個体の死へ至るとどうして心が怖がらなくてはならないのか。己の生命を維持し、全うしようと生命的本能が避けようとすることはもっともだが、世代交代の余生としても自己にこだわりをもっている。そのこだわりは心のなすところなのだろうか。にべもなく怖がるほど心とはそんなに軽々しいものなのか。身勝手なものなのか。それともそのような思いを持つ思考だだと、心もそうなってしまうのだろうか。

2009.05.28(Thu)  土佐錦魚TOP
5月27日
 
晴れのち曇り
    外   内
朝  16℃ 20℃

 昨日は午後からはやはり泳いでくれました。が、目は完全に引っ込みません。
今朝はまだ見えませんが、多分もとに戻っているはずです。

 目も腹も戻っていました。
口の大きさへも影響は出ていないようです。


心の起源を読んでの比較 74

 【脳とは体細胞からできている器官】と認識していながら、脳は脳から生じた【心が発達するにつれて、みずからが宿っている個体は、やがて死すべきものであることを知るまでになる。】知ることができるものははたして心なのだろうか。【】は心として疑うこともないだろう。心は思考であり知識であるとしているから当前のこととなる。思考や知識からと言ってしまえば心としてあえて採り上げなくても済んでしまう。このことが心のはたらきによって自らの死を知ることになると言えるのだろうか。
 【脳とは体細胞からできている器官】とは〔〕の言う脳も臓物の一つにほかならないことを指している。その脳が自ら生じたとする心のはたらきによってほんろうされてしまうことは、臓物とすれば当前かもしれないが、その程度の思考は心でなくても脳で解決できるだろう。
 この場合、脳から生じた心のはたらきとするものは、脳のはたらきから生じた思いを表現した空間形容のようなもので、祈りの形容が十字架や仏像の偶像礼拝に進んで行くようなもので、脳が発達するにつれて得た機能によって心の働きをやたら形容するようになり、科学では【解決不可能な】象徴的存在となってしまっている。

2009.05.27(Wed)  土佐錦魚TOP
5月26日
 
晴れ
    外   内
朝  15℃ 20℃

 明け方の晴れた空に馴染みとなった五つ星。
今日は晴れだと輝いてくれる。
だけど、今日の月はどこかのビル影に隠れてしまったようだ。

 稚魚の尾が大分流れて来たので、今日は片腹対策で一回満腹にしてみることにした。
いつもはサッとなくなるのに今日はまだ余っている。
腹だけがパンパンに膨れて途端に桃尻。
さあ~て、どうなるか。

 やはり、泳がない。
午後からは泳いでくれるだろうが、まるで止まったままだ。
おまけに目が出ている。
ま、覚悟の上だから、明日からはまた小食。


心の起源を読んでの比較 73

 【心のはたらきは終結されるようにプログラムされていない。】ということは、
利己的命の働きが生体の受け継ぎ的存続をもかえりみていなかった、かつて死をプログラムのされていなかった「細胞としての命」の時代の後遺症のようなものだ。
生体の死に観念できない我がままな命の未練にすぎない問題が、心の問題としてすり替えられている。
 生体が生みだす心となれば、それも生体の一部と言える。
心は思考とするならそのジレンマは仕方のないところだろうが、脳あっての思考だから脳の機能が止まれば按ずることもなくなるだろう。
それとも、生体の産物でもオナラやふきだしのように、生体の死後も漂うのだろうか。
【脳のなかに生じた心のはたらきは】を
〔脳のなかに生じた機能は心のはたらきを表現するまでに至った。〕とすれば、
なにか人間も動物らしい趣きがでてくるようで、数多の生物と仲良くできそうな気になるのではないだろうか?

2009.05.26(Tue)  土佐錦魚TOP
5月25日
 
曇り 昼頃から晴れ
    外   内
朝  16℃ 20℃

 星も月も見えていないが雲もないかように全体に薄青い。
星も月も見えていなければヤッパリ曇りだった。
夜明け近くは青みがさすのかも知れない。
 今日から丸鉢も親鉢も全部毎日水換えにしたので、5時間以上になってしまった。
毎年のことだが、今期は糸目水の確保に慣れたのか、いら立ったりガッカリすることがなくなった。


心の起源を読んでの比較 72

【心のはたらきは終結されるようにプログラムされていない。】
【心が不死であり続けようとする】ということは、生体が死を迎えても心の働きだけ残るということだろうか。それとも心が生体の死を知ってあえぐことだろうか。しかも【死すべき身体のなかに閉じ込められていることを知ってしまう】訳だから、閉じ込めている身体が死に侵されたとき、その断末魔はいかほどなものか。それこそ心残りになってしまう。
終結することのない心のはたらきが生体の死以後そこらでうろちょろしていたら、「死にたくない、死にたくないよう、どうしたらいいんだ」と、幽霊みたいのが溢れ出して邪魔でしょうがなくなる。生心の働きは生命と同様、生体の死として物質に存在しない状態となった時は、〔自動的に一時帰還するか、他を選ぶか、託されて発生を遂げる生体へ継続的出現のかたちをとる〕方が、邪魔にならず保存と巡りが円滑に成り立って行く。

2009.05.25(Mon)  土佐錦魚TOP
5月24日
 
曇りときどき雨
    外   内
朝  18℃ 21℃

 きょうから糸目用の水の確保がまずの作業となった。
今までは丸鉢の水替えが先だったが、今日からは親が先になる。

 七時頃には降り出した。
曇りのち雨が時々雨に変わっている。
今日明日は骨休めになりそう。

 ゆっくりしていると何故か落ち着かない。
そこでかねがね言われていた二才の選別をすることにした。
これで、いらない魚と、種魚用、楽しむ魚とほぼ半数に分けられた。
いらない魚は早々にいなくなる。
残った魚から会員が持って行くので、残るのは数十尾か。
この間からばちゃばちゃ産んでいるので、来期は小さいながらも参加してくれるはず。
可愛いいのがいっぱいいて期待を持ってしまう。


心の起源を読んでの比較 71

 【みずからが宿っている】 心が、宿っている、という言い方をしている。
しかも、みずからとなると、果たして【】は心を脳の製造物という意識で言っているのだろうか。
脳が自ら生じさせたとする心は一端独立してから、子供が里帰りするかのように再び宿っているのだろうか。脳と心はまったく別物という意識がどこかに隠れている無意識にあるから、宿るとうい言葉が自然に出てきてしまうのではないだろうか。脳が生じさせ脳細胞の間に混在しているという意識であるなら、宿るとは言わないだろう。寄生しているとも表された心に、どこからかやって来たような雰囲気を違和感なく抱いているから、自然と宿るとゆいう言い方をしたのだろう。

2009.05.24(Sun)  土佐錦魚TOP
5月23日
 
曇り時々晴れ
    外   内
朝  19℃ 21℃

 朝のうち肌に感じるような霧雨。
このぐらい水温があると楽になる。

 今日今期初めてのイトメが来る。
置き場の整備をしなくては。

 棚の糸目入れ4段を清掃、勾配を調整、新しくして使わないつもりで下ろしてあった水を溜めておく容器をまた設置、これもサボっていた報い。
 糸目洗いの水道蛇口が具合が悪い、急遽取り替え、あっちもこっちも試しに流してみて良し、自動水位フロートを調整、ポンプとの連動良し、とりあえず完了したところでおりよくイトメが到着、やれやれ。
ちゃらちゃらと少し涼しげな水音がし始めると、いよいよ丸鉢シーズン到来。
 三時からぶっ続けでやっているともう一日分働いたようだ。

 心の起源を読んでの比較を出したつもりがスッカリ忘れていました。


心の起源を読んでの比較 70

P72【いまここで問題となるのは、脳とは体細胞からできている器官であってみれば、脳は必ず死を迎えるべき運命にあるにもかかわらず、脳のなかに生じた心のはたらきは、それがある時点で終結するようにはプログラムされていないことである。それどころか、心が発達するにつれて、みずからが宿っている個体は、やがて死すべきものであることを知るまでになる。つまり、不死でありつづけようとする心が、死すべき身体のなかに閉じ込められていることを知ってしまうのである。(段落) これは不合理であって、しかも解決不可能な問題である。.......】

 やはり勘違いしやすいことがここに表れてきているのではないだろうか。
脳と言うものが自身を知り運命まで承知していながら、脳はとうとう自身の製造物である心を、死よりも命よりも高らかに祭り上げてしまった。
 人間の死は恐怖を渦巻き、病に忍び、老いを従え、生に拘り、殺を選び、眼前で学び、記憶に重なり、知識として伝えることもできる。
その衝動や思いや知識が「心」として不死であり続けようとするのだろうか。

2009.05.23(Sat)  土佐錦魚TOP
5月22日
 
曇り
    外   内
朝  17℃ 20℃

 空模様を見上げると頬にポツンときた。
予報ではこれから朝のうち降ると言っている。

 雨はぱらぱらだった。さあ、雨の降らぬうち選別。

 晴れ間が出てきた。降るのは夜らしい。
快適に選別が進み、一段落。
余裕でお茶でも飲むか。

 余裕なんてありっこない。
結局することを忘れているから暇ができる。そのかわり後が大変。
ブラインシュリンプのセットを忘れていて、いざしようと思ったら塩水を作りわすれていたのを思い出す。慌てた分余計に疲れた感じ。


心の起源を読んでの比較 69

 クローン生物の遺伝子に問題ありは自明の理だが、所詮遺伝子も物質とするなら、この問題の過去を回帰させる化学物質解明が智慧の糸口となるやも知れぬ。 クローン生物の統一された過去の遺伝子に納得してもらっていないからだ。納得はされないかも知れないが活躍していた時代を経て存在の意義を認め、進化し統一された自己のためには廃絶されて止む無しと、過去の自己を基礎的に経たものとしてを造った後、再び日の目を見ることを約束されて遺伝子に納まることをしている。
クローンは過去のその承諾、基礎造りを得ずして現在に至っている。
過去の基礎を得ていないためその分の寿命と機能を得ていない。
 クローン生物の過去に戻り、そこで過去の承諾を得ることができれば、過去の自己による反発を受けることなく、その分の寿命を得ることができるだろう。

2009.05.22(Fri)  土佐錦魚TOP
5月21日
 
晴れのち曇り 風が強くなる
    外   内
朝  17℃ 21℃

 一等星というのだろうか、本当に明るい三つだけ。
直ぐに新宿の空の赤みがますと、星は消え三日月だけがおぼろげに照っていた。

 昨日調子にのり過ぎたようだ。
目覚めの疲れたるやその報い。
とにかく今日頑張って、天気が下り坂の明日から3日間は調子にのるのを抑えることに。

 全鉢水換えが、しかも昨日水換えの印をつけておいた鉢ごとに違う調整にも関らず、5時間たらずであっさり終わってしまった。
この調子の良さはこわいぐらい。
明日からは気をつけなくては。

 今日孵化した鉢はかなりいたはずなのに、どう見ても少ない。
おかしい、?
何気なく鉢全体を眺めたら、一番大きい口の稚魚が一尾、しかもハネ魚。
どうして入ったかが皆目見当がつかないので、いつ入ったかも解らない。
孵化したての御馳走を満喫したに違いない。
魚に申し訳なく、ちょっとがっかりだが、自分でした失敗。
これからはハネの扱いにも気を配らなくては。


心の起源を読んでの比較 68

P71【それは「細胞としての生命」と「(多細胞生物)個体としての生命」とが、同じく「生命」の名でよばれていても、じつは大きな違いがあることから生じてくる。その違いの最大のものは、「個体としての生命」には「細胞としての生命」の時代にはなかった「死」があらわれてくることだろう。】中略
【多細胞生物の個体がつくられるや否や突如として死があらわれる。なぜかと問われても、そのように個体がつくられたとしかいいようがない。云々.......】

 昔会報へバクテリアの増殖に何の妨げがなければ、あれよあれよと地球程のものは埋め尽くされてしまう。のように書いた覚えがある。
 例えば、地球程に増えたそのような生物にまた何の妨げもなければ、宇宙はまたたく間に埋め尽くされてしまう。
 もしかしたら、大いなる試行がここで一度チョンボと判断したら、かわいいところもあるのだが。
 あわただしくもおごそかに、保存や巡りや遺伝子と言う仲介者を仕立てた。か、。
そんなことはわかり切ってただの過程としていたか。
だから、廃棄物というエネルギーの放出による制限を用意していたのか。
ウイルスと宿主
胞子と粘菌
分裂と結合
遺伝子と生体
タマゴとニワトリ

2009.05.21(Thu)  土佐錦魚TOP
5月20日
 
晴れ
    外   内
朝  15℃ 20℃

 星が五つ見えた。
南東のビルの横に一際明るい一つ。
見上げると四つ。
雲は見あたらない、今日は本当に晴れそう。

 水換えは順調、今日はまともな朝食をとれそう。

 今日は三時起きだから星の数がほんの少し、二時起きだともう少し見える。
明け方は一時間で暗さが違うのだろうか。四時近いと二つぐらいしか見えかかった。
 選別が順調で予定より進みそう。頑張れる時に頑張っておこう。

 もしかしたらあそこまで行けるか、の、ところまで行けた。
順調だと気分がいい。
 5月の初旬に200尾から丸鉢へ出して、16日の時にはほぼ百尾。
昨日で80尾前後にできて、今日から60尾前後へと二鉢始められた。
こんな天気ばかりなら。


心の起源を読んでの比較 67

 人間が仮に科学の発展のあげく、機械的な構造物にも同様な階層物を造り上げたとしたら、心もその過程で発生し、階層と同様のこころを自動的に所持していることになりはしないか。
そして、その科学と科学者はもはや大いなるものとなるのだろうか。
それは、命をも創造しているにちがいない。
とすれば、何も生物の発展の過程に心を探り出すまでもなく、物の細かさの追究から偶然に命を創り、その発展を待たずして心も創造できているはずではないだろうか。
それとも、核酸の羅列や記号や数字によって生み出せるものではないのだろうか。
本の方向的結論の心は、物質とその動きから生み出されているとする科学の枠に捕らわれているに過ぎない。命の創造を解らぬと言いながら、想像する科学と同義になりはしないか。
それとも、クローンによる生体の複製は大いなる科学の過程として、核酸の羅列の創造に命を与える方が手っ取り早い時代を予感させているのだろうか。

2009.05.20(Wed)  土佐錦魚TOP
5月19日
 
曇り 朝のうち晴れ間
    外   内
朝  16℃ 21℃

 16℃あるようになれば3時起きで大分楽になる。
丸鉢の水替えも無事すんだし、今日も天気のように快適になりそう。

 期待したより晴れてくれない。
ま、暑くなく選別をやってられるが。

 もう六時だって言うのに今頃陽が射してきた。
六時になるとやっと落ち着く。今日も忙しなかった。
今日の夜は降るようなことを言っている。
夜や朝降る記憶は、産卵と結びつくことが多い。


心の起源を読んでの比較 66

 【本能行動から意志行動に至るまでの変遷で、】
本能行動が生命の根本的働きとなり、意志行動が心の根本的働きとなることは確かだ。ところが、その意志を心としてしまうと早合点すぎることになる。
 心は本能的や自然淘汰的な強者や環境への適応力のような、生命力一途なものとは違う秩序的で抑制的な行動をもたらす。意志行動であればすべて心に該当する訳ではない。
 記憶が意志行動の成立に関与していることは理解できる。
だが、【従来の受け身一方の機械的な体制】とはどのようなことを言うのだろうか。たとえば、アメーバが障害にぶつかると仮足をためらったり、明らかに避ける行動をする。これを反射的とか機械的とか言うようだが、きわめて単純にせよこれも一つの意志といえるのではないだろうか。
 人間も何かでドキッとすることがある。これも反射的に思えるのだが。気持ちの反射は心で、身体的反射は機械的なのだろうか。
 反射の後の行動は気持ち的でも身体的にしても、意志や考えや思いが働き、一定の意志を持って行っているのではないだろうか。
 アメーバには思考が見られなくても、生命の根源的意志が働いていると思える。

2009.05.19(Tue)  土佐錦魚TOP
5月18日
 
晴れ(午前2時ー晴れのようで白い雲が動いていない)
    外   内
朝  20℃ 20℃

 驚いたことに夜の方が上がっていた。
風が止んで内と外が同じになっている。
こんなことは初めての経験。
これで昼間陽が照れば暑くなるだろう。
全ての池の水換えをしなくては。
とりあえず、その気で3時まで30分休むことにする。

 親の餌やりまで気分良く終了。
これから直ぐに選別をやりたいところだが、急く気を抑えて朝食と十時のおやつを。
今日は選別日和になりそう。

 15鉢できた。
天気はいいし数を減らしたせいもあって、泳ぎの悪い種も丸鉢泳ぎを始めてくれた。
これでなんとか張り過ぎをくい止めることができそうな泳ぎ。
 元水を洗面器一杯にしてみたが、午後には濁り過ぎてしまった。
明日は念入りに掃除して元水を減らしてみよう。


心の起源を読んでの比較 65

P69【本能行動から意志行動に至るまでの変遷で、もっとも顕著であったことは「記憶」の成立であった。記憶が成立した瞬間に、従来の受け身一方の機械的な体制から脱却し、行動の自発性と能動性を獲得したとすれば、まさにその時点で、みずからのなかにいままでなかった何ものかを生ぜしめたと考えられる。これは心のはじまりと見なしてよいものであろう。】

 ここにハッキリとしたこの本の方向的結論をみることができた。
この後は詳しい見直しのようになって行くようだ。
 この心のはじまりは原始生物にはないようにも、植物には心の存在が無いか少ないようにも感じられ、人間のような動物には多いように受けとれてしまう。心の量を計り、これも階層をなす一つとして捉えるのだろう。確かに現在人間はその階層の頂点と認められる。人間は進化を生体の内のみでなくその外にまで求め出し、知識的、機械的な進化をも加えだした。外のみならず生体の内へもその神秘を理解せぬままに手をだし始めた。神秘は理解できないまでも、神秘の意味を感じぬままに手を加え出した。その頂点の階層は危険性をも共に頂点としてしまっている。

2009.05.18(Mon)  土佐錦魚TOP
5月17日
 
雨 日中やみ間
    外   内
朝  15℃ 20℃

 昨日は降らなくて良かった。

昨日の予報では多い時間帯で1.5ミリほどだったが、ザーとくると直ぐ丸鉢が溢れ出した。
 昼18℃を保ってくれればいいのだが、おそらく大丈夫だろう。
この雨では丸鉢の選別はしないようだ。おかげで昨日の疲れがとれそう。

 雨のやみ間、11時で19℃、これでなんとかなるだろう。
餌の量に気をつけなくては。

 14時半でも19℃。
ちょっと雨が止むと、やんでいるうちに少しでも選別を進めておこうか、なんて気が起きてくるから休まらない。それをたしなめるように南風が勢い良く吹いてくれている。水面が波立ち魚を掬うどころではない。風にあおられてよろけることもあった。
 動かなければ疲労の咳も出ない。
でも落ち着かない。
いっそ寝っ転がっていようか。


心の起源を読んでの比較 64

P61【本能行動のプログラムの内容は生得的にあらかじめ刻印されており、】

 この刻印とは遺伝子に組み込まれていると受けとれるが、どうも遺伝子より一歩手前のような感じも受け取れる。それは遺伝子が脳を一つの出先機関としているせいだろうか。
 母川の刻印は獲得的(後天的)で、記憶に空白記憶、条件記憶を用意し未来の記憶として準備し、獲得したものを埋め込む、と受けとれたがこれもストンと腑に落ちることはなかった。推論全体には敬意をもって受け止めているが、どうも空白の記憶、未来の記憶という表現に引っかかてしまう。
【】としては、生得的な空白の記憶は未来の記憶である獲得的記憶で埋める。
となるのだろうか。あるいは、
【】生得的な未来の記憶は空白の記憶を獲得的記憶で埋める。となるのか。
〔〕ならば、生得的な鍵穴をもつ遺伝子は鍵(誘発因子)を獲得して解発する。
となる。あるいは、
〔〕脳が鍵となる現象を認知した時(誘発因子)、生得的遺伝子は解発する。
 私は表現が解りづらいという指摘を有り難くいただくが、その受け皿をもってしても混乱してしまったと見える。それは自分の知識や経験がこの推論に追いついていないか、視点が違うからだろう。
 生体や中枢や機能の発達の過程の知識は私の及ぶべくもなく、ただ読み進めさせて頂くだけにする。

2009.05.17(Sun)  土佐錦魚TOP
5月16日
 
曇り ときおり霧雨
    外   内
朝  13℃ 20℃

 冷たいけれど弱い南風、どうやらこれに救われたようだ。
横になっている稚魚もいないはず、点検をせずに始める。
バケツ運びも一回ですみそう。

 やっと一息。
これから朝食にするか、10時のおやつにするか。
とにかく食べなくては。


 今日のテーマは、楽して広がりを待つ種と、
         苦労して広がりを抑える種でした。

苦労する方は、出来上がった魚には冴えがある。
自分の意図を魚をに見ることができる。
平付けが良く、金座が大きく、迫り出しに迫力がある。
丸手で泳ぎが悪いので、うっかりしていると直ぐハネになりやすい。
苦労が多く一般的に種にしたがらない。

楽な方は、放っといても良く泳ぐ、
世話していれば、魚なりに良くなってくれる。
張り過ぎでハネる割合が少ない。
中手、長手の可能性が多い。
一般的に標準的種とされている。

実際の魚で説明をすると解っていただけたと思います。


心の起源を読んでの比較 63

P64に刷り込みのこともサケの回帰の事も軽く書いてありました。
【もし、幼魚を別の川へ放流すれば、放流された川へ遡行してくる。つまり、母川へ遡行してくるための刺激は生得的でなく後天的に刻印されていることになる】

 科学者が端的に言っているので証明済みの言として受け取ることがで来ます。
サケの件はこの本を読む切っ掛けをくれたが、やはり知識を得てからものを言うことは大切だったと思い知らされ、すっかりガックリきてしまいました。
 後天的に刻印されることまでは疑問の余地はない。だが、刻印させるものは何か、刻印する時期はいつかまでは触れていない。残念でならない。一例ではなくそこまで明確に示されていれば、そしてこの本を以前に読んでいれば、その先への疑念は浮かばなく、あんなにつべこべ言う必要はなかった。
 北海道のサケの幼魚を遠い九州の放流で試したのだろうか。回帰どころか生存も危ういだろう。いくら本の言を信用するにしても、馬鹿げている放流は当然試してないだろう。放流は今遡上している辺りの川に限るのだろうか。そのあたりは学問とするならば自明の常識なのだろう。

2009.05.16(Sat)  土佐錦魚TOP
5月15日
 
晴れ
    外   内
朝   8℃ 18℃

 星がちらほら見え、月が冴える冬のような冷え方。
2時に起きて、8℃から12℃まで上げるのに、熱湯9リターのバケツを屋上まで14往復、約一時間、汗びっしょり。
 北風ぴゅーぴゅー、すぐ下がるだろうからもう一度、白々してくる4時過ぎにもう一度、14往復しなくては。

 今日は既に死亡していた稚魚が4尾いた。
傾いていたのが数尾。
朝まで放っておいたらさらに増えていただろう。
この体制を日曜まで続けるようか。

 午後3時頃にガックリ疲れが出た。
スゴいだるさだ。
9キロのバケツを持って階段を登っているのだから当前。
3時で12時間労働だから順当なところか。
3時からの選別を止めて、休憩。
少し大人になってきたか。


心の起源を読んでの比較 62

P51から 【記憶の成立】
【】では、神経系の発達が記憶をもたらし心の原点となる方向となっている。
この辺りはもう何回も言っているので耳タコだろうが、
〔〕では、神経系や記憶は遺伝子を仲介役として心と繋がっている。
としているので絶対かみ合ないところとなっている。
〔〕では、記憶の出現はやがて生体の発達をもたらし、発達した生体は時間の加速を促すことに至るが、記憶は基本的に生体の感覚、経験、知識、思考等の記録的なもので、重要な役目だが心の原点とはなりえない。
前に、例えば人間が記憶喪失になったら、から始まる纏めで述べているので、ここでの詳しい重複は避けることにする。
 命が生ずれば心も共にある。命は生のエネルギーを得た物質空間の生体に宿るもので、例えれば勝手な生徒のようなもの。心は先生で目標を示し導くもので、命を得れば同時に全生体に存在する。
 その影響は遺伝子に及ぼすもので、遺伝子から間接的に関与していても直接中枢へは及ぼしていない。その場その時で事細かく中枢へ作用する事はない。
感じるもの、思うものとして、胸や心臓や頭や身体から離れた空間がが心の所在と例えられるように、精神や感情や衝動や意志や思考などと勘違いされやすい。

 命とは何か。この答えを科学で証明できていないように、心も証明できていない。それなのに、心だけは思考や認知等等として、脳が生んだものと安易に定義していいのだろうか。脳神経の間に存在しているに至っては、馬鹿馬鹿しくて反論する言葉がでなくなる。

2009.05.15(Fri)  土佐錦魚TOP
5月14日
 
晴れ 風強し
    外   内
朝  10℃ 19℃

 やっぱり、10℃になってしまった。
今まで息つく暇なく、これからもしばらく、朝食もとれないだろう。

 今日の選別は朝、昼食を食べた後。
それでも食事をとれるだけいい方のようだ。
例年を思い返せば、、、だから体を壊してしまう。
この程度がいいところだろう。

 冷た目の南風が冷たい北風にかわって、一層強くなった。
明日は10℃以下に下がらなければ良いが、今朝は数尾おかしくなってもなんとか持ち堪えてくれても、明日はわからない。


心の起源を読んでの比較 61

 見方を変えると、心はいつも命と相対しながら生体に共存していると言える。
命は勝手気ままな生徒のようなもので、心は先生みたいなものだからだ。
先生だから導きもすれば教えもする。それは人間の起源が10万年前として、その時と今を比べれば人間が心の有り様の違いが解るのではないだろうか。
それを10万年の間の身体(中枢)の発達としてしまうのは、心に失礼なように思える。
 勿論、生体や社会や知識の発達変化とともに、心の成せる技として影響していることは確かで、それは精神の思考や表現に表れてくるのは当然と言える。
だが、”健全なる心は健全なる身体(脳)に宿る”
あるいは”健全なる心は健全なる身体(脳)の発達に生ずる”などというふうにしてしまうと、たわごとでしかなくなる。

2009.05.14(Thu)  土佐錦魚TOP
5月13日
 
雨のち曇り陽射し有り
    外   内
朝  19℃ 21℃

 3時に出てみるとぽちっぽちっとあたったが、4時には降って来た。
今日は晴れるはずだったが。
 朝の空気が暖かい。
明日からは少しづつ冷えて来るようだ。

 思い返すと産卵期には朝降って昼晴れる日がよくあった。
そんな日には良く卵を産んでいた。

 少しづつ冷えるはずだが就寝前の点検では北風がピューと吹いて、水温は既に18℃この分では恐怖の12℃以下になる可能性が出てきた。
明日の朝?夜明け前の夜中が忙しくなりそう


心の起源を読んでの比較 60

P48【神経系をもたない生物には心はないなどといいきるのは差し控えておきたい。】  
 こう言うのを共感って言うのだろうか。
P48【神経系があれば心もあるにきまっているともいい切れない。】
 ここも共感できるかと一瞬期待したが、
【心があらわれるには、神経系のはたらきにもう一つの条件がそなわらなければならない。それは情報処理の中枢化....】 
 やはり中枢系、とどのつまり脳へ行ってしまうようだ。
 環境の変化で身体的変化があると、心も対応するように変化してしまうのだろうか。それは生体が感情や思考を受け止めやすいように、表現する能力をさらに得ているのではないだろうか。心の手前の身体と伴う能力の進化や変化ではないだろうか。
 脳が集めた情報を選別、判断、活用して導くのが心であって、感情や思考を直接つかさどるのが心ではない。当然、感情や思考では心のはたらきを感じとれない

2009.05.13(Wed)  土佐錦魚TOP
5月12日
 
曇り
    外   内
朝  19℃ 21℃

 親を押し詰めてあるので濁りが早はやく調子を崩しやすい。
そのてん毎日水換えは効果があるようだ。
今日の夜には雨も予想され週末には冷えが来るようなので、丸鉢に出す作業はしばらく休み、その間に少し体を休めるようだ。


心の起源を読んでの比較 59

P47【これらの記号を比べてみるならば、新しい情報を蓄積したり、新旧の情報を照合したりするはたらきでは、神経系がとびぬけて有利であることは明らかであろう。なによりも記号体系の単純さと、そのことからくる記号照合の迅速さは、他との比肩を許さないものがある。心の座を神経系に求めようとするのは、このような記号体系の独自性も大きな理由の一つである。】

 生心の把握、表現能力はだんぜん神経系が優れていることは認めざるを得ない。
生心の担い手であることも認められる。だが、それが心を生んでいるとはどうしても認められない。また、脳の活動の思考が心そのものとは思いたくない。

〔〕の方の記号の流れ方は、情報は全て信号化されて脳へ行き集約され、一方は記号としての言葉に翻訳して認知され、もう一方は選択されさらに暗号化されて遺伝子へ行く。
〔言葉の表現←脳(情報の受容)→遺伝子〕という振り分けがあることを付け足したい。

2009.05.12(Tue)  土佐錦魚TOP
5月11日
 
晴れすぐ曇り
    外   内
朝  18℃ 20℃

 大分丸鉢へ入ったので、今日から親は毎日水換えへ。
昨年と同じように、丸鉢の水を毎日取り替えて、その水で親の水を替えるやり方を今期も開始。
やがて、その親の水をイトメへ使うようになる。

 暑くなく、眩しくなく、暗くなく楽に選別ができる。


心の起源を読んでの比較 58

 また、分泌系は内部環境では主に恒常性や細胞同士の連絡を保っている。外部環境では主に生殖を司り、生命の継続と維持に広く関り、雌雄が繰り広げる確保、競争、凶暴性に至るまでの行動には、強い社会性と社会性をも踏み越えるものが混在する。
 性の強い本能行動は秩序をともなわないときがある。
犯罪の多くはここに端を発していることが認められ、他の衝動的な強い本能的行動を抑えるために秩序ある社会性が求められている。
体外活動をともなう生命継続、体内生命維持の役割は非常に大きなところとなっている。
 分泌系も免疫系も発展段階のその時々の主役であったことがうかがえ、今に続く重要な基本的系になっている。その主役はいまや神経系に移ったかに見えているが、その下支え的担い手がなければ神経系だけで生命維持は叶わない。神経系と共に連携していることも多く、それぞれの役目をそれぞれに果たしているにすぎない。

2009.05.11(Mon)  土佐錦魚TOP
5月10日
 
晴れ
    外   内
朝  15℃ 20℃

 作業は天候に左右される。
晴れるとがぜん多くなり、一日で疲れてしまう。
今日はそうも言ってられない。
どんどん丸鉢へ移さなくては。
 丸鉢を空けるために、二才も整理しなくては。
明日あたりから丸鉢の水を親へ回すことも始める用意をするよう。
 もう直きイトメ置き場も用意しなくては。
やっぱり、切りがない。

 うかつに日向でゆったり選別しているとチリチリ日焼けしてくる。
今期始めての麦わら帽子。
強くても気にならない陽射しを少し強めの南風が癒してくれる。
 錦魚飼い冥利に尽きるような選別日和です。


心の起源を読んでの比較 57

P44【さらに過去の経験を組み合わせて、まったく未知なものに対してまで積極的にはたらきかける能力となると、免疫系が抜け落ちて、独り神経系のみが残る。】
 さだかではないが遺伝子の大きな割合が免疫に関係あると聞いたことがある。
その免疫系に働く遺伝子は【過去の経験を組み合わせて】蓄積している。その蓄積は将来や【未知なるものに対してまで積極的にはたらきかける】備えとなっている。
 免疫系の場合、
未知なるものとは、外からの自己でない他を意味している。外からのもの、侵入するものとして排除へ働く。
過去なるものとは、内からの自己でない自己を意味している。現在活用されていない待機中、あるいは現在では害をなす過去の自己が意図せずに再生されても、自己でないとして排除している。
 他の生物や他の自己から身を守る自己を選択する役割は、欠くことの出来ないに重要なところとなっている。

2009.05.10(Sun)  土佐錦魚TOP
5月 9日
 
晴れ
    外   内
朝  15℃ 20℃

 朝の水替えが無事終了。
餌を与えホッとしたところ。
さ、これから丸鉢を空けて、内から出さなくては、選別が忙しくなる。

 選別も順調。
やはり好天気はいいものだ。

 今日の予定を終了。
気分良く明日を迎えられそう。


心の起源を読んでの比較 56

P44【外界に対して積極的に反応すべく、外界におこった変化を経験として蓄えておき、将来にふたたびおこるかも知れぬ変化に向けて適応する能力となると、内分泌系が抜け落ちて、神経系と免疫系の二つになる。】

 内分泌系には外分泌系と言われる方も含んでいると思われる。もし含まれていないのであれば頭についている内を取り除いて、ただの分泌系とした時なにか差し障りができるだろうか。
 そうしてフェロモンを差し入れることができるなら、【積極的に反応】して、【外界におこった変化を経験として蓄え】、【適応する能力となる】ことが積極的に行われている。生物の根幹となる生殖反応の多くを担っている。
 また植物は外界との連絡手段を分泌系が担っていることは、常識的とされているはずではないだろうか。

2009.05.09(Sat)  土佐錦魚TOP
5月 8日
 
小雨のち雷をともなう強雨のちくもりときおりぱらつく
    外   内
朝  15℃ 20℃

 今日は目覚ましに起こされた。
よく眠れることはいいが、疲れがとれていない。
作業を終えた後のようだ。
手が炎症を起こしているように熱い。
今日予定していたことはせっぱ詰っていないので、先のことを考えて静かにしていよう。

 朝の作業をしている内に18℃に下がった。
雷が鳴り雨はスゴくなったし、昨日無理をしておいて良かったようだ。
そう思って今日は基本的作業だけに納めておける。
 その分明日は忙しくなりそう。


心の起源を読んでの比較 55

【表1 情報処理能力の比較】を〔〕なりのまとめると
        可能な情報処理
神経系 →ホメオスタシス、〔感覚的〕記憶、自発的活動
免疫系 →ホメオスタシス、〔自己の〕記憶、自己の選択
内分泌系→ホメオスタシス、〔体内的 記憶〕自動的活動

 先日の集まりで、レム睡眠障害とかで睡眠中無意識に活動してしまうため、足にけがをしてしまった友人がいた。そのことをどう説明付ければいいのか、酔っていたせいもあるだろうがにわかに推論できなかった。
 そのことを上記の表に照らし合わせてみれば、
神経系の感覚的記憶を睡眠中に遺伝子へ伝達する際、神経系が直接遺伝子へ伝達できないため、一端内分泌系を経て遺伝子へと到達しなくてはならないため、その機能が円滑に行われない時、自動的活動と自発的活動との間で摩擦やズレが生じ、夢遊的活動を引き起こしてしまうのではないかと、推測することができる。

2009.05.08(Fri)  土佐錦魚TOP
5月 7日
 
雨 降ったり止んだり
    外   内
朝  15℃ 20℃

 天気予報ではもうやんでいるはずだった。
けっこう本降り。
今日丸鉢へ出すはずだったが、やんでくれないとあてが狂ってしまう。
おまけに明日も雨になってしまってる。

 さて、どうするか。
稚魚を出すか出さないか。
さんざん迷ったあげく出すことにした。
今日明日なら天気の方がさほど影響しないだろう。
あと2日角鉢に入れて置く方が取り返しがつかなくなるかも知れない。
さあ、これから選別だ。


心の起源を読んでの比較 54

P44【表1 情報処理能力の比較】
        可能な情報処理
神経系 →ホメオスタシス、記憶、自発的活動
免疫系 →ホメオスタシス、記憶
内分泌系→ホメオスタシス

 上記の表1は原始から自己ができて行く階層を、 情報処理能力の発達の比較によって表したものと受けとめることができる。
 下記は、表1を〔〕なりにまとめ直して、
 内分泌系を、細胞内的共生による単体的自己の自己内的記憶の作用とし、ホメオスタシスが働いているように、共生を維持する生体として自動的活動をあげている。
 免疫系を、細胞同士の細胞外的共生による統一体としての自己の自己内的記憶の作用とし、ホメオスタシスと共に、自己内と自己外の自己の選別が働いているように、自己統一的共生を維持する生体として、自己の選択をあげている。
 神経系を、複雑に分化した生体として自己の自己内外的記憶の作用とし、ホメオスタシスと共に、自己内と自己外の自己の選別が働いているように、自己総合的共生を維持する生体として、感覚的記憶をもとにした自発的活動をあげた。

2009.05.07(Thu)  土佐錦魚TOP
5月 6日
 
曇りときおり小雨 午後から雨
    外   内
朝  14℃ 20℃

 明日には丸鉢へ出さないと限界を過ぎそう。
明日ならなんとか間に合うだろう。
角鉢から丸鉢へ移す限界を一ヶ月以内と言っているが、大きくさせないように調節しているから言えることで、どんどん成長させていたら25日には限界になるだろう。
理想は始めから丸鉢で。
角鉢で孵して順調に育ったら20日で移すよう。
抑えて30日以内が限界だろう。

 ことわっておかなければならない。
宮地式のように極端に抑えた場合は、30日でも余裕の大きさとなる。
だが、この場合は後々にも名人芸が要求される。


心の起源を読んでの比較 53

P36【いまはあえて『生物学的な心』という狭い前提にこだわって議論を始めたい。さらに大きい摂理については、これとは別に論ずるのがよいと思う】

【】としては、結局はこうなるしかないのだろう。
〔〕としては『生物学的な心』はもう提出済みなので、大きい摂理を一足早く進めてみると、【生物世界を超えた次元の原理】は〔神秘〕。

P40【外界と内界】

【】は【外界と内界】と世界を二つに分けたが〔〕は〔外界、中界、内界〕の三つとした。

外界は大宇宙、身近な周りより外の神秘。
中界は中宇宙、大宇宙と小宇宙の中間、生体の維持かつ認識する内部とその外周りの神秘。
内界は小宇宙、生体の内の神秘、遺伝子より先は大宇宙に通じる。
巡る各宇宙は大いなるものの手中にある。
 中界は範囲を広げつつある。小宇宙に手を出し、大宇宙に足を出し、知識を広げ、進出を遂げ、侵略を成している。

2009.05.06(Wed)  土佐錦魚TOP
5月 5日
 
小雨、降ったり止んだりのち雨
    外   内
朝  15℃ 21℃

 1日から3日は天気が良かったせいか体がよく動いた。
昨日からは体が重くなり始め、今日はとても重いのは疲れかと思ったが、どうやら天気のせいかも知れない。
焦らずにやらなくてはまだ先が長い。

 選別をしていないのにやることは切りがない。
でも、今日は朝昼と定時に食事をすることが出来た。
食休みはできないけれど。


心の起源を読んでの比較 52

 仮にいつか科学者が核酸の羅列のみに留めず、生を与えることができ、遺伝子を成し、実験室で生物の進化を遂げさせたら、その時の科学者を【超越者】あるいは〔大いなる科学者〕と敬称する。
その時こそ最善の生物が誕生するのか、最悪の生物が誕生するのか見物となるだろう。
それはその時の科学者を含める人間が、大いなる心に沿った者になっていないことが想像できるからで、人間の飽くなき生命力が造り出す製造物にほかならないことが、容易に想像できるからだ。
 その飽くなき欲求の現れも心と言うのだろうか。
求め考えることの思考そのものを心とするなら悪知恵も心となり、危険と言わざるをえない。すると心のままとは、意のまま気のまま考えの趣くままと言うことになる。これでは生物の利己となにも変わらない
 それを心とするならば、何かうら寂しい思いになりはしないか。

2009.05.05(Tue)  土佐錦魚TOP
5月 4日
 
曇りときどき晴れ間
    外   内
朝  14℃ 20℃

 昨日の忙しさは気違いじみていた。
水換え、餌やり、採卵、選別、鉢替え、親の移動、来訪者。
今日は萎えてしまっている。
次の雨上がりまでゆっくりせせてもらって、雨上がりの忙しさに備えなくては。


心の起源を読んでの比較 51

 これは、記憶が時空を生みだし相対的時空としている訳ではなくなる。
脳が心を生みだしていないことと同じで、記憶が時空を生みだしてはいない。
脳が心を表現していると同じで、記憶が時空を表現している。
その軸は生物個体独自の過去から現在までの線上でしかありえない。
その生物個体独自の心や命や時間や空間の表現を生の字を付けて、生心、生命、生時、生空として、それらを有する物質の構築体を生体としている。

(いよいよ疲労の咳が出始めて、集中力が途切れてしまいました。49を書いた時続きを載せていなかったところを下記として、今日の思考は明日まで休みとさせて頂きます。)

 この例えを個人のものとせずに人類に例えると試行は失敗とされるのか、時間を取り戻せばやり直しが許されるのか、それとも他の生物が台頭してくるのか。それは、人間が想像できないぐらい遠い回り道をすることに違いはない。そしてそのぶん、【未来の人格】は遠くなるのか、消滅してしまうのか。
 人間が己を言うのもおこがましいが、命の方向をがむしゃらに進みながらも心の示唆を見失っていない者がいるのは、また実行がおぼつかなくても常に意識を怠らないものがいるのは、この世では今のところ人間が最初だと思える。利己の利を追究する者の方がいまだ圧倒的だが、人類も見捨てたものでもないというところまで来ている。

2009.05.04(Mon)  土佐錦魚TOP
5月 3日
 
曇り
    外   内
朝  13℃ 20℃

 いよいよ息つく暇がなくなってきた。
九日生まれも限界が過ぎている。
今度の雨上がりに丸鉢へ移すようだ。
そうすれば卵に追われた親を出さなくてすむようにもなる。


心の起源を読んでの比較 50

 実際に記憶を失っても身体は原始化する訳でもなく、案外その時代に適応して生命活動を行えると推測できる。時空を位置付けるとされる記憶を無くすことは、既に生命の危機を向かえることになっているだろう。【】の仮説を指摘しながら言いようのない矛盾と言い知れぬ空虚を感じている。
 とにかく記憶がなくなると、命の利己主義がむき出しになるところまではいかないまでも、【現在の人格】となっていたところは失われ、一端 【過去の人格】へと一変してしまうことは確かだろう。
それはむき出しのままでしか表現できなくなるからで、その人間が過去に戻る訳ではない。
 仮に記憶が時空を生みだすのであれば、記憶を辿ることで過去へ戻れる時空移動すらできることになりはしないか。あるいは未来を予測するなら時空を移動できることが可能になるはずだ。
 例えば、歳を重ねて忘れっぽくなると、記憶は薄らぐ、その時点では時空はどうなるのだろう。
 例えば、私の親がそうだった、惚けた時には子供時代や過去の時代に戻ることがある。
認知症と言われるが、現在を認知できなくはなるが、惚けた本人は過去を今と思い込んでいる。本人は既に現在に存在していなくその時の過去に存在している。
現在を認知できない訳ではなく、過去を今と思い込んでいるからだ。
脳がときおり現在を取り戻したり、過去へ行ったりすることは脳の中で現在を働かなくする作用が行われるため、過去が働き出すことになる。

2009.05.03(Sun)  土佐錦魚TOP
5月 2日
 
晴れ
    外   内
朝  12℃ 20℃

 昨日は結局二才を出し終えてしまった。
その分親の水換えと朝の餌が遅れたことになる。
 世話の終わる頃に会員が遊びに来てくれて、また楽しいひとときを過ごすことができました。
 今日は二日酔いになるかと心配したがかえってスキッとして、世話をすることができた。

 こんな天気ばかりだったらと、年が巡る度に思ってしまう。
昨日二才を外に出しておいて良かった。
さっそく卵で埋まり、せっかく余裕ができた親がまた押し詰められてしまった。
 今度は丸鉢を空ける算段をしなくてはならない。
できたら5月半ば過ぎに移したいのだが、9日産まれが待ってくれそうにない。この頃は餌を減らして少しでも遅くなるよう調節しているが、それも知れている。


心の起源を読んでの比較 49

 記憶が原始化しても遺伝子は原始化しない。遺伝子はその生体に再現を促す、生体が再起、再現、再生能力を失っていれば、そのままとなってしまうだろう。仮にそのままの状態が次の生体に受け継がれた場合、遺伝子は受け継がれた生体に受け継がれた遺伝子からの発生による再生を行う。だが、今までの記憶と時間の経過をその生体に再現する必要が出てくる。遺伝子による再生は至極可能だが、新しい生体が認識するには戸惑いがある。それはいままでの過程や判断の記録も再生される。そのどれを選択するかには経験による判断が必要になる。
 その選択は記憶を失っていない通常の生体で、現在も大なり小なり行われている遺伝子の覚醒や取捨選択の一つになっている。
 人間としての記憶を全て失うことは、人の起源にまで戻ることを示している。
それは昔の人格まで戻ることになり、人格と言えない、人間と言えないところとなってしまうはずだ。
生体の再生は速いが、人格の再生は時を必要としてしまうだろう。

2009.05.02(Sat)  土佐錦魚TOP

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