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 01月21日
   
選別思考 3381−19
   
グリグリ泳ぎは、陽射しを避ける泳ぎ、夏の始まりを告げる。
真夏になると、昼間の暑さを避けて底に留まる。
暑さとは、強い陽射しと高温になる。
陽射しは魚を焼く、そして水が沸く、高温は魚を煮る。
耐えられない陽射しになると、魚は日陰へ避難を始める。
ところが真昼の基本形の丸鉢には日陰がない。
すると一番深いところへ逃げるしかない。
深い底は、僅かに温度が低い。丸鉢はそのために深い。
底でジッとして、受けたくない陽射しを否が応でも受け続ける。
その留まりの泳ぎが始まる。舞留まりの泳ぎが始まる。
舞留まりの泳ぎは、土佐錦魚の生涯に通じるところがあり、
泳がせる遊泳の時期は、のちの生涯に訪れることはない。
角鉢の当歳は、遊泳しようと思えば真夏でもいつでもできる。
角鉢の当歳は、止まろうと思えば、いつでもどこでもできる。
そこに、制約がない。

2020.01.21(Tue)  土佐錦魚TOP
 01月20日
   
選別思考 3380−18
   
*止まり(とまり)或いは留まり(とまり)
泳ぎの制約には、泳ぎを誘導する制約と、泳ぎを留まらせる制約とがある。
誘導的な制約とは、群れ泳ぎをさせる。
止まり泳ぎは、漂うようにジっとしているのとは一寸異なる。影に隠れてジッとしたり、少しの冷水にジッとしたり、対流に対応したり、止まりながら泳いだり、留まらせる制約になる。
高温の中で強い陽射しから避難して、前を使いジッとする泳ぎになる。
舞や、決め或いは極めの状態になる。
これを[舞留まり或いは舞止まり(まいどまり)]と言う。
泳がせる誘導的な制約は、当歳の春から初夏迄の一時期になる。
次にゴチョゴチョ泳ぎ陽射しが強くなるとグリグリ泳ぎとなる。
その時期が過ぎると止まりの時期が始まる。
梅雨が明けた真夏を「土佐錦魚の夏」と言っている。

2020.01.20(Mon)  土佐錦魚TOP
 01月19日
   
選別思考 3379−17
   
グルグル泳ぎもジグダグ泳ぎも、言ってみればメダカの学校の団体泳ぎになる。
もっと尾が張ってくる頃には、水面に餌を求めたり、狭い丸鉢中の餌を探し回ったり餌を食べては泳いだりするゴチョゴチョ泳ぎは、個体間の競争泳ぎになる。
丸手や張りの強い系統は、もともと群れ泳ぎの期間が短くなる。
ゴチョゴチョ泳ぎと止まる泳ぎの中間も丸鉢では見られる。
互いの影に潜り込むことを繰り返すグリグリ泳ぎになる。
強い光線を避けて影に入って停止したいが、影をつくっていた魚が自身の下へ動いてしまう。
団子状態や影を追って潜り込もうと、グリグリ泳ぐ。
グルグル泳ぎ、ジグダグ泳ぎ、ゴチョゴチョ泳ぎ、グリグリ泳ぎには、泳ぎの意欲を感じられる。
だが、留まりの泳ぎには、泳ごうとする意欲を感じられない。

2020.01.19(Sun)  土佐錦魚TOP
 01月18日
   
選別思考 3378−16
   
飼い主が餌を与える時に丸鉢の側に寄るからゴチョゴチョ泳ぐ、
側に寄ると餌をくれると思ってゴチョゴチョ泳ぐ、
餌を探し、苔をついばみながら、狭い丸鉢をゴチョゴチョ泳ぐ、
苔をついばむ時に、逆し向いたり、横振りをしたりする。
陽受けが良くて影が少なく殆どが明るいからゴチョゴチョ泳ぐ。
グルグル泳ぎは、丸鉢泳ぎの象徴になっている。
早い生まれは春の終わり頃に、遅い生まれは夏の初め頃に、
上面の春の温もりを求めて、上面の初夏の温まりを求めて、
遠くから丸鉢を眺めると、グルグル泳いでいる。
だがグルグル泳ぎは、尾を流している一時期で、多少尾肩が見えてきて、
上面と底面に最たる温度差が出来る頃には、上下に大きく波打つようなジグダグ泳ぎを始める。
この泳ぎも丸鉢にしか見られない。

2020.01.18(Sat)  土佐錦魚TOP
 01月17日
   
選別思考 3377−15
   
*泳ぎ(丸鉢)
良く泳ぐ差だけなら、角鉢で十分となる。
様々な土佐錦魚作りの中の一つとして、泳ぎはある。
普通泳ぎと言うと、泳がせることを言い、遊泳を言う。
普通泳ぎとは、誘導的に泳がせる印象になる。
丸鉢は誘導的に泳がせる制約を備えた最たる鉢になっている。
グルグル泳ぐ、ジグダグ泳ぐ、ゴチョゴチョ泳ぐは遊泳になる。
この種の泳ぎを角鉢では、象徴的に見ることができない。
丸鉢がもたらす独特の泳ぎになっている。
丸いから、上面が広いから、上面が暖かいからグルグル泳ぐ。
新水が、気持ちが良くてグルグル泳ぐ。
上面と底面に最たる温度差が出来るから上下にジグダグ泳ぐ。
同じ方向だと飽きるからジグダグ泳ぐ。
上面と底面の間に傾斜が出来るから上下にジグダグ泳ぐ。

2020.01.17(Fri)  土佐錦魚TOP
 01月16日
   
選別思考 3376−14
   
一坪池や二尺三尺の角鉢には、どんな条件が足りないのか。
ずらりと並んだ項目を一つ一つ比較検討したのちに、
改めて丸鉢に挑んでもらいたい。
*泳ぎ(丸鉢)
*止まり(とまり)或いは留まり(とまり)
*泳ぎ(角鉢)
*一回戦(餌の量と時間)
*水量(温まりと冷え)
*水量(収容尾数)
*水深(温まりと冷え) 逆し向きの懸念
*水保ち
*側面の傾斜に沿った変化
*側面の傾斜に沿った温度変化
*対流
*沸きと煮え
*底と壁の曖昧さ 体勢 斜面に沿った変化
*対流による舞止まり
*過酷(陽射し)
*過酷(温度)
*光線と温度と丸鉢と角鉢と当歳と親との関係
*生長度の目印
*基本の丸鉢
*高知の理想の苔
*陽受け(日射量)
*上底差(上面と底面の面積の差)快適と沸き
*上底差 温度(上面の泳ぎ)(底面の止まり)
*温度差 高温域の日差温度
*日射量
*焼けと成長
*目幅と餌
*目幅と温度
*遺伝子の切り替え
*薄い日影と濃い日影
*目幅と陽受け
*目先と餌
*目先と温度
*目先と陽受け
*傾斜と苔(付着藻)
*苔(苔焼け)(温度差最高温度)苔による陽受け
*浮遊藻と付着藻
*出来た水
*頻繁な水替え
*練れた水と粗水(あらみず)
*育てると作る
これら総てで、丸鉢と角鉢が異なっている。
どうしてか、それをこれから一つ一つ突き詰めて行こう。

2020.01.16(Thu)  土佐錦魚TOP
 01月15日
   
選別思考 3375−13
   
土佐錦魚作りとは、丸鉢の過酷な条件を活用するところにある。
丸鉢で飼っても、魚に制約を課さなければ、作りをしていない。
「丸鉢を甘く見るんじゃないよ」
「高知の伝統を見くびるなよ」
「土佐錦魚を馬鹿にするなよ」
丸鉢無用論者に、声を荒げて言いたい。
丸鉢に疑いを抱く人達に、警鐘を鳴らしたい。
生涯角鉢の魚で満足したままなのか。
土佐錦魚とは、作られて初めて土佐錦魚と言われるようになる。
作られていない土佐錦魚は、土佐錦魚属となる。
果たして本編を読み終わったら、土佐錦魚属を育てることから、土佐錦魚作りに
挑戦するようになるだろうか。
土佐錦魚を作りながら、大きさや形を自在にコントロールできるようになるだろうか。

2020.01.15(Wed)  土佐錦魚TOP
 01月14日
   
選別思考 3374−12
   
*丸鉢と角鉢の差は、泳ぎの差だけだろうか。
角鉢派の人は、「丸鉢はぐるぐる泳ぐと言うけれど、角鉢の長編だって長くて良く泳ぐよ」と子供めいたことを言う。
確かにそんな側面はある。だが捉え方があまりにも幼稚だ。
蘭鋳用の一坪池の方が、泳ぎは丸鉢より遥かにいい。
三尺二尺の角鉢でも、丸鉢より結構泳ぐ。
太りも育ちも大きい池の方が良い。
なら、丸鉢とはどこが違うのか。
丸鉢は、土佐錦魚を、土佐錦魚たらしめるための制約を、
土佐錦魚に課せられる鉢になる。
土佐錦魚作りとは、土佐錦魚へ制約を課すことになる。
角鉢では土佐錦魚へ、その制約を課すことができない。
角鉢で満足している人は、土佐錦魚作りを知らないことになる。
どんな制約を課せば、どんな形になるかを知らないことになる。

2020.01.14(Tue)  土佐錦魚TOP
 01月13日
   
選別思考 3373−11
   
土佐錦魚は丸鉢で無理やり大きくしなくても、丸鉢の使い方の本来を知っていれば、小さく飼うも大きく飼うも自在にできる。
しかも当歳を二歳魚程に大きくしても、作りはできる。
それを成し遂げるのは、丸鉢があったればこそ、丸鉢の使い方を知っていればこそになる。
こう言っている私も教えられた筋道を辿りながら試行錯誤を重ね、ハッキリとした確信を得たのは近年のことになる。
これも、半世紀続けてきた賜物と言える。
その人生の賜物を記載してゆくことになる。
読んだ後からは、二度と馬鹿な丸鉢無用論を唱えないで済むようになって欲しい。
ただ丸鉢に入れれば、土佐錦魚が出来てしまう訳ではない。
丸鉢の使い方次第で、土佐錦魚属を育てることになる。
丸鉢の使い方次第で、土佐錦魚を作ることが出来る。

2020.01.13(Mon)  土佐錦魚TOP
 01月12日
   
選別思考 3372−10
   
一旦歯止めが外れると丸鉢を使っていても、電気を点けて夜まで餌を与えたり、
エアーストンを使用して大きく育てようとしたり、一日に二度水替えをしたり、
ヒーターを入れて大きく育てようとしたりと、
丸鉢の使用法を高知自ら崩してしまった。
勿論全部が全部ではなく、丸鉢の本来の使い方を志そうとした人もいたが、
最早丸鉢の使い方を伝える師はいなくなっていた。
高知の人が丸鉢無用論に反論する謂れ(いわれ)が消えた。
高知の人が自ら、丸鉢の意義を失って行ったことになる。
すると雨後の筍のように、東京や各地方に天狗が現れだした。
それこそ、どこの土佐錦魚か判らなくなっていた。
地方、地方あるいは、個人、個人の土佐錦魚が乱立し出した。
高知には、それを統一する実力が伴っていなかった。
誰も高知に従おうとはしなかった。

2020.01.12(Sun)  土佐錦魚TOP

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