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4月30日
 
晴れ
    外   内
朝   9℃ 20℃

 今日は2時間も寝坊をしてしまい、やっと落ち着いたところ。
午後は一鉢選別すればあとはゆっくりできる。
 あと一時間眠れるからと再び眠りにつくことを願って目をつむったが、それが2時間になってしまった。
目覚ましが鳴るはずだったが、セットしていなかったようだ。
 これで明日からは肝に命じることができただろう。


心の起源を読んでの比較 47

【】の方も 第1章 問題のありか を区切りにしているので、
〔〕の方も、人間だけの例を通して纏めてみました。

 例えば人間が記憶喪失になったら、仮に脳の記憶全てがなくなったら、心はなくなるのだろうか。
記憶が心を造っているとなればそうなる。
それとも心は記憶を持ち始める頃の心へ原始化するのだろうか。
心が原始化するということは機能的に心が生ずる以前に戻るのだろうか。
記憶がなくなると心も身体も原始化するようなことはありえない。
たとえ脳がその部分を消失したにしてもそのようなことはありえない。
 記憶がなくなっても生体に命は存属する。
記憶がなくなって記憶が形成するはずの時空を失ってしまっても、生体は現時点を存続する。
記憶がなくなって記憶が形成するはずの心を失ってしまっても、生体は現時点の心を存続する。
記憶が失われても生体に命も心も存続するが、生体は認知することも、表現することもできなくなる。
命が働きかけをする限り、心も働きかけている。
だが、命の働きを生きているとしか認識できないように、心の働きも感じるとしか認識できないだろう。
だが、命は記憶の有る無しに拘らず相変わらず突き進む。
が、記憶は進み方を決める重要な役目をしている。
が、記憶は命の進め方を決める役目をしているが決定はしていない。
記憶が伝えるその決定は遺伝子が司る。
心はその遺伝子に影響している。

2009.04.30(Thu)  土佐錦魚TOP
4月29日
 
晴れ
    外   内
朝   8℃ 20℃

 今日から選別開始。
最初のタマゴから20日、例年より早いが、今期は会員が飼いやすいよう大きめにする予定。
あまり難しい飼い方にすると生存率が悪くなる。
そこで、まず生き残るようにする試み。
以前は15日で選別を開始していたが、近年は25日から30日でやっていた。
早過ぎず遅過ぎずっていうところか?

 選別が始まるとなかなか座ることだできなくなってくる。
急いで昼食を食べるとまた選別。
あと一鉢で今日の選別は終えることができる。

 無事選別も終了、餌も与え終わり、あとは暗くなるのを待つばかり。
今期世話のし始めは直ぐ疲れてしまい、この先どうなるのだろうかと心配したが昨日までは案外疲れなかった。
それがどうだろう選別をした途端、疲れが体中を駆け巡っている。
 さあ、いよいよ体力勝負が始まった。


心の起源を読んでの比較 46

 そして大いなる心がなかったら、
その心が生体に生命とともに宿って生心にならなかったら、生体は生物にはなれなかっただろう。
生命の進路は試行せずとも解り切っている。そこに生心の働きが存在することによって、生命はどこまでどのように折り合って行くのか、の試行だからだ。
心ある生物には、大いなる心の意志的な、生心の秩序的なものが働いている。
生心の世界とは大いなる意志が働く一つの(生命)世界。
生命の世界とは生心が働く一つの(生物)世界。
生物の世界とは生命と生心が働く一つの(物質)世界。
試行の世界とは大いなるものをもってしても簡単に成し得ない施行の世界。
物質世界に命を与えることはしたが、秩序なくしてはどうなるだろう。
物質世界に無鉄砲な命を与えたが、心の世界をともにするとどうなるのだろう。
物質世界に展開する命と心の世界の試み、大いなるものもなかなか悪戯ではないか。

2009.04.29(Wed)  土佐錦魚TOP
4月28日
 
晴れのち曇り
    外   内
朝   5℃ 18℃

 外がここまで下がるとは、
明け二歳を出さなくて良かった。

 予報では昼頃に曇るようなことを言っていたが、風も穏やかで好ましい陽射しが続いている。
空気はさわやかだが、日向では日焼けが心配する人もいるだろう。
実に錦魚の春日和だ。


心の起源を読んでの比較 45

〔生物としての命がニワトリの命、まだ細胞個々の集まりの命がタマゴの命〕
タマゴは個々の命が信号として集約化されているが、まだ個々の命の段階に納まっている。まとめの命のニワトリとなるには、信号化されている個々が生体化される発生の段階へ進まなければ叶わない。発生の段階は発達の段階のなぞりであって階層の成り立ちではない。
 ここに至ってどっちが先かはタマゴと言えるが、もはやタマゴが造ったニワトリなしではタマゴも存在できない〔相互の命〕と言える。
この〔相互の命〕は【入れ子の命】と同義語の部分が入れ子になっている。 
どっちが先かではなく、どっが欠けても命の世界は成り立たない。
 では、心の存在は要らないではないか。
そこが試行の妙で、大いなる力にも粋なところがあるようだ。
命の世界だけなら生体の命は好きなように存在できるが、生体における試行の世界では心が活躍している。

2009.04.28(Tue)  土佐錦魚TOP
4月27日
 
晴れのち曇り
    外   内
朝   8℃ 18℃

 昨日は暖かくなってくれたので浮き出した稚魚たちは、シッカリ泳ぎ出してくれた。
 久しぶりに外の鉢の水換えをしたら、手がかじかんだ。
とにかく、お日様さえ顔をだしてくれれば十分。
ここしばらくは冬型に近いので朝ひんやり昼暖かい日が続くようだ。

 21時半、寝る前の点検をして来たが、冷たい北風、明日の朝が思いやられる。


心の起源を読んでの比較 44

 支配という言い方を採用してしまうと、本当に支配しているように感じてしまうから不思議だ。脳がお前は支配されていると言えば、身体すべてがその気になってしまうのだろうか。
 支配の上下を【階層】と言っているが、〔段階〕と言いたい。
支配なんて言うから階層になる。階層は別の物が重なっている、だから上の層が下の層を支配しているように思えてくる。
 一個の細胞の生体にしても、他の一個の細胞と結びついてきて上手くやって来た。その一個一個の細胞が集まって地道に造りあげていったから統一された生体ができ、だんだん複雑になりまとめ役が必要になって来たから脳ができた。一段一段〔段階〕を歩んできた皆で造って便利になった仲間の命と言いたい。
それがニワトリの生物としての命だから。
タマゴは個々の集まりの命の段階で、ニワトリの卵としてまだ発生していない段階だから。

2009.04.27(Mon)  土佐錦魚TOP
4月26日
 
曇りのち晴れ 風強し
    外   内
朝  11℃ 17℃

 今日もぎりぎり17℃を保っていた。
この温度では温まってから浮き出すのだろう。
昼は暖かくなるようなので、一斉に浮き出すことを望むようだ。

 17℃でもぽちぽち浮き出していたが、10時で20℃へ上がってくれたので、既に3鉢ともほぼ全部が浮き出してくれた。やれやれ。


心の起源を読んでの比較 43

P16【そんな立場もある】としてる。また【自然科学者の立場からすると、大きな難点があることは歪めない。】と、やっぱりなっている。
P19ではその矛盾を嘆く感じさえあるが、P19からはニワトリとタマゴの関係を心と遺伝子になぞらえて採り上げ、生物学者として果敢に挑み始める。科学者根性とはかくあるべきか。
【見せかけの循環に惑わされていないか。】
【あるいは「入れ子」の....世界....】
【....数の世界....】と続く。
 だが、いずれも心の問題を引き出すには馴染んでいないのではないだろうか。ニワトリとタマゴの関係も見る立場によって変わってしまう。
 その立場は三点ある。ニワトリの立場、卵の立場、それを眺める第三者的立場。
多くは、第三者的立場でものを言うので楽しい堂々巡りとなる。
 タマゴは遺伝子の立場となり、ニワトリは生物としての立場となる。
放し飼いのニワトリなら受精卵としてまだその立場が成り立つが、養鶏場の無性卵に至ると生物としての営み見が途絶え、生命活動のないただの物質へとなってしまう。受精卵にしても親があたためなければ、養鶏場の卵と同じようにいずれは生を全うせずに終わる。親があたためる行為は遺伝子に組み込まれている。すると遺伝子が操作していなければ親はタマゴを孵すことはできないことになる。
 タマゴの立場で言い換えれば遺伝子が生体であるニワトリを操作していることになる。ニワトリは遺伝子を繋ぐ道具となる。
 ニワトリからみると、生体なくしてなんの遺伝子かと言いたくなる。生体だからこそ命を宿すのだ。遺伝子だけではどこかの生体にくっつくことでしか成り立たないではないか。生体が子育てを放棄すれば遺伝子の失敗として、別の生体が補わない限り終わってしまう。
 これではまた、ニワトリとタマゴの循環関係に陥ってしまう。

2009.04.26(Sun)  土佐錦魚TOP
4月25日
  
朝やみ間のち雨
    外   内
朝  10℃ 18℃

 冷たい雨がまた降り出した。
内の明け二歳を外に出さなくて正解だった。
暖房を入れたくなるようにヒンヤリして淋しげなぴちゃぴちゃ雨音。
魚たちは食欲大勢、水面に口先付き出してピチャパチャ寄って来るので、温かくなる。

 内で17℃まで下がってしまった。
明日浮き出し予定が3腹いるので少し心配。


心の起源を読んでの比較 42

 遺伝子が生体を支配しているように見えても仕方がないところはもう一つある。
感覚器官が集めた情報は、神経や脳や細胞の個々を通じて遺伝子に集約される。
遺伝子はその得られた情報を選別して、生体が有利な方へと導くように遺伝子の働きを制御し、要らぬものを眠らせ、必要とされるものは働きを増す。機能を増やしたり減らしたり形体を変化させる。そのあり様があたかも生体を支配しているように見られても。仕方のないところとなる。
 だが、その身体的選択のやりようは生命の勝手とするところであるため、生体へ現実的に有利となるか否かは別なところがあり、有利でなければ物質世界に置いて生き抜くことができなくなり消え行くところとなる。
 遺伝子は生心的選択も同時に行い、生心の運営も行い、生物の生き様を左右している。これが生物を支配していると勘違いされても仕方のないところとなる。

2009.04.25(Sat)  土佐錦魚TOP
4月24日
 
曇りときどき陽射し夜雨
    外   内
朝   9℃ 19℃

 内の明け二歳が例年通り卵の追われて外に出なくてはならないが、冷えが来るので押し詰められながら足踏みしている。
今日の冷えをやり過ごしたら外に出そうと思っていたが、明日の雨や次の冷えが気になって結局出せない。
 卵が産まれなければまだ出さないですむのだが。


心の起源を読んでの比較 41

P7【心を持った生物は心によって支配されていると先きには述べたが、実はそのはるか以前から生物を支配しているものがあった。それは遺伝子である。とすると、心を持っている生物では、心と遺伝子がともにならんで生物を支配していることになる。】

何気なくであっても【】は、生体の記号化である遺伝子が生体の構成要素の命と心をつないでいることを、既に感じていたにほかならない。それなのに命を物であらわし、心を脳であらわそうとするところが生物学なのだろうか。
〔生物が心と感じているものは、生体の神経組織などが自ら認識するために表現しているのだから、そう感じても仕方のないところだが、遺伝子は(命と心)と(生体)との間の連絡係も務めている。大元から発している訳だから、これも遺伝子が生体を支配していると感じることは仕方のないところとなのか。〕

2009.04.24(Fri)  土佐錦魚TOP
4月23日
 
晴れ
    外   内
朝  12℃ 20℃

 今期も珍しい親が出現。
追い星がギンギンに出ていて、産卵の仲間入りしているが追っているような追われているような。?
雄で目先は尖って、おまけに腹は雌のようにふっくら。
なにか変だと腹を押してみたら卵が出ている。
エって、思って、追い星を確認するとほほまでザラザラ。
どうやら、体の前半が雄で後半が雌のよう。
よく出る例では左右で雌雄になっているのはちょくちょく見たが、前後は始めてだ。
 選別の際会員に、
これは左右の遺伝子が違っている。
これは前後が違っている。
これは尾と体が違っていると説明をしているが、
ありありと雌雄で見たのは始めてだった。
 一応採卵はしておいたが、さて、育てたものか?
いずれ鉢が一杯になった時、邪魔になることは目に見えている。


心の起源を読んでの比較 40

P7【もし、思考停止の袋小路に入り込むことなしに、少しでも先へ進んで行こうとするなら、ある種の知恵をそなえなければならないが、それは何であろうか。まず、それを見つけ出さなければならない。そのためにも、身動きとれなくなるぎりぎりの崖っぷちのところまで、出ていってみよう。】

 じれんまを承知しながら崖っぷちギリギリで足踏みしなくてはならないのが、
学問なのだろうか。そうであれば、私が書物から逃げるように避けてきたことが正しかったことに感じられてくる。だからむしろ感じることができたのだろうか。
 心を論ずる時、文化的な精神的活動の芸術、宗教、道徳、そして学問を総合しない限り、究極へは辿り着けないだろう。
 学問のぎりぎりの崖っぷちへ進み出ても飛び降りない限り、基盤を生物学としただけの推論としかなり得ない。

2009.04.23(Thu)  土佐錦魚TOP
4月22日
 
曇りのち晴れのち曇り
   外   内
朝 17℃ 20℃

 もう池がいっぱいだから卵はなるべく後に送って下さいという会員を除いて、卵送付は予定通り終わることができた。
 これからは腹数も卵数も全部5月の稚魚配布用に回すことができる。
稚魚配布は5月16日(土)と日程も決まっているので、気を入れ直さなくては。


心の起源を読んでの比較 39

 心は命の教育係として。智慧の一つとして。 
だから、人間でも心に沿っているようだと何気なく、人格者なんて言い方になるのかも知れない。それは良心、道徳のような表現として登場することで教えているようにも思える。

P6【生物学が自然科学である以上、自然科学の方法論の制約を受けねばならないのはいうまでもない。実験によって証明できないものについては、自然科学は言及しないというのが、その制約である。しかし、心は果たしてこの方法論におさまりきるものだろうか。】
  
 だが、言及せずに納めなくてはならないところに、心は中枢系にあると留める限界が既に現れている。
知識や実験から間近の疑問は解けても、とどのつまりにぶちあたる疑問は解けないと達観しているのに、知識や実験から解かなくてはならないやるせなさに同情してしまう。
知識や実験から大元への方向性と、大元のから知識や実験への正反対の方向性の違いとしか言いようがない。あるいは、学問から学問へと、学問にならないところから学問へとの、比較ができない方向性なのか。

2009.04.22(Wed)  土佐錦魚TOP
4月21日
 
曇り
    外   内
朝  14℃ 20℃

我池の夜空は星は遠慮がちに数えるほどしか瞬かない
それでも夜なんだぞって暗くしているが、そこにぽっかりまわるく明るい空がある
眠ったことのない新宿の空
のっぽの都庁まで五輪色に染まってつき合う
お陰でいつもはピンク色の雲も気持ち青ざめている。

4時から始めてもう10時、6時間も手がぬれっぱなしの時期になってしまいました。
これから先、否が応でもガンバらせてくれます。
 おやつ兼朝食を食べて、一休み。


心の起源を読んでの比較 38

 ついでに「生心」の周りをまとめてみましょう。
心のエネルギーから生体が心のエネルギーを得た状態が生心。(心)
生のエネルギーから生体が生のエネルギーを得た状態が生命。(命)。
物のエネルギーから生体が物のエネルギーを得た状態が生体。(体、生体)
物のエネルギーから物質が構築した空間に3つのエネルギーを得た状態が生体。
生体は、物質が構築した空間に3つのエネルギーが同時に宿った状態として誕生するので、物のエネルギーから生体が物のエネルギーを得た状態と同義となっている。
生体の構成要素を生体、生命、生心の三要素としている。
生体が営みを始めた(独自の時間が流れはじめた)状態を生物。
生体が3つのエネルギーを失った状態は、生体でなくなり死を迎える。(死体)
または何れかを失った状態でも生物としての営みは失われ、やがて死を迎える。

2009.04.21(Tue)  土佐錦魚TOP
4月20日
 
晴れのち曇りときどき薄日
    外   内
朝  12℃ 20℃

 あと2、3日で会員へ送る卵は終了しそうです。
送るための採卵が終わると、今度は5月の稚魚頒布のための採卵を22日から今月末の予定でいます。送る卵は私と半分づつのため卵数多く確保できません。
稚魚配布のためには卵数、腹数を多く確保して、そのなかから選り抜きの腹を選び、選り抜きの稚魚を用意するためです。
 卵の方は、昨年まではモニター的に残していましたが、今期から会員と半分づつの飼育にしました。
双方で同じものを飼育することで、どれくらい違うかを実感して、会員個々の具体的な相違を明らかにするためです。


心の起源を読んでの比較 37

 高校のとき、国語の先生に勝手に言葉をつくっては不可ないと言われたことがあります。私は自己表現するには必要だったと言うと、表現しても伝わらなくては仕方がないと言われてしまいました。
今使っている言葉はいつの瞬間にできたのだろうか。
今現在使われている言葉が必要すべてを満たしているのだろうか。
造語しては不可ないのであれば、その定めは教科書ということになるのだろうか。
教師の立場としてはしかたないところなのか。
学問もそのようなものなのか。
それとも学問の最高峰が定めるものなのか。
 伝達を目的にした言葉と記録的自己表現とでは目的が違います。
今回もまたとやかく言う人がいるかも知れませんが、現実に新しい言葉は毎日のようにつくられています。それが無視されなかったり、多少使われたり、生き残り、多くの人が認識すれば通用するようになります。時代とともに移り行く程に変わりゆくものとして、言葉は不向きであれば見向きもされず自然淘汰されるはずです。

2009.04.20(Mon)  土佐錦魚TOP
4月19日
 
晴れ
    外   内
朝  12℃ 20℃

 昨日は内の水換え今日は外の一部の水替えを。
この晴れだからガンバって正解でした。


心の起源を読んでの比較 36

 但し、生のエネルギーの命には役目が担わされていました。どこまで行くのか、目的とするるところへ行き着くことができるか、の試行のために。
その試行の目的とされるところの道しるべが心です。
心のエネルギーは生のエネルギーと共に与えられ、生体となったとき命と心として同時に宿り、心は常に目的を示しつつ命と共に歩んでいます。

 その状態を上手く言い表す言葉が見つからないので仕方なく造語することにしました。「生心」と。
心は生のエネルギーと同次元の心のエネルギーのことを言っています。
その心のエネルギーが生体に宿ったとき、心のエネルギーとは異なるものとなり、その状態を生体に宿った心して「生心」と表現します。

2009.04.19(Sun)  土佐錦魚TOP
4月18日
 
晴れのち曇り
    外   内
朝  10℃ 17℃

外は、10℃を保ってくれた。
内は、今日の冷えを予想していながら、肝心な時に蓋の保温をするのを忘れてしまい17℃まで下げてしまった。
なんとかギリギリ17℃を保ってくれたので、定時にブラインシュリンプを与えることができました。
こちらの心配も関せず、何事もなかったように食べています。


心の起源を読んでの比較 35

P3【人間の行動の責任は心が負うべきであるとし、心そのものが人格にほかならないとまで考えても、誰も不思議とは思わなくなっている。】

 ここでは【】と〔〕との重りがあるのでほっとしている。
人間の行動は何がさせているかへは言及していないが、その責は心が負うべきとしている。もうここではおこがましくも「同感です」と伝えたいぐらいです。
 人間の行動は何がさせているか、それは命です。
命とは生のエネルギーを閉じ込めた空間に存在しているから、生きて命を得たことでその行動は始まっている。しかも命はその行動に責任をもたされていない。放たれたように、暴走的に、好き勝手に進んで行く。またそれが放たれたエネルギーとしての本質です。

2009.04.18(Sat)  土佐錦魚TOP
4月17日
   
曇りのち雨
    外   内
朝  12℃ 20℃
9時では19℃に下がっていました。

 今日送る卵の受精率はいつものように100%の感じです。
明日送る卵は受精率を確かめてから連絡します。


心の起源を読んでの比較 34

 第1章 問題のありか 
冒頭の5行【私たちはみずから心をもっているはずなのに、心とはなんなのかといつも問いつづけている。そしてまた、私たちはみずから生きているはずなのに、生きているとはどういうことなのかといつも問いつづけている。この二つの問いには似たところがある。どちらも問われているものが、問うているものに回帰しているという点である。】

 ここで言っている生物学者の【回帰】とは、自らの思考が自らの知識へ回帰しているようなもので知識と思考との堂々巡りのように思える。
 感じから始まってしまったものにとっては、もう問う必要のないことになっているので、はがゆくてしかたがない。もう前提として出来上がっている訳だから。
だから、生物学者が「それを言ったらおしまいよ」で済まされてしまいそうなところとなる。
 それは人間の神経系に存在するものとせずに、
神経系で認知しているが、心は自らが製造したものではなく宿っているもの、それに自らを照らし自らの生きた心として感じられるようになったものとしている。
〔人間の場合その信号は、脳をまとめとする神経系を経る活動で言葉となり自己として認識、表現している。〕
〔言葉では表現しにくい重い心、心の高揚等気分のような複雑怪奇な現象的表現は、ホルモン系が分野としている。〕

2009.04.17(Fri)  土佐錦魚TOP
4月16日
 
曇りのち晴れのち曇り
   外     内
朝  11℃ 20℃

 雄も全体的にできてきたようだ。
雌も膨れたきたし、用意は整ったと言えるだろう。
あとは雌が出すのを待つだけ。

 産卵の妨害行為のようになってしまうようだが、今日は30℃以上へあげてみた。明日は朝と日中が冷えて、明後日は朝がが冷える想定で、その予防のためだ。
産卵は急がないので、その後から産んでくれれば良いとした。
すると、明後日の朝は全鉢の水換えとなりそう。
さ~て、どうなるだろうか。


心の起源を読んでの比較 33

 【超越者】とは大いなるものと解釈してもいいのではないだろうか。仙人や教祖や権威者ではないと思える。結局解決できないことの全てはそこへ行き着いてしまう、生物学者として頼ることは許されず、そこへ踏み込むことすら避けなくては学問にならない。知識は広くも深くもできるがその知識の中を巡るしかない。神経系の大きい脳という臓物のなかでうごめくしかない。
 知識とは知識を働かし新たに得た知識の積み重ねではない。知識を基にして知恵を得たものの積み重ね。それは気づきによって得られる新たな知識となる。

 知識によって知識を得られるが、知識を進める知恵には心の働きが感じられる。
その生心の働きは生命の働きとの葛藤の結果として、生命側の抑制に効いた場合と生命側に偏った場合。
 抑制の効いた場合を知恵を得た、知恵が働くと表現され、
 生命側に偏った場合を深い知識、進んだ知識と表現される。
 抑制の効いた場合はその表現は消えずに次々と積もって行き、
 生命側に偏った場合は法則の現れと共に次々と更新されて行く。

2009.04.16(Thu)  土佐錦魚TOP
4月15日
 
晴れ
   外   内
朝  15℃ 20℃

 今度のブラインシュリンプは孵化率も色もとても良く、安心するとともに希望が涌いてきます。
これから親の水換えですが、終わった頃に稚魚のお腹が赤くなっているだろうと思うと、なんだか嬉しくなってきます。

 昨日の雨で外の鉢は満タンになっていました。
水の濃さは丁度良いくらい、今日出来上がってしまうだろうが、今度10℃以下になった明くる日にかえることにした。

 稚魚の腹にはブラインシュリンプが納まっていました。
浮き上がれなかったのは全部の鉢を足しても10尾ぐらい、成績は良い方です。
暖かい日がつづいたので浮き出しもはやく昨日には泳ぎ出していました。
1日ひもじい思いをさせましたが、今日からぼちぼち成長してくれるでしょう。


心の起源を読んでの比較 32

 もしそれを心と言うのであれば狭く限定して種類を定めなければならなくなる。アメーバーの心、虫の心、鳥の心、犬の心、人間の心、超越者の心。人間の中でも善い心となる理性や愛と、相反し悪い心である欲がむき出しの心とを。
 この限定状態は、その生体が認識できる能力の差とすることができる。
それは感覚器官の神経系の能力の差であって、心の問題とは別問題となる。
 あえて身体の中で神経系よりわずかながらでも心に近そうなものをあげれば、自律神経系、ホルモン系ではないだろうか。(こう言うのは分泌系、免疫系?)体内では生きる助け、感情の動き、体外ではフェロモンとして生殖や外との連絡などをしている。
どことなく古臭そうで、掴みどころがなく、それでいて強烈で、生体を左右し、心を揺らしていそうなところがある。

2009.04.15(Wed)  土佐錦魚TOP
4月14日
 
曇りときおり薄日、昼前からザッと雨
   外   内
朝  14℃ 20℃

 やっとブラインシュリンプをセットしました。
明日朝から与えだすことができます。


心の起源を読んでの比較 31

【自然科学が人類を破滅させるに足るだけの知識を持ってしまったと言うのが、その理由である。その知識をどうつかうかは人間の「心」にまかされている......】

 人間の「心」が知識をどう使うかとは、何か釈然としないものがある。心が知識を用いるのだろうか。この場合原爆という知識も善い心で使うか悪い心で使うか、なんてことなのだろうか。そんなことは時の正義と同じようなものでどうにでもなる。それは理性、常識、道徳、思いやり、愛とか、そして相反する側の問題で、その全てが社会的営みの過程で生まれて来たものではないだろうか。
人間の良心と言いかえることはできるだろうが、
それをはたして心と言えるのだろうか。
だがその良心は「与えられた心」が目標としている道筋に沿っていることは確かで、現在は人間が用いられている試行での進むべき方向と言える。

2009.04.14(Tue)  土佐錦魚TOP
4月13日
 
晴れ
   外   内
朝  13℃ 20℃

 四腹、今朝で全部孵った。
暖かったので少し早めだが、差し支えるほどではないだろう。
30℃を経験していないこの四腹と、
次の30℃以上を経験した腹と、
30℃以上を経験してからしばらくたった腹ではどう違うかを、見ることができそうだ。

心の起源を読んでの比較 30

はしがき3
【自然科学が人類を破滅させるに足るだけの知識を持ってしまったと言うのが、その理由である。その知識をどうつかうかは人間の「心」にまかされている......】

【自然科学が人類を破滅させるに足るだけの知識】とはこの場合「原爆」と訳してしまう。
原爆を使う政治、社会、文化、歴史はまさに【】の言う「心」の背景ではないだろうか。その背景は既に、人間の成り立ち、遺伝子の成り立ちへも関与している。当然【】の言う「心」へも関与しているはずだ。
その関与を脳が、どの電気信号に変えて、どこが受けて、どういう受け方をして、
どう反応して、どういう結果を出したかを機能的に明らかにし図表化することは、
【人類を破滅させるに足るだけの知識を持ってしまった】自然科学をもってしても、現在では不可能と思えるが。
人文学に留まらない視点をとりいれ、生物学の視点を基塾に据えたところで何の支障がでてくるのだろうか。

2009.04.13(Mon)  土佐錦魚TOP
4月12日
 
曇りのち晴れ
   外   内
朝  12℃ 20℃

 これで平年並みだろうが、うら淋しいぐらいどんよりしている。
昨日まで30℃以上ができたので魚は元気だが、あでやかな赤色がさめて来た。
だがそのぶん成長も始まっている。


心の起源を読んでの比較 29

はしがき3【「心」「徳性」「超越者」などはもっぱら人文学であつかわれる問題であった。「心」について自然科学と同じ地平で語りあわなければならない】

語りあっても意見の交流を図っても互いにとりいれなければ、結果としては何の意味もない。
この場合人文学に留まらず、遺伝子に影響している社会、文化、歴史を取り入れながら、自然科学での探求はできないのだろうか。
生物の習性や性格、身体の特徴は社会、文化、歴史も大きく影響している。
それは、遺伝子に大きな影響を与えていることになる。
と共に、本で言うところの心にも大きく影響していることは疑う余地がない。
だから、語りあう必要性を認めている。
だが、語りあっても、しょせん生物学からの視点からでしか見ないのだろうか、
この本の【生物学からの挑戦】とはそんな意味もあるのだろうか。

2009.04.12(Sun)  土佐錦魚TOP
4月11日
 
晴れ
   外   内
朝  10℃ 20℃

 やっと毎日水をいじるようになってきた。
このところ暑いぐらいの日が続いたので、明日あたりから孵り出すだろう。
そろそろブラインシュリンプの容器を探して、装置を掃除しなくては。
濾す網やスポイトも塩の手配も、だんだん必要に押されて忙しくなって行く。

心の起源を読んでの比較 28

はしがき2【記憶を基礎に据えた「心の発生学と言えよう」】

生体としての記憶は神経系で感知、経験、知識、必要性、希望を脳にまとめる。生物学からの記憶は、大いなるものからの心とは次元を異にしている。
生物学からの記憶は、大きな脳をもつものにしか発生しない心と同じようなもので、心が発生するまでになっていない頃の前段階的な脳によって、心よりちょっと前に発生した大きな脳をもっているものの一つの機能といえる。

 学生時代の絵画の課題に、“時間を造形せよ”って言うのがあった。
構図を画面遥か上方からの視点として、画面全体を宇宙空間とし、画面上部中央に時間の核のような元が在るとして、十字架の形を借りて時間の波及を現し、画面の下の方にパンを置いて人間界に波及した時間を表現したことがあった。
けっこう教授に受けて、進み出て説明するように求められた。 次の課題は、
“誰でも知っている童話を自分なりの解釈で、一画面を象徴した表紙として、
三画面を物語として、四画面に構成した絵本にしなさい”
この課題の兎と亀は自分なりにはかなりの力作だったが、禅宗の坊主じゃないんだからと一蹴されてしまった。どうもこういう気合が若い時からあったようだ。

2009.04.11(Sat)  土佐錦魚TOP
 4月10日
 
晴れ
   外   内
朝  11℃ 20℃

 今日は三時間半の世話で疲れてしまい、雌雄分けもそこそこで止めてしまった。
卵の方は思たより受精率がよく、いつものように90%は超えていた。
 卵数が少ないのと、採る気が半分だったので会員へは回すことができない状態だった。
 今日も労せずして水温30度を越えそうなので、今日も超えさせて、卵数と精子の量も増やすようにすることにした。

心の起源を読んでの比較 27

はしがき2【心のはたらきの最初の基本となる「時空」は、記憶から産まれてきているのではないか。】

大いなるものを容認し難いとして、生物学に留まることを容認しなくてはならないのだろうか。それが生体を探る学問の取り去ることのできない壁なのだろうか。
「それでいいじゃないか。どうせいつかは死ぬんだからその前にやってみたほうが面白いよ」って言いたくなる。
〔「時空」は記憶から産まれるものとは別次元〕
先に述べたように生物ごとに違うが、その生物の時空内に限っても、生物が自ら心を生むのではなく、物質が造る時空内生体に生命と心が存在できる。
表現的には命と心は反する意志を持ちながら進んでいるようなもの。
大いなる時間、空間、大いなる心は全てに及んでいる。
全てに及んでいる心と、生体に宿っている心は別次元となっている。

2009.04.10(Fri)  土佐錦魚TOP
4月 9日
 
晴れ
   外   内
朝  10℃ 20℃

 四尾採れたが、まだ本格的でないので二尾は卵数が少なく、受精率にも不安がある。
一尾は盛んに追われているがまだ放卵していない。
せっかく産んでくれたので明日受精率を見てそこそこだったら、予行演習のつもりで始めるようか。

 明日は今日急に進んだ水の水換え、
今日は最高水温を30℃以上へ上げたので明日産むかは不安定。
水替えついでに、雌雄の振り分けをするつもりだが。

心の起源を読んでの比較 26

 これ迄で、私の持論の始まりや方向性、あわや結論までが分ってもらえたとして、そろそろ本題の本に沿った比較を始めさせて頂くことにします。
  
(枠の頭にページ数)【】内は本の抜粋  〔〕内は持論とさせて頂きます。

はしがき1【アメーバーは、アリは、トリは、イヌは?こうしてみると、「心」とは生物の進化してくる道筋の、どこかある時点で生まれてくるにちがいない】

 はしがきののっけからまるっきりの違いが出て来た。
私の思うところの心の生まれは進化の過程とせず「生物」になった途端に「心」となって存在する。〔生命と同時、同次元であり、生物の構成要素の一つ〕となっている。
しかも、身体の機能のようなものでなく、命と同時に存在している。
よって、身体の発達過程で生まれて来たことになっていない。
物質が生のエネルギーを得たとたん命が宿り同時に心も宿ったことになる。
動物、植物を問わず既に全生物に存在している。

2009.04.09(Thu)  土佐錦魚TOP
 4月 8日

晴れ
   外   内
朝  10℃ 20℃

 かなり追っている。
明日は大潮だから数尾は産んでしまうのはしょうがないかもしれない。
まだ雌雄の振り分けもしていないというのに。
もちろん巣も作っていない。
こんな飼い主では困ったものだ。

 寝る前に五つ巣を作っておいた。
産まないでくれることを願っていながら、明日は早く見回らなくてはといつの間にか思っている。
雄ばかり雌ばかりの鉢もあるので明日は振り分けをするようだが。

心の起源を読んでの比較 25

 この感じや閃きの浮かびは私の経験の範囲では全くありえない。
何故それが浮かんでくるのだろう。
何故それを信じられるのだろう。
何故それを信じてしまうのだろう。
 それは生物として誕生し歩んで来た膨大な記憶が、自分という生体に潜んでいるからではないだろうか。
その記憶は遺伝子によって判断、選択され記録されて、今に伝わっていた。
今の私の感覚した活動が脳を経て遺伝子に伝わり、過去の記録の私を呼び覚ますことをした。
その応答がすぐさま浮かんで来ないのは今の私が鈍いせいで、過去の私だったら直ぐに展開していたことだろう。

2009.04.08(Wed)  土佐錦魚TOP
 4月 7日
 
晴れ
   外   内
朝  9℃ 18℃

 今期初めて全鉢水換え、元水が多いので三トンで済みましたが、五時半から四時間かかってクタクタです。
指全部がだるくなっています。
忙しくなると毎日するのですから、疲れる訳です。
 さっそく追っている雄がいて、まだはやいよって言い聞かせて待ってもらおうとしています。
 まだ世話する方の気がのっていませんから。

心の起源を読んでの比較 24

一つのことを信じるとそこから始まる別の道が見えてくる。
すると別の体験を、別の体感を呼び覚ます。
こうして私は次々と錦魚から教わって来ました。
神経は外との伝達。
体液は内との伝達。
このような方向性を。
身体のまとめが脳。
細胞のまとめが遺伝子。
遺伝子は生体の成り立ち。
生体の継続。
生命の進展。

2009.04.07(Tue)  土佐錦魚TOP
 4月 6日

晴れ
   外   内
朝  7℃ 15℃

心の起源を読んでの比較 23

 ともかくいろんな体験をしたが、あくまでも自分の枠の中のことなので何の証明もできない。しかも同じ体験を複数の人がしたにしても、受け方で変わった感じになってしまうだろう。それはどう受け取るか、どう受け取れるかで体感が変わってしまうからだ。それは本人の経験と気づきによって呼び覚まされる過去の記録をどう働かすか、にかかっている。
針の経験にしても、私がそれまでにした体験が過去の記録を呼び覚まされてくれたから、そう感じさせてくれたから、そう体感できた。
この体感に自身の記録の裏付けはあっても、自己以外には何の説得力を持たない。
そう感じた。でも、
そう感じているが解っていない。
解っていないけれど信じている。

2009.04.06(Mon)  土佐錦魚TOP
 4月 5日

曇り
   外   内
朝  9℃ 16℃

今日はまた花見。
一ヶ月以上前に決まっていた集まりです。
その頃ではもう花は散っているだろうなって言っていたのに、今日が満開です。
金曜日でスゴかったのに、日曜の今日はもの凄いだろうな?
もまれもまれて、みんなの顔を見にいくのも花見かな。

 では、行ってきます。

心の起源を読んでの比較 22

 以前、命なんてことを書いていた会報は十五回辺りからでした。ちょこちょこ間違えたところはあるけれど、二十年前には今に至る路線が大分固まっていたことになります。その中で論語の温故知新を借りて、遺伝子を覗くことで古きを訪ね、遺伝子から振り向くことで今が視えてくる。すると今どうすべきかを知ることができると、書いたような薄らいだ記憶があります。その時振り向きを向き直して遺伝子の先を見ると、大いなるものの生のエネルギーと心のエネルギーを感じられるとも。
 その時は細胞の内に入ったことになる。まさか。
でも、別の世界に入ることができれば感じることはできるかもしれない。

 なんだかとても遺伝子に親しみを感じたことは確かです。
自分が経験したことのない思いや言葉がつぎつぎに出て来ます。
こんな言葉読んだことがないのに、こんなことどこで教わったんだろう。
あの時あの人の言ったことはこんなことだったのか。
とうの昔のことが今に浮かんできます。ぜんぜん気にもとめていなかったのに。
不思議な程に愉しいことです。


 日曜日は混乱して来たところで入場制限を始めました。すごいですね~。
今日がピークですね。
やっぱり日曜日は来る人の感じが違う。11時にはもう場所取りがしてあった。団体が多い。男性が多い。酔っぱらいが多い。トイレも男性の方が並んでいた。
 花は見頃、散り頃、下の方の枝が風に触れるとピンクの風になっていい風情でした。
空いていたのは通路だけ、終了のアナウンスが流れても半分も帰っていない。
帰りにお尻に芝生を付けた人がいっぱいいました。

2009.04.05(Sun)  土佐錦魚TOP
 4月 4日

晴れ
   外   内
朝  8℃ 15℃

心の起源を読んでの比較 21

 いまは当然のように細胞一つ一つが別の命と信じ切っています。
この時、天才の知恵と、感じるという智慧とは別なのかと、
現在の知恵と、過去の智慧とは存在の場が別なのかと、
知識の知恵と、信じの智慧とは成り立ちが別なのだと、
感じたような感じなかったような。
 例えば、大きなゾウも、一つの卵子から始まります。
その卵子の時の見た目は、一つの細胞に一つの命に見えます。
そしたら、子ゾウが産まれて来たときもその見た目一つの命の延長と見えてもいいのではないか。
そんな見方をするとどこぞの細胞が、がちゃがちゃうるさくさえずり出すような出さないような。
 細胞が集まると細胞個々の命とは別に、複雑に集まったときの命ができている。
神経系が複雑になると脳が必要になったように。
それは脳が生体を支配しているかに見えるように、
それは脳のように生体を支配している命に、見えるのだろう。

2009.04.04(Sat)  土佐錦魚TOP
 4月 3日

晴れ
   外   内
朝  4℃ 13℃

 やっと水換え。
蓋を開けたが水替えはさぼっていた。
魚が見えない水になっていたが、何とか見える程になった。
餌も与えた。
今日は最高気温17℃とか、水温は20℃以上になるだろう。
いよいよ?やっと始まった。

上記を出そうとしたらどういう訳かつながらない。
数回試みたがだめだった。
今日は絶好の花見日和。
いざと出掛けたら、出し忘れていたことに気が付いた。
今しがた帰って来た次第。
実に良い日でした。

心の起源を読んでの比較 20

 悲しい目に遭わせてしまったと詫びながら、やさしくなぜているような。
毛先が葉書にあたる音がトンっと聞こえてきます。
一本の毛が葉書をこする音がズズーっと聞こえます。
一本の毛先が速く進むと、墨より先に水が落ちて行くことが見えてきます。
ゆっくりと丁寧に気持ちを込めると、墨が降りてくれます。
そんな世界に入り込んでいると、外からちょっとした音が伝わってきても、
足の裏から全身へ痺れるような電気が走ります。
電話が鳴ろうものなら飛び上がる。
でも、筆には伝わらない。
神経がピリピリしているのだろう。それとも別の神経が働き出したのだろうか。
こんな世界があったんだ。今まで感じたことはなかった世界だ。
まるで自分の命が葉書に移って行くような。
まるで自分の命を削っているような。
傑作を残し、若くして逝き去った彼らは、この世界に溺れてしまったのか。
命とは生体が自ら削ることもできるのだろうか。

   
 はじけた春

お昼前、入り口手前の信号で既に人が溜まっていた
入場券売り場へたどり着くのに、何回おばさんにはじかれたか
いつもなら込み様を見ただけで明治神宮にところ替えしてしまうのだが、
今日は新宿御苑で見たくて並ぶことにした
そんな時は、一番奥の人が売る券売り場か、その手前の自動販売機がましなはず
その辺は要領よく買うことができて入ってみると、やっと華やかに視界が開けた。
まだ思ったより混んでいない
私の桜のかたわらでさっそく店開き
ツマミはデパ地下のおつまみセットと、ちょっととろけるチーズとパン
こんな陽射しの時には、小さめのカットグラスがうってつけ
太陽を移した黄金色のキラめきを閉じ込めてくれる
ワインは気張って、上品な樽臭のシャルドネ
まずはひとすすりのはずが、澄みきっていないうららかな空に一口、今日の日の花に一口、そしてワインに一口。
満開宣言は出ていたが、ほとんど八分咲き。
風もなく、散る花も無く、私の桜は九分咲きで招いてくれた
横になると陽射しで暑さを感じる
ツマミもぽかぽかひなたぼっこ
ゆげが出そうなオリーブとドライトマトは初めてお目にかかったが、これもまたけっこう愉しい。
いっこうに衰えぬ輝きと香りと見上げる花に落ち着きを取り戻すと、
ざわめきが聞こえるようになって来た。
普段広すぎるような芝生は保育園と化していた。
しゃがむと背中が出るようなお母さんたちと、陽気を浴びた幼児たち。
この歓声は花見の音だったっけ。
見渡すともう混み合っている
昼休み兼の黒いスーツの一団
前にはやっぱり昼休みか二人連れ
そして、あっちにもこっちにも乳母車の車座。
そのほんのりした空気を拍手が駆け巡る
ハイ、ハイ、ハイ、ハイ、何とかで、なんとかで、なんとかで、ハイ、ハイ.....
延々続くこののりはコンパのノリではないの、花見合コン?
この拍手は花見の音だったっけ。
今年の春はいっぺんにはじけてしまったんだろうか。
昼休みの方々が引き上げると、一等席は直ぐ埋まります
入り口に置いてあるパンフレットを数枚敷きつめると、腰をおろした女の娘二人
ぽかぽか陽気と花便りと人の流れに連れられて、マック買って春に誘われたの。
木陰のベンチで白髪のご夫婦のステッキが並んでいる、横のイカツイ二人も今日は席を寄せ合っている。
「僕が前」、「僕が」
ヒモを結んで電車ごっこが子供は好きなのか
それとも親が管理しやすいのか
それぞれの親が「あなたは後ろでいいの」「ショウは後ろ」
結局、ショウが前に、やむなく次の子、乗り気の無い女の子がその次、どうでも良かった男の子が後
「電車はゆっくり走るのよ」いきなりの声
でも、後ろの電車なんてどうでもいい子が寝っ転がってしまった
女の子がヒモを上げて飛び出してい行った
前と後ろになった二人は脱線していった。
「それ食べないとお菓子はだめよ」
のり巻きより一回り太めのおにぎり、でも子供の口には収まらない
端をかじると口に合わないのか、もそもそ
「あれ、ショウタは」
隣りのグループはもうお菓子の時間
「どうもすみません」「こら、ショウタロウ、ごめんなさいを言いなさい」
ショウタロウくんは最初っからノリが良かった
奇声は上げるし、身振りも大きかった
気にそぐわないと静かになって、いつの間にかいなくなった。
向こうから黒に紫のドレス風のきまった美人が、ステンレスのように光るハイヒールで、横の黒とグレーで決まったご主人が乳母車押して、
「あのハイヒールよく芝生にささらないなー」って思っていると、
カメラを出して、携帯ではないですよ、その気で来ているな、
やおら横の人に撮影を頼んでいる。
パッと寄り添って、もう一枚、ポーズをかえて結局三枚、
これが目的で決めて来たのかな?。
ハッと妙な気配に気を取り直すと、脇でショウタロウくんがかがみこんでジッと私を覗き込んでいた
このおやじ、いったい何をしているんだっていう感じ
気の付いた私に気がつくとスッと立って行こうとすると、
脇にいた女の子がショウタの頭をいきなりひっぱたいた
見事一件落着にした。
後ろで足音がするので振り向くと、外国人の青年と日本人娘
ここがいいと聴いている
「もっとこっち」
直ぐ後ろにやってくると、青年がコートを脱いで芝生に敷いた
さすが外国人
狭いところに二人で座ると、もう怪しい雰囲気
これは見てられない、振り向くのを止めると、ドサ、重なってしまった。
青年がピンクパンサーのテーマ曲を口ずさみ出した。
途中からデュエットになって、終わると立ち去って行った。
ロン毛で、キラキラしたシャツで、先がアラジンと魔法のランプみたいな靴はいて、トイレに行くのかなやさ男
どう見てもホスト
そうかと思って、拍手のグループを改めて視ると、でっかいクーラーボックス、
世話を男どもがこまめにしている
これは、ホストクラブの白昼サービスか
あのノリはもしかすると営業か
やっぱり、今年の春ははじけてる。
花の影が長くなって、触れる風は冷たさをとりもどし、パンもツマミもワインも空になって立ち上がると、辺り一面そこは真夏の湘南の砂浜のようにぎわっていた。

2009.04.03(Fri)  土佐錦魚TOP
 4月 2日

曇りのち晴れ 北風強し
   外   内
朝  6℃ 12℃

心の起源を読んでの比較 19

 毛先が一本かと思える面相筆を手に入れて、木版の切り込んでしまったところ欠けてしまったところを修成。
ところによっては刀の厚みより細い線を彫るんだから仕方ないよと、
自らを慰めながら。
墨を吸った木は膨張するんだからそこは塞がっても仕方がないよと、
言い聞かせながら。
 それでも修正を葉書一枚重ねるたびに、みじめな牛が救われるように
牛らしくなって行く。
いくぶん下絵に近くなって行く。
線を一本なおすたびに、画面の牛が可愛くなってくる。
気がこもってくる。
一本の線の意味が解ってくる。
線の連なりが何を造るのか、感じてくる。

2009.04.02(Thu)  土佐錦魚TOP
4月 1日
 
雨ぱらぱら降ったり止んだり夜雷雨
   外   内
朝  7℃ 14℃

 この雨が四月の暖かさを持って来てくれそうです。
明日からは管理が必要になりそう。

心の起源を読んでの比較 18

 先日と言える昨年のこと、年賀状作成時の経験です。
年増すごとに線が細かくなってもう彫りきれないと観念していたにも拘らず、
十一月には牛の原画を描き始めていました。
原画ができると、
「原画の方が良く描けて、よっぽど絵らしいよ、原画をコピーして出せば」
と、ささやき声。
原画を木版画用に線の整理をして下絵ができると、
「その方が版画にするよりよっぽどいいよ、どうせ失敗するんだから」
と、またささやく。
事実、試し彫りを刷って見た時、今までの苦労はなんだったと泣きたくなるぐらい。
いくら、彫っては刷り刷っては彫りを繰り返してもさんたんたるもの。
おまけに葉書への刷りが一層難しくさんざんたるもの。
それでも、最初っから結果は解っていたはずと意を取り直し、
修正してみることに。


2009.04.01(Wed)  土佐錦魚TOP

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